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骨恥【ほねはじ】

    天気が晴れだとか曇りだとかそんなことが気にならなくなった。
    それほどまでに自分と無関係になったということだろう。
    1日の殆どを布団で過ごし、なんの足しにもならない漫画などをネットで読む。惰性で有り余るコンテンツを消費する。
    もしそれにも何か意味があるのだとしたらどんなに素敵だろう。
    が、側から見たらただ怠けているだけ。
    人間社会に馴染めず落ち込んでまともに飯も食えないなら、
    もう社会としては使い物にならないんだろうきっと。 つまり必要とされていない。無意味。なんならいない方がいいのか。僕いない方がいい…?
    許しをこう。この世界に対して、人間社会に対して、自分がいても良いのか?
    いや是非良いと言ってもらいたい。
    今僕の頭にあるのはそういう願い。
    ただ存在を許されたい そして認められたいという…
    僕が犯してきた罪や沢山の惨めな出来事
    いつか誰かによって暴かれるのか、
    それすらもいつか愛しく思える日が来るのだろうか。
    月夜の岬に座り込み彼は言う
    「僕はいつか幸せになれるかなぁ…」
    ……無理じゃないかな?
    と思いながらもどこか期待を捨て切る事はできない。
    いつか聞いた誰かの言葉
    「引きこもっていてもそこに答えは無い」的なこと
    それが本当なら僕は……  いや、今はそんな事考えない方がいい。

    さっきネットで見たんだけど、
    白くなった舌の汚れを落とすの 歯ブラシじゃ意味ないらしい。
    勝手に流れてきた胡散臭い広告の言うことだから本当かどうかも分からないけど、
    不意に僕は頭の中に思い浮かべた。
    様々な汚い舌を出す人々の顔。
    無邪気に真っ白な舌を出して笑う少年。
    黄ばんだ舌を出して目をひん剥くやつ
    などあと3,4人がフォトアルバムのように頭の中に浮かび上がった。
    嫌な気持ちになった。
    自分の舌が今何色なのか、
    鏡を見にいく気力も無いのできっと暫くは分からぬままだろう。
    白くはなってないと思う 何となく。
     時が経つにつれ薄れゆく悲しみ
    結局時間だけが確実に傷を癒していく。
    このままあと5日くらい引きこもればまんまと社会復帰出来そうな気もする。
    10日ほどを無駄にふいにする代わりに、
    元々の比較的健全な精神を取り戻す。
    それにも圧倒的なつまらなさを感じるが
    「社会というのは結局そういうものだ」と
    僕またはつまらない言葉を重ねてしまった。
    ため息の中で生きてる気分。
    元々ため息と共に口から生まれ、ため息を構成する一部だったのかも俺は。

    今までこんな事は何度もあった。から少しずつなれてきたよ。
    毎回心の激痛が僕を動けなくするけど
    これにも終わりが来ることも何となくわかっている。
    そしてまた繰り返すのだ平穏と絶望を。
    ↑これがつまらない。非常につまらない。
    何のための人生 生活?
    そして僕は思った。今思った。
    「抜け道を探すしか無い」
    こうして僕は今文章を書いている。
    それ以外に理由は無いかもしれない。
    ここから抜け出すんだというある意味強い意志
    渇望 這ってでも逃げる ナメクジの如く
    名声を掴もうという。 
    そして願わくば誰か僕の手を掴んでここから引き摺り出してくれぇ

    とどのつまり孤独から逃れたいということ。
    とどのつまり恥ずかしいということ。
    恥ずかしくてしょうがない。 生き恥、
    何でこんなに 重ねてしまった  分からない
    みんなそうなのか? 
    いや明らかに俺だけ異質だと感じる。
    何処へ行っても馴染めず一人でいる俺。
    何故なんだろう。
    割と普通にやってる筈なのにな。
    一人でポツネンといるのは何だか少し恥ずかしさとかもありカッコ悪いような気もして、
    で、それは何故かというと
    きっと本質的に本能的に人間は孤独を嫌悪している から。
    社会性動物として進化してきた人類にとって
    「一人」というのはそれだけで欠陥だと僕も本能的にはそう感じているのかもしれない。
    一人よりも何人かで大勢でいる方が強い。
    それが当然の事実として僕の頭にも刷り込まれていたのか。
    じゃあ孤独から抜け出すためには結局何をすれば良いのだろう。色々試したよ。
    でもどうやらどれも僕には向いてなかったみたいだ。
    いやぁお恥ずかしい みんなごめん。

