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(脚本)『天使たち - Les Anges -』

    あらすじ

    ひとに寄り添い、ひとの心を支える「天使」。
    彼らはひとに気付かれることがないまま「宿主」と定めた人間に寄り添い、そのひとを励まし続ける。
    物語の舞台はあるシェアハウス。そこで暮らす元絵本作家、バイクレーサー、カメラマン。それぞれが未来を夢を見ながら、苦悩している。そして彼らを見守る天使たち。
    だがひとりの天使の強い想いと思いがけない事故が、物語を意外な方向へ導いていく。

    本作は舞台向けの脚本だが、「天使」の設定を活かし、登場人物を増やした連載漫画の原作も構想中。
    (29,823文字)


    登場人物

     鴻坂(男) 元絵本作家のフリーライター
     速見(男) アマチュアのバイクレーサー
     アオイ(女) プロを目指すカメラマン助手 
     天使A(女) 鴻坂の天使
     天使B(男) 速見の天使
     天使C(女) アオイの天使
     天使D(女) バレリーナの天使
     西澤(女) シェアハウスのオーナー

     作家(男) 物語本編の作家
     清水(女) 作家の編集者

    Scene 1.

     舞台上には執筆中の作家。
     そして原稿を読む清水。

    清水  「彼らは天使たちと呼ばれている。いつ誰がそう呼び始めたかは分からない。だが古くから我々人間のそばにいた。
    彼らは志を持つ人間に宿る。芸術家、アスリート、エンジニア。特殊な技能を持った者だけではない。事務職の者もいれば小さな商店を営む者もいる。
    天使は宿る人間を選ぶ。人間と心を交わし、その心を支える。
    天使はいずれ消える。宿主が志を失ったとき、天使は消えてしまう。
    人間は天使と心を交わしていることを知らない。天使が宿っていることはおろか、その存在すら知ることが出来ない。
    これから記すのは天使たちと、彼らが宿る人間たちの物語である―――」

     暗転。

    Scene 2.

     昼、リビング。
     舞台上には西澤、鴻坂。
     そして鴻坂の後ろに天使A。
     鴻坂のそばにはたくさんの荷物。
     カートに括られたダンボールやバッグなど。

    西澤  台所はそっち。料理は私がやるけど、たまに手伝ってもらうかもね。皿洗いは基本自分。トイレと風呂はその奥。掃除は当番でやってる。もちろんあんたにもやってもらうよ。まあ、時間がなかったらほかの住人に頼んでもいいけどね。
    鴻坂  はい……
    西澤  お世辞にもいい部屋とは言えないよ。ベッドと荷物置くくらいの場所はあるけど、机はあったかね……

     そう言って出て行こうとする西澤。

    鴻坂  あの、西澤さん。
    西澤  ……私、あんたに名前言ったっけ。
    鴻坂  いえ、門のところに表札が、
    西澤  ありゃ旦那のだ。私んじゃない。
    鴻坂  え…
    西澤  みんな「おばさん」って呼んでるから、それでいい。
    鴻坂  じゃあ、おばさん……その、ホントにいいんですか?
    西澤  ここまで来て何言ってんだい。
    鴻坂  …………。
    西澤  気にすんな、道楽でやってんだ。
    鴻坂  …………。

     そう言って出て行く西澤。
     天使A、鴻坂に近付いて背中に手を当てる。

    鴻坂  ……引っ越す金が貯まるまで住んでいいって言ってたけど、大丈夫かな……金だって、仕事がなけりゃいつ貯まるか分かんないし……
    天使A  住むところ見付かったんだから、がんばろう。仕事だっていつでも出来るんだから、お願いしてみようよ。
    鴻坂  そうだ……

     携帯を取り出す鴻坂。

    鴻坂  もしもし、おつかれさまです……すみません、しばらく連絡できなくて。実はその、住所が変わって……ええ、あとでメールします。それから仕事のほう、また回してもらえれば…………ええ、よろしくお願いします。それじゃ……
    天使A  ……がんばって……
    鴻坂  …………。

     アオイが現れる。
     肩にカメラをかけ、大きなバッグを持っている。

    アオイ  こんにちわ。アオイっていいます。
    鴻坂  あ…鴻坂です。
    アオイ  鴻坂さんね。よろしく。
    鴻坂  よろしくお願いします……あの、
    アオイ  私もおばさんにやっかいになってるの。ま、下宿っていうか居候っていうか。分からないことがあったら遠慮なく聞いてね。
    鴻坂  はい…

     天使Cが現れる。

    アオイ  鴻坂さんは何してるひと?
    鴻坂  いまは、ライターを。
    アオイ  いまは?
    鴻坂  ええと……実はむかし、

     天使Cが小さく声を発する。

    天使C  アオイ。
    アオイ  あ、いけな。
    鴻坂  え、
    アオイ  ごめんなさい、帰ってきたらゆっくり。仕事行かなきゃなんだ。そう、私は写真撮ってます。アシスタントだけど。
    鴻坂  はい…
    アオイ  じゃあ、また夜に。

     アオイ、去りかけたところで振り返り、

    アオイ  そう。もうひとり居るから。
    鴻坂  え。
    アオイ  下宿人。いまバイトだけど、夜には帰ってくるから。そしたら鴻坂さんの歓迎会しよ。
    鴻坂  あ、いえ僕は、
    アオイ  遠慮しないで。おばさんと私で料理作るから。
    鴻坂  はあ…
    天使C  アオイ、時間。
    アオイ  わ、ホント行かなきゃ。とにかくよろしく。いってきます。
    鴻坂  …………。

     勢いよく出て行くアオイ。
     天使C、アオイが出て行ったほうを見て、

    天使C  手間のかかるコ……

     天使Aが天使Cに語り掛ける。

    天使A  あの、私……
    天使C  分かってる、新しく来たんでしょ。よろしくね。
    天使A  はい……あの、さっき。
    天使C  さっき?
    天使A  触らないで声かけましたよね。
    天使C  ああ。彼女とは相性がいいだけ。誰とでも出来る訳じゃないの。
    天使A  …………。
    天使C  ここに住むんならよろしくね。私もたまに顔出すから。
    天使A  え、アオイさんは……
    天使C  彼女がどうかした?
    天使A  あなたはアオイさんの天使、じゃないんですか?
    天使C  ううん、まだ様子を見てるだけ。宿主は変えられないんだから。決めるなら、このひとって思えるひとにしたいじゃない。
    天使A  …………。

     西澤が戻ってくる。

    西澤  机が見当たんないから、仕事すんならここ使いな。ま、ひとの出入りはあるけど、そのうち手頃なやつ見付けてやるから。
    鴻坂  あ、はい。
    西澤  じゃあ着いといで。

     西澤のあとを追い、荷物を持って出る鴻坂。

    天使C  私もまた来ようかな。せっかく仲間が増えたし。
    天使A  はい…
    天使C  そう。あなただけじゃないから。
    天使A  え。
    天使C  ここにいる天使。
    天使A  …………。

     天使C、出て行く。
     転換。

    Scene 3. 

     夜、リビング。
     歓迎会とおぼしき風景。
     テーブルには食べかけの料理の皿。
     会話中のアオイと速見。
     そして天使A。

    アオイ  つまりさ、結局はハンドルで曲がるんじゃないの?
    速見  違うんだって。お前、自転車乗るときどうやって曲がるよ?
    アオイ  どうやってって、ハンドルで。
    速見  だからぁ。バイクも自転車も一緒で、ハンドル切るのと同時に重心傾けんだろ?
    アオイ  ええ、私そんなことしてない。
    速見  してないじゃなくてしてるの。乗ってるときは無意識かもだけど、曲がる方向に重心を、まぁ要は体重な。それを傾けるから曲がること出来るわけ。
    アオイ  じゃあハンドルは要らないってこと?
    速見  アホか。なかったら曲がれるわけないだろ。
    アオイ  なんで?
    速見  重心移動で向心力が生まれんだろ。その力で旋回軌道を描くためにステアリングが必要なの。
    アオイ  ええぇ、もうさっぱり分かんない。

     トレーを手に、西澤と鴻坂が入ってくる。

    西澤  まだその話してんのかい。
    速見  だってこいつ、何回説明しても分かんないっつうから。
    アオイ  だって、ハンドルは要るとか要らないとか、言ってること分かんないし。
    速見  もう、なんつえば分かるかなぁ……
    鴻坂  (空になった皿を指し)これ、下げますね。
    速見  あ、すんません。(アオイに)お前も謝れ。
    アオイ  なんでよ。
    速見  お前が「もっと聞きたい」っつうから、鴻坂さん片付けてくれてんだぞ。
    アオイ  だって難しいんだもん、なんとか軌道とか言って。あ、やさしく説明できないからプロになれないんじゃない?
    速見  んだぁ、このガキ。
    アオイ  (にこやかに)鴻坂さん、ごめんなさいねぇ。
    鴻坂  いえ。お客さん扱いされるよりは。
    アオイ  鴻坂さん、人間出来てるなぁ。誰かとは大違い。
    速見  誰かって誰だよ。
    アオイ  バイクバカ。
    速見  轢くぞ、てめぇ。
    アオイ  だって平日はバイク便、週末はレースでしょ。どんだけ好きなんだか。
    速見  お前だって一日中カメラいじってんじゃねぇか。
    アオイ  私は仕事だもん。
    速見  いいか、もっかいだけ説明してやっから。
    アオイ  もういいよ、分かんなくて。
    速見  ていうかお前、レース撮んだったらこれっくらい憶えとけ。
    アオイ  ええぇ。
    速見  「ええぇ」じゃなくて。
    西澤  (アオイに)ほら、運んじまうからよこしな。
    アオイ  あ、ごめんね。

     トレーに食器を乗せて出て行く西澤。
     天使Bが入ってくる。
     初めて顔を合わせた天使Aが会釈。
     天使Bは軽い挨拶で返し、部屋の隅でたたずむ。

