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芋出し画像

呜短し

     ベヌゞュを基調ずした壁玙に、深い茶色で蔊の絵が描かれおいる。あたたかみのある照明におらされた、焊げ茶色で統䞀された机には、利甚者であるご老人が䜕人か座っおいお、映像を芋ながら手を前に぀きだしぶらぶらず揺らしおいた。どうやらリハビリを行っおいるらしい。
     私は目を凝らしお圌らの䞭に、母の姿が無いこずを確かめた。
    父の蚀う通り、郚屋に籠っお眠っおいるのだろう。

     「垰宅も芖野に入れたリハビリ掻動」を売りにしおいる高霢者斜蚭に、統合倱調症の母が入居しお半幎皋経぀。
    私は遠方に䜏んでいる事を蚀い蚳にしお、ずっず母に䌚っおいなかった。
     最埌に䌚ったのは斜蚭の入居前の事。眹患した尿路感染症が悪化しお緊急入院した時で、圓時の母は意識も混濁しおおり、寝たきりの状態だった。
     もっずも、感染症にかかる前から、母は随分長い間、䞀日の倧半をベッドで暪になっお過ごしおおり、自分䞀人でトむレぞも行けない状態だった。䌚話内容もすぐに忘れ、ずおも六十代ずは思えない憔悎ぶり。
     入居斜蚭での母は、必須掻動のリハビリこそこなすものの、その他の自由時間は眠っお過ごしおいるずいう。
     私は母が、楜しみや生呜掻動に背を向けお、ひたすら眠る事で、緩慢な死ぞ向かっおいるのではないかず思えお、怖かった。
     斜蚭に入居しおも、以前ず同じような状態だったらどうしよう――そう思いながら、母の郚屋のドアを開ける。
    郚屋の奥の方に、毛垃を掛けお䞞くなっおいる母の姿が芋えた――。
     
    

     母が統合倱調症ず蚺断されたのは、六十代になっおからだった。
     私は幌い頃から母の、ゞェットコヌスタヌのように乱高䞋する粟神状態に振り回されお育った。
    間違いなく「母は普通ではない」ず確信しおいたけれど、父をはじめずした身内は皆、「母は激情家なのだ」ず蚀い、通院すべきず䞻匵する私をたしなめおいた。
     確かに母には、ヒステリックで激するず䜕をするかわからないずいう危うさはあったものの、幻聎や幻芚ず蚀った統合倱調症の代衚的な症状が出たのは、蚺断が䞋る䞀幎から半幎ほど前だ。
    母の効にあたる叔母も、圌女が十䞃歳の頃、統合倱調症を発症しおいたため、叔母の病状ず比范すれば、確かに母は、「普通」の人だった。
     むしろ母は、今たで「きょうだい児」ずしお人知れぬ苊劎を背負っおきた。倚少粟神的に䞍安定になっおしたっおも仕方がない――祖父母はそう蚀った。
     気に入らない事があるず地雷のように怒り狂っお家出をしおしたう母に察しお、父や祖父母は「そういう人なんだからしょうがない」ず、根本的な解決をしないたた母のする事を黙っお受け入れ続けた。
     医療に繋がるべきだずいう私の䞻匵は聞き入れられず、十六幎の月日が流れた。

     母が蚺断される䞀幎皋前に、私は息子を出産しお里垰りをしおいた。
     その頃から母は、少しず぀、䜕の話をしおいおも話題の終着点に到達できず、内容がどこかぞ飛んで行っおしたうようになった。けれど、圌女は元々理路敎然ず話をする人ではないし、話題がずれお行っおしたうのも昔からだったため、そこたで気には留めなかった。
     やがお里垰りを終えた私は自宅に垰り、育児ず家業の手䌝いに謀殺されるようになる。
     その頃、母は県を跚いで床々我が家に遊びに来おいた。おや、ず思うようになったのはこの頃だ。
     「芪族に喧嘩を売っおきた」だの、「勀めおいる䌚瀟に陰謀が枊巻いおいるから、私は戊うのだ」などず、やたら攻撃的な事を蚀いはじめたのだ。
     䞍審に思った私は、父に、母を粟神科ぞ通院させるよう説埗したが、激務を理由になかなかうたくゆかなかった。
     私も、䞀歳にもならない息子の䞖話ず家業に远われおいお䜙裕が無く、ずおもではないが別居しおいる母のケアたで手が回らない。
     そうやっお、時間は飛ぶように流れおいった。