    世間の間で有名な芸能人 強烈に憧れる。
    そんな彼らにも今の僕の様な辛い時代があったらしい。
    でも彼らは乗り越えたんだな。 
    具体的に何をどうしたのかは知らないが、
    とにかく諦めなかった。 すごいことだと思う。
    最近幾人かの芸能人の伝記みたいな本とかを読んでそれに自分を重ねている。
    無理矢理重ねている そして思い込む
    いつかは自分もサナギからチョウになると。
    いつかは全てが好きになる。
    いつかは誰もが自分に憧れる。 
    夢を見るのは自由なことで、
    たとえ馬鹿にされても自由は自由なままであり続けると思う。
    でも僕にはもうあまり時間が無いのだ……。
    少なくとも今の時代では年取ると共に希望も未来も失いゆく定めだと感じている。
    いや本当は別にそんなこと無いけどメディアなどによってそう思わされてるのかもしれない。
    でも僕が無理矢理顔を上げて見た未来は真っ暗だった。

    警備員の研修を終えて明日で一週間。未だ何の連絡も来ない。
    こっちから連絡した方が良いのだろうか。
    もしかしてもう既に戦力外扱いされてるのか?
    分からないがなんか怖い。
    根底に「働きたく無い」という大いなる気持ちがあるのは事実だが、無職を続けるとあまりロクなことにならないのも知っている。
    でも今はとても働こうなんて思えない。
    時間は無情に過ぎていく。
    だからどうにかして時間を止めたいと思う。 
    が、言ってしまえばそれは妄想の延長の様な願いであり、ほぼ不可能だとも思う。
    「時間だけはみんな平等だ。」
    それを良いことにこの人間界は時間を基準にして大体の物事を決めるから、
    この前思ったのは時間の感覚が優れているやつ、
    つまり時間と友達なやつがこの現代社会においては圧倒的に有利なのでは?
    ということ。 
    体の中に時計を飼っている様なやつ
    こそが優秀とされ、世の中で上手くやっていけるのでは?、と考える。
    個人的にはそれは気に食わないので、どうにかして時間の概念を変えたい。
    ・宇宙に行く
    僕はあんまりよく分かってないんだけど、
    宇宙だとなんか時間の感覚が変わるらしい。
    あと宇宙には時計も無いので時間など気にならなくなる筈だ。
    ・時計を無くす
    この世の全ての時計を止めたとしても時間を止める事はきっと出来ないだろう。
    そんな事をしても時間を軸に生きている多くの人類が困るだけ。
    ただ時計というものがなくなればきっと今ほど時間なんて気にならなくなるだろう。
    だからまず時計というものを片っ端から駆逐していく事が時間を止めることの第一歩なのかもしれない。

    16才の冬、作曲という名の魔法をさずかった。
    その時から音楽の概念が大きく変わり始めた。小学生の頃はみんなが音楽の話題になるとついていけない程だったが、
    気がつけば周りの人よりも明らかに詳しくなっていた。
    ねぇ神様、この出会いはつまりどういう事ですか? 僕にアーティストになれと?
    10代の頃は一人で自室でひたすら黙々と曲を作って悩んだりしていた。
    今思えば輝いていたと思う。
    そんな音楽も、やがてはまるで昔のおもちゃの様に押し入れなどに片される定めなのだろうか。
    つまりただの道楽でしか無かったのか。
    最近は音楽など聞いても感動すらしなくなった。もう終わりですか?……     きっと
    僕の中の何かが死んだ。 人知れず居なくなった。
    ねぇ、もし僕がこれからもっと本気で音楽に命を費やすならば今からでも帰ってきてくれるだろうか?
    あの頃感じた凄まじい感動。狂信。それはあまりにも痛々しくってそれでいて無邪気だった。
    …今まで幾度となく僕に「終わり」が来た。
    この前も来た。そして今落ち込んでいる。
    俯瞰してみればそれはまるで波の様。
    定期的に訪れる「終わり」という名の波。
    もう嫌だと思った。
    それを乗り越えるために必要なのはきっと何かを信じるということ。
    そして僕の場合それは迷いなく「音楽」だと思った。
    音楽は自由だったから。いつほったらかしても信じてみてもただそこにあるだけ。
    ねぇ、もしかしたらだけど
    音楽さえあれば他には何も要らなかったのではあるまいか。本当は この僕には。
    その時頭ん中でバッハのあの曲が流れ始めた。
    何回も聞いてるのにタイトルは外国語だから一向に分からない。ただバッハの曲という事は分かる。

