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お矩母さんの埩讐〜䞀倫倚劻制ず銙枯・時代の波の䞭で〜

    はじめに

    わたしには、人の矩理の母がいたす。結婚するたでは、矩理の母はひずりずいうのが垞識ず思っおいたわたしにずっお、人ずいうのは、青倩の霹靂。䞖の䞭では、結婚したら倫ずの関係だけでなく、矩理の䞡芪や芪戚付き合いも倧倉ず聞いおいたのに、「人もいるそしお、銙枯人の倫には、人の兄匟姉効。なんず䞀倫倚劻”ずいうじゃありたせんか。わたしの日本の芪戚も父方人兄匟姉効、母方人兄姉効で、子䟛の頃から芪戚付き合いの倧倉さは、少しばかり芋おきたけれど 、銙枯での家族構成は日本の状況ず異なっおいたのです。

    そしお、家族ず芪しくなるに぀れお芋えおきたのは、銙枯ずいう土地もそうだけど、この家族も倚くの銙枯人家族ず同様に、時代の流れに翻匄されたずいうこずでした。

    人の母の子䟛たちが倧人になっおからは、䌚う機䌚がめっきりず枛っおいた兄匟姉効たち。そこに1997幎にひずりの日本人の劻わたしがやっおきお、「倖囜人の芪戚ができる」ず日本人ずわたしぞの奜奇心も手䌝っお、この家族がたた、集たり始めたずいうのです。

    わたしはある意味、すごく幞運です。この家族たちを通しおみた銙枯は、䞖の䞭の混乱が招いた䞭で人の心に倧きな傷跡を深く残し、ただ綺麗な話では枈たされない、ダヌクな面を掘り起こし、けれど、決しお良いずは蚀えない環境の䞭で、「良くなろう、可胜性を芋぀けよう」「無問題」ず前を明るく芋ようずする銙枯人の逞しさに觊れながら、わたしは自分の人生が糞ずするならば、なぜこの家族ず糞を添えるようになったのか、たた、亀わるこずになったのかず、人ず時代の瞁ずいう䞍思議さも感じおいたのでした。

    そんな䞭、2007幎のある時のこずわたしたち家族には、倧きな波が抌し寄せおいたした。

    ▪2007幎 飲茶の垭で

    結婚しお10幎ほど経った頃でした、子䟛たちが孊校ぞ行っおいる間に、倫第倫人の長男ずお矩匟さん第倫人次男ずお矩兄さん第䞀倫人次男ず、そしお、お矩母さん番目の矩母ず飲茶に集たるこずになっおいたした。
    「ねえ、お矩兄さんも来るのよね」
    「ああ、異母ずはいえ、お矩兄さんは母のこずもよく知っおいるだろ。圌は、堎の空気を沈めるこずができる人だから、いおもらった方がいいし、僕も助かるんだ。」ず倫。

    この日は、い぀ものように倧きな䞞いテヌブルに通された埌、熱いお湯ず頌んでいた鉄芳音のお茶がテヌブルに運ばれるず、気が利くお矩兄さんは、熱いお湯でテヌブルにある噚やお皿、そしお湯呑みを党員分掗っおくれたした。私たちは、様々なDimSamやよく泚文する炒麺ず炒飯を頌み、い぀でも”あの話”ができるようにず、お矩母さんの奜きな料理を䞭心に泚文し぀぀、楜しい䌚話を最初は、あえお遞んでしおいたのでした。

    けど、”あの話”をし始めるずお矩母さんは、笑顔から䞀転。顔の衚情が曇り、䞍機嫌で仕方ありたせん。䞀通り料理に箞を぀けたものの、そこからは箞を進めるこずはせず、男3人(息子たち)を前にしお、始終悪態を぀いおいたした。


    息子を奪ったずいう憎き嫁であった倖囜人の私には、この頃には随分ず心を開いおくれるようになり、この日もわたしの蚀うこずは耳を傟けおいおくれたのですがお矩母さんの知らない間に行われたある蚈画が気に入らなかったのでした。

    お矩母さんにずっおは腹が立っお仕様がなかったでしょうけど、わたしは、この日を忘れるこずはありたせん。なぜならば、”䞀人の人間が䞀生䌚う事はないず思っおいた人に䌚うこずになったから”です。

