上京5周年【中編】〜変わり始めた世界、“東京の人”になっていく自分〜
「東京生活には慣れました?」
上京してからこの質問を何回されたか分からないが、この問いに自信をもって「慣れました」といえる日はなかなかやって来なかった。
東京タワー、渋谷スクランブル交差点、新宿ゴールデン街、井の頭公園、浅草、東京ドーム、神保町のカレー屋、池袋サンシャイン…
いわゆる東京の名所と呼ばれる場所には行ってみたし、面白そうなイベントには顔を出した。仕事でも上京しないと会えなかったような有名人に会えたり、行きたかった場所に行く機会も増え始めた。
でも、内心では「こんなことは今のうちで終わる」「いつかは大阪に帰るだろう」と思っていた。どんな世界にも上には上がいたし、完全に東京の壁にぶつかっていた。引き返そうにも簡単に引き返せない日常を過ごす中で、必死に自分の居場所を探し、もがく日々が続いていた。
関西時代の友達や知人とは連絡の頻度がだんだん減ってきた。そして、新たに東京で仲間や友達ができ始めた。今思えば、このフェーズに入った上京3年目くらいが自分にとっては「東京に慣れていく」タイミングだったのだと思う。奈良に暮らしていた祖父を亡くしたのもこの時だった。
新たに出会いが生まれ、自分の人生が切り開かれていく感触はあったし、それはそれで刺激的で楽しいものだったけれど、関西に暮らしていた「あの頃」に戻ることはないんだろうな、戻れないんだろうなという実感も日に日に増していった。
そんな時間を過ごし、自分が生まれ、幼少の頃から抱いていた関西への思いが薄らぐ中で2020年にある出来事が起こった。新型コロナウイルスの到来である。「緊急事態宣言」という人生で初めて経験する日常とともに、“東京への足止め”を余儀なくされる時が訪れた。
マスクとアルコール消毒必須の生活が始まり外に出ていく機会も減った。「感染者〇〇〇人」という膨大な数字をメディアで目にする日々が当たり前になった。自分の趣味であったライブなどのエンタメや旅行などはできなくなった。
自分と年齢が変わらない有名人がこの世を去るという悲劇的なニュースも新型コロナ関連のニュースとセットで入ってきた。外部の情報に触れたくなくなり、自分の世界に閉じこもることが増えていった。
そんな情勢で人と会いたいとか、何かをやりたいという状況ではなかったし、「何を楽しみにこの日々を送っていけばいいのか」という漠然とした思いを抱えながら、世界の変化と向き合ってみたり、向き合ってみなかったりした。
中途半端で自堕落な日々を過ごしていた中で、ネットである求人を見つけた。「TOKYO2020職員募集」と書かれたその文言に興味を惹かれ、たどり着いたのは東京オリンピック・パラリンピックの職員募集ページだった。
自分のキャリアに自信は全くなかったけど、サッカーを始めとしたスポーツ、音楽業界で仕事を経験し、もがきながら東京での日々を過ごしていた。新型コロナウイルスにより世界が変わった中で初めて自分の生きるベクトルが上に向いた瞬間だった。
「東京オリンピックに仕事で携わりたい」
「東京に行きたい」と思ったときとパターンとしては同じ。負の感情を抱きながら日々を過ごしていた自分にとって、「夢」の存在はすがりたいものだったし、そのことを考えている間は虚しさや憂いを忘れられた。
夢中で情報を集め、面接を受けさせてもらえることになった。オンラインの面接は苦手だったが、自分のこれまで東京でやってきたことを一生懸命話した。
一次面接、二次面接と進み、採用のメールが届いた。
2021年に順延していた東京オリンピック・パラリンピックにWebの職員として携わることが決まった。
世間的には「大反対」の意見が大多数を占めていた中で、このことは家族以外には誰にも話さなかった。実際に行われることも不透明、情報が錯綜する中で、テレビもネットの配信やゲーム以外には使わなかったし、ニュースも全く見なくなった。
東京で時間を過ごす中で「東京で何かをした」という証がただほしかった。上京して4年以上が経過し、もう後戻りもできない状況で挑んだ昨夏の出来事だった。