    もし透明人間になれたらどんなに良いだろうか。
    僕は長年透明人間に憧れ続ける。それを周りに知られたらどう思われるか、僕は分からないが、
    結構本気でなりたいと思っている。
    透明人間こそがすなわち自由そのものだと思う。
    透明人間になれたらきっと世界は変わる。
    誰からも構って貰えないというデメリットもあるが、そんな事は少なくとも今はどうだって良い。
    優しさなんていらないから、もうこんな気持ちは嫌だ。 輪郭などいらない。
    透明人間になったらまずは女湯で暮らす。
    一日に2回くらい散歩に行くだろう。
    そして人が来ない自分の部屋を見つける。これが結構大変そうだ。それさえ出来たらきっとあとは楽そうだ。
    バレなければ何をやっても良いと僕は思っている。バレなければ傷つけることもない。
    愛されることもないけど、それは致し方ない。
    元々そんなに多くの人に愛されてはいない。
    寂しさと引き換えの大いなる自由。かなり良いと思う。
    「透明」という言葉の響きも好き。
    それを言うならやがて僕も死を経て透明になれるのだけども。
    ⚪︎透明人間の一日
    外に出てみると見えないパンティーが道に落ちていた。 勿論速攻で拾って……ってバカ、見えないんだから無いものと同じじゃねーか。
    午前11時頃、詳しくはわからないでっかい和風の城の頂上を目指してロッククライミングを開始する。
    石垣から地道に登っていく。
    途中で壁に張り付いていた虫と目が合う。
    なんとか天守閣まで登ったら屋根にくっついてる金色の鯱鉾を1つもぎって、
    代わりに僕が身体を逸らして片方の鯱鉾の代理を務めてみた。
    これが今日僕がやりたかった事である。
    鯱鉾の気持ちは鯱鉾をやってみないと分からない。(そもそも鯱鉾の気持ちを知りたかった訳じゃないし、こんな事をしてもバイト代は出ないが)
    とても爽快で充実感があったが、
    体勢が辛いのですぐにやめて
    普通に座って遠くを眺めた。 
    大変だなと思った。…
    余った時間でいつもの様に誰かについて行って会話を盗み聞きしたりする。
    その時聞いた事は逐一心にメモっといた。
    いずれ本も出す。
    毎日の様にそんな事をしてるおかげで、
    自分が住んでる町の誰が何処に住んでるのかとかはすごく詳しくなったと思う。
     理想は猫に好かれたい。
    1匹の子猫の友達がいたらそれだけで本当に充分なんだけど、
    当然ながら猫にも僕のことは見えないので
    友達は1人もいないままさ。
    でも良いんだ。 僕は透明になり、社会は僕がいなくても何も困らない。
    必要とされないのならせめてやりたい事がやりたかった。
    今日も寝ぐらへ帰るのだった。

