
自分は深海魚だと思い込んでいた。「生きづらさ」の海から生還した、ある柑橘の話
あなたは、自分の本当の姿を知っていますか?
わたしはかつて、自分のことを"深海で暮らす深海魚"だと認識していた。30代半ばまで。ずっと。
"海"という言葉は知っていても、"深海"という概念まではまだ知らなかった4〜5歳の頃のこと。
その時すでに、「わたしって本当は、お魚なのかもしれない」と思っていた。
それは5歳の夏、市民プールの幼児用プールで証明された。
はじっこの方で監視員の目を盗み、プールの底のザラザラした水色に触れながら、身体を水にそっと浮かせて遊んでいた。
そのままゆっくり手を離すと、浮いた。
足を蹴り蹴り、バタバタ、ちょっと進む。
「泳げた…。やっぱり。わたし、お魚なんだ。」
そんなことを思う5歳児だった。
自分のことを、人間だと認められないような———…。
これは、自分の存在がよくわからずに、
「なんだか苦しい。なんだかイライラする。なんだか悲しくて、なにかが悔しい…」
そう息を止めて生きていた、とある柑橘———わたしのお話です。
1.息苦しさの限界突破で急浮上
深海は暗くて水圧が強く、水はいつも少し冷たかった。
それでもわたしは、深海で育った深海魚。どれだけ苦しくても、息がしづらくても、深海魚として生きるしかない。
苦しさを和らげるには深呼吸が大事だと聞いて、一生懸命に息を吸ったり吐いたりしてみた。
水圧で圧迫されて肩が凝るから、ストレッチやヨガをしてみた。
そうして深海に馴染もうとバタバタもがいているのに、苦しさはなかなか消えなかった。
他の深海魚さんたちは、なんだか優雅に見える。
なんでわたしだけこんなに…?
いや、みんなも苦しいのかな?顔に出していないだけ?それなら、わたしも頑張らないと。
そうして深海に適応しながら生きていたある時、生後30年以上も頑張れたのに、その時は来た。
「苦しい!限界だ!もう息が出来ない…。」
肺がパンっと弾けるようにして突然の発作が起きると、深海から水面に向かってぶくぶくぶく〜っと、急浮上した。
急浮上。…お気づきだろうか。現実では、急降下。
そう、精神疾患になって何も出来なくなったのだ。
これが、長年の深海暮らしに限界が来て、初めて水面から顔を出した時のこと。
2.わたしは何者になれば良いの?
わたしが暗い深海でどのように息を潜めていたのか、その"日常"からお話しします。
まずは誕生から。
空と海の間から生まれたわたしは、勢い余ってドボーンッと、海の底まで落っこちてしまったのだ。
それからというもの、物心着く頃には誕生時のハプニングなんかすっかり忘れ、海の底の生きものとして生息していた。

海の底、深海では、わたしは自分が一体何者なのか、はたまた何者になれば良いのか、いつまでもずっと模索することになった。魚のはずなのに、どうもエラ呼吸がへたっぴで、尾ひれを上手に動かせなかったからだ。
わたしって、
ダイオウグソクムシかな?
いや、あんなに肝が座ってないか。
メンダコか?
いや、あんなに可愛らしくヒラヒラするキャラじゃないなぁ。
もしかしてリュウグウノツカイ?
いやいや、あんな神秘的な存在にはなれないだろう。
あ、もしかして、サメかな?
なんかちょっとわたし、尖ってる気がするし!
あらゆる方向性を探すも、どうにもこうにも自分の正体がわからなくて、目指すべきものもわからない。
毎日毎日、海の底で"海洋生物図鑑"を眺め、自分のことを探していた。

3.何者にもなれない変なわたし
何かの魚を目指してもうまくいかず、何になれば良いのかもよくわからないまま、自分のことが嫌になっていった。
「どうしてわたしは生まれてきたんだろう。なんでみんなはあんなに普通に、優雅に泳いでいるんだろう。どうしてわたしはこんなに息がしづらいの。」
手のひらですぅーっと、冷たい海水をなぞりながら、涙が流れていることにも気がつかないでいた。だって、すぐに海水に紛れてしまうんだから。
自分を諦めてしまいたいのに、それでもわたしは自分が何者なのかが知りたい。何かが欲しい。何か、自分を名付ける何かが欲しい。それはもう、なんだって良い。
「タコ」でも「ヒトデ」でも、なんなら「砂」でもいい。
正式に、ちゃんと、自分のことが知りたい。
わたしは一体、何者なの?
そうして、わけもわからずエラ呼吸の練習に励んだ。
4.チョウチンアンコウの誘惑
そんな時、海の底の向こうの方に光が見えた。思わずその光に吸い寄せられると、そこには頭からちょうちんをぶら下げた魚がいた。そう、チョウチンアンコウだ。
頭からちょうちんをぶら下げてるなんて、なんだか変だな、あやしい魚なのかな。最初は確かにそう思った。
けれど、なんせその魚は魅力的だった。この暗い深海の中で、煌々ときらめく光を魅せてくれるのだから。

