
学校に行かなくて、ごめんね。
毎朝が地獄だった
「行くって言ったじゃない!」
その言葉を、私は何度、息子にぶつけただろう。
「もし、このまま一生学校へ行かなかったら、この子の将来はどうなるんだろう。」
あの頃の私は、そのことばかり考えていた。
今振り返ると、あれは人生でいちばん苦しかった時間だった。
毎朝が地獄だった。
息子はスクールバスで学校へ通っていた。
決まった時間までに乗れなければ、その日は学校へ行けない。
時計の針が進むたびに、私の心臓も早鐘のように鳴る。
「今日は行くの?」
「行かないの?」
「お願いだから、はっきりして。」
息子は「行く」と言う。
服を着替える。
ランドセルを背負う。
私はその姿を見て、ほっと胸をなで下ろす。
でも、玄関まで来ると動けなくなる。
靴を履いたまま、立ち尽くしてしまう。
ドアノブに手を伸ばせない。
スクールバスの時間が近づいてくる。
私は時計と息子の顔を何度も見比べる。
早く。
お願い。
間に合って。
そんな焦りが胸いっぱいに広がる。
そして、とうとう私は叫んでしまう。
「行くって言ったじゃない!」
「嘘つき!」
「最低!」
もうバスの時間には間に合わない。
静かになった家の中で、息子はうつむいたまま立っていた。
私は泣いていた。
息子も、きっと泣きたかったと思う。
でも、泣きたいのは私のほうだと、本気で思っていた。
学校へ行くことは、私にとって当たり前だった。
だから、息子が学校へ行けなくなったとき、何をどうすればいいのかわからなかった。
勉強は遅れてしまうんじゃないか。
ゲームやYouTubeばかりで大丈夫なんだろうか。
友達と離れてしまうんじゃないか。
そして何より、
「このまま一生学校へ行かなかったら、この子の人生はどうなるんだろう。」
その不安だけが、毎日どんどん大きくなっていった。
不登校について調べると、どの記事にも同じようなことが書いてあった。
「エネルギーがたまれば、また動き出します。」
でも私は、その言葉を読むたびに思っていた。
それは、いつなの?
何日後?
何か月後?
何年後?
その日が来る保証なんて、どこにもない。
先の見えない暗闇の中を、一人で歩いているようだった。
私は、子どもが不登校であることを、どこか恥ずかしいことのように感じていた。
誰かに責められたわけじゃない。
でも、学校の保護者たちが行事の話をしているだけで苦しくなった。
「不登校の子の親である私は、この輪の中にいていいんだろうか。」
そんなことばかり考えていた。
だから誰にも相談できなかった。
「大丈夫?」
その一言をかけられるだけで泣いてしまいそうで、笑ってごまかしていた。
精神的に追い詰められていた私は、息子に優しくできる余裕なんて、ほとんどなかった。
学校へ行かない息子を見るたびに、不安になり、焦り、責めてしまう。
責められ続けた息子は、少しずつ元気を失っていった。
本当は友達と遊ぶことが大好きな子だった。
休みの日になるれば、「公園に行こう!」と真っ先に外へ飛び出していくような子だった。
そんな息子が、家から出ることさえ嫌がるようになった。
家族以外の人と会うことも減り、毎日リビングのソファに寝転んで、YouTubeを見たりゲームをしたりして過ごしていた。
以前は、目を輝かせて笑っていたはずなのに。
あの頃の息子の目は、どこか遠くを見ているようだった。
笑っていても、笑っていない。
心の火が、小さくなってしまったように見えた。
それでも私は、
「ゲームばかりしているからだ。」
そう思っていた。