    宇宙のことについて考える。
    地上で生きざるを得ないからこそ、何となくで宇宙を感じようとしてる。
    そしてどことなくふんわりとした期待が心の中に立ち込める。
    「このドアを開けたら悲しさも涙も
    跡形もなくなるほど
    素敵な世界がひろがってる」
    (Blankey Jet City  "リス"より引用)
    そんな殆ど妄想の様な期待を宇宙に委ねる。
    少年の頃から薄々感じていたと思う。
    閉ざされている感覚。
    それを振り払いたかったというのもあったのか、僕は実際の壁を蹴ったりしていた。
    でも本当は破壊するべきなのはどちらかというと輪郭の無い方の壁。
    それを突き破って僕は自由になると言う、ファンタスティックストーリーを昔から密かに夢見ていたのかも。
    僕は昔からよく妄想していた。 妄想の中の僕は醜さなど一切なかったから、いつも現実とのギャップにメンタルをやられた。
    現実の僕が本当の僕。それは逃れようもない真実。外ではカエルが鳴いていた。
    僕は泣きたかったけど今は涙が出る感じではなく、
    逆に干からびた様なカラカラとした虚無感に支配されていた。
    もはやこれは生きていると言えるのだろうか。
    両親面目ない、またこんな事になってしまった。
    誰か時間を止めてくれ。僕は回復にとても時間がかかるから。 もうこれ以上心配させたくない…!
    「生まれてこなきゃ良かった」と悩むのは何も思春期の時だけじゃない。
    僕は悩み続けた。
    でも僕が死んだら家族などは悲しむだろうからやっぱり死ぬという選択肢はダメなんだろう。
    「死にたい」なんて言ってごめん。
    昔言った事を文面で謝ってみる。 するとなんかちょっと感傷的になって涙が出そうな感じがした。けど出なかった。
     あの頃家の壁を蹴った時何を思ったのか今はもうあまり思い出せない。 
    ただの過ちだった。 ただ過ちだった。

    孤独は僕を芸術家たらしめた。
    幼い頃から絵は得意だったが、
    中学生になると漫画も描き始め、
    高校生ぐらいの頃には作詞作曲も始めて、
    今ではこんな風に長い文章を書き連ねている。
    それには少なからず芸術との縁を感じるが、それをお金に出来なければ全くもって無意味な能力だなぁとも思う。
    これはきっと僕のどうしようもないほどの繊細さと引き換えに授かった能力なのだ。
    あまり人と話すことがない僕は割とよく神様に問いかける。
    ー何のためだ。何故お前は僕に隙あらば苦しみを与え、創作を促す。僕の作品なんて事実殆ど誰も見向きもされないというのに。
    1円にもなりやしない。良い加減普通に穏やかに生きてみたい。 愛される才能が欲しかった。なんてね。
    キティ、僕はもうただの不良品です。
    必要のない余ったネジの様な僕でも
    許されたい、ただあるがままの自分で許されたかったのでしょう。(ちなみにキティというのはアンネの日記のパロディ)
    窓と障子の間に何故か閉じ込められた
    トンボの様な虫がジタバタともがいている音を
    僕は今背中で聞いている。
    助けようとする気も無く、暫くはその音を聞いていたがやがて止んだ。
    深夜になったら世界が静間に帰って
    この部屋が少しだけ宇宙に近づく気がする。
    その時僕の心は少しだけ楽になる。
    また宇宙のことについて考える……

    時間とはつまり輪郭の無い、それでいて絶対的に存在している概念である。
    そしてそれと戦うのは極めて至難の業である。
    僕はその見えない敵とどうしても仲良くなる事はできず、
    しまいには排除しようとしている
    そんな独裁者気質の抜けない困った昨今。
    色々なものが散らかった今の状態を片付けるには結局時間の協力が不可欠であるというのに、
    何故僕は時が経つのを嫌悪しているのか。
    理由はまず僕にはもうあまり死ぬまでに時間が無い。と思っているからである。
    年齢を重ねるにつれどんどん加速していくように感じる時間にひどく怯えている。
    一日はあっという間に終わってしまう。
    あっという間に全てが手遅れになる時を僕は恐れている。
    昔から何かに急かされている感覚があったが、
    それの正体が時間だったのか。
    しかし本当に恐れているのは時間ではなくその影に隠れている別の何かなのかも知れないとも考える。
    ・人類との決別
    時間という概念を作った人類こそが元凶なのかも知れない。
    時間から逃れたいならば、方法として恐らく最も近いのが、人類との決別だろう。
    しかしこれも殆ど不可能に近い。
    情けないことに僕は1人では生きていけないから。
    それは僕に限らず誰だってそうだと思う。
    人間には人間と関わってこそ生きられるというジレンマがある。
    社会性動物の呪い、あるいは単純な弱さなのか。
    いずれにせよとても難しいが、
    人類と関わらなければ時間を意識することもかなり少なくなるだろう。