    この話を始めるのに・・・
    随分、昔のこずたでさかのがらなくおはいけたせん。

    第1章1950幎代銙枯での出䌚い

    1950幎代の銙枯ずいえば、日本による銙枯統治占領が終わり、むギリスの䞻暩回埩が進み、そしお、䞭囜本土の内戊を背景に、倧量の避難民が銙枯ぞ抌し寄せ、混沌ずした瀟䌚状況でした。銙枯の人口は、なんず玄䞇人から䞇人ず3倍以䞊に増加しおいっおたのです。

    そんな1950幎の半ば、䞭囜本土・朮州から、鉄道を乗り継ぎ、銙枯ずいう土地にやっおきた銀行家のお嬢様育ちであった䞀人の女性が、䞖界各地を船に乗っお旅をしおいたずいう男性ず恋に萜ちたした。

    時代の波に流され、たくさんの人が流れ蟌んでくるこの銙枯の䞭で、誰もが、生きるためにがむしゃらに働いおいお、生きるのに必死だったこの地で結婚をしたのです。

    第2章家族の分裂ずシングルマザヌ時代

    男性には、劻子(人の息子がいたにもかかわらず、その家族から離れおこの女性ず䞀緒になりたした。その新しい倫婊に生たれた男の子は、倫婊にかわいがられお育っおいきたしたが、その男の子は、物心぀いた頃から、䞡芪の喧嘩が絶えなかったそうで、䞡芪がいがみ合っおいた蚘憶しかあたりなく「僕にずっおは、䞡芪が倧声で怒鳎り合っおいる、それが子䟛時代だったな。」ず今も語りたす。

    そんな圌が「僕にずっお、家族ずいうのはいい思い出があたりないんだけど、䞀床だけ䞡芪の手を握りながら行った博芧䌚が、家族ずいう枩かみを感じた最埌の思い出ずなっおいるんだ。巊には父さん。右には母さん。滅倚にないこずだったから、すごく蚘憶に刻たれおいるんだ。」ず目を现めお話す姿の脳裏には、きっずその時の光景があったのでしょう。

    普段は、䞡芪の喧嘩を暪目にしながらも圌は、たくさんの友達に恵たれお、毎日、倖で日が暮れるたで遊んでいたした。

    時には、ひどくなっおいく䞡芪の喧嘩の仲介に入り、「どけ」ず蚀われおもどかずにお母さんを庇ったため、熱された鉄の棒で胞を抌され倧やけどを負ったこずもありたした。その時に父芪から受けた傷が消えずに火傷の痕ずしお今も胞に残っおいたす。

    ▪1968幎 次男の誕生

    倫婊の関係は、もう終わりだず思われるぐらい日々の喧嘩に父芪は、時々どこに行ったか分からなくなり数日垰っおこない日もあったそう。そしお「母さんはい぀も䜕かに怒っおいた」ず。


    そんな䞭、母芪のお腹の䞭に新しい呜が宿っおいるずいうこずが壊れかけた家族に明るいニュヌスずしお流れたした。

    母芪は、”これがきっかけになっお、䜕かが倉わるかもしれないずもう䞀床やり盎せるかもしれない。”ずかすかな垌望を胞に抱き、お腹の䞭の子の出産を埅ち望んだそうです。しかし、父芪は、劻が劊嚠䞭でも盞倉わらずの生掻、盞倉わらずの態床。

    ただ、倫婊の間に生たれた第子に関しおは心から喜んだそう。玔粋にこの第2子を思う気持ちずずもに、次男が生たれたその幎に、父芪のビゞネスが倧きく成功を治めはじめ、今たで決しお楜ではなかった生掻に䜙裕が出来おきたので「この子は、犏を運んでくれる子なのだ。」ずこの子を倧切にしたそうです。


    が子䟛達)をかわいがる気持ちは、本物だったにしおも倫婊の間に出来おしたった亀裂は、そう簡単に修埩するこずが出来たせんでした。子䟛が生たれたず思ったのも぀かの間父芪に新しい女性がいるこずが発芚。人は、この日から䞀緒に䜏むの蟞め、䞊の男の子は歳、䞋の男の子が歳になっおすぐに、母芪は、意を決しお家を飛び出したした。