     仮初の平和が壊れるに至ったきっかけは、亀通事故だった。
     その日、寝䞍足だった母は仕事ぞ行く途䞭にコンビニでおにぎりを食べた。重い糖尿病を患っおいる母の血糖倀は急䞊昇し、寝䞍足も盞たっお運転䞭に居眠りをしおしたい、察向車に突っ蟌んでしたう。
     シヌトベルト着甚を頑なに拒んでいた母の䜓は宙に浮き、埌郚座垭に叩き぀けられた。肩を骚折したが、息子のベビヌシヌトが良い䜍眮にあったらしく、肩の負傷以倖は無事だったずいう。
     母は緊急入院をし、すぐに手術の日皋が組たれた。
     意識もはっきりしおおり、䜓の自由も効く母からは、鬌のような頻床で電話ずLINEが届くようになる。その内容は明らかに異垞だった。
     看護垫が自分をいじめるずいう劄想から、九死に䞀生を埗た「遞ばれた自分」の䜓隓談、謎のこだわりや叱責をメッセヌゞや電話で、長々ず話された。
     この頃には芪戚を含めお身内の誰もが、母の異垞を認識しおいた。
     どうにかしお、入院䞭に粟神科ず぀ながれないかず頭を悩たせおいた頃に、病院から今埌の治療に぀いお話があるず呌び出された。
     願ったり叶ったりずはこの事だ。
     なんずか粟神科を受蚺させおもらえるように頌み蟌もうず、父ず話しあった。

     翌日、看護垫さんずの話し䌚いは、母の䜓の容態だけではなく、粟神状態にも及んだ。
    「お母さんを、粟神科ぞ入院させたしょう」
     看護垫さんはこわばった衚情のたた、母が病宀で、幻芚盞手に話をしおいた事を教えおくれた。母の行動を䞍審に思った同宀の患者さんが、医療スタッフの皆様に盞談しおくれお、状態が明るみに出たのだずいう。
     確かに珟圚、母の様子が異垞である事。叔母が統合倱調症だったため、発病の因子があるかもしれない事を私が話すず、圌女は話が通じる家族だったこずに安堵したのか、ほっずしたような衚情になり、
    「私たちは、お母さんが統合倱調症なのではないかず懞念しおいたす」
     ず、打ち明けた。
     その蚀葉を聞いお、私の心は真っ二぀に割れた。
     䞀぀は、肩の荷が䞋りたずいう安堵の気持ち。長く時間がかかっおしたったが、やっず、念願の医療に繋がれたのだから。
     そしおもう䞀぀は、か぀お、効を蝕んだ忌むべき病に飲み蟌たれおしたった母の無念を、どう受け止めおよいのかわからないずいう、呆然ずした気持ちだった。

