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しゃべらなければ、かわいいのに−だって、お姉ちゃんしたことなかったんだもん#4

    妹は、私が小学5年生の時に生まれた。
    私が母のお腹に置いていった“いいところ”を、11年熟成させて、それを全てまるっと抱えて誕生した。

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    妹は、本当によくできたいい子である。
    食いしん坊なのに、自分のアイスを迷わず半分こできる。(私はスプーンで少しだけ削って渡すタイプ)


    ・・・置いてきたわたしにまじで感謝してほしい(小声)


    ************************


    妹が生まれた日。
    朝起きたら、母がいなかった。
    夜中、家中、バッタバタだったらしいが、家の前に救急車が来ても気づかないわたし。少々のことじゃ起きるわけがない。

    『あれ?お母さんは?』
    父と兄『え』

    2つ上の兄は、中学1年生。中学最初の学年合宿のため、お弁当が必要な特別な日だった。さすが、長男。黙って、冷凍のチキンライスをお弁当に詰めて出掛けて行った。

    一方、私は、ごく普通の日だった。放課後、習字教室へ。『習字から帰ったら、病院に一緒に行こう』と、父に言われたので、とりあえず早く帰ろうかなくらい。
    いつもと違ったことは、習字教室で喧嘩をして、泣きながら帰ったせいで顔が真っ黒だった。

    私は、事前に母から、「名前は、男の子なら〇〇、女の子なら△△」と聞いていた。
    病院に向かう車の中で、父に『女の子だから△△ちゃんだね』というと、父は『え、聞いてない。そんなのだめよ。』と少しイラついていた。


    そして、ご対面。病室に着き、小さな妹をみて父が言った

    『△△〜』

    私『え』


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    母と妹が退院するまでの間、毎日、病院に行き、わたしは母の夕飯を食べた。
    特に、やきそばがおいしかった。

    母があとから言っていた。
    お腹がめちゃくちゃすいていたと、、、

    わたしは、それ以来、自分の食べたいものを分けてくれる人は、いい人だと位置付けている。
    だって、これを食べないと死ぬかもしれないのに、ご飯を分けてくれるなんて、命を分けてくれると同じだから。


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    話は戻るが、妹のいる生活がスタートしていた。
    妹が1歳の頃、家族でファミレスに行った時のこと。
    妹は、何が気に食わないのか、テーブルのコップをひっくり返したり、意味なく泣いたりして怪獣と化していた。

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    静まり返ったファミレスのファミリー



    そして、母がため息まじりに『こんなんじゃディズニーなんて、、、むり』とぼそっと言った。

    え、ちょっと待って。夢の国計画なんて我が家にあったの?!!
    聞いてねぇ!!

    わたし史上最高の旅行計画は、サラッと発表、と同時に消滅。小さな怪獣が泣き叫ぶ声が遠くなっていき、私は天井をみつめていた。

    それから数年後。大学生になったわたしは、自力で人生初の夢の国に足を踏み入れ、ポップコーンをほおばりながら呟いた。

    「……あのときの怪獣、許すまじ。」

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    6歳のとき。
    幼稚園から帰ってくるなり、泣き出した日があった。
    なにか悔しいか悲しいことがあったらしい。

    「絶対に泣きたくなくて、家で泣こうと決めてきた」と。

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    その鬼気迫る姿に、私は衝撃を受けた。

    というのも、わたしは──

    小学1年生のとき、極度の人見知りゆえに、教室を飛び出し、泣きながら兄の教室に突撃した過去がある。
    これが、いわゆる「お兄ちゃん事件」(詳細はしゃべかわ#2にて)


    どうやら、わたしが母のお腹に置いてきたのは「根性」と「負けず嫌い」。妹がそれをしっかり拾ってきたようだ。
    そりゃあ、私が搾り出そうとしても出ないわけだ。
    だって、ないんだもん。


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    妹が生まれる小学5年生までに、すでにガッチリと、末っ子アイデンティティーを確立してしまっていた私は、自分のことを『お姉ちゃん』と言えば、下の子は当たり前に懐くものと思っていて、かわいがるという発想もなかったし、そもそも、かわいがり方を知らなかった。

    小さな妹は、私に対して、ふてぶてしく、かわいげがなかった。
    かわいがり方を知らない私に当然、懐かなかった。

    愛されたければ、まず愛せよ。


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    美輪さんあたりに、早めに教えてもらいたかった・・・



    結婚式の妹が作ったムービーの中で、
    子どものとき『お兄ちゃんとお姉ちゃんが帰ってくるのが楽しみでした』
    という愛らしいコメントがあった。

    え?嘘だろ?

    よほど、猫の方が嬉しそうだったよ?

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    時が経ち、現在、結婚式でサザエさんをしちゃうくらい(前回のしゃべかわ参照)、すごく仲がいい姉妹だ。どうやって、仲良くなったのか。


    大人になって、わたしが転職したときに、半年だけ、一緒に実家に住んだことがある。
    その頃、妹は、流行りのアイドルではなく、プロ野球選手に夢中の中学生。愛読書は『プロ野球ai(※)』
    ※野球選手をアイドル風に紹介する超マニアック雑誌

    家に帰るといつも野球中継が流れている。

    気づいたら、わたしも一緒に推しのユニフォームを来て、あちこちの球場で、妹と並んで黄色い声援を飛ばしていた。

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    ✨推し活の絆✨


    そんなこんなで、わたしが名実共にちゃんと『お姉ちゃん』になったのは、二十歳をとうに過ぎてからだった。



    最近、私は片付けをした(詳しくはnoteのコミックエッセイ『ときめかないけど、片付けられた』にて!)のだが、その中で、写真の整理もした。

    当時、私が26歳、妹が高校1年生のとき、母と3人でハワイ旅行に行った写真を見て、驚いた。
    写真には、青い海、青い空、マハロ〜🌺な空気。
    そして、自分、自分、自分!!!

    そう!!妹とわたしが2人で写っている写真は、ほとんどなかったのだ。

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    今は、2人での写真に溢れている。
    だけど、この写真には、今との距離感の違いが、ありありと記録されていた。

    写真を見つめながら、ふっと胸が詰まり、整理の手が止まった。

    そのまま、アルバムを閉じてしまった。


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    妹は、昔は、お姉ちゃんのマネをよくしていた。わたしの持ち物や持ってるブランドなど、欲しがっていた。

    それがだんだん、自分で選んだものをお姉ちゃんに『いいね』と認めてもらいたいモードに変化していった。

    かわいいとこあるなー😇と思っていた。

    そして、今はすっかり、自我が芽生えてしまい、お姉ちゃんの意見は聞きたい、でも、
    『お姉ちゃんの言う通りにした』とは言いたくない。
    選択したのが、たまたまお姉ちゃんの意見と同じだったのだ。

    なので『ほら、お姉ちゃんがそう言ったやん』と言われるのが、
    とっても嫌そう。


    嗚呼、もうあなたは、わたしの自尊心を満たしてくれないのねぇぇぇ。

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    妹の成長、姉からの巣立ちがちょっぴりさみしい私は、
    なるべく『ほら〜』と言わないようにしようとは思ってはいる。
    ・・・そう、思ってはいるの。
    でも、出ちゃうの。

    『ほら、お姉ちゃんが言った通りやん』(あ、また言うてもーたw)




    【前編】妹の結婚式のエッセイはこちらへ!


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    薬剤師でイラストレーター。人生8割しゃべっているパー子です。 私のかわいくておもしろい挿絵を、一番いい席で鑑賞してもらうため“レッドカーペット”としてエッセイを書いてます。 フォローして、アリーナ席でご観覧ください🌟

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