その時だ。「あっ…!」と思った時にはもう遅かった。
わたしは一瞬で飲み込まれてしまったのだ。それも、そのチョウチンアンコウの胃袋の中に入ってしばらくしてから、やっと自分が飲み込まれたことに気がついた。
「あぁ、わたし、あの変な魚の胃の中に入っちゃったんだ」
光に安易に誘われたことを悔やみながら、わたしはなんとか自力でチョウチンアンコウの胃袋からまた深海に出た。糞となって。
これは、極限の孤独と不安の中で出会ってしまった、安易でウマイ話にのった時のこと。なかなかに大きな損害を得た時の話。
あぁ、思い出しても潮水のしょっぱさが口の中に広がってくる。
深海で出会うチョウチンアンコウの光にはご注意を。
5.毒が回って致死量に
キィィーーーン…。
強い耳鳴りがする。耳鳴りはよくする方だけど、それにしても多い。うるさい…。
耳抜きがうまく出来ていないのかな。深海は水圧が強いから。
…??
待てよ。耳鳴り…水圧…耳抜き…?
わたしは深海魚のはず。なぜ耳抜きなんかが必要なんだ?
稚魚の頃からあらゆる体調不良があったわたしは、成魚になるにつれて高まる身体の不調に、初めて違和感を抱いた。
まさか、本当はわたし、お魚じゃ、ない…?
ゾクっ。
変な恐怖を感じると、途端にスーッと全身の血の気が引いていった。
すると気がついた。いつかに刺された、フグだかクラゲだかの毒が全身に回ったことに。
誰かに言われた『もっとちゃんと、普通にしたら』という言葉が、長年かけてわたしの心臓にチクチクと刺さっていたのだ。
「あぁ、もうだめだ。力が入らない。これ以上泳いでいられない。」
いよいよ力尽きると、ぶくぶく、ふよふよ漂うように、身体が水面に向かって浮いていった。
途中、イルカの群れとすれ違った。イルカは、にっこり微笑んでいた。
ついに、すぽーんっと、身体が水面に出た。バジャーっと、水しぶきとともに空中に飛び出した。
あぁ、海の外があったのか。あれは太陽だ。明るい。眩しいなぁ。陽の光って、あたたかいんだ。
空の青さは、海の青さとは違うんだなぁ。

初めて見る景色に、うっとりして、そしてぼんやりとした。
心を壊して動けなくなり、日中に外をお散歩し始めた時のこと。
太陽を浴びるのは、とっても気持ちが良い。空を見上げるの、好きだなぁ。
へとへとのボロボロになっていた療養中のお散歩。
その時わたしは、自分がずっと求めていた景色はこれだったんだと気がついた。
自分がずっと求めているものに、重たい石を乗せてずっと蓋していたことにも気がついた。
わたし、ただのんびり、のんびりと、空を眺めたかったんだ。
6.白日のもとに晒されて
太陽の下、白日のもとに晒された深海魚のわたしは、水の中にいなくても呼吸が出来ることに気がついた。ううん、むしろ、もっと息がラクに感じる。
初めての地上は、なんだか足がおぼつかなかった。それに、海の中とは違う生きものたちがいて、太陽は時に痛いくらいに眩しくて、月の明かりはなんだかどこか、懐かしく感じたりもした。
ある日の雨上がり、自分の姿が水たまりに映った。
あれ?わたし、尾ひれがない…?
丸くて、だけど少しデコボコしている。
太陽みたいなオレンジ色だ。
怖がりなのかな?厚い皮に包まれている。
気づくと溢れてきてしまう涙は、苦くて酸っぱくて、だけど少しだけ甘いんだ。
生まれて初めて、自分の姿を目にすると、なんだか少し、くすぐったい気持ちになった。
わたし、デコボコだけど、まんまるだ。太陽みたいで、満月みたいで、だけど味がする。
柑橘だ。
ふわ…っと、ほのかな酸味と甘く爽やかなシトラスの香りを感じたような気がした。