    高校生くらいの時
    僕が作りし漫画のキャラクター ミッシェルは
    この国で着ぐるみのバイトをしていた。
    「夏ゴリラ」という架空のマスコットキャラの着ぐるみを着て、
    子供達に風船を配ったりしていた。
    そんな彼の今の目的はなんやかんやあって失われた自分の身体のパーツを探して取り戻すこと。
    それこそが彼の人生のテーマであり、
    僕が考えた漫画のあらすじだった。
    実際の所彼のチ○コは今、ブラジルで逞しく生きている。
    独自の技で強盗を撃退したり 木の枝に擬態して事なきを得たりしているのだが、
    それはミッシェル本人は知る由もなく、
    彼は今は熱い中着ぐるみを着て小柄なおじさんと揉めている。
    おじさんの身長は丁度子供と同じくらいなのでしばらく気がつかなかった。
    「オメェ 俺が今日鍋に入れるネギ盗ったろォッ!」
    着ぐるみを着てる間は夏ゴリラというキャラクターに徹しなければいけないので
    返答は出来ず、おどけた感じのポーズや仕草をしていたところ
    それが逆に火に油を注いでしまったようで、
    おじさんの怒りも着ぐるみの中も灼熱である。
    そんなこんなあって彼は最終的に逃げることにした。
    おじさんは追いかけては来なかったが最後に何かを投げつけられた。
    見ると鍋用にカットされた椎茸が2、3個アスファルトに転がっていた。
    その夜ミッシェルは家で1人「心は冬ゴリラよ…」と呟いた…。
    ネームを描いたきりで終わっためちゃくちゃな漫画を捨てよう捨てようと思っているうちに
    また気がつけば月日が経ち、
    結局いまも捨てられていないのが考えてみるとすごく気持ち悪くなって、
    でも僕は今実家にいるからすぐには捨てられない。
    恐らくまだ捨てられない。 
    捨てられないままに歳を取りゆく。 
    なんかまた恥ずかしくなった。

    骨になったら骨壷に入れられて、
    みんなが手を合わせる。各々が涙したり祈ったりする。
    僕は魂の事を考えていた。
    肉体が消滅すればもうそれでその人の全ては無くなるのか。
    いや、まずそんな事は絶対になくて
    まず生前の記憶や記録、思い出などが皆の心の中に生きていた証として残るだろう。
    時々思い出しては感傷に浸ったりもする。
    でもそれとは別に何故か僕は魂というのがあると強く信じていた。
    実体のない魂は死んだら何処へいくのだろう。
    何処にいても良いから優しく見守っていてくれればとてもありがたいのだけれど、
    ぼくはそんな徳を積んでるわけでもないし、
    むしろ過ちばかり犯してきた。
    逆に恨まれていたとしても不思議ではないと思える。
    でももし死してもなお見守っていてくれてるのだとしたら
    それだけでなんか嬉しいし、すごい絆だなぁと思う。
    あの時ぼくは何度も不意に泣きそうになって
    でも周りに人がいるから我慢して堪えていた。
    自分が昔作った歌を思い出す。
    死んだ人はずっと遠くに1人で旅に出るとかなんとか。
    どんな旅だったの?
    何かの終わりはいつも何かの始まりだった。
    死ぬという事が人間において全ての終わりの出来事だと思っていたが、死してもなお始まりを迎えるという事が出来るのか。
    そんな事を考えているとなんだか少しだけ
    心が澄んでいったような気がする…。
     綺麗事かも知れないが本当は透明になるべきは心なのだろうと思う。
    綺麗に澄んだ水のような濁りの無いよどみない心
    そうなる事は決して不可能じゃない気も今はしている。…
    この文章を書き始めて三日間、僕はずっと実家に引きこもっていて殆ど外にも出てないのだが、
    流石にこんな事は長くは続けれないので
    結局は時間という強大なる存在に急かされて、今日警備会社へ電話をかけてみようと思う。
    きっと悪いようにはならないはずサ。…

