
短編小説集|さまよえる動物|第十話|導伝飛行
〜大人のための5分後の結末〜
短編小説集|さまよえる動物|第十話
(最終話)
導伝飛行
幼い子を置いて遠くまで飛ぶことは、本当はやりたくない。でも、生きていくためには、やらなければならない。どこへ飛ぶべきかを自分で考える必要はない。リーダーについていくだけでいい。私たちは、幼い頃からそう教え込まれてきた。恐れや戸惑いを忘れ、ただひたすらにリーダーに従って飛んでいく。
リーダーの体は、私たちよりも一回り大きく、翼の動かし方も変わっている。リーダーは空を飛ぶとき、微かな震えを空気に残す。その飛び方は、私たちの仲間というよりも、羽虫たちの飛び方に似ている。リーダーは目的地に向かって黙々と飛び、私たちはその周りを取り囲むように密に集まって編隊を組む。リーダーの四肢や胴体が周りから見られないように隠すこと、それもまた大事な役目なのだと、私たちは訓練を受けてきた。
目的地に着いた後、リーダーは静かに地上に着地し、やがてそれを回収する人間がやってくる。リーダーが回収されるということは、私たちが、もう帰路についてもいいという合図でもある。私たちは再び、自分たちの家へ帰るために飛び立つ。飛ぶ方向は、大地や太陽、そして風が教えてくれる。山や川や海を越えて、私たちは長い時間飛ぶ。時には休めそうな木々や軒下を探して、そこで夜を越すこともある。自分たちの家からどれだけ遠く離れた場所にいたとしても、私たちは自分たちの家の方向を正確に掴み、飛んでいくことができる。どうしてそんなことができるのか、と聞かれても私たちにはわからない。それは私たちの持って生まれたものなのだろう。
今日の出発は、私にとって、自分の子が生まれてからの初めての飛行になる。私の夫も、優れた翼を持っていた。遠くまで飛び、正確に家に帰ってくる力を持っていた。それが、私たちが結ばれ、子を授かることになった理由であるはずだ。
・・・・
僕の今日の出発は、特別なものになるかもしれない。気分が重いというよりも、いつもより本当に体が重くなったように感じる。
昨日の昼の食事の後、これまで感じたことのないような強い睡魔がやってきて、僕は深い眠りに落ちた。眠っている間、悪い夢をいくつも見たような気がする。そして今朝、目が覚めたとき、僕の体の中に何かが埋め込まれたような感覚があった。背中が少し痛み、僕の体はいつもより熱っぽい感じがする。
いつだったか、僕らの仲間のひとりが、今日の僕と同じように、出発前に、少し腫れたような背中を気にしているような様子でいることがあった。そして、その仲間はその日飛び立った後、もう二度と帰ってくることはなかった。
だから、僕も、今日の飛行は僕の最後の飛行になるのではないか、という気がしている。僕たちは何のために飛んでいるのか、その目的はわからない。でも、僕らは常にリーダーの後を追って飛ばなければならない。リーダーを空中でひとりにさせないこと、それが僕らに求められていること。
僕は山を越え、川を越え、知らない土地の知らない街まで飛ぶことになる。僕の体は、目的地に着いた瞬間、僕の背中に埋め込まれた何かによって内側からえぐられてしまうのかもしれない。僕の体は、ばらばらになり、異国の地で土に還っていくのかもしれない。
あぁ、自由に空を飛ぶことができたら、好きなところへ飛んでいくことができたら、どんなにいい気分なのだろうか。僕はその喜びを味わえないままに生きてきてしまったが、まだ幼い僕の子には、その自由を味わってほしい。妻と子供と、もっと長い時間を一緒に過ごしたかった。でも、僕のその願いはもう叶わないかもしれない。
そろそろ出発の時だ。妻がいる部屋の扉が開き、僕はちょっとの間だけ妻の姿を見ることを許される。「元気で行ってくる」という気持ちを込めて、僕はなるべくいつも通りの声で小さく鳴いた。 妻は僕の方を見て、小さく鳴き返した。僕は後ろを振り返り、出発する。妻の部屋の扉を人間が閉めた。僕の腫れたように膨らんだ背中が、妻には見えただろうか。
僕は、自分が背負わされているものが何なのかを知らない。人間たちが考えていることは、いつもよくわからない。僕たちの家族を大事に育てたいのか、それとも、ただ使い捨てるように痛めつけたいのか。彼らの行動は、時によって真逆なものに変わる。それが人間の特徴なのかもしれない。
・・・・
「結果は?」
監視室の中、僕の背後で上司が言った。
「うまくいったようです。飛行経路に配置していたレーダーやカメラは、鳥の群れとして認識しており、検知システムをスルーできていました。追跡していた撮影用の機体は、その後で検知されていました」
僕は手元のキーボードを操作し、爆破の瞬間の映像に画面を切り替える。
上空を飛んでいた鳥の群れが、突如として次々と眩い光を放っていく様子をモニターが映し出していた。その閃光の後、黒っぽい細かい欠片のようなものが、散り散りに地面の方へと落下していく。
「残機については?」
鳩たちのうちには、背中に埋め込まれた小型爆弾が爆発しなかったものもいた。遠隔爆破の不具合や作戦の中断を想定した検証も、今回の試験飛行の目的のひとつだった。 僕はモニターを、GPSシステムの画面に切り替える。
「それも問題ありません。爆発させなかった個体も、彼ら自身の帰巣本能によって、こちらに戻ってきています」
明日の昼頃に帰ってくる見込みです、ということを言い足そうとして、僕はやめた。
「これは……素晴らしい成果だ。きっと上の人間たちも喜ぶだろう」
「えぇ」と、僕は曖昧に返事をした。
上司は静かに監視室を出て行った。
・・・・
僕は与えられた役割を果たすため、心と体をすり減らしてきた。優秀だった仲間の多くは、いつのまにか姿を消していった。 僕はまだ生きているが、僕の体は何か別のものに支配されてしまっているのかもしれないと、ふと感じることがある。逆らうことのできない大きな流れに巻き込まれ、目的もわからずに、どこかに向かって動かされているだけだ。
僕たちは何のために、こんなことを繰り返すのか。長い時間が流れたとしても、その答えは僕たちにはわからないのかもしれない。でも、こんな僕の気持ちを、まだ言葉を交わしたことのない者たちにどうにかして伝えたかった。
その冬の晩、夜空は晴れ渡り、星々がよく輝いていた。 僕は少し休憩して、乾いた風に吹かれながら、冷たい空を眺めていた。 早く家に帰りたかった。でも、その帰るべき家がどこにあるのか、僕はわからなくなりつつあった。彼らが僕の自由を奪うのなら、いっそ僕の体ごと彼らを壊してしまいたかった。
それは、頭上で連なり輝く星々の光がいつになく眩しく、そして、遥か遠くのものに感じる夜のことだった。
(了)
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