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大人が読む昔話 花咲か爺さん ~誠実と幸せ~

    大人が読む昔話 ~愉快、痛快、爽快に生きる~

    Fairy Tales for Grown-Ups ~Live life with joy, daring, and clarity.~

    第5話 花咲か爺さん ~誠実と幸せ~

    あらすじ

     働き者で心優しい老夫婦が、1匹の白い小犬を拾い、わが子同然にかわいがる。あるとき子犬が「ここ掘れワンワン」と吠えるので、掘ってみると、大判・小判が出てきた。それを見ていた怠け者で欲張りな隣人夫婦は、無理やり犬を連れ去り、穴を掘らせる。そこから出てきたのは、ガラクタだった。怒った隣人夫婦は犬を殺してしまう。
     悲嘆にくれた夫婦は、死んだ犬を引き取り、庭に墓を作って埋める。傍らに木を植えたところ、木はまたたくまに大木に成長する。夢に現れた犬がその木から臼を作るように言うので、夫婦は臼を作り、餅をつくと大判小判が出てくる。それを見た隣人夫婦は臼を持ち出し餅をつくが、出てくるのはガラクタばかり。怒った隣人夫婦は、臼を燃やしてしまう。
     夫婦は灰を返してもらって供養する。再び犬が夢に出てきて桜の枯れ木に灰を撒いてほしいと頼む。灰を撒いたところ、花が満開になり、たまたま通りがかった大名が感動し、老人に褒美を与える。それを見た隣人夫婦がまねをするが、花が咲くどころか灰が大名の目に入って、隣人夫婦は罰を受けた。


    エピソード1 夢物語がくれるもの ~癒やしと希望~

     昔の人たちは、昔話『花咲か爺さん』をどのような気持ちで語り継いできたのだろうか。「愛犬の死」「臼が焼かれる」という不幸に襲われても、新たな一歩を踏み出すことで幸せを得るという話は、貧しい暮らしを生きた昔の人たちには、あまりにも現実離れした夢物語ではなかったか。

    疑問

     昔の人たちは、この昔話を子どもたちに、どんな気持ちで語り聞かせたのだろうか?

    読み解き

     この昔話を聞いた子どもたちは、花咲か爺さんが不幸や困難を乗り越え、富を得るたびに拍手喝采した。子どもたちは、こんな幸運に出会うことはない。それでも、花咲か爺さんが枯れ木に灰をまいて、きれいな花が満開になった様を想像して、満面の笑顔を見せた。そんな子どもたちの姿を見て、昔の人たちは繰り返し『花咲か爺さん』の話を語り聞かせてきた。
     この昔話には、「教え」があるのではない。「癒やし」があるのだと、私は読み解いた。

     子どもたちの現実には、かわいがっていた子犬を殺されたり、大切な臼を燃やされたりするような理不尽な出来事がそこここにあった。しかも、理不尽なままで、心の傷が癒やされることはなかった。
     しかし、昔話の中では、どんな理不尽なこともすべて幸せに取って代わった。こんな愉快、痛快、爽快なことはない。理不尽な現実に打ちひしがれている心が、この昔話を聞いている瞬間だけ、明るく晴れた。そして、花咲か爺さんの姿が子ども心に染み込んでいった。
     「正直者が馬鹿を見る」という言葉が生まれるほど冷徹な現実があるからこそ、大人たちは子どもたちに、昔話の中で「正直者が報われる」という正義を語り継いだ。それは、社会が殺伐としないための「心の防波堤」であり、明日もまた土を耕すための、元気の素だったのではないか。
     昔話からエネルギーをもらった子どもたちは、理不尽に挫けることなく、たくましく生きていったのではないだろうか。

    読み解きの後で

     現実離れした夢物語が、癒やしとなり、希望をもたらすと読み解いた。
     教えは役に立つ。しかし、心が疲れているとき、人は教えを実行する力を失ってしまう。
     教えよりも、癒やしが必要なときがある。学ぶことは大切だが、ただ心安らかに過ごすことが一番大切なときもある。元気が回復したら、教えから学ぼうという気持ちになる。それまでゆっくりと心を温めていこう。
     昔話『花咲か爺さん』は、そんなことを思わせる話だった。


    エピソード2 自分の中に潜むもの ~「よさ」の見つけ方~

     元気が回復したので、教えを読み取ってみよう。
     この昔話には、働き者で心優しい老夫婦と白い犬、怠け者で欲張りな隣人夫婦の3組が登場する。人の心の中には、働き者で心優しい面と怠け者で欲張りな面がある。2組の老夫婦はその象徴だろう。では、白い犬は人の中のどんな一面を表しているのか。

    疑問

     この昔話を一人の人間の中の話と読み取ってみたら、どんな教えが見えてくるのか?