    その埌、「倫からくる粟神的苊痛からは、倚少解攟されたような気がしたけれど、珟実に襲っおくる様々な問題の倚さ  女䞀人で人の子䟛を育おおいくこずは、生半可なこずじゃなく、本圓に倧倉だったわよ。時代も時代だったからね。」ず蚀いたす。

    ■元財閥のお嬢様の苊悩

    実は、お矩母さん、もずもずは、朮州の裕犏な家に育ち、家には10人以䞊の召䜿さんたちが仕えおいたずいうこずで、苊劎も䜕も知らないお嬢様でした。圓時のこずは、倚く話したがらないけれど、銙枯ぞ逃げおきた際には、召䜿いの嚘自分ず幎霢が近いず共に銙枯ぞ来たそうで、わたしもこの女性には䜕床も䌚っおいたす。

    平和な䞖の䞭であったなら、䞀生をそのような環境で過ごしたであろうに・・・でも、その圓時の䞭囜は歎史的に倚くの人たちの運呜を倉えたした。そしお、圌女もその歎史の波の䞭で、実の䞡芪を倱い、姉たちを倱い、䞭囜を去った者の䞀人でした。

    ■長男である息子は・・・

    さお、母が倫の元を去った埌・・・䞊の息子は、蚳があり、10代のただ䞭孊生の倚感な時に、母から匷いられお1人暮らしをするこずになりたした。アパヌトの1宀、さらにその䞀郚屋を間借りしお䞀人暮らしをしたずいうこずです。

    「お金もないし、䞭孊生の䞀人暮らし。圓時は、料理も出来なかったので猶詰を開けお食べたり、コカ・コヌラヌなどの炭酞系ドリンクでお腹いっぱいに満たすこずが倚かったかな。家に垰っおも、小さなアパヌトの壁の暪からは、人の声は筒抜けだったし、気配がい぀もあったから嫌だったんだ。だから、い぀も遅くたで遊んでいたよ。ああ、母さん自分のこずで忙しかったんだろうね。時々しか䌚えなかったよ。」

    お母さんからは、「もう、ひずりで生掻ができるでしょ」ず突き攟されおたけれど、圌は、䞀人暮らしを始めた埌も、お父さんずは時々䌚っおいたした。芋かねたお矩父さんは、新しいお矩母さん番目や生たれおきた3人の効達ずも気兌ねしないで䌚えるような環境を敎えおいおくれたしたが「そんなこず蚀われおもね。やっぱり耇雑な心境だったよ。」長男である圌には、父芪ずしおサポヌトを継続しおしおくれたした。

    海倖の孊校に留孊で行くこずになった時も、母芪には出来ない金銭的なものを党お甚意しおくれ、圌はカナダに留孊をし、勉匷をしたした。圌にずっおは、父芪は、父芪ずしおずっず接しおくれ、い぀も䞀緒にいるわけではなかったけれど、少なくずも父ずいう存圚を知りながら・・・そしお、増えおいく家族に耇雑な気持ちになりながらも倧家族ずいう䞭で育っおいったのでした。

    ■3人の劻ず家族

    䞀倫倚劻制。実は、銙枯は長い間、䞀倫倚劻制が合法でした。1971幎、銙枯に新しく斜行された法埋によっお、銙枯では䞀倫倚劻制が重婚ずなり違法ずなりたしたが、この法埋が斜行される前の婚姻関係は維持されたした。

    番目の奥様には、2人の息子。
    2番目の奥様(ここでのお矩母さんは、この方)には、2人の息子。
    3番目の奥様には、3人の息子
    埌に4番目の奥様ず2人の子䟛を蚭けられたす。

    䞍思議な関係に芋えるかもしれたせんが、子どもたち同士で䌚うこずもあれば、時には、奥様同士が䌚うこずもあり、お互いの家にも行き来したり、家族ずしおの時を過ごしおいたす。

    第3章再び集う家族──埩讐の皮

    ▪父を芋たこずのない匟

    しかし、この䞭で、実の父に物心぀いおからも䌚ったこずがない人がいたした。それが、倫の実の匟でした。3歳で父ず離れ、その父の顔も思い出せず、父芪の写真さえも芋たこずのなかった匟は、母から聞く極悪非道な父芪のこずを憎むようになっおいたした。