    速見  鴻坂さんもさ、こんど時間があったら観に来てよ。
    鴻坂  え、
    速見  サーキット。仕事のネタになるかもしんないし。
    アオイ  そう、来て。すんごい速さですんごい音たてて走ってくの。私も写真撮りに行ってるから。
    速見  そうだ。お前、次ワゴン乗るな。
    アオイ  どうして。
    速見  そうすりゃ席ひとつ空くじゃん。そこに鴻坂さん乗っけるから。
    アオイ  じゃあ私どうすんの?
    速見  歩け。
    アオイ  ひどい。いい写真撮ってあげてるのに。
    鴻坂  僕はいいです。しばらく忙しいと思うので……
    速見  そう? (アオイに)よかったねぇ、アオイちゃん。歩かなくていいって。
    アオイ  マジホント、ドSだよね。
    速見  そうですよ。SっつってもスピードのSだけど。
    アオイ  うわ、醒めた。一気に酔い醒めた……
    速見  なら飲め。じゃんじゃん飲め。
    アオイ  ていうかあんた。
    速見  ん?
    アオイ  なんで今日飲まないの? せっかくの歓迎会なのに。
    速見  まぁ、ちょっとな。
    アオイ  「ちょっとな」じゃないでしょ。あんたが飲まないから鴻坂さんだって遠慮してるじゃない。
    鴻坂  いえ、僕はホントに、
    アオイ  飲んでるの私ひとりじゃない。だからあんたも、
    速見  悪い。今日は飲まない。
    アオイ  どうして?
    速見  これから出かける。
    アオイ  何それ。聞いてない。
    速見  るせぇなぁ、いちいちお前に予定言う義理ねぇよ。
    アオイ  なんだ、つまんない……

     西澤が戻ってくる。

    西澤  なんだい、こんどは喧嘩かい。
    速見  ちげぇよ。こいつがまた絡んでくるから、
    アオイ  私は予定聞いただけでしょ。
    西澤  あぁ、分かった分かった。
    鴻坂  (西澤に)あの……
    西澤  ん?
    鴻坂  おいしかったです。ごちそうさまでした。
    西澤  ま、このコも手伝ってくれたからね。
    鴻坂  ごちそうさまです。
    アオイ  そうだ。鴻坂さん、よかったら写真見る?
    鴻坂  え。
    アオイ  このひとのレース。こう見えて走ってるときだけはカッコいいんだよ。
    速見  期間限定かよ。
    アオイ  ま、メットとツナギで誰だか分かんないけどね。
    速見  てめぇホンット、ひき殺すぞ。
    アオイ  ちょっと待ってね。

     アオイ、急いで部屋へ。
     速見の手元の携帯が鳴る。
     発信元を見て、

    速見  なんだ……(携帯に)もしもし? ……大丈夫。ちゃんと食わしてもらってる……親父は? いや、いいよ。代わらなくて………ほんじゃ切るよ………分かってるって……じゃあな……(西澤に)お袋。おばさんによろしくって。
    西澤  ん。

     アオイ、タブレットを手に戻ってくる。
     鴻坂にタブレットを渡して、

    アオイ  はい。これが撮り始めの頃のバイクバカ。
    速見  バカって言うな、バカ。

     アオイの写真に見入る鴻坂。
     天使Cが現れる。
     黙って手をあげる天使B。

    天使C  (天使Aに)どう、少しは慣れた?
    天使A  はい…
    鴻坂  ……へえ。
    アオイ  よく写ってるでしょ。ま、私の腕がいいから。
    速見  違ぁう。オレが上手いんだっつうの。
    アオイ  これが一番最近。もう一歩でポイントってところで抜かれちゃってねぇ。
    速見  お前、簡単に言うなよ。プライベーターがワークスに食い付くの、どんだけタイヘンか分かってる?
    鴻坂  プライベーター?
    速見  早い話、アマチュアだよ。手弁当でチーム作って、レースの後方集団走ってる。ワークスってのは先頭走ってるプロ集団。
    アオイ  (鴻坂に)あ、そっちは仕事。ファッション誌なんだ。
    鴻坂  ……いいですね。
    アオイ  本当?
    鴻坂  ええ。下手なプロより全然。
    アオイ  ありがとう。ね、鴻坂さんの本見せてくれる?
    鴻坂  え。
    アオイ  絵本書いてた、ってさっき言ってたよね?
    鴻坂  ええ。もうだいぶ経ちますけど……
    アオイ  もし持ってたら読みたいんだけど。
    鴻坂  ……ふつうの絵本ですよ。
    アオイ  ううん。私、絵本好きだから。
    鴻坂  じゃあ、取って来ます……

     気乗りのしない顔で出て行く鴻坂。

    アオイ  鴻坂さん、元気ないのね……疲れてんのかな。
    速見  最初はあんなもんだろ。お前だってここ来たとき死にそうな顔してたぞ。
    アオイ  まあね……
    速見  なに。まだ悩んでんの?
    アオイ  ん……まぁ、いろいろ。
    速見  いいねぇ。悩め、若者。
    アオイ  何よ、ジジイみたいに。
    速見  そうだよ。だってオレ、ジジイだもん。(西澤に)ちょっと、電話してくる。
    西澤  ああ。

     そう言って立ち上がる速見。
     直後に携帯の呼び出し音が鳴る。

    速見  おっと……

     天使Bが彼の肩に手を乗せる。

    速見  (携帯に)もしもし………来た? ……ええ……

     鴻坂が戻ってくる。
     天使Cは速見の肩に手を乗せたままの天使Bを見詰め、

    天使C  どうかした?
    天使B  大丈夫、いい話。
    速見  明日のフリーは? ……オッケー、いまから行きます。大丈夫、事故りませんよ。じゃ、ガレージで。
    アオイ  なに、どうしたの?
    速見  (電話を切り)新しいマシンが届いた。
    アオイ  え、それって、
    速見  明日に間に合わせるから、セッティング手伝ってくる。
    アオイ  私も行きたい。
    速見  バカ、お前飲んでんだろ。(西澤に)おばさん、そんなわけだからオレ。
    西澤  ああ、行ってきな。
    速見  鴻坂さんゴメン、また今度ゆっくり。
    鴻坂  はい…

     速見、ヘルメットを手に慌ただしく出て行く。
     それを目で追う天使B。

    天使C  ……いいの? 行かなくて。
    天使B  オレが行っても何も出来ないし、チームのみんなが居るから。
    天使C  あんなに嬉しそうなんだから、行けばいいのに。
    天使B  別に居なくたって、あいつが喜んでればそれでいいよ。
    天使C  ふぅん。そんなもんか……
    アオイ  なぁんだ。置いてけぼりかぁ……
    鴻坂  あの、アオイさん。これ……

     そう言って絵本を渡す鴻坂。

    アオイ  わ、ありがとう……へえ、カワイイ。あ、この出版社知ってる。
    鴻坂  あの、新しいマシンって……
    アオイ  ああ、さっきの? ワークスがマシンだけ貸してくれることになって。あっちとしては恩を売りたいだけなんだけど。
    鴻坂  恩?
    アオイ  引き抜き。あのひと、何度も誘いがあったんだけど、断っちゃってんの。いい話なのに。
    鴻坂  …………。
    西澤  さ、もうお開きでいいだろ。洗いモンするから手伝いな。
    アオイ  はぁい。
    西澤  (鴻坂に)あんたはいいよ、今日はもう疲れたろ。
    鴻坂  え、
    西澤  最初の日くらいゆっくりしな。ほら、アオイ。
    アオイ  (本を指し)鴻坂さん、これ借りていい? あとでゆっくり読みたいから。
    鴻坂  ええ、どうぞ。
    アオイ  ありがと。

     西澤とアオイ、奥へ。
     ひとり残された鴻坂、ため息をつく。
     そして同じく部屋に残った、三人の天使。

    天使C  もうお終いか……(天使Aに)ねえ、あなた。
    天使A  え。
    天使C  (Bを見ながら)さっきの話。あなただったら一緒に行くよね?
    天使A  ……そうですね。たぶん。
    天使C  (Bに)だってさ。
    天使B  いいんじゃない、それぞれだし。
    天使C  ふぅん……ま、私には分からないけど。
    鴻坂  (ポツリと)またか……

     携帯のメールを見て声を漏らす鴻坂。
     天使A、慌てて鴻坂の背中に手を添える。

    鴻坂  また週刊誌のコラム。それもたったひと枠………誰が読むんだろ、こんな記事………
    天使A  いいじゃない、仕事もらえただけで。続けてればいい仕事増えるかもしれないし……
    鴻坂  いつまで続くんだろ……このまま書きたくないもの、書き続けるのかな……
    天使  とにかくいまは続けよう。続けてれば、また書きたいもの書けるから。
    鴻坂  絵本なんて、もう……
    天使  大丈夫。きっと書けるから。
    鴻坂  …………。

     ため息をついて、PCを取り出し仕事を始める。
     ふたりの様子を見ていた天使C。

    天使C  ……ねえ。
    天使A  え。
    天使C  あなた、どうして彼のこと選んだの?
    天使A  え。
    天使C  なんだか苦労してるみたいだから。たいへんじゃない?
    天使B  止めなよ。
    天使C  どうして。心配してあげただけただけじゃない。
    天使B  彼女の宿主なんだから。キミが口を出すことじゃない。
    天使A  …………。
    天使C  ……そっか。ごめんなさい。
    天使A  ……いえ……
    天使C  私、邪魔だったみたいね。ごめんね、悪いこと言って。
    天使A  …………。

     そう言って去る天使C。
     その後を追おうとする天使B。
     天使Aは鴻坂の背中に触れ、囁くような声でつぶやく。

    天使A  ……大丈夫……私が居るから……

     その姿を見て、無言で去っていく天使B。
     西澤が戻ってくる。

    西澤  仕事かい?
    鴻坂  ええ……あれ(何かを探している様子)。
    西澤  どうしたい?
    鴻坂  いえ……あっちか。(西澤に)ちょっと部屋行ってきます。
    西澤  ああ。

     そう言って出て行く鴻坂。
     彼について行こうとする天使A。
     突然、西澤が声を発する。

    西澤  どうした、元気ないね。
    天使A  (?)
    西澤  落ち着く場所が見つかったんだ。もう少し喜んでくれると思ったんだがね……(天使Aのほうを向いて)あんたのことだよ。
    天使A  (!)

