
朝ボーTimeとアフター4の暮らし
秋になり早朝に起きられなくなってきました。私、朝型だというのに。
朝4時台には起きてあれこれやりたいところですが、最近目が覚めるのは5時半。これはもう潔く諦めて、朝ボーTime30分にすることにしました。
朝ボーTimeとは、コーヒーを淹れて、ただボーッとするだけの時間です。私の、私による、私のための余白時間。
昨晩かけなかった手帳をかくこともあれば、noteをボーッと読み散らかすこともあります。そして何もせず、今日はどうしようかな〜とボーッとすることを肯定する時間でもあります。
一方で夕方16時以降は、労働的なことをしないことにしました。名付けてアフター4。家のことはタスクにしたくないので、やりたいことを楽しむようにしています。自分の疲労メーターと相談しながら、好きなように食べたいものを料理して、時には子どもたちも誘って好きなように家事をやって、読書したり子どもたちと遊んだり本気で言い合いをしたり、ぷらぷら散歩に行ったり。
3年後にバリバリ働くことを決意しているので、こんな暮らしは今だけかもしれません。
だから「今だけは!!!」という思いでやっています、というわけでもなく。
こういうのもアリだよね。
これに近いです。バリバリ働くのもよしってことは、そうじゃない選択肢があってもいいはず。そしてどちらが正しい/偉いでもなく、どちらを選んだって、時に選択肢を変えたっていい、でも私は今このフェーズだから今を満喫しよう、そんな感じです。
充実感って、こなした仕事量で決まる
これ、本気で信じていました。仕事=労働・実績・稼ぎに限らず、こなした家事の量とかこなした用事の量とかも含めてのタスク全般のこと。
でもどうやらそうでもない気がしてきました。
そうやってみてもあまり幸せではないから。そして、バリバリこなしてみても何かが変わるわけでもなさそうだから。そして、タスクって無限なんですよね。
こなす系は8時から16時までの話にとどめておいて、あとは自分のための時間だから、効率とか合理性とか全部無視して好きにやることにします。「自分のため」というのは「自分勝手に思う家族のため」という意味合いも含みます。
でもこれが、なかなか難しいんですよね。
朝は眠気も手伝って、ボーッとTimeを肯定できるのですが、アフター4は残務が気になってしまいます。加えて、タスクをこなしていなければ、私はポンコツなんじゃないか……という不安も襲ってきます。
予感としてあるのは、おそらくここが踏ん張りどころだということ。緩むために踏ん張るなんて変な話ですが、「やらない」を「やる」にも気力がいるんですね。世間の風は、圧倒的に「やるべき」に向かって吹いています。休養は精一杯働くためのもの、成果を最大化するためにしっかり休みましょう、などなど。どうやら、アフター4はタスクのための手段のようです。頑張るための手段。私たちは頑張り続けなければいけないみたいです。
これを克服して、朝ボーTimeとアフター4を。ゆるやかに、ささやかに、抗えない何かに反抗している、そんな気分。