    「お父さんは、お母さんを苊しめ、僕たち家族を捚お、僕のこずも芋捚おた奎だ。」「どうしようもないダツだ」ず。

    しかし、お父さんは、幌少の時から䌚ったこずのない次男ず䌚いたい気持ちが片時も離れるこずがなく、お矩母さんに「息子に䌚わせおくれないか」ず䜕床も尋ねおいたのです。

    息子達が成人しおからは、長男(倫)を通しお、成長した息子に䌚うためにいろいろなアプロヌチをしおいたのでした。でも、父を憎む気持ちの方が䌚いたいずいう気持ちよりも倧きくなっおいた圌は「䞀生、絶察に䌚わない」ず宣蚀しおいたした。その暪で・・・埮笑んでいた女性がいたんです。



    そうそうです。

    お矩母さん。



    圌女にずっお、あの元倫、
    あの男にする唯䞀の埩讐はこの手だったのです

    どれだけ䌚いたいず蚀っおも”䌚わせない”
    どれだけ子䟛を愛しおいおも”子䟛はあなたを恚んでる”
    どれだけ欲しおも”あなたには䌚うこずは䞀生ないわよ”
    ず 

    しかし、人生ずはホント䞍思議なものです。人の思いを遥かに超えた䜕かが動いおいるずしか思えないようなこずが珟実に起こるもの。
    この埌、倧きく゛事゛が動き出すのでした。

    ▪お矩母さんの埩讐匟の思い

    元倫が䜕床も息子に䌚わせおくれず蚀っおきおおも、䌚わせなかった圌女(お矩母さん)。そしお、䌚いたくお仕方のない息子に「父には䌚いたくない。」ず蚀わせしめ、䞀生埌悔させるこずが圌女にずっお、元旊那ぞの埩讐だったのです

    「俺には、ずうの昔からおやじなんおいないよ。
    絶察に䌚うもんか!! 俺達を捚おたひどいダツ。
    俺は憎んでいるんだ
    お母さんは、苊劎ばかりしおきたじゃないか。」

    そう、蚀い続けおきた匟。

    結婚しお、自身が子䟛を授かった埌も、その思いが倉わるこずがありたせんでした。父ず䌚っおいた兄からの、゛父の頌み゛も䞀切聞こうずもしなかった匟。匟の思いは、深いものでした。もう、誰も圌に聞くこずはなくなっおいきたした。

    ■父が癌・・・

    そんなある日のこず、”お矩父さんが倒れた。”ず連絡が入っおきたした。お矩父さんは、倒れお運ばれた病院で怜査を受け、病院で分かったのは、もう治る芋蟌みのない肺癌にかかっおいたずいうこずでした。

    「ご家族にたず、お䌝えしたす。おそらく1幎はもたないでしょう。幎霢のこずを考えるず、䜕かあった時には、その時期が早くなるかもしれたせん。だから、ご家族の皆さんも芚悟は、しおおいおください。」ず医者から家族に宣告されたのです。

    皋なくしお、その話を聞いたお矩父さん。延呜の為の治療も話し合われたのですが、お矩父さんは、痛みに察応する薬は受けるけど、治療は䞀切拒吊したした。

    その埌、䜕床か危ないずころを通りながらも、数日埌には元気な顔を芋せおくれ流ずいうこずを䜕床か繰り返したお矩父さんでした。

    息子である倫に
    「僕はね、もう、心配は䜕もしおいないんだよ。家族にも恵たれた。たあ、お前たちには、そう思えないず思うこずもあるかもしれないけど、家族がたくさんいるこずはいいこずだ。僕は、心配しおいない。倩囜に行くんだから

    ただ、心残りは幌い時から䌚ったこずのない、お前の匟ずいただに䌚っおいないこずだな。お前達にもそうだったかも知れないが、父芪らしいこずをしおあげれなかった。あの子に䌚っお話をしたい。」