     驚いた表情の天使A。
     何かを言おうとするが言葉にならない。

    西澤  ああ、見えるわけじゃないよ。近くにいりゃ分かるってくらいだ。隠すつもりはなかったけど、言う機会がなかったからさ。あんたみたいに必死なのも珍しいから、つい声をかけちまった。

     呆然とする天使A。

    西澤  どうして分かるのかって? さぁ、どうしてかね……まぁ、せっかく縁が出来たんだ。何かあったら相談くらいは乗るよ。
    天使A  …………。
    西澤  と言っても、今日はここまでか。宿主が戻ってくるよ。

     鴻坂が戻ってくる。

    西澤  見付かったかい。
    鴻坂  はい。
    西澤  私ゃもう寝るよ。電気消すの忘れないでおくれ。
    鴻坂  おやすみなさい。
    西澤  (天使Aのほうを向いて)ま、焦ることはないさ。しばらくここでゆっくりしな。
    鴻坂  (?)はぁ…
    天使A  …………。

     転換。

    Scene 4.

     昼、サーキットのピットルーム。
     周回から戻ってきた様子の速見。
     ヘルメットを脱いでメカニックとおぼしき人物と話し出す。
     そばには彼を見守る天使B。

    速見  フロントは良くなった。リアがまだ高速で暴れる。それとほんのちょっと両ブレーキをタイトに……どれくらいかかる? ……オッケェ、任せた。終わったらすぐ出るから、よろしく。

     溜息をつく速見。
     天使Bが彼の肩に触れる。

    速見  ……さすが……カラダにも来るな、こりゃ……今日は周れて一時間。いや、三十分が限界かな………
    天使B  無理しない方がいい。明日の予選もあるんだから。
    速見  オレも歳だな……むかしだったら制限時間いっぱいに走れたのに……
    天使B  人間は誰だってだろ。仕方ないよ。
    速見  今シーズン限りで引退、って決めたとたんにこんないいマシンが来るなんて……皮肉なもんだな……
    天使B  だったら二年でも三年でも続ければいいのに。まだ辞めなくたって、
    速見  でも決めたんだ……本当にいいチームだよ。少しでもタイム削るのにみんな必死になって……だからここで終わりにして、あとは……
    天使B  ……本当に、後悔してない?
    速見  後悔はしない……シーズンが終わるまで目一杯走んなきゃ……みんなのためにも……
    天使B  …………。

     テーブルに置かれた速見の携帯が鳴る。

    速見  お袋? あのさ、レース中はかけてくんなって…………………どこの病院? ……分かった。遅くなるけど、今晩寄るから……ああ……

     電話を切る速見、少しの間考え込む。
     メカニックから声がかかった様子で、

    速見  ……あ、うん。いま行く。

     ヘルメットを抱え、足早に駆けていく。
     速見の出て行った方向を見やる天使B。

     同時刻、スタジオ。
     撮影中のアオイと、彼女を遠巻きに見ている天使C。
     アオイ、スケジュール表を手に、

    アオイ  アリカさんアップです。お疲れさまでした。(大きな声で)手隙の方、休憩お願いします。十分後再開です。

     誰かに会釈をするアオイ。

    アオイ  お疲れさまです。次、どうします………フィルター換えて……はい、やっときます………あの、ハセガワさん。こないだ撮ったやつなんですけど、どうでした? ………いえ、まだ分かりません………あ、明日サーキットで撮るんです。また見てもらえますか? …………はい、ありがとうございます。

     溜息をつくアオイ。
     天使Cがアオイの心に耳を傾ける。

    アオイ  「おまえは何が足りないと思う」って……やっぱ分かんないよ……
    天使C  また同じダメ出し? 相変わらず進歩ないのね。場所を変えるのも手でしょ。ずっとここに居たって、分からないままかもしれないんだから。
    アオイ  ここに居たら分からないかもしれない……でも……
    天使C  ホント、踏ん切り悪いのね。悩む気持ちも分かるけど、私だって時間がないんだから。早いとこ決めさせてよね。
    アオイ  (顔を上げて)あ、飲み物、こっちです。コーヒーと紅茶と、あと……

     仕事を続けるアオイ。

     転換。

    Scene 5.

     夜、リビング
     灯りを落としたリビングのでPC作業をする鴻坂。
     傍らに天使A。
     速見が帰って来る。
     少し遅れて天使B。

    速見  おっ、と……びっくりした。
    鴻坂  あ、おかえりなさい。
    速見  こんな遅くまで、仕事?
    鴻坂  ええ。速見さんは……
    速見  フリー走行。そのあとセッティングやらミーティングやら。あとちょっと寄り道。
    鴻坂  おつかれさまです……
    速見  …………。

     再びPCに向かう鴻坂。
     速見、鴻坂の様子を見て、

    速見  オレ、ビール飲むけど。鴻坂さんは?
    鴻坂  え。えぇと……
    速見  ま、遠慮すんなって。
    鴻坂  ……じゃあ、ちょっとだけ。

     キッチンに向かう速見。
     天使Bは鴻坂たちが見える場所へ移動してたたずむ。
     速見がビールを持って戻ってくる。

    速見  ほい。
    鴻坂  ……ありがとうございます。

     缶ビールのふたを開け、勢いよく飲む速見。
     鴻坂は遠慮がちにビールをすする。 

    速見  ……本読ませてもらった。アオイのあと借りて。
    鴻坂  そうですか……
    速見  オレ、あんま本とか読まないからアレだけど。面白かったよ。
    鴻坂  ありがとうございます。
    速見  あいつから聞いたんだけど………鴻坂さん、結構売れてたんだって?
    鴻坂  ……それほどじゃないです。それに、昔のことですから。
    速見  ふぅん……なんかあったの。
    鴻坂  え。
    速見  いや、深入りする気ないけど……オレもアオイもいろいろあってここ来たからさ。力になれることあったら、いつでも言ってよ。
    鴻坂  …………。

     鴻坂、少し考えて、

    鴻坂  ……それなりに、うまくやってたんです。
    速見  …………。
    鴻坂  でも気付いたら、ぜんぜん違うところに居て……それで……

     沈黙。

    速見  ……いいんじゃない、そういうの。
    鴻坂  え。
    速見  何も考えないヤツより、そういうほうが好きだけど。
    鴻坂  …………。

     速見の言葉をかみしめる鴻坂。

    鴻坂  ……速見さんは。
    速見  ん?
    鴻坂  プライベーター、こだわりあります?
    速見  まぁ、意地みたいなもんかな。カネがなくてもワークスぶち抜いてやる、ってね……それに、チームのみんなには世話になったし。オレだけひとり上に行くわけにはいかないよ……
    鴻坂  あの……
    速見  ん。
    鴻坂  うまく言えないですけど……いい結果、出るといいですね。
    速見  ありがと……

     優しく微笑む速見。

    速見  ……鴻坂さん、家族は?
    鴻坂  両親がいます。最近会ってませんけど。
    速見  ふぅん。兄弟は。
    鴻坂  妹が居ました。
    速見  居た?
    鴻坂  ええ、むかし。
    速見  そっか。悪いこと聞いちゃったね……
    鴻坂  いえ。速見さんは?
    速見  オレ? ひとりっこ。親父もお袋もまだ生きてる。あ、「まだ」なんつっちゃいけねぇか。
    鴻坂  (小さく笑う)
    速見  親父はお袋と一緒に店やっててさ……ちっちゃなスーパーみたいなやつ。バイトも居なくて、仕入れからレジ打ちまでぜんぶ自分らでやってんだけど……ふたりともいい歳だし、「もう店たたんで年金暮らししろ」って言ってんだけど、「客がいる限り止めるわけにはいかねぇ」とか言って。まあ、ひと昔前の頑固な父親って感じなんだけど……それがさ……
    鴻坂  ……何か、あったんですか?
    速見  え。
    鴻坂  いえ、その……ちょっと意外だったんで……
    速見  そっか、そうだよな……ゴメン。明日早いし、またこんど聞いてくれる?
    鴻坂  ええ。
    速見  じゃあ、オレもう寝るわ。おやすみ。
    鴻坂  おやすみなさい。

     速見、出て行く。
     天使Bは残ったまま。
     鴻坂の携帯が鳴る。
     電話を取る鴻坂。

    鴻坂  はい、お疲れさまです……ええ、いま仕上げてたところで………………(!)そんな、こないだの話じゃまだ…………分かりました……失礼します……

     電話を切る鴻坂。
     天使Aが駆け寄り、彼の肩に手を置く。

    鴻坂  ……もう仕事はないって……また使い捨てか。こんなこと続くなら、もう書くのなんて……やってらんないよ。
    天使A  また仕事探そう。あれだけ書いてたんだから、みとめてくれるひとだっている。前の本持って、出版社回って、
    鴻坂  どうせ無駄だよな。とっくに終わった作家なんて、相手にされるわけない。
    天使A  そんなことない。書くこと続けよう。
    鴻坂  書きたいもの書ける訳じゃないのに、苦労するだけなんて。本当、やってらんない。
    天使A  そうすればいつか絵本だって、
    鴻坂  やってらんないよ!