    読み解き

     昔話では、白い犬は神様からの贈り物とされることが多い。白い小犬が一人の人間に与えられた神様からの贈り物であるとしたら、それは、その人が持っている「よさ」ではないだろうか。
     この昔話を、自分の「よさ」をどう扱うかが描いた話と考えると、次のように読み解くことができる。

     人に優しく、コツコツと真面目に頑張っていれば、自分の「よさ」は成長し、幸せをもたらしてくれる。怠けて欲張ると、「よさ」は発揮されず、うまくいかない。また、自分の「よさ」は殺されたり、燃やされたりしても、雨風から守ろうとしたり、供養するくらい大事にしたりしていると、様々に形を変えて「よさ」は発揮される。

     では、自分の「よさ」とは何か。自分の「よさ」は何かと聞かれても、なかなかわからないし、自分には人よりいいところなどないように思える。
     しかし、人には一人一人必ず「よさ」がある。「よさ」は、人と比べるものではない。人に優しく、コツコツと真面目に頑張っていると、いつの間にか現れてくるものだ。

     この昔話を、自分の「よさ」を見つける話と読んだが、なかなか自分の「よさ」を見つけることは困難だ。なにしろ、人というのは「よさ」よりも「欠点」を見つけることのほうが得意な生き物だから。
     では、どうしたらいいか。

     自分は一人しかいないが、他人はたくさんいる。そこで、他人の「よさ」探しも何度もやって、上手になることにしよう。
     この昔話には、働き者で心優しい老夫婦と怠け者で欲張りな隣人夫婦が出てくる。働き者で心優しい老夫婦の「よさ」を探すのは難しくない。怠け者で欲張りな隣人夫婦の「よさ」を探してみることにしよう。

     隣人夫婦は、いつも隣の老夫婦のまねをする。まねるということは、「向上心」があるということだ。
     隣人夫婦は、白い犬のときも、臼のときも、ガラクタばかりで上手くいかなかったのに、3度目の灰のときも試そうとする。懲りることがない。強欲そのものだが、見方を変えれば「くじけない心」を持っているとも言える。
     隣人夫婦は、「向上心」と「くじけない心」という「よさ」を持っている。失敗から学ぶ「素直な心」さえ持てれば、すばらしい夫婦になるに違いない。

     自分のなかの「悪い」と思えるところでも、見方を変えれば「よさ」になるかもしれない。
     もし、「悪いところ」を「よさ」に変えることができるとしたら、「よさ」探しが容易になる。なぜなら、自分の「よさ」は見つけにくいが、「悪いところ」はすぐに見つけることができるからだ。
     ということで、この昔話から、「自分の悪いところを見つけて、よさに変えてしまいなさい」という教えを読み取ってみた。

    読み解きの後で

     自分の「よさ」を見つけて伸ばしたら、人は成長し、変化する。
     昔話の中では、働き者で心優しい老夫婦は、働き者で心優しいまま。きっと幸せに暮らしただろう。そして、隣の老夫婦はずっと、怠け者で欲張りなまま。
     もし、隣の夫婦が自分たちの「よさ」を見つけて伸ばしたら、どうなっただろうか。彼らも成長し、変化したのではないか。
     そこで、次のエピソードでは、隣の老夫婦のその後を想像してみたい。


    エピソード3 欲張り爺さんの人生 ~人生は変えられるか~

     大名から罰を受けた隣の夫婦のその後が気になる。「向上心」と「くじけない心」を持っているのだから、たくましく生きていったに違いない。しかし、村人たちには疎まれただろう。果たして幸せになれたのだろうか。

    疑問

     欲張り爺さんは、どんな人生を歩んだだろうか?

    読み解き

     花咲か爺さんの昔話から100年ほどたったころの話である。
     欲張りな隣人夫婦の孫の孫に当たる人がいた。彼の話によると、彼の家には代々語り継がれてきた門外不出の話があるのだそうな。その家の当主だけに伝えられてきたのは、こんな話だ。

     花咲か爺さんは、大名からもらった褒美の金銀財宝を近所の人たちと分け合ってしまった。欲張りな夫婦ももらったのだが、欲張り爺さんは面白くない。
    「あいつは持って生まれた性格がいいんだ。おれは生来欲張りでひねくれた性格を持って生まれた。あいつを見ろ。褒美でもらった財宝をみんなに分けてしまった。どんな理不尽にも明るく前向きに立ち向かって、最後には幸せになる。それに比べて、おれは不幸せのままだ。持って生まれた性格は変えられないし、人生も変えられない。おれも花咲か爺さんみたいな性格に生まれたかったよ。」
     その話を聞いた寺の住職が、花咲か爺さんの過去を話して聞かせてくれた。
    「花咲か爺さんは昔、盗賊の頭をしていたんだ。金を巡っての騙し合い、殺し合いの毎日だったそうな。あるとき、心やさしい娘に惚れ、それまでの暮らしに嫌気がさした。そこで、足を洗ってこの地へ流れてきた。それから、惚れた娘のためにどんなことがあっても和やかな顔でやさしい言葉を使い、人に親切にすると決心して、続けているんだ。心のほうは変えられないので、行いだけを変えているんじゃ。今でも、我慢ができなくなったときには、ワシのところに来て話して帰るんじゃよ。」
    「お前さんも人生を変えたければ、行いを変えてみることじゃの。」
     住職の話を聞いた欲張り爺さんは、思った。
    「この年では、人様に何と言われるかわからんから、行いを変えるなど恥ずかしくてできん。人様に知られなければいいんだが。ともかく、花咲か爺さんには礼だけは言っておこう。」
     その後、欲張り爺さんはそれまでとあまり変わらず、人に嫌みを言ったり、欲張りなままだったが、死んだときには安らかな顔をしていた。
     門外不出の話とは、2つあった。
     1つは、花咲か爺さんの過去の話だ。
     もう1つは、村のはずれを流れる川の土手に植えられた、何千本も桜の木の話だ。
     この桜の木々は、欲張り爺さんが人知れず植えたものだった。欲張り爺さんは、死ぬときに、婆さんと息子に頼んでいった。
    「桜の木を植え続けてくれ。しかし、そのことは誰にも言わんでくれ。」