    そう、蚀うのでした。

    第4章癌末期の再䌚ず赊し最埌の頌み


    そんなある日、䞻人ずわたしは匟に時間を䜜っおくれるように頌み䌚いに行きたした。

    「お父さんず䌚っおみないお父さんは、お前に䌚いたくお仕方がないんだよ。今、もう治る芋蟌みのない癌に䟵されおいる。い぀倩囜に行っおもおかしくないんだよ。お前にずっおもそう。䌚わなくお埌悔するよりも䌚っおおいたほうが埌悔は、少ないず思うんだ。」

    倫は、そう匟に告げたした。

    今たでであれば、党く聞く耳も持たない匟でしたが
    この日は、䜕か奇跡が起こったようでした。

    「そうだね・・・。
    僕も父芪になっお”父芪”ずいうものを考えるようになったんだ。
    今床、䌚うよ。
    お父さんず早めに逢う日を蚭定しおくれないか」

    ずそう䌝えたした。

    この䜕十幎か、蚱すこずさえ出来なかった父芪ぞの始めおの歩み寄りでした。
    兄は、この翌週にお父さんず匟の再䌚の日を蚭けたした。

    ■母の埩讐の終わりず38幎ぶりの芪子の再䌚

    匟ず兄は、父に䌚う前にも母にも䌝えおおいた方がいいず
    わたしずお矩母さんずお兄さんを呌び出したした。

    そしお、母にも父に䌚うこずを理解をしおほしいず
    レストランで食事ず共にし、そのこずを話したのでした。

    ゚ピロヌグ家族の再生䞍機嫌なあのお昌の出来事

    そしお、倫ずお矩匟さんずお矩兄さんず、そしお、お矩母さんずわたしが集たり、矎味しい食事をしながら、3時間ぐらい居座っおいたのでした。

    そう、ここに集たっおいたのには、倧きな蚳がありたした。この日のお矩母さんは、䞍機嫌で仕方ありたせん。男3人(息子たち)を前にしお、始終悪態を぀いおいたした。息子を奪ったずいう憎き嫁であった私には、この頃には随分ず心を開いおくれるようになり、この日もわたしの蚀うこずは耳を傟けおいおくれたのですがお矩母さんの知らない間に行われたある蚈画が気に入らなかったのでした。


    そうです・・・


    お矩母さんは、息子たちから、
    今たで実の父にあったこずがない息子倫の匟が癌末期である父にこれから䌚いに行くず告げられおいたのでした 。

    もちろん、お矩母さんはいい顔はしたせんでした。始終䞍機嫌な態床は倉わりたせん。しばらくの間黙っおいたしたが  䞀蚀、こう蚀ったのです。

     「あんたも、もう倧人だしね」

    感情では、蚱せない思いが未だに残っおいたようですが、それは、理性ず母性で、たるで匟の背䞭を䞀抌したように芋えたした。䞀蚀も「行っお来たら・・・」ずは蚀いたせんでしたが、


    この日・・・・


    お矩母さんの元倫ぞの埩讐が終わったのでした。
    お矩母さんが私の耳元でこう蚀いたした。


    「わたしもこのたた 人を蚱さないで・・・
    憎んだたたで あの䞖に行きたくないからね。」


    本圓はお矩母さん自身も、お矩父さんを蚱す
    この埩讐を終わらせるきっかけがほしかったのではないかなず思いたした。


    その日の午埌、38幎ぶりの再䌚を果たした父ず子の姿がありたした。握手が亀わされた埌、他の家族は党員退いお、父ず匟だけで2時間、別郚屋にこもっお 話をしおいたした。䜕が話されたのかは誰もわかりたせん。

    2人にずっお、重芁な日になったこずは、間違いないでしょう。
    そしお、匟にずっおは、生涯忘れるこずの出来ない日ずなりたした。埌に、圌がそう教えおくれたした。本圓に良かった。

    その翌週のこずです。

    「お矩父さん 危節」ずの連絡が入りたした。家族の皆が病院に駆け぀けたした。

    あのお矩母さん以倖は

    近所に䜏んでいた第3婊人の家族ず第4倫人の家族は、
    安らかに逝ったお矩父さんを倩囜に芋送るこずができたした。
    「凄くいい顔しおいわよ。」ず・・・。


    わたし達は、最埌の時には間に合いたせんでしたが、もう目を芚たすこずのない、そのお矩父さんの顔から悔いなく、倩囜ぞ行けたんだなそう思わされる穏やかな顔を芋぀めおいたした。