     憤って立ち上がる鴻坂。
     天使A、思わず彼の体から手を離す。
     肩を落とし部屋へ戻っていく鴻坂。
     ためらっていた天使A、彼のあとを追おうとする。
     それを制止するように天使Bが声をかける。

    天使B  ねえ。
    天使A  …え、
    天使B  よかったら話、しない?
    天使A  でも、私……
    天使B  ひとりになったほうがいいときもあるからさ。人間も、天使も。
    天使A  …………。
    天使B  いつも一緒なんだね。もう長いの?
    天使A  うん……でも私、ほとんど何も出来てない……支えるだけで精一杯……
    天使B  そんなもんじゃない。
    天使A  え。
    天使B  天使なんて、そんなもんだと思うけど。どんなにがんばったって、実際何かをするのは人間だから。
    天使A  ……でも彼、どうしたらいいか分からなくなってるの……自分が何をすればいいか……
    天使B  キミはどうしたいの?
    天使A  どうって、
    天使B  彼はともかく、キミ自身はどうしたいのかなって思って。
    天使A  分からない……あなたは、どうしたいの?
    天使B  オレは、あいつが「いい走りしたい」って思ったらそれを支える。それだけ。
    天使A  それだけ?
    天使B  そうだよ。だって天使だもん。

     そう言って小さく微笑む天使B。
     天使A、考えながら、

    天使A  ……私は……彼にまた本を書いて欲しい……それから……
    天使B  それから…?
    天使A  ……ううん。でもこれは無理……
    天使B  ふぅん……らしくないね。
    天使A  え。
    天使B  あんなに必死になってるのに、「無理」なんて言うと思わなかった。
    天使A  …………。
    天使B  何をしたいか分からないけど、キミなら出来るんじゃない? あれだけ彼を守ろうとしてるんだから。

     そう言って出て行く天使B。
     ひとり残された天使A。
     何かを思い空を見上げ、ゆっくりと目を閉じる。

     暗転。

    Scene 6.

     夜、庭。
     舞台上にはひとり佇む西澤。
     天使Bが入ってくる。

    西澤  ……あんたかい。
    天使B  うん。
    西澤  いい夜だね。風が気持ちいいよ。
    天使B  ……風は分かんないよ。星は見えるけど。
    西澤  (小さく笑って)そうだった。
    天使B  ねぇ、おばさん。
    西澤  ん?
    天使B  家族が居なくなるって、どんな気持ち?
    西澤  なんだい、突然。
    天使B  オレらには分かんないからさ。旦那さんが居なくなったとき、どんな気持ちだった?
    西澤  そうだね。こればっかりは味わってみないと分かんないけど……

     西澤、少し考え、

    西澤  速見が死んで自分だけ生き残ったら、あんたはどう思う?
    天使B  …………。
    西澤  ま、出来るなら二度とあんな想いはしたくないね。
    天使B  そっか……

     そう言って去ろうとする天使B。

    西澤  もういいのかい?
    天使B  うん。ありがとう。
    西澤  …………。

     天使B、去る。
     入れ替わりに天使C。
     西澤の存在を見とめると、気付かれないよう家に入っていこうとする。

    西澤  アオイなら居ないよ。今日は遅くなるからね。
    天使C  別に……あのコに会いに来た訳じゃないし。
    西澤  なら何しに来たんだい。
    天使C  仲間に会いに。新しく来た彼女、元気ないじゃない。ほっとけないの、性格的に。
    西澤  やめときな。余計なお世話だよ。
    天使C  あなたには関係ないでしょ。天使どうしの話なんだから。

     西澤の嘲笑するような声。

    天使C  ……なによ。
    西澤  笑わせるね。宿主も決めないで、何が天使だ。
    天使C  …………。
    西澤  このままだったらどうなるかくらい、あんただって分かってんだろ? いい加減、腹を決めたらどうだい。
    天使C  ……あなたに言われたくない。
    西澤  なに?
    天使C  天使を辞めたあなたに、言われる筋合いなんかない。
    西澤  そうかい。そりゃ悪かった……
    天使C  …………。

     沈黙。

    西澤  アオイはがんばってるよ。
    天使C  え。
    西澤  宿主としちゃあ十分なくらいなのに、何が気にいらないのかねぇ。
    天使C  気にいらないとかじゃない。あのコはまだ、
    西澤  あんたのことを言った訳じゃない。ひとりごとだよ。
    天使C  ……意地が悪いのね。だから話したくないの……
    西澤  ま、誰だって迷いはするさ。悩みもすりゃ苦しみもする。天使も人間も。私は力を貸すつもりだよ。相手が誰だろうとね。
    天使C  …………。
    西澤  それで、どうすんだい?
    天使C  ……何が?
    西澤  アオイがそこまで来てるよ。

     アオイが現れる。

    アオイ  あれ、おばさん。ただいま。
    西澤  ああ、おかえり。
    アオイ  なに。待っててくれたの?
    西澤  庭の様子を見に出ただけだよ。
    アオイ  ね、ご飯まだある? 昼から食べてなくてさ。めっちゃお腹空いてるの。
    西澤  忙しくてもちゃんと食べろって言ってんだろ。
    アオイ  それがなかなかさ。さぁて、ごはんごはん。ただいまぁ。

     そう言って家に入っていくアオイ。
     ふたりの様子を見ていた天使C。
     西澤が声をかける。

    西澤  入らないのかい?
    天使C  …………。
    西澤  私ゃ冷えちまったから行くよ。やっかいだねぇ、人間のカラダってのは。

     家の中からアオイの声。

    アオイ  おばさん。どうしたの?
    西澤  なんでもない、いま行くよ。

     去っていく西澤。
     ひとり佇む天使C。

     暗転。

    Scene 7.

     昼、リビング。
     天使Aが横たわる。
     これまでとは違う様子。
     目を覚ます天使A。
     立ち上がろうとするがうまくいかない。
     しばらくの間、自由のきかないカラダをなんとかしようとする。
     寝起きの様子の鴻坂が入ってくる。

    鴻坂  ……誰?
    天使A  …………。
    鴻坂  えぇと……

     黙ったまま対峙するふたり。

    鴻坂  もしかして……新しいひと……?
    天使A  ……あ、
    鴻坂  …え?
    天使A  私……その……
    鴻坂  …………。

     続く言葉を待つ鴻坂。
     だが天使Aは言葉がうまく出てこない様子。
     そして突然、力が抜けたようにその場で崩れ落ちる。
     思わず駆け寄る鴻坂。

    鴻坂  ……大丈夫?
    天使A  …………。
    鴻坂  ……えぇと……僕じゃ分からないから……いま家主さん呼んで、

     天使Aが鴻坂の腕を掴む。

    鴻坂  …え、なに?
    天使A  カラダ、
    鴻坂  ちょっと。
    天使A  触らせて、
    鴻坂  ねえ、ちょっと、
    天使A  お願い、

     強引に鴻坂のカラダに触れようとする天使A。

    鴻坂  ちょっと、待ってってば、
    天使A  カラダ、
    鴻坂  止めてくれる?
    天使A  分かるから、
    鴻坂  ねえ、ちょっと。(奥に向かい大声で)おばさん!
    天使A  お願い!
    鴻坂  止めてってば。おばさん。おばさん!

     西澤が入って来る。

    西澤  どうしたい?
    鴻坂  すみません、このひと……
    西澤  え。

     西澤、天使Aの姿を見とめ、

    西澤  ああ、言ってなかったね。私の姪なんだ。
    鴻坂  …え。
    西澤  ちょっと体が悪くてね。預かることになったんだ。
    天使A  おばさん、

     天使Aを抱きかかえる西澤。

    西澤  大丈夫だよ。(鴻坂に)すまないね、驚かせて。
    鴻坂  いえ……
    西澤  (天使Aに)あんたも落ち着きな。自分がどこにいるか、分かってんだろ?
    天使A  (頷く)
    西澤  悪いけど、しばらく抜けてくれるかい。このコ、まだ動揺してるから。
    鴻坂  ……はい……
    天使A  …………。

     鴻坂、出て行く。
     泣き出す天使A。

    天使A  おばさん、私、
    西澤  言わなくていい。まあ、なっちまったもんは仕方がないさ。
    天使A  私、カラダ、
    西澤  ああ。しばらく不自由するけど、そのうち慣れる。なに、ちょっとの辛抱さ。
    天使A  違う、
    西澤  違うって、何が?
    天使A  あのひと、触っても……
    西澤  ……あんたはもう人間なんだ。前みたいに心を交わすことは出来ないよ。

     息をのんで固まる天使。

    西澤  大丈夫、そのうちちゃんと喋れるようになる。安心おし。追い出しゃしないよ。ウチに居て、ゆっくり慣れていけばいい。人間のことは私が教えてやるから。
    天使A  …………。

     そして、ふたたび泣き出す。

    西澤  ……大きな赤ん坊だね、こりゃ……心配しなくていい。大丈夫。

     天使Aをなだめる西澤。
     奥で電話が鳴る音がする。

    西澤  鴻坂さん、居るかい? 電話、出ておくれ。
    鴻坂  (声のみ)はい、いま。
    西澤  ただ、これまでとはもう違うからね。天使にはない辛いこともたくさんある。でもあんたが望んだことだろ?
    天使A  (黙って頷く)
    西澤  だったら何が起こっても、挫けずに頑張んな。大丈夫、私がそばに居るから。
    天使A  …………。

     鴻坂が勢いよく入ってくる。

    鴻坂  ……おばさん、
    西澤  どうした?
    鴻坂  アオイさんからで、速見さんが………

     転換。

    Scene 8.