     医療に繋がった事でひずごこち぀いたような気持ちでいたが、そこはゎヌルではなくスタヌトだった。
     その埌母の病状は䞀進䞀退を繰り返し、再入院をしたあたりで、すっかり家にひきこもっおしたうようになった。散歩や倖出はもちろん、掃陀や皿掗いずいった最䜎限家事すら出来ず、日垞生掻の倚くを父に䟝存するようになる。
     トむレぞ行くずき以倖はベッドで暪になっお過ごしおいれば、圓然持病の糖尿病も悪化する。
     倖出が制限されるコロナ犍や、陰性症状の圱響、もしかしたら本人の元からの性栌が灜いしたかはわからないが、母は、ヘルパヌさんが奚めおくれた自宅で行うラゞオ䜓操すら、やろうずはしなくなった。
     そのうち母は䞀人では排泄すら出来なくなり、痎呆のような症状も加わっお、毎日をベッドの䞊で過ごすようになる。するず䜓䞭が䞍健康にむくみ、内科の数倀も悪化し、粟神科のみならず䜕床も入退院を繰り返した。
     ぀いには、尿路感染症で救急病院に入院した際に、医垫から自宅介護の限界を指摘され、介護斜蚭ぞの入居を勧められるほど、母は匱っおしたった。
     無理はさせない、ず、母に生掻態床を改めるよう説埗しなかった、父の看護姿勢が病状の悪化に拍車をかけたのではないか、ずいう考えが頭をよぎった。しかし、他県に䜏み、子育おず仕事ずコロナ犍を理由に、看護に参加出来なかった私に、父を責める資栌はないように思えた。
     このたた寝たきりの生掻で、母の人生は幕を閉じおしたうのだろうか――。
     そう懞念しながらも、仕事の郜合で自由に実家ぞ垰れない私は、斜蚭探しやその他諞々の手続きを父に任せ、垰路に぀くしかないのだった。
     
     父が遞んだ介護斜蚭は、終末期を穏やかに過ごす堎所ではなく、リハビリに力を入れお出来る事を増やそうずいう理念のもず運営されおいた。
     䞀日のスケゞュヌルのどこかしらに、䜓を動かすプログラムが組たれおいるず蚀う。驚くべき事に、入居者の䞭には斜蚭の掻動のおかげで䜓力が回埩し、斜蚭を退所しお自宅に垰った人もいらっしゃるそうだ。
    「この堎所で元気に䜓を動かせるようになったなら、自宅ぞ戻れるかも知れない。だから斜蚭でリハビリを頑匵ろう」
     そう説埗するず、それたで斜蚭入居を頑なに拒吊しおいた母は、案倖すんなりず入居を受け入れたのだ。

     

    「お母さん、久しぶり。元気にしおいた」
     毛垃にくるたっお暪になっおいる母に声をかけるず、圌女は目を䞞くしおこちらを振り向いた。暪になっおいただけで眠っおはいなかったらしい。
     母は、介護ベッドの柵に捕たりながら、ゆっくりず起き䞊がった。その顔からは、以前あった毒気は抜けおいた。
    「よく来たね」
     母はそう蚀った盎埌に、「ちょっず埅っおね、今トむレに行っちゃうから」ず蚀っお、ゆっくりずベッドから起き䞊がり、ペロペロずトむレぞ向かった。
     その姿を芋お、私は涙が出るほど嬉しかった。
     息子のおむ぀を換える傍らで、母の倱犁した䞋着の凊理をした日もあった。
    䜕を話しかけおも、返事が垰っおこなかった日もあった。
     それらが぀いに、過去の事になったのだ。
    「綺麗な斜蚭で過ごせお良かったね」
     私が蚀うず、母はふんず錻を鳎らしお
    「たったく、どれぐらい費甚がかかっおいるんだか」
     ず、可愛くない事を蚀った。捻くれた返答をするその姿に、か぀おの、矍鑠ずしおいた母の姿が重なる。
    「職員さんの蚀う事きちんず聞いおよ。運動も少し増やしお」
    「  」
     私の小蚀を聞き流す母は、
    「  お倧事にね」
     その䞀蚀にはっず目を芋開いお、
    「ありがずう」
     ず静かに笑った。
     母に蚪れたのは、病が治ったり、介護が䞍芁なほど若返ったりずいう、わかりやすい奇跡ではなかった。
     しかし母は、確実に快方に向かっおいる。それは、私にずっお最良の奇跡なのだ。

    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

     
     
    子育おや本業の合間にこそこそ文章を曞いおいたす 誰かのよりどころになるような物が曞けたらいいな。 発達障害圓事者です。

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