
Collection No.4 病気は、私を元の場所へ戻そうとしていた
朝が来るのが嫌だった。
目が覚める。
カーテンの隙間から薄い光が差し込んでいる。
鳥の声が聞こえる。
遠くで車の走る音がする。
街は新しい一日を始めようとしているのに、
私は布団の中でじっと天井を見つめていた。
そして思う。
また朝がきた。
その言葉はため息にもならず、
胸の奥に静かに沈んでいった。
身体が重いのではなかった。
心が重かった。
何のために生きているのか。
どこへ向かっているのか。
自分が何を望んでいるのかさえ分からなくなっていた。
今振り返れば、
あの頃の私は、自分の人生を生きていなかったのだと思う。
誰かの期待に応えようとしていた。
誰かに理解してもらおうとしていた。
誰かの役に立とうとしていた。
そうやって一生懸命生きてきたつもりだった。
けれど気づけば、
自分自身の声が聞こえなくなっていた。
何が好きなのか。
何を選びたいのか。
何を美しいと思うのか。
その声はいつの間にか遠くへ消えていた。
信用していた人との別れもあった。
誠意を尽くした相手からの不義理もあった。
利用されたと感じる出来事もあった。
その度に私は傷つきながらも、
もっと頑張ろうとしていた。
もっと理解してもらおうとしていた。
もっと良い人でいようとしていた。
でも、その「もっと」は、
私を幸せにするものではなかった。
むしろ少しずつ、
本来の自分から遠ざけていた。
今ならそれが分かる。
当時の私は、
生きることそのものが苦しくなっていた。
明日が来ることが嬉しくなかった。
未来を思い描くこともできなかった。
心は真っ暗な場所にいた。
あまりにも長くそこにいたせいか、
その頃の記憶はところどころ曖昧だ。
ただ、
深い霧の中を歩いていたような感覚だけが残っている。
そんなある日、
病が見つかった。
先生の話を聞きながら、
私は不思議なくらい落ち着いていた。
驚きはなかった。
取り乱すこともなかった。
むしろ、
やっぱりな。
そんな感覚だった。
もちろん現実は重い。
乳がんステージ4。
その言葉の意味も理解していた。
けれど私の中には、
不思議な静けさがあった。
私は長い間、
心について学んできた。
だからどこかで感じていた。
このまま自分の心から離れ続ければ、
身体は必ず声を上げる。
身体はいつも正直だ。
心が無理をしていることを、
身体だけは知っている。
だから私は、
病を罰だとは思わなかった。
なぜ私が。
どうして私が。
そんな思いも不思議と湧かなかった。
それよりも、
ああ、
やっぱりそうだったのか。
そんな感覚の方が近かった。
病は突然やって来たのではなかった。
ずっと前から送られていた手紙だった。
読まずに積み上げてきた手紙。
見ないふりをしてきた手紙。
病はその最後の一通だったのかもしれない。
だから私は、
病を憎むことができなかった。
もちろん苦しさはある。
痛みもある。
不安が消えたわけでもない。
それでも私は、
病気になって悲しいと言う人が少し羨ましかった。
その言葉の奥には、
生きたい。
まだ生きたい。
そんな願いがあるように感じたからだ。
でも当時の私には、
その感情すらなかった。
それほどまでに、
私は自分から離れてしまっていた。
だからこそ、
病は私に問いかけてきたように思う。
本当にこのままでいいのか。
本当にその人生を生きたいのか。
そうして少しずつ、
私の中で何かが変わり始めた。
私は失おうとしているのではない。
戻ろうとしているのかもしれない。
本来の場所へ。
誰かになる前の自分。
認められようとする前の自分。
価値を証明しようとする前の自分。
ただ存在しているだけで良かった頃の自分。
そこへ還ろうとしているのかもしれない。
そう思った瞬間だった。
長い間握りしめていた何かが、
静かに緩んだ。
病気は、
私を壊しに来たのではなかった。
病気は、
私を元の場所へ戻そうとしていた。
今ならそう思う。
そしてその日から私は、
人生で初めて、
本当の自分に会いに行く旅を始めたのだと思う。
次回は、
そんな私がようやく自分に許可できるようになった、
「自分に似合うものを選ぶこと」
について書いてみようと思います。
人生は限りある。
だからこそ、
本当に心が喜ぶものを選んでいい。
そう思えるようになるまでの話です。