     どこか遠く、おそらくは天使たちだけの場所。
     ひとり佇む天使C。
     天使Dが現れ天使Cに話しかける。

    天使D  ひさしぶり。
    天使C  え。
    天使D  どう、元気にしてる?
    天使C  どうしたの?
    天使D  ここに来れば会えると思って。なに、また考えごと?
    天使C  ううん、別に。
    天使C  おばさんたちは? どうしてる?
    天使C  まあ、元気なんじゃない。彼は相変わらず。そう、また新しいコが入った。
    天使D  へぇ、楽しそう。それであなたは? もう宿主、決めた?
    天使C  それがなかなかさ。
    天使D  彼女は?
    天使C  アオイ? ま、いい線行ってるけど、まだまだ。
    天使D  そっかぁ。いいコだと思うのに……
    天使C  それでそっちは? 順調?
    天使D  あ、そうだ……んとね。
    天使C  どうかした?
    天使D  ごめん。
    天使C  え、
    天使D  私、先行くね。
    天使C  どこに?
    天使D  だから消えるの。たぶんもうすぐ。
    天使C  待って、それって、
    天使D  ごめんね。
    天使C  だって……うまくいってるって言ったじゃない? いい役もらえて仕事も増えたって、結婚しても順調だって。
    天使D  それがさ。やっぱ子供が欲しいんだって。
    天使C  え。
    天使D  彼女もいい歳じゃない。バレエ続けるにはブランクも大きいし。だからもう、辞めちゃうみたい。
    天使C  みたいって、あなたの宿主でしょ? きちんと話したの?
    天使D  そりゃもう、何回も話したよ。ここまで来たんだから頑張ろう、子供が出来ても辞める必要ないって。それこそ気が遠くなるくらい。でも彼女だって、昨日今日思いついた訳じゃない。ずっと前から考えてたことだしさ。
    天使C  でも消えちゃうんだよ? ここまで一緒に来たのに。
    天使D  そりゃ私だって、もっと一緒に居れたらいいなって思うよ。でも彼女が考えて、彼女が決めたことだもん。私もようやく覚悟出来たし。
    天使C  …………。
    天使D  だから、今日でお別れ。いままでありがとね。
    天使C  どうして…?
    天使C  え。
    天使D  宿主が諦めたら、消えちゃう。諦めなくたって怪我したり、周りの人間に振り回されて辞めてくひとだっている。そんな理由で消えてくって……
    天使D  消えるのがイヤ?
    天使C  そうじゃない、私は、
    天使D  決めるのが、怖い?
    天使C  …………。
    天使D  ……そうだよね。このひとって決めたら、もうそのひとだけだもん。私もさんざん迷ったし。おまけに決めたら決めたで、やってらんないことだっていっぱいあるし。泣いてたら慰めて、落ち込んでたら励まして、迷ってたら背中を押して。ホント、手間がかかるったらありゃしない。
    天使C  …………。
    天使D  でも、知ってる? 人間がね、一生懸命になってるときってきらきらしてるんだよ。見た目じゃなくて、こころの話。泣いたり落ち込んだりするでしょ。それでもがんばって、レッスン続けて、舞台に立って、客席から拍手浴びて。そんときのこころに触ると、すんごい気持ちいいの! それだけで「天使やっててよかった」って思えるくらい。
    天使C  分からないよ、そんなこと。
    天使D  そりゃ私だって、やっと分かったことだもん。天使なんて、最初は苦労だけだと思ってた。でも彼女のそばに居てこの気持ちを味わえるなら、幸せだって思えるようになった。だから私は、彼女を選んだこと後悔してない。彼女と一緒でよかったって、ホントに思ってる。
    天使C  …………。
    天使D  あのコなら、いい母親になれると思うんだ。そんで子供から手が離れたら、きっとまた新しいこと始めると思う。そしたらぜったいがんばって、がんばってる彼女のこころに誰かが触って、その天使が私と同じ気持ちになって……
    天使C  …………。
    天使D  そうだ。ねぇ、スゴいこと考えたの。聞いてくれる?
    天使C  なに…?
    天使D  私が消えるでしょ。そいで、もう少ししたら彼女の子供が生まれるでしょ。そしたらそれはね、その子供はね………私なの! ねぇ、これってスゴくない?

     嬉しそうに語る天使D。
     悲しみをこらえ、必死で笑顔を作る天使C。

    天使C  だといいね……
    天使D  ね、ステキでしょ。
    天使C  うん……

     静寂。

    天使D  大丈夫。いい宿主、見付けてね。消えちゃう前に。
    天使C  …………。
    天使D  じゃあね。

     振り返らずに去っていく天使D。
     天使Cが彼女が去った方を見る。
     だが天使Dの姿はもうない。

     転換。

    Scene 9.

     サーキット。
     通過していくマシンのエンジン音。
     舞台の片隅に清水。
     原稿を読み上げる。

    清水  「予選当日は晴天に恵まれた。気温二十二度、湿度五十六パーセント。路面コンディションは良好。十三時、予選開始。何台かのマシンがいちはやくタイムアタックを試みる中、速見は静かにピットで待機する」

     肩に手を置き心を交わす天使Bと速見。
     速見を撮影するアオイ。

    天使B  初めてのマシンなんだから、気負わなくていい。昨日でだいたいのタイムは分かってる。みんなだってそれくらい、
    速見  もう検査の結果、出てんのかな……
    天使B  …………。

     おもむろに白い封筒を取り出す速見。

    速見  「何かあったら渡してくれ」なんて、縁起でもねえ……
    天使B  ……まだどうなるか、分からないんだ。いまはレースに集中しよう。みんなのためにも、
    速見  遺言じゃあるまいし……
    天使B  …………。
    アオイ  ねえ?

     アオイが速見に声をかける。
     肩から手を離す天使B。
     そこに天使Cが現れる。
     天使Bは彼女に気付かない。

    アオイ  ねえってば。
    速見  (顔を上げて)え、なに?
    アオイ  どうしたの、ぼうっとして。
    速見  いや、ごめん。考え事。
    アオイ  もう少し上向いてくれる? ありがと……(写真を撮りながら)ふうん……そんな顔するの、初めて見た。
    速見  どんな?
    アオイ  え。
    速見  オレ、いまどんな顔してる?
    アオイ  ……もしかして、何か迷ってる?
    速見  いや……
    アオイ  なら私の勘違い。ごめんね。
    速見  …………。

     ひとしきり写真を撮り終えたアオイ。

    アオイ  じゃあ、私行くね。
    速見  もういいの?
    アオイ  今日はいいところで撮りたいから、早く行って場所取らないと。
    速見  どこ?
    アオイ  最終コーナー。まかせて。いままででいちばんいい写真撮ったげる。
    速見  おう。
    アオイ  じゃあ、がんばってね。

     黙って手をあげる速見。
     アオイ、去っていく。
     天使B、天使Cに気付き、

    天使B  ……来てたんだ。
    天使C  うん。
    天使B  彼女、がんばってるでしょ。
    天使C  そうみたいね。
    天使B  チームのみんなにも頼りにされてるし、彼女も気持ちよく写真撮ってる。
    天使C  …………。
    天使B  本人はいろいろ考えてるみたいだけど、ここでは迷わずにいい仕事してるよ。
    天使C  それくらい、見れば分かる。
    天使B  え。
    天使C  あ……ごめん。
    天使B  ……どうかした?
    天使C  ううん、別に。
    天使B  …………。

     マシンが通過する音が響く。

    天使C  ……ねえ。
    天使B  なに?
    天使C  あなたはどうして、あのひとを宿主に決めたの?
    天使B  どうしたの、いきなり。
    天使C  別に……聞いてみたかっただけ。
    天使B  そうだな……あんまり考えたことないけど、でも……
    天使C  でも?
    天使B  「こいつのために何かしてやりたい」って、思ったのは確か。
    天使C  ふうん……

     去ろうとする天使C。

    天使B  帰るの?
    天使C  アオイのところ。ひとりで撮ってるところも、見ておきたいから。
    天使B  …………。

     天使C、アオイと同じ方向へ去っていく。
     速見の携帯が鳴る。
     少し待って携帯を取る速見。
     電話に向かって小声で話す。

    速見  ……もしもし……………………ああ……うん……

     彼の肩に手を置く天使B。
     電話を切る速見。

    速見  「もう意識は戻らない」って……ホント、遺言じゃねぇか……
    天使B  走る気がしないなら今日は無理しなくていい。次のレースでまたチャンスは、
    速見  店だって、お袋ひとりじゃやってけないだろうし……
    天使B  ……なら、今回で終わりにする?
    速見  …………。
    天使B  みんな待ってる。走るなら早くしないと。
    速見  …………。
    天使B  それとも、もう走りたくない?
    速見  …………。
    天使B  速見……速見……?

     天使Bの呼びかけに応じない速見。

    天使B  何か言ってくれよ。じゃないとオレ……どうしていいか、分かんないよ………

     肩から手を離し、うなだれる天使B。
     マシンが通過する音、そしてスタンドからの歓声。

    清水  「ゼッケン1、ディフェンディングチャンピオンのタイムアタック。二位以下を大きく引き離しての暫定一位。タイムを告げるアナウンスにスタンドが湧きあがる」

     コースとスタンドを見やり、速見がつぶやく。

    速見  ……一度でいいから、あんな走りしてみたかったな……一週だけでいい……何もかも忘れて……
    天使B  それが、本当の気持ち……?
    速見  ……………。

     目を閉じて、薄い笑みを浮かべる速見。

    天使B  ……分かった。

     再び彼の肩に手を置く天使B。
     速見の表情が変わる。
     ピットに向かい大きな声をあげる。

    速見  マシン、スタンバイ出来てる? コースは? オッケー、すぐに出る!

     そしてまた原稿を読む清水。

    清水  「新しいマシンを駆ってピットレーンを飛び出していく。最初の周回は後半まで流す。他のマシンを追いやり、最終コーナーを立ち上がる。シフトを上げアクセルを開く。スピードに乗ったマシンがコントロールラインを通過する。
    速見のタイムアタックが始まる。
    第一コーナー。トップスピードから一気に減速。マシンを大きく傾けコーナーへ傾れ込んで行く。縁石をかすめ瞬時に加速。アクセルを開きシフトを上げていく。
    S字カーブ。小刻みにシフトを変えマシンを揺らし、最短のラインを通っていく。
    第一区間タイム。一位との差、コンマ一八秒。異例のタイムアナウンスにスタンドがざわつき始める。
    中速の第三コーナー、高速の第四コーナー。これ以上はない最適なライン。
    第二区間タイム。一位との差、コンマゼロ八秒。湧き上がるスタンド。
    第五コーナー、ヘアピン。小さな孤を描いてコーナーを抜けていく。バックストレート。マシンは再びトップスピードへ。
    第三区間タイム、差はコンマゼロ四。興奮するアナウンス。熱狂するスタンド。リヤタイアをスライドさせ最終コーナーを立ち上がる。目一杯アクセルを開き、コントロールラインを通過する。
    一位との差、コンマゼロ三。暫定二位。喜ぶピットクルー。インカムに向かいポジションを告げ、スローダウンの指示を出す」

     天使Bがふたたび速見の肩に触れ、何かを囁く。

    清水  「マシンが再びコーナーに傾れ込んでいく。二回目のタイムアタック。制止するクルーの声。
    第一区間タイム。一位との差、コンマゼロ五。第二区間タイム。一位との差、コンマゼロ二。スローダウンを叫ぶクルー。だが彼は減速しない。第三区間タイム。一位との差、ゼロ。
    スタンドの熱狂はピークに達する。ゴールまで四百メートル。
    最終コーナー。ほんの一瞬、ブレーキが遅れる。立ち上がりのラインが大きく膨らむ。スライドするリヤタイヤ。必死でマシンをコントロールする速見。タイヤが突然グリップを取り戻す。乗り手を放り出すマシン。アスファルトに叩き付けられる速見。勢いは止まらず芝の上を転がっていく。バリアクッションでようやく止まる。乗り手を失ったマシンが彼のあとに続く。
    声を失うクルー。アナウンスの悲痛な叫び。スタンドが、サーキット全体が、一瞬にして静まりかえる」

     暗転。

    Scene 10.

