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エッセイ「いろはが星になるまでは」③

    こんにちは、いろはです。
    いつもご拝読いただきありがとうございます。

    今回は母の継父(いろはの祖父、以降祖父と呼びます)についてお話したいと思います。

    祖父は大酒飲みのヘビースモーカーで、女とギャンブルが大好きでした。

    仕事もせず、女と借金を作り、酒を飲んでは暴れて祖母に暴力をふるいました。
    それだけでなく、連れ子だった私の母を女として見るようなところもあったようで、当時まだ小学5年生だった母に手を出したことがあり、母は耐えられず実父の元へ逃げ込んだこともあったそうです。
    祖母は実父の元から母を連れ戻し、その後母は自分の身を守るため、中学を卒業すると同時に家を出て、高校へは進学せず住み込みで働き、一人暮らしを始めました。

    「私にとって母は母じゃなかった。ただの女だった」
    いつだったか、母が祖母についてそう語っていたのを覚えています。

    中卒で家を出てからの母は、紆余曲折あって長女を授かり、シングルマザーとなって飲食店(水商売と思われる)での勤務中にお店の客だった父と出会い結婚、三人の子を授かり4人きょうだいの母となりました。
    長女の実父が誰なのかについては、母は頑なに語ろうとしないのでわかりません。ここまで言わないということはきっと言いにくいような出自なのだと思います。

    兄夫婦が出て行ってから、同じように借金取りに追われて行き場を無くした祖父母が実家に転がりこんで来ました。
    いろはがまだ幼稚園児の頃でした。
    なぜ母が祖父を受け入れたのかはわかりません。

    祖父母は私たち孫をよく可愛がりました。

    可愛がりました。とても。

    ただある日、祖父は私に性的な悪戯をしました。
    私がまだ5歳の時でした。
    そのせいで体に傷がつき、わずか5歳で産婦人科へ連れて行かれることになりました。
    誰もが「もしかしたら」という可能性に対し見ないふりをしました。

    病院からの帰り道、母は終始無言で不機嫌でした。
    玄関に入ると母はまるで私を物のように突き飛ばして、暴言を吐きました。
    「こんな年で産婦人科とか!ほんと恥ずかしい子!」
    ゴミでも見るかのような目で、そう怒鳴りました。
    私は呆然として、しばらく玄関先で座り込んだまま動けませんでした。

    小学校に上がった頃、祖父は今までの不摂生が祟ったのか病気になり、医者から余命宣告を受けました。
    死ぬのが怖いのか、祖父は浴びるように酒を飲み、庭先で叫びながら暴れました。
    「さっさと死ねばいいと思ってるんだろう!なぁ!今すぐ殺せよ!殺せぇ!」
    近所中に響き渡るほどの大声で騒ぎ、祖母の首を絞め、家族が総出で抑え込む地獄絵図となりました。

    騒ぎが収まると、祖母は一人で縁側に座り、ぼんやり庭を眺めていました。
    小さな背中が痛々しくて、放っておけませんでした。

    今思えば、なぜあの時警察を呼ばなかったのか。

    なぜあの後誰も祖母に寄り添うことなく、一人にしていたのか。

    私にとって祖母はいつも家族思いな人で、いつも母替わりとなって8人分の洗濯をしてはご飯を作り、いつも笑顔で頭を撫でてくれるような、優しい人でした。
    もう1人の母のような存在でした。

    母は苦々しい顔をして「あの人は過去の罪滅ぼしをしているのよきっと」と語ったこともありましたが祖母の真意は分からずじまいです。

    ぼんやりしている祖母の背中を見て、一人にしてはいけないような気がした私は、祖母の大好きなお砂糖が7杯入った甘いコーヒーを淹れて手渡しました。
    祖母の隣に腰かけて、一緒に庭を眺めました。気の利く言葉は一言も出てきませんでした。
    「おじいちゃんはね、臆病な人やけんね」
    祖母は小さく呟きました。私はそのあとも何も言わず、ただ一緒に庭を眺めました。

    その一年後、祖父は心臓発作であっけなく旅立ちました。
    私の脳裏に一生消えない傷跡を残したまま消えました。

    祖母はあの男の何が良かったのか。

    なぜ一人目の夫と別れてしまったのか。

    祖母もまた母の実父の過去について語ることなく旅立つのですが、それがまるで呪いのように母を蝕んでいったと思います。

    実父の存在について何も語らない、ということがどれほど人の心を壊してしまうのかを、捻れてしまった母と姉が、私に教訓として刻み込んでいきました。

    「母」という呪い。

    母になりきれなかった女は、我が子に解けない呪いをかける。

    それがいかにして残酷か。私は40年という時の中で嫌というほど学びました。

    私は自分の娘に対し、実父の存在や離婚の経緯は隠しません。
    元夫にひどいことはされましたが、あの子の実父を卑下するような物言いはしません。
    「親がどんな人間であっても、あなたは私の自慢の娘です。
    生まれてきてくれてありがとう。ママはとても幸せです」

    いつだってそんな風に語り掛けるようにしています。

    私の娘がこれからも笑顔に溢れた生活が出来ますように。

    今回のお話はこのくらいにしておきます。
    次回は私の小学生の頃のお話をしたいと思います。

    ご拝読ありがとうございました。

    エッセイ「いろはが星になるまでは」③ー了

     
     
    はじめまして、こんにちは! 吸引力の変わらないただ一つのダメ男掃除機!いろはです♡ シンママになって早5年。とうとうクモ膜下出血になって救急搬送されちゃったけど、 死神ボコして舞い戻って参りました! みなさん、ご支援どうぞよろしくお願いいたします!

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