本当に見えていなかったのは、ゲームじゃない。
息子の心だった。
唯一、息子が楽しそうに笑う時間があった。
オンラインゲームで友達と話している時間だった。
ヘッドセットの向こうから聞こえる笑い声だけが、あの子らしい笑顔を取り戻してくれていた。
でも私は、その時間さえ取り上げようとしていた。
ゲームの時間を制限した。
禁止したこともあった。
ゲームさえやめれば、学校へ行く。
ゲームさえやめれば、元に戻る。
本気でそう信じていた。
でも、違った。
私は、息子がやっとつながっていた世界まで奪おうとしていたのだ。
ある日、息子がぽつりと言った。
「学校に行かなくて、ごめんね。」
その言葉を聞いた瞬間、時間が止まった。
謝るべきだったのは、息子じゃない。
学校へ行けないことが、一番苦しかったのは、息子だったはずだ。
それなのに私は、自分が泣き、自分が焦り、自分が責め続けた。
だから息子は、
「学校へ行けない自分が悪い。」
そう思うようになってしまった。
私は、大切な息子に、そんな言葉を言わせてしまった。
どん底で気づいた。私が壊れていた。
息子が学校へ行かなくなって半年ほど経った頃。
今度は、娘まで学校へ行き渋るようになった。
朝になると、お腹が痛いと言う。
学校へ行っても、保健室で休んでいた。
休みが増えていった。
そのとき私は思った。
「もうダメだ。」
心が音を立てて崩れていくようだった。
「私の育て方が悪かったんだ。」
「私が母親として失格だから、子どもたちは学校へ行けなくなったんだ。」
そんなことばかり考えていた。
あの時期が、今までの人生で一番苦しかった。
子どもを愛している。
幸せになってほしい。
その一心で頑張っているのに、頑張れば頑張るほど、状況は悪くなっていく。
「何とかしなきゃ。」
「どうにかしなきゃ。」
そう思って動けば動くほど、子どもたちは苦しそうな顔になっていった。
親なのに、何もできない。
どれだけ頑張っても、目の前の現実を変えられない。
その無力感に、私は押しつぶされそうだった。
今なら分かる。
私は息子を助けようとしていたんじゃない。
「ちゃんとした母親」でいたかっただけなんだ。
学校へ行ける子に育てること。
勉強する子に育てること。
将来困らないように育てること。
それが親としての責任であり、愛情だと信じて疑わなかった。
だから、息子が学校へ行けないことは、「息子の問題」ではなく、「私の失敗」になってしまっていた。
毎日、息子の様子で気分が決まる。
朝、学校へ行けば安心する。
行かなければ、一日中落ち込む。
私は、自分の人生を生きていなかった。
息子の人生を生きていた。
私が変わると、家族が変わり始めた
そんなある日、私は、自分の考え方を大きく揺さぶられる学びに出会った。
そこで初めて聞いた言葉があった。
「課題の分離」
子どもの人生は、子どものもの。
親の人生は、親のもの。
学校へ行くかどうかを決めるのは、息子。
その結果を引き受けるのも、息子。
私は代わりに学校へ行ってあげることもできないし、息子の人生を生きることもできない。
その当たり前のことが、私には衝撃だった。
私はずっと、「愛すること」と「背負うこと」を同じだと思っていた。
でも、本当は違った。
愛することは、相手の人生まで抱え込むことじゃない。
信じて、見守ることでもある。
そして、もう一つ、忘れられない言葉があった。
「人のことより、まず自分を満たすこと。」
最初は意味が分からなかった。
子どもがこんなに苦しんでいるのに、自分を満たす?
そんなことをしていいの?
母親なのに?
