
防衛本能は、最後にいちばん痛い場所を刺す
防衛本能というものは、
自分を守るために、相手のいちばん痛い場所を刺しにいく。
いわば、“トドメ”だ。
昔、元恋人に言われた言葉を、私はずっと引きずっている。
「君の言葉は、全部他人からの受け売りだ。
だから、人を動かせない」
あの言葉は、今でも時々ふいに蘇る。
私は彼から、マネジメントとは何かを叩き込まれた。
人の動かし方。
空気の読み方。
チームの整え方。
物事を構造で捉える視点。
きっと今の自分のベースには、彼から学んだものがかなり入っている。
だからあの言葉は、単純な悪口ではなく、妙に核心を突いていた。
「私は、自分自身で考えているつもりで、誰かの思想を身にまとっているだけなのではないか」
そんな感覚が、ずっとどこかに残った。
でも最近、人間ってそもそもそういうものなのでは、とも思う。
完全なゼロイチを生み出せる人なんて、ほんの一握りだ。
人は誰かに影響を受け、
誰かの言葉を吸収し、
必要な要素を取り込みながら、自分という輪郭を作っていく。
特に日本の教育は、「みんなと同じ」を良しとする。
協調性。
空気を読むこと。
列を乱さないこと。
そうやって育てられた人間が、突然“完全オリジナルの自分”になれるわけがない。
だから不思議と、彼への怒りはあまり残っていない。
むしろ残っているのは、
「じゃあ、自分とは何なんだろう」
という問いだ。
ただ、ひとつ思うことがある。
別れたあとも、彼は何度も連絡をしてきた。
長い自分語り。
頼んでもいない分析。
「俺も悪いところはあった。
でも、君にも問題があった。分析した結果、こう思う」
そんな言葉を、一方的に投げてくる。
終わりにしよう。
たったそれだけを伝えた側に対して、
何倍もの熱量で言葉を返してくる。
攻撃をしながら、同時にこうも言う。
「でも、俺に持っていないものを、君は持っている。
だから、もう一度付き合ってほしい」
正直、理解できなかった。
相手を傷つけるほど言葉を振り回しながら、
同時に「戻りたい」と願うこと。
人は、傷ついたときほど、理性より防衛本能が先に出る。
だから最後に、
相手が一番気にしている場所を、正確に刺す。
それは議論ではない。
勝ち負けでもない。
ただ、
「自分は傷ついた」
という叫びなのだと思う。
でも私は、
その痛みごと抱えながら差し出される手を、
受け入れられるほど大人ではなかった。
いや、たぶん今でも、
その度量は持ち合わせていない。