     夜、リビング。
     舞台上には西澤、鴻坂、天使A。
     そこへ天使Cが現れる。
     彼女の様子を見て、西澤が天使Aに告げる。

    西澤  ……あんた。
    天使A  え、
    西澤  今日は疲れたろ。もう休みな。
    天使A  でも、
    西澤  分かってる。ゆっくりおやすみ。
    天使A  ありがとう……
    天使C  …………。

     たどたどしい足取りで出て行く天使A。
     天使Cは部屋の片隅へ。
     外からアオイと速見の声が聞こえる。

    速見  ホント平気だっつってんだろ。
    アオイ  いいから、つかまって。(大きな声で)鴻坂さん、ちょっと手ぇ貸して。
    速見  大丈夫、ひとりで歩けるって。

     慌てて声のほうへ向かい、出ていく鴻坂。
     天使Cも心配そうな表情。
     玄関と思しき場所で話す三人の声。

    鴻坂  大丈夫ですか。
    速見  ま、腕はこんなだけど、歩くのは平気。
    アオイ  何言ってんの、足だって怪我してんのに。
    速見  ただの捻挫だって。お前ホントしつこいね。
    アオイ  鴻坂さん、そっちお願い。
    鴻坂  はい。
    アオイ  せえの。
    速見  (笑って)だから、大袈裟だっつうの……

     三人、入ってくる。
     両脇をふたりに支えられているが、
     なんとかひとりで歩いている様子の速見。

    アオイ  (西澤に)ただいま。
    西澤  おかえり。大丈夫かい。
    速見  すんません、心配かけて……
    西澤  とりあえずこっち座んな。

     西澤、速見をソファーに促す。
     速見に手を貸すアオイと鴻坂。

    速見  いつつ……
    アオイ  ほら、やっぱ痛いんじゃん。
    速見  そりゃ立ったり座ったりは来るんだって。よいしょっと……

     ようやく腰を据える速見。

    アオイ  何か飲む?
    速見  ん、じゃビール。
    アオイ  ビールって、怪我してるのに。
    速見  別に病気じゃないんだから。喉乾いてんだよ。
    アオイ  だって、
    速見  いいから早く持ってこい。あとツマミも。
    アオイ  ええぇ。
    速見  腹減ってんだよ。お前だって昼からなんも食ってないだろ。
    アオイ  ………。

     しぶしぶと出て行くアオイ。
     深く息を吐く速見。

    西澤  右腕かい。
    速見  ああ、靱帯やっちまって。切れてないから手術の必要はなかったけど……しばらくはバイトも無理かな……
    西澤  足、見せてみな。
    速見  え、平気だって。
    西澤  いいから見せな。

     速見のズボンの左裾をまくり上げる西澤。
     速見が声を出して痛がる。

    西澤  腫れてんじゃないか。医者に言わなかったのかい?
    速見  いや、その……めんどくさかったから……それよか腕のほうがさ、
    西澤  バカだね。左足だって大事なんだろ。鴻坂さん、氷。洗面所の戸棚に氷嚢の袋入ってるから。
    鴻坂  はい。

     鴻坂、急いで出て行く。

    西澤  ……それで、どうなんだい。レースのほうは。
    速見  ん、ああ……一回2位までいったんだけど、オレがコケたあとワークスの連中がいいタイム出しやがって。転ばなくても6位スタートだって……まあ、オレにしちゃがんばったほうだけど。
    西澤  そうじゃなくて。
    速見  ん?
    西澤  この先だよ。また走れんのかい。
    速見  ……全治二ヶ月。リハビリも考えたら、今シーズンは厳しいかな……
    西澤  …………。

     少し前に戻ってきた鴻坂。
     速見にビールを渡す。

    鴻坂  ……氷はアオイさんが。
    速見  ああ、サンキュ。

     鴻坂、ビールを開けて速見に手渡す。
     喉へ流し込むように飲む速見。

    速見  ぷはぁ……生き返るな。よかったら鴻坂さんも、どう?
    鴻坂  いえ……
    速見  そんな、暗い顔しないでよ。たいしたケガじゃないんだから。
    鴻坂  すみません……
    速見  ん?
    鴻坂  こんなときに、何も出来なくて……
    速見  ……よくないよ、それ。
    鴻坂  え、
    速見  鴻坂さんまでそんな気にさせたら、オレ、ただのケガ損じゃん。
    鴻坂  …………。

     そう言って笑う速見。
     アオイが氷嚢を持って駆け込んでくる。

    速見  (氷嚢を見て笑い)なにそれ、ツマミ?
    アオイ  やっぱり腫れてんじゃない。言ったでしょ、痛いところ全部診てもらわないとって。
    速見  だからぁ、たいしたことないんだって。
    アオイ  何言ってんの、こんなに腫らして。
    速見  それでお前、ツマミは?
    アオイ  それどころじゃないでしょ。
    速見  だぁら、腹減ってんだっつってんだろ。
    鴻坂  あの、僕が作ります。
    速見  …鴻坂さん、料理出来るの?
    鴻坂  たいしたものは出来ませんけど。だからアオイさんは、速見さんお願いします。
    速見  ……ありがと。
    西澤  台所は不慣れだろ。私も行くよ。
    鴻坂  すみません。

     ふたり、出て行く。
     無言のまま氷嚢を押さえるアオイ。

    速見  あぁあ。お前が作ってくんねぇから、鴻坂さん代わりに行ってくれたんだぞ。ちゃんと礼くらい……
    アオイ  …………。

     黙り込むアオイ。
     速見が彼女の顔をのぞき込む。

    速見  ……泣いてんの?
    アオイ  だって、怖かったんだよ……ずっと動かなくて、救急車まで来て……
    速見  ……ごめん。
    アオイ  …………。

     座り込んだアオイの頭を軽くなでる速見。

    速見  ……なあ……
    アオイ  なに?
    速見  写真、見たいんだけど。
    アオイ  ……いい。
    速見  え。
    アオイ  いい、見なくて。
    速見  見なくてって、お前、
    アオイ  見せたくない。
    速見  あのさ……もし転倒したとこ撮ってんなら、気にしなくていいから。写真見たらコケた理由、分かるかもだろ? 次またおんなしミスしないように、見ておきたいんだ。
    アオイ  …………。

     アオイ、しぶしぶとカメラを取り出し速見に渡す。

    速見  サンキュ……(モニターを見て)良く撮れてんじゃん。

     カメラを操作してつぶやく速見。

    速見  ……これか……すんげえスリップマーク付いてんじゃん……ダッセぇコケかた……そっか……ブレーキ遅かったな……ダセぇなぁ……

     ひとりつぶやきながら転倒の写真を眺める。
     アオイが突然、カメラを奪う。

    速見  ……何すんだよ?

     無言でカメラを操作し始めるアオイ。

    速見  おい、何すんの。
    アオイ  ……消す。
    速見  は、
    アオイ  こんな写真、見なくていい。
    速見  ちょ、止めろよ。
    アオイ  消す。
    速見  止めろ。
    アオイ  やだ。
    速見  消すなって。
    アオイ  いいから、消す。
    速見  (大きな声で)止めろってば!
    アオイ  ………。

     速見の声に驚いて手を止めるアオイ。

    速見  ……ごめん……怒ってるわけじゃない。たださ……いつか言おうと思ってたけど……お前がいい写真撮ってくれるのは、オレも嬉しいよ。けどレースってそういうもんじゃないんだよ。転倒はつきものだし、事故も起きれば怪我もする。下手すりゃ死人だって出る。そういうの分かってないなら、もうレース撮るの、辞めたほうがいい。
    アオイ  でもあんなこと起きてたのに。私、何も考えないで、シャッター切って……
    速見  ……そんだけお前にプロ意識があるってことだろ。いいことじゃん。
    アオイ  …………。

     黙ったままのアオイ。
     速見、少し考えて、

    速見  ……あのさ、手ぇ貸して。
    アオイ  ……何するの?
    速見  ん……なんていうか、その…………トイレ。

     アオイが小さく笑う。

    速見  笑うな、バカ。
    アオイ  だって……
    速見  別に手伝えってわけじゃねぇからさ。ドア開けて、背中支えてくれれば、
    アオイ  行こ。
    速見  え。
    アオイ  だからトイレ。行こ。
    速見  ……ん。

     アオイの手を借りて立ち上がる速見。
     ふたりで奥へ向かう。

    速見  なあ。
    アオイ  なに?
    速見  覗くなよ。
    アオイ  ……バカ。

     ふたり、出て行く。
     天使Bが肩を落とした様子で入って来る。
     部屋の隅に座り込む。
     天使Cは声をかけようとするが、言葉が見付からない。