7.脳と精神の毒出し作業
地上の生活では、日々てくてくとお散歩をして過ごしていた。太陽の光を浴びて、緑の葉っぱの空気をいっぱい吸いたくなったからだ。
するとある日、1本のペンと、1冊のノートを手に入れた。
「ここに、思っていること、感じていること、思い出すこと、あなたの言葉を書いてごらん。
どんな気持ちも大丈夫。出てくるままに、誰にも秘密で書いてごらん。」
太い幹をした木のおじいさんが語りかけて来た。
それからわたしは、深海での苦しかったこと、だけど、海の中には素敵な景色もあったこと。
これからどうしたら良いのか、わからない気持ち。
何が嬉しくて、何が嫌か。
色んなことを書き出した。
何を書いたら良いかわからない時は、こう書いた。
『ありがとう。ごめんなさい。ゆるしてください。愛しています。』
時には果汁を流しながら、カリ、カリと書いていった。
わたしの小さな果実の、本当の味を取り戻すための、大切なおまじない。
8.好きなことを書き出そう
それからしばらくすると、木のおじいさんはこんなことを言ってきた。
「たくさん書いて、書いて、そうしたら、どこかで一度、すぅっと気持ちがラクになってくるかな。
そうしたらね、好きなことを書き出してごらん。好きなもの、好きなこと、おかしなことでもいいよ。笑っちゃうこと。」
木のおじいさんは、しわしわの垂れ目をにっこりとさせていた。
それからわたしは、自分の好きなものや好きなことを書き出した。
何度も何度も書いていた。
自分の"好き"を並べたら、胸のあたりがぽかぽか、いいきもちがした。
「ふふっ」と、口元が上がってしまう。
9.もしも、なんでも叶うなら
そう言えば、深海には紙とペンはなかった。地上に出てから"書く"という行為にすっかり魅了されたわたしは、インクをたくさん使って、紙をたくさん使って、いっぱいいっぱい、言葉を書き出した。
するとある満月の夜、まんまるお月さまが話しかけてきた。
「もしもなんの制限も条件もなかったら、どんなことをしたいんだい?
もしも、なぁんでも叶うなら、どんな風に過ごしたいかい?
次の新月の夜、真っ暗の夜に、その願いごとを書いてごらん。」
わたしは少し不思議に、そしてちょっとだけ疑って思った。なんだろうそれ、魔法?
その時ふと、チョウチンアンコウの光を思い出した。暗い深海に灯された光と、暗い夜空の月明かり。
もしかして、また飲み込まれちゃうのかな。
うーん…。うん、でも、書いてみよう。
『もしも、なぁんでも叶うなら、本当はどうしたい?』
10.あなたの果汁を信じて欲しい
生まれた途端に海の底に落ちた柑橘は、ずっと自分を深海魚だと思い込んでいました。
30年以上の間、水圧に耐え、息を殺して、必死に生きていたんです。
でも、ある時の限界が、わたしを水面まで押し上げてくれました。
そこで出会った太陽や月、空や緑。わたしは自分がお魚ではなく、「柑橘」だったのだと知りました。
いま、地上の空気はとても美味しいです。
紙とペンを使って、自分の心を書くこと。それを覚えたら、海の中では知らなかった「光」が、わたしの心に満ちていきました。
だから、今もし海の底で息が苦しいと感じている果物さんがいるのなら、伝えたいです。
拝啓 海の底を泳ぐ果物さんへ
もしも今苦しくても、ずっと苦しくても、もう限界でも、大丈夫。
いっぱい泣いたら、その涙は果汁となって、心に満タンの栄養になってくれるから。
酸っぱくて、しょっぱくて、だけどちゃんと甘い、あなたの果汁を信じてほしい。
それは、あなただけの、おいしい贈り物。
P.S
そうだ、わたしの種類なんだけどね、「甘夏」だったんだ。
向きやすくて甘い、いわゆる「人気のみかん」じゃなかった。皮はちょっと硬いし、苦味もある。種もいっぱい。
だけど、それがわたしの味だった。
あなたはどんな果物だろう?
もしわかったら、教えてね。
おわり🍊
あまなつは、今日も地上で生きています。



———手帳に描いてる絵日記より