    この1週間前にお父さんず匟が䌚うこずが出来おいお本圓によかったず・・・
    感謝したした。あの日を逃したなら、匟は、お父さんず生きお䞀生䌚うこずが出来なかったでしょう。䞍思議な導きでした。


    匟も「䌚えおよかった。䌚えおおよかった。」
    そう蚀っおいたした。長い間、䌚うこずがなかった父ず息子。
    䌚わせなかった母。

    時が流れ、父に思いをはせるようになった息子。

    蚱せない気持ちを手攟した元劻。

    この父によっお波乱な道を歩んでた人の子䟛たち・・・

    いろいろあったけど、息子を”元倫ぞ䌚わす”こずを受け入れたお矩母さん。
    そしお、圌が倩囜に行く前には、蚱そうず思えた”お矩母さんの長い埩讐”は、幕を閉じたのでした。

    ■最期の別れ只者ではないお矩父さん

    お葬匏の日、人の子䟛たちの姿ず2人の劻。
    そしお、孫たちの姿がそこにありたした。

    匟の姿も 。


    「バラバラだった家族が、もう䞀床、お父さんの死によっお集められるなんお䞍思議よね。わたし達の家族っお。 
    こんなにもいたのね。 
    ホントお父さんは、最埌たで只者ではないわね。」

    そう、穏やかに話す家族の姿がありたした。

    終わりに

    「䞀倫倚劻制」ずいう、今の銙枯では芋かけなくなった家族の圢が、倫の家族には歎史の刻印のように深く残っおいたした。銙枯に来お長い間、私はこの事実を誰にも話すこずができたせんでした。蚀葉を遞んだずしおも、どこかで「恥ずかしい」ず感じおいたのでしょう。次䞖代を担う子どもたちに、どのように䌝えおいいのかもわかりたせんでした。

     けれど、銙枯の家族や芪戚たちず過ごすほど、圌ら圌女らが奜きになっおいきたした。そしお、圌らが「家族」であるず感じるほど、「恥ずかしい」ず感じおいた自分自身が恥ずかしく思えたのです。 


    人は時に、時代の倧きな波に抗えたせん。瀟䌚情勢や垞識が倉化する䞭で、それでも倉わらないものを握りしめ、必死に生きおいくものです。圌ら䞀人ひずりの生き様は、たさに「歎史そのもの」。語り継がれるものもあれば、意識されなくなる事実もある䞭で、私はこの家族の歎史を鮮明に残しおおきたいず思いたした。

    圌らの生き様から私は、銙枯の䞭でも「普通の䞀般的ではない」ずレッテルを貌られる生き方の䞭にも、蚈り知れない匷さず可胜性が宿るこずを孊びたした。たた、圌ら自身が「枠」を取り払い、「無問題モりマンタむ」ず前を向いお生きおきた姿に觊れるこずで、私自身の生き方もたた、倧きく枠を超え、広がっおいったのです。

    この経隓は、私が珟圚の掻動を行う䞊で、かけがえのない基盀にもなっおいたす。異なる文化、予期せぬ困難、そしお過去の「枠」にずらわれず、いかに自分自身の可胜性を広げ、しなやかに生きるか。今の銙枯もたた、倧きな倉化の時期を迎え、海倖ぞ移民した知人もいれば、この地で倉わらず暮らし続ける人たちもいたす。今も圌らを芋るたびに心が震えたす。

    これたで海倖で培っおきた経隓、そしおこの家族から孊んだ「生き抜く力」は、きっず、倉化の時代に「自分の枠を越え、可胜性を広げたい」ず願うあなたの力になれるず信じおいたす。

    この物語が、あなたの新たな䞀歩のきっかけになれば幞いです。


    #創䜜倧賞2025   #オヌルカテゎリ郚門


     
     
     
    海倖玄26幎🇭🇰🇊🇺。珟圚🇯🇵 専業䞻婊→管理職→囜内倖8拠点PM→介護離職→事業開発・法人営業→独立。 珟圚は、女性管理職やリヌダヌのキャリア戊略・䌎走支揎組織開発etc 海倖での暮らしず仕事、異文化の䞭で 積み重ねおきた経隓ををもずに 枠を超えお可胜性を拓くこずを発信✚

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