そう思った。
でも、その頃の私は、自分の心が空っぽだった。
毎日、不安でいっぱいで。
毎日、罪悪感でいっぱいで。
毎日、「ちゃんとしなきゃ」でいっぱいだった。
空っぽのコップからは、誰にも水を注げない。
その言葉が、少しずつ私の心に染み込んでいった。
私は、子どもを変えるようとすることをやめた。
その代わり、自分がやってみたかったことを、一つずつ始めてみた。
「母親だから。」
「今はそんな場合じゃない。」
そうやって、ずっと後回しにしてきたことを、自分に許した。
最初は、罪悪感しかなかった。
でも、不思議だった。
自分の心が少しずつ満たされていくと、息子のことで頭がいっぱいになる時間が減っていった。
学校へ行ったかどうかで、一日が決まらなくなった。
イライラすることも減っていった。
そしてある日、ふと気がついた。
私は最近、息子を笑顔で見ている。
学校へ行くかどうかじゃなく、
「今日も生きてる。」
それだけで、うれしいと思っている自分がいた。
あんなに変わってほしいと思っていたのに。
変わったのは、息子じゃなかった。
私だった。
反抗していたんじゃない。
あの子は、自分を守っていただけだった。
私の心に少しずつ余裕が戻ってきた頃、もう一つ、大きな出会いがあった。
四柱推命だった。
生年月日から、その人が生まれ持った性質や才能を読み解いていく学び。
私は、自分のことよりも先に、息子の命式を見た。
「この子は、どんな子なんだろう。」
「何を大切にして生きる子なんだろう。」
その答えが知りたかった。
そこで知った息子の姿は、私が知っている息子と、驚くほど重なっていた。
既存の枠組みや、誰かが決めたルールに無理に合わせるよりも、自分の感性を信じ、自分のペースで進むことで力を発揮する。
そんな性質を持って生まれてきた子。
その言葉を読んだ瞬間、私は息子のこれまでの姿を思い出していた。
小さい頃から、自分が納得しないことは「嫌だ」と言える子だった。
周りが「みんなやってるよ」と言っても、自分が違うと思えば動かなかった。
私はそんな息子を見て、
「頑固な子。」
「反抗的な子。」
そう思っていた。
でも違った。
ただ、自分の心に正直だっただけなんだ。
学校へ行かなかったことも、
先生の言うことを聞かなかったことも、
親の思い通りに動かなかったことも、
全部、
「困った行動」じゃなかった。
その子らしさだった。
私はずっと、その子らしさを直そうとしていた。
息子を「普通」の中に戻そうとしていた。
そのことに初めて気づいた。
あの日から、私は息子を見る目が変わった。
学校へ行くかどうかではなく、
笑っているか。
楽しそうか。
安心して眠れているか。
そんなことが気になるようになった。
学校へ行こうが、行かなかろうが。
ゲームをしようが、YouTubeを見ようが。
「この子は、この子の人生を生きている。」そう思えるようになった。
そして、不思議なことが起き始めた。
小さい頃から、「嫌だ」「やりたくない」が口ぐせだった息子が、
少しずつ柔らかい表情を見せるようになった。
私が何かを言わなくても、自分から動くことが増えていった。
そして今では、十四歳になった息子が、
「ママ、大好き。」
そう言って、ぎゅっと抱きしめてくれる。
あんなに心を閉ざしていた子が。
「学校に行かなくて、ごめんね。」
そう言っていた子が。
今では照れくさそうに笑いながら、ハグをしてくれる。
私はそのたびに思う。
変わったのは、息子なんだろうか。
きっと違う。
私はもう、息子を「思い通りにしなければいけない存在」と見ていない。
一人の人として尊重できるようになった。
だから息子も、安心して自分でいられるようになったのかもしれない。
家の空気も変わった。
以前は、兄弟げんかが毎日のように起きていた。
私はそのたびに、
「ケンカしないで!」
と怒鳴っていた。
でも今では、弟に優しく声をかける息子の姿を見ることが増えた。
二人で笑いながら遊ぶ声が聞こえてくる。
あの張りつめていた空気は、もうない。
もちろん、毎日が順風満帆というわけじゃない。
ぶつかる日もある。
思い通りにならない日もある。
それでも、家族みんなが笑っている時間は、あの頃とは比べものにならないほど増えた。
そして、中学三年生になった息子は、自分から机に向かい、勉強するようになった。
誰かに言われたからじゃない。
自分で必要だと思ったから。
その姿を見て、私は何も言わなかった。
「勉強しなさい。」
と言い続けていた頃よりも、
何も言わなくなった今のほうが、息子は自分で考え、自分で動いている。
