
開けた一本道から首都高への帰還──フィリピンツアー回想記
数年前、自身のライブツアーでフィリピンを訪れた。
海外で演奏するということ自体、自分にとっては特別な経験だったし、それと同じくらい、現地で見た風景や人とのやりとりは、帰国してからもしばらく身体の中に熱を持って残っていた。
帰国後の違和感がまだ残っていた頃、私はこんな文章を書いていた。
帰国して1週間になるけど、日々イライラすることがあって愕然としている。
なんなんだろう、この違い。
いい加減フィリピンのことはたくさん書いたけど、色々思ったことがありすぎて、何か形に留めておきたい気持ちが溢れる。
正直な話、日本にいる方がはるかに物質的には便利だし、清潔だし、インフラも整備され、道路も真っ平らだ。水回りは行き届いているし、快適だ。
しかし日常の生活では、あれもこれも思い通りにいかないことに目くじらを立てっぱなしになる。交差点で行き交う人とうまく呼吸が合わず、目を合わせながら舌打ちされる。
個人差もあるだろうけど、結局これは全体的に効率を重視しなければいけない空気が蔓延しているからなのじゃないかと思い始めている。
もちろん個人の感想だし、自分がそう思い込んでいるだけかもしれない。
フィリピンのスーパーのレジは、大したことない列の長さでも平気で20分くらい待たされるけど、全然イライラしなかった。料理の注文が来るのも遅くて当たり前。店員も客も、急ぐということを最初からあまり前提にしていないように見えた。

移動中の景色も印象に残っている。マニラには、都市としてのすさまじいパワーがあった。雑多で、騒がしくて、人や車や看板や建物がそれぞれ勝手な方向にエネルギーを放っているように見える。
それなのに、不思議とこちらの呼吸が乱される感じはなかった。むしろ、どこか懐かしい感じすらした。
一方で、スービックに移動すると空気はかなり変わった。
そこにはマニラの混沌とは違う、整然としたバカンス地のような雰囲気があった。どこかアメリカ統治や米軍基地の名残を感じさせる、広くて、抜けがよくて、少し非日常的な場所だった。

フィリピンと一口に言っても、当然ながら場所によって表情はまったく違う。けれど、マニラの雑多な力強さにも、スービックの整った開放感にも、日本に戻ってきた時に感じるような、細かく周囲を読み続けなければならない緊張とは別の時間が流れていた。
泊まったホテルのシャワーが壊れていて、修理を頼んだら「明日まで待て」と言われた時には、さすがにこちらも粘った(暑い中汗まみれなのに待てる訳がない)が、見事にスタッフが直した時は「どうだ、俺はベテランだからなんでも直せるのさ」とドヤ顔で言われ、思わずお互い笑い合ってしまった。
このおおらかな雰囲気、フレンドリーな雰囲気、「まあいい加減でいいじゃないか」という空気は、何か幸せを感じさせるものがあった。毎日とてもラクだった。
なんというか、フィリピンで景色の開けた一本道をマイペースで運転していたのが、帰国したらすぐ首都高速に入って、ずっと周りを察知しながら緊張しっぱなしの時間を過ごしているかのようだった。
ずっと首都高(日本)にいる分には気づかないが、一度出てみると、いきなり自覚してしまう。
そんなことを考えてしまった午後でした。
もう再びフィリピンを訪れることを考え始めている(笑)

そして今、数年経ってこの文章を読み返してみても、あの時の感覚はそれほど古びていない。
むしろ、自分が普段どれだけ「急がなければいけない」「迷惑をかけてはいけない」「周囲を読み続けなければいけない」という緊張の中にいるのかを、あの旅が一度外側から見せてくれたのだと思う。
フィリピンが理想郷だったわけではない。
困ることも、不便なことも、うまくいかないこともたくさんあった。
それでも、あの場所には、失敗や遅れを含んだまま人がそこにいてもいい、と思わせる空気があった。
便利さと快適さの中で、なぜこんなに疲れてしまうのか。
不便さの中で、なぜあんなにラクでいられたのか。
その答えは今でもはっきりとはわからない。
ただ、あの開けた一本道の感覚だけは、時々思い出す。
自分がまた首都高の流れに飲み込まれそうになった時、少しだけ速度を落とすために。