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(小説)『コヨミとチズ』序章

    A Tale of Two Sisters: "Koyomi and Chizu"
    Calendar and Map


    私たちの父と母はお互い愛し合っていたけれど、はじめはそれぞれ別な相手と結婚した。
    作曲家の父はピアニストの女性と結婚し、仕事のためそれぞれ海外を渡り歩いた。ヴィオラ奏者だった母の相手は保険会社の職員で、結婚を機に奏者を辞め、自宅で小さなヴァイオリン教室を開いた。
    母から聞いた話では、その後三年に渡りふたりは密会を重ねたという。けれどその間、体の関係はなかったと言っていた。「愛し合っていたならどうして結婚しなかったの」と私が尋ねると、母はただ「タイミングが悪かったの」とだけ答えた。
    結婚後まもなく、それぞれに子供が生まれた。どちらも女の子だった。私たちの父と母は、示し合わせて子供に名前を付けた。少し早く母から生まれた私はコヨミと名付けられた。三ヶ月後に生まれた父の子はチズという名だった。
    それから二年が経ったころ。父と母はそれぞれの相手と別れ、ようやく結ばれた。そして私には血の繋がらない妹が出来た。

    小さい頃から二人ともたくさんの楽器に触れた。ピアノ、バイオリン、フルート。父が指揮をしていたアマチュアのオーケストラへ加わり、バスーンやコントラバス、ティンパニまで手ほどきを受けた。中学校の終わりまで二人ともピアノとバイオリン、チェロを続けたが、結局私はピアノを、妹はチェロを選んだ。主に教えてくれたのは母で、父が指導してくれたのはほんの初めの頃だけだった。
    しばらくして父は頻繁に家を空けるようになり、母と別れた。私たちが高校の音楽科に通っている頃だった。

    一度だけ、父と母が揃った場所で私がピアノを弾き、妹がチェロを弾いたことがある。
    高校一年の冬。その日は母の誕生日で雪が降っていた。防音が施され、グランドピアノが置かれたリビングルーム。暖房は効いていたが手がかじかんでいたので、三時間ほどリハーサルをした。母を部屋から締め出し、練習の音を聞かせなかった。空港から戻る父を待って、二人のために小さな演奏会を開いた。
    それが私たち家族の、最後の幸せな時間だった。

    妹は小さい頃から人なつこく闊達で、明るく社交的だった。中学、高校時代も門限ぎりぎりに帰ってきては母を悩ませていた。妹は他の誰かと私が一緒に居ても、私を話から置いていくことがほとんどだったが、私もそれを望んだ。私には妹ほどの社交性がなかった。
    けれど家に居るときには妹とたくさん話をした。彼女は時折ふさぎこんだり、気持ちが高揚して泣き出すことがあったが、その姿は私しか知らなかった。私はそんな妹がとても愛おしかった。

    妹は音大を卒業した後にウィーンへ留学し、名のあるコンクールに入賞してソリストになった。今では昔の父のように、海外を忙しく飛び回っている。私は母と同じ病気に冒され、父が母へ残していき、そして母が私に遺してくれた大きな家にひとりで住んでいる。

    私は海外に居る妹と、頻繁に手紙のやりとりを続けている。

     
     
    舞台の脚本や演出を手掛けていました。ここでは新作や旧作の脚本や小説、散文詩、日々の徒然などを記していきます。

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