
12億
宝くじのポスターに踊る「12億」の文字が目に入った。
そこから、なんだかよくわからない妄想が広がった。
もし、大富豪でサイコパスな殺人者がいて、
「お前の子供を目の前で、何度も刺す。
それに耐えたら12億をやろう。」
そう言われたら、
「頼む、頼むからやめてくれ。
12億なんていらないから、やめてくれ。」と
泣いて叫ぶだろう。
仮に、その条件を飲んで、
12億を手にしたら、僕はその札束を見て、
何を思うのだろうか。
ただ、ただ、虚しい。
こんな紙切れがいくらあったって、
あの子は戻ってこない。
なんで俺は生きてるんだ。
なんで俺はあそこで欲に負けたんだ。
そんな後悔を背負って、
悲しみと後ろめたさを背負いながら生きていく。
12億とともに。
気を紛らわすように、金を使うかもしれない。
金を使うたびに、子供のことを思い出す。
罪悪感からは、逃れられない。
どこにも逃げ場のない感覚で追い詰められ、
僕は人生を終わらせてしまうかもしれない。
12億をどこかに匿名で寄付して。
いつも通りに子供が学校に行き、帰ってくる。
他愛もない会話をして、メシを食う。
何でもない日々を過ごして、
しょーもないことで笑う。
そんな日々を12億と引き換えに失うとしたら?
12億を全部差し出したら、元に戻るとしたら?
そう考えると、僕は、すでに12億以上のものを持っているのかもしれない。お金がいくらあっても取り戻すことができないものが、いまここにある。
どこかのショート動画でも見たことがある。
若者に向かって、その人は言う。
「あなたに1億円をあげます。
でも、1億円を受け取ったらその若さを失い、
90歳になります。それでも受け取りますか?」
Noと言うなら、あなたの若さは1億円以上の価値があるということだ。それと同じように、この何でもない日々にも、12億円以上の価値があるということなのだろうか。まず、なんだ?大富豪でサイコパスの殺人者って?
青と黄色で彩られた「12億」の文字を見た。

電車に乗り、スマホのメモに、自然発生的に浮かんできたこの妄想を書き留めていた。
ひたすらに書いていたら、僕は降りるべき駅を乗り過ごしていた… もぅ!じゅうにおくめっ!