そして運動会の日。
応援団長として仲間の先頭に立ち、大きな声でみんなを引っ張る息子の姿を見ながら、
私は小学校四年生の運動会を思い出していた。
あの日、息子は競技に出られなかった。
観客席に座ったまま、動けなかった。
友達が何度も、
「一緒に出よう。」
と誘いに来てくれた。
それでも首を横に振るだけだった。
あの頃は、立ち上がることさえ難しかった。
そんな息子が今、仲間の真ん中で笑っている。
人生は、本当にわからない。
あの頃の私は、「今」しか見えていなかった。
でも子どもには、その子だけの時間がある。その子だけの歩幅がある。
親が急かしても、その時計の針は進まない。
だから今の私は、信じて待つ。
子どもが持って生まれた力を。
その子だけのタイミングを。
そして、ありのままの、その子自身を。
あの日、学校へ行けなくなったのは息子だった。
でも、本当に立ち止まっていたのは私だった
あの出来事がなかったら、私は今でも「ちゃんとした母親」でいようとしていたと思う。
子どもを心配することが愛情。
子どもを正しい道へ導くことが親の役目。
いい学校へ行って、いい大学へ進んで、いい会社へ入る。
そんな人生が幸せなんだと、疑うことなく信じていた。
私自身が、その道を歩いてきたからだ。
親に言われなくても勉強して、宿題をして、試験でいい点を取る。
「ちゃんとすること」が正解だった。
だから、息子にも同じ道を歩いてほしかった。
「学校へ行けること。」
それが幸せだと信じていた。
だから私は、
「学校へ行ける子」にしようとしていた。
でも今は違う。
「自分を大切にできる子」でいてほしい。
そう思っている。
世の中には、たくさんの「こうあるべき」がある。
学校へ行くべき。
みんなと同じようにできるべき。
勉強するべき。
親の言うことを聞くべき。
私は、その「べき」を疑うことなく信じて生きてきた。
ちゃんと勉強しなきゃ。
ちゃんと期待に応えなきゃ。
ちゃんと失敗しないようにしなきゃ。
そして母親になってからは、
「ちゃんとした母親」でいなきゃと思っていた。
でも、その「ちゃんと」は、私自身を苦しめていた。
そしてきっと、その苦しさは息子にも伝わっていた。
私は、自分のやりたかったことを後回しにするのをやめた。
「母親だから」と諦めていたことを、一つずつ叶えていった。
自分をご機嫌にすることを許した。
すると、不思議なくらい家族が変わっていった。
子どもにイライラすることが減って、
張りつめていた家の中に、少しずつ笑い声が戻ってきた。
あの頃の私は、こんな未来が来るなんて、一ミリも想像できなかった。
だから今、あの頃の私のように苦しんでいるお母さんへ伝えたい
今は、信じられなくても大丈夫。
泣いてしまってもいい。
苦しくてもいい。
私もそうだった。
毎朝が怖くて、息子を責めて、自分を責めて、未来が真っ暗に見えていた。
でも、子どもの未来は、親が思っているよりずっとたくましい。
そして親もまた、変われる。
私は、不登校を「乗り越えた」とは思っていない。
あの出来事は、消したい過去でもない。
あれは、私たち親子の人生を止めた出来事ではなく、新しく始めてくれた出来事だった。
息子は、不登校になったことで、自分の心を守った。
私は、息子の不登校によって、自分を縛っていた「ちゃんとした母親」という鎖を外した。
もし、あの日がなかったら。
私は今でも、子どもをコントロールすることが愛情だと思い続けていたかもしれない。
でも今は違う。
親の役目は、子どもの人生を思い通りにすることじゃない。
その子が、その子らしく生きていけると信じること。
そして親である私自身も、自分らしく生きること。
それが、私が息子から教えててもらったことだった。
あの日、
「学校に行かなくて、ごめんね。」
そう言った息子に、私は何も返せなかった。
でも今なら伝えられる。
謝るのは、あなたじゃなかった。
そして、
人生を変えてもらったのは、私だった。
▼アーカイブプレゼント🎁
子どもの可能性は、学校だけでは決まらない 〜中3からN高を選んだ我が家のリアル〜
N高をおすすめする説明会ではありません。

実は、息子だけでなく娘も不登校経験があります。
中3の2学期から学校に行けなくなった娘と、親としてどう向き合ったのか。
なぜN高を選んだのか。
そして、どうやって私自身が「この子なら大丈夫」と思えるようになったのか。
親目線のリアルをお話ししています。
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