
”気づき”からはじまる生き方を、知っていますか?
「しあわせでありますように」
と、小さな頃から”困らない生き方”を習ってきた私たち。
そのおかげで”困らなかったこと”はたくさんあっただろうけど、
自分自身の生き方に
困ってしまうことは、実は多いのかもしれません。
そんなあなたへ。
しあわせを探しに走った、その先で…
「もっとしあわせになろう!」
と
なにかを学んだり
技術を身につけたり
知識を探究したり
反省して、改善して、無駄をなくして。
「これが正解だよ」と言われるものに向かって、一生懸命に計画を立てて、スケジュールを埋めて、自分を奮い立たせて押し進む。
そうやって前へ前へと走っているとき。
本当の意味で
「自分を顧みたことはあったか?」と問われると、
あなたはどう答えるだろう。
わたしはといえば、いつの間にか自分自身に対して
「もっと足りない!」
「もっと頑張れ!」
という声をかけさえすれど、
そうやって目指している「しあわせ」が
『自分自身にとって本当に幸せなのか』
『本当にそうしたいのか』
…なんて、考えたこともなかったような気がします。
『今は辛くても、きっとこの先に”しあわせ”はあるはずだ!』
と思い込んで誤魔化して、それでも自分自身に進むことを強制してきたけれど、
その進み方はやっぱりいつか限界がくる…。
…だけど、当時のわたしはそんな限界の渦中にいても、それ以外の世界があるなんて、思いつきもしませんでした。
なにが嬉しくて
なにが好きで
なにが心地いいかも
もうわからなくなるような強制ストップの先に、
残っていたのは「みんなみたいになれなかった自分」へのダメ出しばかり。
だけど、実はこの先にまだ見ぬ新しい世界が待っていました。
白紙の自分になる恐怖
「もっとあんな風になれたら…」
「自分にはこれが足りないから…」
そのうち、
知らぬ間に誰かがつくった"しあわせ"を夢にして、
誰かがつくった"しあわせになるために必要なこと"というモノサシで
自分自身を測り続けていたことに、気がついたとき。
実は、ホッとするのと同時に、ものすごい恐怖が襲ってきました。
なぜって、これまでは「何かを目指して必死に走っている自分」にしか、価値を置いてこなかったから。
その「走るエネルギー(原動力)」を手放すって、本当に怖いです。
以前の進み方に限界を迎えて、強制ストップが起きた後。
そのあとに訪れたのは願っていた「しあわせ」ではなく、
ある日突然、それまでは考えても見なかった、
『何もしていないわたし』の価値を突きつけられるという、
底なしの恐怖と不安でした。
原動力を失うということは、
夢もない
進んですらいない
自分自身の存在価値がなくなったような
そんな泥臭さと情けなさと絶望感を味わう…。
”それしか知ない”価値観から逸脱するときには
生命の危機すら覚えるものなのかもしれないな、と、
今となっては、どこか俯瞰していた自分もいたような気がします。
持って生まれたものに気づくということ
植物が根を張り、枝を伸ばすように
植物たちは「あのバラみたいにならなきゃ自分に価値はない!」なんて、想いはきっとありません。
ただ、いま自分がいるその場所で、その土地や他の植物と共生しながら、そこで育っていく。
自分の選んだ土壌で、
誰に教わったわけでなくてもしっかりと根を張り、美しく枝葉を伸ばしていくように…
私たち人間も、本来はきっと同じなのかもしれません。
誰かがいいと言った服を必死にまとい、
自分以外の何者かになろうとする必要なんて、最初からなかった。
夢がなくても進んでいなくても、みんなみたいに出来なくっても。
命の価値は変わらない。
誰かの「しあわせ」やモノサシや、それに合わせようと「自分を頑張らせる」のをやめたとき、
本当の自分自身の感覚や「しあわせ」に
気づくことができるようになるのかもしれません。
ふっと肩の力が抜けたり、ただの風に温度を感じはじめたり。
「あ、これが心地いいな」「これはなんか嫌だな」という、
言葉になる前の小さな、小さなサイン。
それこそが、あなたという固有の命がはじめから持っている、
大切な「いのちの地図」なのかもしれません。
気づきを辿っていく先に
気づきや感覚は何者からも干渉されない、
自分自身から湧き出る自分だけ固有のもの。
これまでは気づきなんてそっちのけで、目にみえる目標に向かって進んできたけれど…
それは”自分以外のもの”を必死に身にまとい、
もしかしたら、”自分以外のもの”に必死でなろうとしてきたことだったのかもしれない。
最初はバラバラかもしれない、何の価値も感じないような小さな小さな”気づき”かもしれないけれど、その”気づき”を丁寧に丁寧に辿っていった先に。
いろんな生命、いろんな風土、いろんな事象、いろんな真実…
一見何の価値も意味もないような、”経験”と感性が合わさって
そうしたなかで受け取る、自分自身の”気づき”に手を当ててきた今、感じるのは
自分の内側から沸いてくる
気づきや感覚 を辿っていった先にこそ
本当のしあわせや
「人生の地図」が見えてくる、ということ。
自分の内側に還るということ
あなたが自分の感覚や感情、気づきを
いちばん大切にしてあげたのは、いつですか?
何かが浮かんできたとしても、それを自分自身でジャッジして、
流したり拭い去ったり、見なかったことにして
時間やルールや相手の顔色なんかを優先することのほうが
多かったかもしれません。
…が、
これは少しずつでもすぐにできること。
「今日のあなたの気づきはなんでしたか?」
どんなに小さく、かすかな感覚でいい。
ひとつひとつを大切にすくいあげていくうちに
あるとき、点が線に、線が面になっていく。
やがてその波紋は、誰かの人生の物語と優しく重なり合い、そこに美しい循環が生まれ始める。
さらには地球のリズム、自然の営みとも重なり合って、気づけば背中に心地よい追い風が吹き始める。
そうして、さらに大きな愛のなかで、みんなと一緒に自然と豊かになっていくのです。
やり方じゃない、在り方だ。とか
潜在意識が、スピリチュアルが。とか
世の中にはいろんな言葉が溢れているけれど。
目に見えない、けれど確かにそこにある「自分の感覚」を信頼して歩むなかにこそ、ひとりひとりの真実がきっとある。
自然と湧き上がる”光”に手を添える生き方は、
そのことを、何よりも美しく教えてくれている気がします。
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