    天使C  …………。

     少し前に入ってきた西澤。
     天使Cは西澤のほうを向いて彼女に声をかける。

    天使C  ……ねえ。私、どうしたらいい?
    西澤  なんだい。珍しく弱気だね。
    天使  あのコ、必死で写真撮ってた。でもいま自分を責めてる……
    西澤  それが、どうかしたかい?
    天使C  え、
    西澤  アオイはあんたの宿主じゃないんだろ。余計な気ぃ回さないで、いつもみたいに傍観してりゃいいんだよ。
    天使C  そんな言い方、
    西澤  気に障ったかい。悪いけど、謝るつもりはないよ。いままで遠巻きに見てたくせに、こんなときだけ心配するなんてムシのいい話だからね。
    天使C  …………。
    西澤  あのコはずっとひとりで頑張ってきんだ。それくらい、あんただって知ってんだろ。そのアオイが揺らいでる。だったら自分が何をすりゃいいかくらい、言われなくても分かるんじゃないのかい?
    天使C  …………。

     天使C、何も言わずに出て行く。
     入れ替わりに速見が戻ってくる。

    西澤  アオイは?
    速見  ああ。あいつも疲れてるから、先に寝かせた。
    西澤  あんたは。
    速見  平気。腹も減ってるし。そう、鴻坂さん。大したモン作れないとか言ってすごいの作ってる。
    西澤  なに?
    速見  ビーフシチュー。「ケガなら栄養付けたほうがいい」だって。

     速見、足を引き摺りながらソファーへ。
     西澤の手を借りて再び座る。

    速見  ありがと……よいしょっと。
    西澤  それで、どうすんだい。
    速見  何?
    西澤  しばらくバイクにゃ乗れないんだろ。
    速見  まあ、ケガさえ治りゃバイトは出来るだろうけど。ただ……
    西澤  ただ?
    速見  レンタルのマシン、壊しちまったからなぁ……修理代もバカになんないし……
    西澤  …………。
    速見  みんなはさ、「金のことは心配すんな、来シーズンがんばりゃいい」って言ってるけど……
    西澤  親父さんは? どうした?
    速見  ……ああ……

     胸ポケットから便せんを取り出し、西澤に見せる。

    速見  親父も考えてたんだな……「店つぶして、バイク屋でもやればいい」だなんて。
    西澤  …………。
    速見  いちばん利いたのはさ、「お願いだから、母さんのそばにいてやってくれ」ってやつ……参ったよ。あの親父が、そんなこと書くなんて……
    西澤  ……幸いレースにゃ出れないんだ。見舞いに行って、ゆっくり考えな。
    速見  (大きくあくびをして)そうだね……
    西澤  あんたはよくやって来たよ。きっと頑張りすぎたから、カミサマが「休め」って言ってんだ。
    速見  カミサマねぇ……
    西澤  バイトも無理しなくていい。稼ぎがなくても追い出しゃしない。そのあとのことは、それから考えりゃいい。
    速見  うん……おばさん。
    西澤  ん?
    速見  ちょっと、寝る……
    西澤  …………。

     速見、そういった途端に寝入ってしまう。
     顔を伏せていた天使Bが、西澤に声をかける。

    天使B  ……おばさん……
    西澤  なんだい。
    天使B  ……オレが悪いんだ。
    西澤  あ?
    天使B  ピットから止まれって指示が出てた。でも、オレが余計なこと言ったから……
    西澤  ……だからって、あんたのせいってわけじゃないだろ。
    天使B  でもオレ、どうしてもこいつのこと勝たせくて……だから……
    西澤  …………。

     沈黙。

    天使B  ねえ……少しだけ、ふたりにしてくれるかな……話がしたいんだ……
    西澤  …………。

     無言で出て行こうとする西澤。
     彼女の去り際に天使Bが声をかける。

    天使B  おばさん……
    西澤  なんだい。
    天使B  ……いままで、ありがとう。
    西澤  ……ああ。

     西澤、出て行く。
     天使Bが速見のそばに近寄る。
     深く息をつく天使B。
     触れることもないまま、速見に語りかける。

    天使B  速見……
    速見  …ん…
    天使B  ……痛む?
    速見  ああ……いや、痛みはそんな酷くないけど。ただ……やっちまったな……
    天使B  ごめん……オレが余計なこと言ったから。
    速見  (笑って)そうじゃねえよ。オレも欲が出たんだよ。やめときゃいいいのに、ポール取れるんじゃねぇかって、ハシャいじまった。
    天使B  でもオレが、
    速見  あのさ。実際、バイク乗んのはオレだろ? 結局オレが下手クソだったってことだよ。調子にノリ過ぎたんだな。最終コーナーだって、あんな無理して突っ込むことなかった。
    天使B  …………。

     返す言葉がない天使B。
     明るい声で話を続ける速見。

    速見  はあ、気持ちよかったなぁ……今日みたいなタイム出し続けりゃ、ポールどころか優勝も見えてくんじゃん? ポイントがんがん稼いでさ。そうすりゃ来シーズン、ランク入りも夢じゃねえよ。
    天使  ……いいよ。
    速見  そしたらスポンサーも増えるしさ。もうバイトなんかしなくていい。チームにも金が入るし、みんなにだって少しずつ、
    天使B  いいよ、もう。

     速見の言葉を遮る天使B。

    速見  …………。
    天使B  もう、無理しなくていい。分かってる……分かってるから……
    速見  ……そっか……そうだよな……

     沈黙。

    天使B  ……オレさ……
    速見  なに…?
    天使B  ……オレ……お前のこと、選んでよかった……
    速見  ああ……オレも、お前が居てくれてよかった……お前と一緒で、すげえ楽しかった……
    天使B  …………。

     ふたりの間を静かな時間が流れる。

    天使B  ……じゃあな。
    速見  ああ……

     短い暗転。
     再び灯りがともると天使Bの姿は無い。
     代わりに西澤。

    速見  あれ……オレ、寝てた?
    西澤  少しだけね。
    速見  なんか、ヘンな夢見た……
    西澤  どんな?

     考える速見。
     だが思い出すことは出来ない。

    速見  ん……忘れた。
    西澤  寝るんなら部屋で寝な。手ぇ貸すよ。
    速見  うん……

     支えられながら奥へ向かう速見。
     途中で立ち止まり、西澤に声をかける。

    速見  おばさん……
    西澤  なんだい?
    速見  オレ……レース、辞めるわ……
    西澤  …………。

     西澤が速見の肩をやさしく叩く。

     転換。

    Scene 11.

     夜、アオイの部屋。
     アオイと天使C。
     カメラのモニターを見つめるアオイ。
     天使Cが彼女に歩み寄り、語りかける。

    天使C  あなたはその写真、どう思う?
    アオイ  ……自分がこんな写真撮るなんて、思わなかった……でも……
    天使C  でも?
    アオイ  ……自分が思うものだけ撮ればいいと思ってた……けど……
    天使C  けど?
    アオイ  ……たぶん、撮らなきゃいけないんだと思う。ううん、たぶんじゃなく、きっと……
    天使C  うん……

     アオイに寄り添う天使C。
     そして再びやさしく問いかける。

    天使C  じゃあ、あなたに足りないものって、なんだろう。
    アオイ  ……私、外にも目を向けないと。外の世界も撮らないと……だけど……
    天使C  怖い?
    アオイ  …………。
    天使C  ……そうね。踏み出すのって、怖いものね……

     何かを想う天使C。
     ためらいながらも勇気を持って、アオイのこころに話しかける。

    天使C  ……ねえ。そばに居て、いい? ………私が一緒にいるから……ずっとそばにいるからさ……そしたら……

     いつの間にか、心を決めた表情のアオイ。
     迷いを断ち切り、吹っ切れたような笑顔。
     彼女の顔を見て、天使Cもまた笑みを浮かべる。

     転換。

    Scene 12.

     夜、リビング。
     うたた寝をしてしまったとおぼしき鴻坂。
     テーブルにはスケッチブック。
     西澤が彼の肩に毛布を掛け去っていく。
     天使Aが現れる。
     動きはまだぎこちない。

    天使A  …………。

     鴻坂の体に触れる。
     目を覚ます鴻坂。
     慌てて彼から離れる天使A。

    鴻坂  ……あれ。(肩にかけられた毛布を見て)キミ、かけてくれたの? ありがとう……

     戸惑う天使A。

    鴻坂  ……昼間は、ごめんね……知らなかったから……
    天使A  私も、ごめん。
    鴻坂  え。
    天使A  驚かせて。
    鴻坂  ……ううん。
    天使A  …………。

     天使A、テーブルのスケッチブックを見付ける。

    鴻坂  ……ああ、それ……? なんかしなきゃって思ったんだけど……

     ゆっくりとテーブルに歩み寄る天使A。
     置いてあった筆を手に取る。
     たどたどしくもスケッチブックに絵を描き始める。
     その様子を見つめる鴻坂。

    鴻坂  ……キミのこと見てると……いや、キミにこんなこと言っても、仕方ないけど………

     何かを思い出し、静かに語り出す。

    鴻坂  ……妹がいたんだ。いまはもう居ない。キミと同じで……いや同じって言っちゃいけないか。生まれつき病気で、カラダが不自由で……
    絵を描くのが好きな子だった。体がそんなだから、お世辞にもうまいとは言えなくて。でもいつも楽しそうに絵を描いてた。
    彼女とは一緒によく遊んだ。妹が絵を描いて、僕がそれに話をつけて。彼女がその続きを絵に描いて、僕がまた話をして。そんなことしてるうちに、ふたりで絵本を書くようになった。
    絵本っていっても子供の書くもんだから、話はめちゃくちゃだし、途中でぜんぜん別な話になったりすることもあったけど。でもふたりで一緒に本を作るのは楽しかった。妹も本当に、楽しそうだった。

    でも少し大きくなって、周りと自分を比べたんだ。みんなは放課後遊ぶ約束をしてるのに、どうして僕だけ彼女と二人きりなんだろうって。
    それから妹と離れるまでに時間はかからなかった。夕食に合わせて家に帰るようになって、食事が終わっても、勉強するからって自分の部屋に籠もるようになって。
    でも本当は、彼女が疎ましかっただけなんだ。自分だけが妹と一緒に居なきゃいけないのが、嫌になっただけだった。
    その頃にはもう一緒に絵本を書くことはなくなって。妹もあれだけ好きだった絵を、ぜんぜん描かなくなった。両親には「面倒かけたね」って言われた。僕もそれが、当然だと思ってた。