    一人暮らしのアパートに帰ったらまずは
    お風呂に入った。
    浴槽の縁はぬるぬるしててなんらかのカビが生えていた。 
    何日も洗ってないこの明らかに汚い風呂に入りながら僕は昔見たシュレックという映画の事を思い出していた。
    それなら入らない方が明らかにマシだと思えるほどの汚ったない風呂に入ってリラックスしていた緑の怪物の姿が今の自分と重なった。
    風呂の中で無精髭を剃ってドライアーで髪を乾かす。
    その時のわずかな時間だけは僕の頭の中にあった病的な思いが炭酸の泡の様に消えていたが、
    しばらくするとやはりぶり返して
    今また僕は苛まれている。
    本当はそんな事気にする価値も無いはずなのに何故考えてしまうのだろう。
    そしてその強迫観念にも似た現象にいつまでも苦しめられる自分が哀れだった。
    外は曇っていた。久しぶりに外の天気の事を気にした。
    うどんを食べようと思ったがやめた。
    歯医者に行くはずの日がもう過ぎていた事に気づいてしまった。
    知らない方が良かったと思う事がこの世にはいっぱいあるけど、これもその一つだと思う。
    歯医者にちゃんと行かなかったのはこれが初めてでは無いので、次は流石に怒られてもおかしくない。
    とりあえず怖いので放っておく事にした。
    またあの優しい歯医者に迷惑をかけてしまった。

    いつの日か、今よりも身体や心がボロボロになって
    あらゆるものを失いゆく定めだとしても
    残り続けるものがあるとすればそれはなんだろう。
    音楽だろうか 魂だろうか
    もし幸せになる為に生まれたんなら雨の様に不幸が降りかかるこの世は明らかにおかしい。
    耐えかねて命を絶つ人々 理不尽に殺される人々
    それを思うと生きていられる事は幸せだと言う人もいるけど、僕はそうは思わない。
    生きる事はとてもつまらなくて苦しいものだ。
    死にゆく細胞が生活に影を落とす。
    人生って生まれたての赤ん坊の頃が一番幸せで、
    あとはどんどん厳しくなっていくばかりだと思う。
    歳を取れば取るほどどんどん大変になっていく事を最近強く感じている。
    だから僕は時間を止めたかった。
    くすんだ未来へ進んでいく趣味はない。
    クレヨンしんちゃんの映画 オトナ帝国のキャラクター  ケンとチャコを思い出した。
    彼らは未来に何を見たんだろう。
    彼らは主人公野原しんのすけや子供たちの未来に立ちはだかった悪役。
    過去を取り戻そうとしたけど結局は失敗に終わり、
    確か最後は2人で心中しようとしたんだけど
    野原家に止められたんだっけな。(もしかしたら違うかも)
    まるで暖簾に腕押し
    時間は僕らの指と指の間をすり抜け無情にも流れ続けた。
    受け入れるしか無いのだろうか。
    きっとこれからも身内は死んでいく。
    親しい大切な人はおそらく殆ど僕より先に死んでいってしまうだろう。
    そう考えるとやっぱりとても寂しい。
    でもだからこそ今が愛しいんだな。
    今生きてるこの時は本当は結構愛しき時間なのかもと
    今は生きている家族の事を考えたらそう思えた。
    あの人もあの人もやはり死んでいくのだ。
    しばし目を閉じて考えた。
    そしていつの日か僕も死ぬ時が来る。
    その時僕は今までの人生が夢だったと気づくのだろう。

    13歳の夜、放課後登校の帰りに車の窓を開けて感じていた秋風を思い出す時
    それに連なってその頃の様々な記憶が頭の中を巡る。
    苦しみと共にあった僕の歴史と
    戦争と共にあった人類の歴史 どちらも結構似ているなぁと思う。(僕も人間故)
     明け方になっても僕は眠れなかった。
    6時ぐらいにスーパーに行って食べ物を買って食べた。日曜の朝は静かだった。
    神様ありがとう 僕をまだ幸せにしないでいてくれて。
    半端な幸せで満足するのは僕にとっては
    それはそれで良くないと思うから。
    自らの夢を叶えるまで僕はこんな風に苦しみ続けるということだろう。

    ( Ending曲↓ )

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