
一週間後に、心拍を確認したかった
月経予定日から一週間経った日に、婦人科に行った。妊娠検査薬で陽性が出たからだ。
先生にエコーを確認してもらうが、赤ちゃんの姿は見当たらない。「排卵が遅れてまだ見えない状態か子宮外妊娠のどちらかなので、一週間後にまた来てください」と言われた。
子宮外妊娠は、子宮の外部に着床してしまう疾患で、全妊娠の一%ほどの確率で起こる。子宮の一部を切除するなどの手術が必要になり、今後の妊娠がしづらくなる可能性がある。そのままにしておくと命を落とすこともあると知り、怖くなった。
次の受診まで、十年以上前に流行った2024というパズルを延々とやって気を紛らわせていた。
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ようやく一週間が経って、婦人科に向かう。エコー画面をおそるおそる見ると、そら豆のような形が確認できた。心拍はまだのようだ。正直、赤ちゃんの素らしきものが見えたという嬉しさより、子宮外妊娠ではなかったという安堵が強かった。
心配そうに待っていた夫に、子宮の中で妊娠していたことを伝える。何事にも動じず、いつもどしんと構えている夫が、あたふたしているのが新鮮だ。こう言っちゃ悪いが、男性にできるのは見守ることくらいだった。
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そして妊娠八週目、三回目の受診の日。一般的には心拍が確認できる週数のはずだが、まったく見えない。先生から、「一週間後も心拍が見えなかったら流産です」と言われた。また一週間待たなくてはいけないのか、と途方に暮れた。
それからの一週間はそわそわしていたものの、気を紛らわせたいという欲求は少なかった。なぜだかわからないけれど、流産しているだろうなという直感があった。早く楽になりたかった。
次の受診の前日に、ライブに行った。友達に事情を説明し、私は全曲、座って観覧した。幸いにも傾斜がついたスタンド席で、座っていても演出をしっかり楽しめた。そのあと、友達が予約してくれた回転寿司屋で、むしえびとうどんを食べた。
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翌日、四回目の受診で心拍が確認できず、稽留流産だと告げられた。
「子宮外妊娠かもしれない」「流産かもしれない」と自力ではどうしようもない状態にさらされ続けていたところから、ようやく解放された。どこかほっとしてしまった自分が、薄情に思えて嫌だった。
自然に出てくるのを待つか、手術をするかという話になり、私は「一週間待ってみて、出てこなかったら手術を受けます」と答えた。
婦人科を出て、ファミレスで夫に流産だったと告げた。夫と話すことで、気持ちが整理されていく。
先生には一週間待つと言ったけれど、やっぱりすぐに手術を受けたいと思った。いつかいつかと待つよりも、すぱっと決まった期日に終わるほうが、心の負担が軽いような気がしたからだ。ドリンクバーで久しぶりにカフェラテを飲んだ。
通っていた婦人科では稽留流産の手術を行っておらず、別の病院で日帰り手術を受けることになった。
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手術当日の朝、病院に到着すると、二階の病室に案内された。ペンションの屋根裏のような、かわいらしい部屋だ。昔はここでお産をやっていたそうだ。
事前準備が終わり、手術台の上に寝そべる。看護師さんは気さくで優しい方で「緊張しますよね。実は私も全身麻酔で手術した経験があるんですけど、ほんとうに一瞬で意識が飛びますよ。麻酔が入ってから五秒数えられたら、たいしたもんです」という話をしてくださった。それを聞いて、だいぶ緊張がやわらいだ。実際、事前に入れる薬の時点でぼおっとしてきて、麻酔が入ってから一秒も経たずに意識が飛んだ。
次に気づいたときには、私は廊下にいた。看護師さんに支えられながら、病室に戻るために壁伝いに歩いていたのだ。手術が終わったあと、看護師さんにパンツ型のナプキンを履かせてもらって手術室から出たはずだが、まったく記憶がない。
そのあとは病室で一、二時間ほど安静にしていた。看護師さんが持ってきてくださったトレーには、あたたかい紅茶と、五つのあめ玉が乗っている。「できれば帰宅までに、あめ玉を全部なめてエネルギー補給をしてくださいね」と言われた。カルピス味のあめ玉がおいしくて、五つともなめきった。
そして夫が迎えに来て、タクシーで帰った。寒かった十一月二十一日の夕方。私のはじめての妊娠が、終わった。
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「妊活」という言葉はあまり好きではない。ただ、ほかにうまい言い換えも思いつかないので、ここでは妊活と表現することにする。
正直に書くが、もともと「絶対に子どもがほしい」と考えていたわけではなく、それゆえに子どもを持つことに悩んでいた。子どもは好きだし、子どもがいたら楽しそうではあるが、その程度の気持ちのままでいいのか、という葛藤があった。
ただ、妊活をするなら、保険適用外の不妊治療は極力したくないなという考えも持っていた。新たな命のために、自分が何十万、何百万もかけて治療を受けることに違和感があったからだ。念のため断りを入れておくが、不妊治療に取り組む人を否定するつもりはまったくないし、今後私の考えが変わる可能性も大いにある。あくまでこの時点での自分にとって、しっくりこなかったという話だ。
三十代前半の私。子どもを持つか悩んでいる間も、私が産める時間を計っている砂時計から、砂が落ち続けている。不妊治療をしたくないのなら、なおさら早く妊活に取り組んだほうがいいだろう。夫と相談して、妊活をはじめることにした。そんな不確かな気持ちのままでいいのかなと迷いつつ、それなりの覚悟と責任を持って臨んだ。
妊娠すれば気持ちが変わるかもしれないと考えていたが、流産したあとも「絶対に子どもがほしい」とは到底思えず、授かったらありがたいなという気持ちのままだ。それは、自分の努力だけではどうにもならないところに妊娠や出産という世界があることを、文字通り「身をもって」実感したからかもしれない。
葉酸のグミを食べたり、好きなコーヒーを断ったり。生ものやアルコールも避けた。眠たいときは無理せず寝ていた。からだに触るようなことはひとつもしなかったけれど、それでも、うまくいかないときはうまくいかないのだ。
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この間、たまたまつけていたテレビから不妊治療を特集する番組が流れてきた。不妊治療を受けている四十代の女性が、何度も何度も「頑張る」という言葉を口にした。その女性がどういう想いでその言葉を発していたのかはわからないが、私にはしんどく重たい、呪いのように響いた。
不妊治療は頑張るものなのだろうか。医療の目覚ましい進歩のおかげで、以前より尽くせる手は増えた。でも、頑張りでどうにかなる問題なのだろうか。その女性は十分すぎるほど頑張っていると思うし、私はたぶん、そこまで頑張れない。
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流産から七か月が経った。毎月、あいも変わらず生理が来る。あのとき、流産していなかったら。私は今頃出産していたのだろうなと気づき、さみしくなる。
やっぱり、流産は悲しかった。あのときしんどすぎて向き合えなかった気持ちと、今、向き合う。
自主制作本『湿っぽいエッセイも書きたい』に収録した「一週間待つということ」を、改題・一部修正して掲載しました(2025年夏に執筆)。
子どもを持つこと、不妊治療、妊娠には人の数だけ考えがあり、それらを否定する意図はまったくございません(念のため)。