     という話があったのだが、門外不出であったため、全く知られていない。

    読み解きの後で

     欲張り爺さんは、強欲な性格を変えられなかったし、変えなかった。しかし、花咲か爺さんの秘密を知り、他人に見えない行いだけを変えた。誰にも言わずに桜を植え続けた行為は、見返りを求めない贈り物だったのかもしれない。
     彼は社会的には「嫌われ者の欲張り」のまま死んだかもしれない。しかし、死に際に安らかな顔をしていた。それは、自分なりに誠実に生きたと満足したからではないか。彼なりに幸せな最後を迎えたと言えるかもしれない。
     人は、性格を変えられなくても、行動を変えることによって人生を変えることができるのだ。


    エピソード4 読み解きの外へ ~誠実さの行き先~

     この昔話を読んで、正直者は報われると信じ、誠実を心に刻んだ。他人のよさを探し、自分のよさを見つめた。内面を変えようとはしないで、外面の行動を変えることの大切さも学んだ。
     しかし、どこへ一歩踏み出せばよいのだろう。
     生成AIがどんどん発展し、社会は激変していく。「やりたいことを見つけること」が正解とされる時代になった。

    疑問

     激動するこれからの時代に、誠実に生きるだけで幸せになれるか?

    読み解き

     この疑問に、読み解きはない。昔話を使って答えを導き出せるような問いではないからだ。
     自分の話をしよう。
     私には、やりたいこともなりたいものも、特になかった。
     高校の数学教師になりたかったわけではない。校長にも、教育長にも、大学教授にも、大学学長にも、なりたかったわけではない。それでも、なってしまった。
     楽しいこともあった。辛いこともあった。振り返ると、目の前のことを誠実に、前向きに対処してきただけだった。やりたいことがなくても、目の前には常に「誠実さを向ける対象」があった。仕事があり、同僚がいて、生徒や学生がいた。誠実に向き合うだけで、人生は動いていた。愉快で、痛快で、爽快な仕事人生だったと、今でも深く満足している。
     退職した。
     目の前から、対象が消えた。
     そのとき初めて、この問いが生まれた。「誠実に生きるだけで、幸せになれるか」と。
     現役の頃は、この問いを持つ必要がなかった。対象は向こうからやってきた。しかし今は、自分で探さなければならない。誠実さを向ける先を、自分で見つけなければならない。それは、現役時代とはまったく異なる種類の問いだった。
     そこで私は、この本を書き始めた。
     昔話を読み解くことが、誠実さの新しい向け先になった。疑問を立て、裏から読み、想像し、書く。その行為の中に、愉快があり、痛快があり、爽快があった。やりたいことは、探すものではなく、誠実に向き合ううちに生まれてくるものだと、この本を書きながら気づいた。
     誠実さを向ける対象が家族や自分だけとなる日が、誰しもやってくる。そのとき、やりたいことを探しても、大抵は見つからない。目の前にいる人やものに、誠実に向き合うなかで、「誠実さの行き先」が現れるような気がしている。

    読み解きの後で

     これが、誠実に生きるだけで幸せになれるか、という問いへの私なりの答えである。
     誠実に生きれば幸せになれるわけではない。誠実さを向ける先を探し続けること、それ自体が、幸せなのかもしれない。


    孫たちへ

     やりたいことがなくても、大丈夫です。
     目の前のことに、誠実に向き合ってください。それだけで、人生は動いていきます。じいじがそうでした。
     あなたたちの人生が、愉快で、痛快で、爽快なものになりますように。


     
     
    数学教員を皮切りに、教育委員会事務局や高校、大学、共済組合でいろいろな職を経験しました。 現在は、家事手伝いで、第二の人生を模索中です。 死ぬまで人生を愉快、痛快、爽快に生きていけるよう、いろいろと挑戦していくつもりです。

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