    でもある日、家に帰ったら妹が居なかった。風邪をこじらせて入院したって聞いた。見舞いに行ったけど、元気そうだったからなんの心配もしなかった。でもそのあとすぐ肺炎にかかって、彼女にはもう会えなくなって……

     天使Aが絵を描く筆をとめ、黙って鴻坂を見つめる。

    鴻坂  悔しくて、仕方がなかった。「どうして彼女のことを避けたんだろう」って、ずっとそのことばかり考えて。しばらくして妹がいないのが当たり前の暮らしになったけど、でも心のどこかでそのときの思いは消えずに残ってて……
    そう……それで絵本を書き始めたんだ。僕が書いた本で、読んだひとが彼女みたいに笑ってくれればって思って。そうすれば妹も、あのときみたいに笑顔で、僕のこと見ててくれるんじゃないかって、そんな気がして……でも、いまはもう……

     そう言って、顔を落とす鴻坂
     天使Aが声を振り絞り、彼に話しかける。

    天使A  ……そんなことない。
    鴻坂  え。
    天使A  ずっと見てる。ずっとそばで、あなたのこと……見てるから……

     言葉に詰まるふたり。

    鴻坂  ……ありがとう……
    天使A  ……………。

     ふたりの間を静かな時間が流れる。

    鴻坂 ……貸して。

     天使Aが持っていた筆を、やさしく手に取る鴻坂。
     そして、スケッチブックに筆を運ばせ始める。
     その姿を嬉しそうに見守る天使。
     鴻坂の顔にも笑みが浮かぶ。 
     微笑み合うふたり。

     暗転。

    Scene 13.

     舞台上には作家と清水。
     打ち合わせとおぼしき風景。
     装丁のデザイン画を広げている。

    清水  では、表1がこちらで、表4はこれ。背表紙は、こちらでいいですね?
    作家  ええ。それで行きましょう。
    清水  裏2と裏3については、私から修正を出しておきます。
    作家  お願いします。キヨタさんによろしく伝えてください。
    清水  はい……良い表紙だと思います。タイトルが引き立ってますし。
    作家  デザインがいいんですよ。
    清水  でも私、何よりもタイトルが好きなんです。「天使たち」。
    作家  そう言ってもらえると嬉しいです……ところで……
    清水  はい?
    作家  その……娘の件なんですが……
    清水  あ、そうだ!

     清水、バックからICレコーダーを取り出し作家に渡す。

    清水  ちゃんと今回も録ってきました。
    作家  ありがとうございます。
    清水  最前列で録音したので、前回より音はいいかと。
    作家  いつもすみません……で、彼女とは話、しました?
    清水  ええ、ほんの少しですけど。
    作家  あの、くれぐれも……
    清水  大丈夫です。奥さまにはお会いしてません。
    作家  「元」奥さんです。
    清水  (笑って)そうでした。
    作家  最近、彼女のチェックが厳しくて……LIINEはもちろん、メールも電話も通じないんです。
    清水  大丈夫です。そこは私が取り持ちますから。そう。コヨミさん、やっと留学先が決まりましたよ。
    作家  どこへ?
    清水  ジュリアード音楽院。ニューヨークです。
    作家  ニューヨーク。ウィーンは止めたんだ… …
    清水  だいぶ迷ったみたいですけど「師事したい先生がいるから」って。
    作家  そっか、もう学校が始まる直前でしょ。決まってよかった… …そうだ、前に渡したゲラは?
    清水  ええ、読み終えたって言ってました。
    作家  よかった……留学に出る前にね、どうしても読んでほしかったんです。
    清水  そうだ。これもお渡ししないと……

     と言って荷物からもうひとつICレコーダーを取り出す。

    作家  演奏会……じゃないですよね?
    清水  コヨミさんが「父に渡してくれ」って。
    作家  え。
    清水  こないだ送ったチェロケース、だいぶ気に入ったみたいですよ。だから、お祝いのお礼がしたいって。
    作家  そっか、嬉しいな……
    清水  それと。
    作家  それと?
    清水  本の感想も入れたって言ってました。
    作家  え……どうしよう……
    清水  どうしました?
    作家  いや、その……彼女の感想が聞くたくて、ゲラを渡してもらったんですけど……その、いざとなると聞くのが怖くて……
    清水  じゃあ返事は、どうします?
    作家  後で聞いて、吹き込んでおきます。それで次回コヨミに渡してくれれば、
    清水  えと、先生。
    作家  なんです?
    清水  コヨミさんのフライト、明日ですよ?
    作家  え、来週じゃなく?
    清水  前回伝えたはずですけど……私は明日、空港まで見送りに行きます。なので、
    作家  なら明日また来てくれます? 明日までに録音して、フライト前に寄ってくれれば、
    清水  朝いちばんのフライトなんで、無理ですね……いまじゃダメですか。
    作家  え、
    清水  いま録音してくれれば、明日渡せますよ。
    作家  いや、でも……ほら、清水さんも今日は忙しいでしょうから……
    清水  私は大丈夫です。このあと社に戻るだけですから、待ってます。
    作家  えぇと……どうしようかな……
    清水  どうかされました?
    作家  …………。

     何かを悩む作家。すると突然、

    作家  清水さん、アイス食べたくないですか?
    清水  え、
    作家  いやあ、なんかアイスが食べたいなぁ……

     といって冷蔵庫を見に行く。

    作家  残念、アイスがない! いやあ、困った。どうしよう……アイス食べたいなぁ……でも忙しいから、買いに行けないし………どうしよう……

     清水、作家の意図を知って笑い出す。

    清水  じゃあ私、買ってきますね。
    作家  (わざとらしく)そんなぁ、悪いですよ。
    清水  お安い御用です。そこのコンビニ、行ってきますね。
    作家  いや、あそこのコンビニ品ぞろえが悪いんですよ。できれば駅の反対側のスーパーがいいなぁ、なんて思ったりして……

     清水、また笑い出す。

    清水  そうだ、私も銀行に寄らないと。そしたら銀行行って、スーパー行って……けっこう時間がかかりますけど、いいですか?
    作家  もちろん! いや、えぇと……すみません……
    清水  (笑いながら)ごゆっくり。

     そう言って出て行く清水。
     彼女が出て行ったのを見届け、ICレコーダーを手に取る作家。
     緊張した面持ちで深く息をつき、スイッチを押す。
     コヨミの声が聞こえる。

    コヨミ  「父さん、ひさしぶり。コヨミです。お祝いありがとう。新しいチェロケース、ずっと買おうか悩んでたんだ。清水さんからもらった原稿も読みました。すんごい面白かったです!
    でもね、いろいろ考えちゃった……ワタシにも天使がいるのかな、とか。
    けど、留学のことで不安いっぱいだったから、元気をもらった感じです。
    ただねぇ……最後が悲しいっていうかなんていうか……あのあとみんなどうなったんだろうってのが気になって……ま、小説だからあれでいいんだけど。でももし、そのあとのお話しがあれば教えて欲しいです。
    うん。ワタシはあっちでも元気でやってくから心配しないで。それじゃあ、またね!」

     ICレコーダーの音が途切れる。
     喜びのような、悲しみのような表情を浮かべる作家。
     レコーダーをテーブルに置き、空を見上げ深く息をつく。
     少しの間ののち、再びICレコーダーを手に取る。
     声の調子を確かめるような咳払い。
     緊張した面持ちでスイッチを押す。

    作家  ……コヨミへ。メッセージありがとう。元気そうでなにより。
    チェロケース、喜んでもらってよかった。でもあれ、ホントは何をプレゼントしたらいいか分からなくて……実は、清水さんが選んでくれました。

     苦笑する作家。

    作家 ……それと本のこと。あなたの感想が聞けて、父さんとっても嬉しいです。でもコヨミが言うように、あの本はあれでお終いです。
    ただ父さんの中には、書かなかったそのあとがあるので、今日はそれを少しだけお話しします。あれから二年たったあと……そう、あなたが日本に帰ってくるころのお話です。

     以下、作家の話とともに登場人物たちが現れる。

    作家  レーサーの彼は、父親を亡くしたあと家に戻り、バイクショップを始めました。はじめは経営も苦しかったけど、レース仲間やファンの間にクチコミが広がって、いまでは順調にお店をやっています。

     作業服を着た速見の姿。

    作家  カメラマンの彼女はアシスタントを卒業して、海外に渡り、貧しい国々を旅しながら、それでも笑顔で暮らしているひとたちの写真を撮っています。辛いこともあるけれど、そんなときには天使がチカラを借してくれるので、なんとか乗り越えてやっています。

     胸にカメラをさげ、大きなバックパックを背負ったアオイ。
     そばには天使C。

    作家  人間になった天使は、カラダに慣れるようになってから必死で絵の勉強をしました。一生懸命がんばって、素敵な絵を描けるようになりました。童話作家の彼も、また本を出せるようになって……いまふたりは、一緒に絵本の制作に取り組んでいます。

     スケッチブックに絵を描く天使A。
     原稿を書きながら、彼女の様子を見守る鴻坂。
     そして西澤。

    作家  おばさんは、いままでどおりです。困っている天使と、天使が宿る人間のために部屋を貸しています。
    おばさんが言うように、天使は特別な存在ではありません。人間と同じで悩んだり苦しんだりします。だから天使たちの物語は、これからも続くでしょう。でも父さんの書くお話は、これでおしまいです。

     速見、アオイと天使C、西澤、
     そして鴻坂と天使Aの姿が消えていく。

    作家  最後にもうひとつ……父さんは、天使がいると信じています。コヨミに天使がいるかどうかは、父さんにも分かりません。
    でもたとえ近くに居なくても、遠く離れた場所から、あなたを見守っている人間がここに居るってことを、忘れないでください。
    それじゃあ、気を付けていってらっしゃい。
    天使が、キミとともにありますように―――。

     暗転。

    〈了〉

     
     
    舞台の脚本や演出を手掛けていました。ここでは新作や旧作の脚本や小説、散文詩、日々の徒然などを記していきます。

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