
「大丈夫ですか」と言ってしまう、その次のシミュレーション
脚が悪そうな高齢の女性を、たまに車から見かける。
買い物用のキャリーバッグをいつも引きずっていて、私が見かけるのは、その人がスーパーへ向かっている(らしい)ときだ。
今日は、その人がスーパーからの帰りのようだった。後ろ向きにキャリーバッグを引っぱりながら、スーパーから大通りに向かって進んでいる。
雨が降ってきていて、彼女はグレーの上下のジャージ姿。雨よけなのか、ジャージのパーカーのフードをかぶっている。足元は、ぺたんこの上履きみたいな白いシューズで、ズボンの裾が濡れて濃い色になっていた。
進んでいるといっても、そのスピードは遅々たるもの。何でまた、キャリーバッグを後ろ向きになって引っぱって進むのか……、重量があるからだろうか。
私はスーパーの近くのコンビニに向かっていた。で、つい彼女に「大丈夫ですか」と声をかけた。
彼女は私を見て、「はい」と、か細く高く響く声で応えた。
「本当に?」
「はい」
私も、どうしていいか分からなくて、とりあえず目指していたコンビニに入った。
ATMで入金を終えてコンビニから出ると、まだ彼女は大通りに向かって、後ろ向きにキャリーバッグを引っぱりながら進んでいる。雨が本降りになっててきた中を。
自分が持っている傘をあげてしまってもいいのだけれど、脚が悪いうえに傘まで持ったら、余計に危なそうだし。
彼女の家がどこなのかもまったく知らない。ただ、スーパーから相当離れた場所で、彼女がキャリーバッグを引きずっているのを見たこともあって、「こんな距離を買い物に行っていたんだ」「半日がかりだったりして」と思ったこともあった。
で、私、もう一度、彼女に「本当に大丈夫ですか」と、道のこちら側から向こう側にいる彼女に向かって声をかけた。
「はい」
彼女の声が返ってきた。
それで、もう仕方ない、と思った。送っていってあげることもできなくはないけれど、それは今日だけの話だし、それもどうなのかなと思う。つまり、毎日面倒をみてあげられるわけではない。「どうしてほしい」とも言われていないし。
彼女は毎日、一生懸命、そうやって買い物に行き、生きているのだろう。
雨に濡れる日もあるし、そうそう、キャリーバッグが歩道の石畳にはまって、格闘しているようなところも見たことがある。
で、結局、私は声をかけるしかできなくて、帰ってきた。
気持ちは、もんやりモード。
そのとき、思い出したことがあった。
数か月前に仕事でお会いしたある山岳ガイドの方が、こんな話をしていた。
「『大丈夫ですか』と訊くと、人は『はい』とか『大丈夫です』と応えるんです。でも、見ていると、大概、大丈夫じゃない。『大丈夫です』と言った直後に、へなへなと崩れ落ちたりするんです。だから、僕は『大丈夫ですか』とは聞かないんです」
その話を聞いたとき、私は「ああ、なるほど」と、すごく思った。なのに、私は人に声をかけるときに、「大丈夫ですか」って言っちゃってる。
こういうのもシミュレーションだよね。
何でもかんでも手助けすればいいわけではないのは分かってる。できないことのほうが多いし。でも、何かもっと別の声のかけ方はなかったかな、とも思う。
AIに聞いてみたら、「『大丈夫ですか』よりも、『何かお手伝いできることはありますか』のほうがいいかもしれませんね」と言っていた。
ああ、なるほどね。
AIはもう一つ、「それでも『大丈夫です』と言われたら、『分かりました、お気をつけて』で終えるといいと思います」とも言っていた。
なるほど、「お気をつけて」の一言が出せていたら、もんやりとはしなかったかもしれない。
踏み込むことだけが親切じゃない。相手が「大丈夫」と言ったなら、その意思を尊重することも、その人への接し方だろう。
以前、信号のない横断歩道の近くで、誰かを待っているのか、それとも道を渡れずに戸惑っているのか、どっちだろうという感じの高齢の女性がいた。それで、思い切って「渡ります?」と声をかけたら、「うん!」って腕にしがみついてきて、それはそれでびっくりしたことがある。
右腕にぎゅっとしがみつかれたまま無事に一緒に道を渡り、「じゃあ!」と言ったら、その方も「じゃあ!」って。胸のあたりで手をバイバイしたら、その方も手をバイバイして、小さく「またね」と言ったら、その方も「またね!」とささやくように返してきて、何だか、子ども同士になったみたいだった。
あのときは、「大丈夫ですか」じゃなかったからかな。
次にまた誰かに声をかけることがあったら、「大丈夫ですか」じゃない言葉が、口をついて出せるといいなと思った日。