
猫死んじゃった
ドラマなんかで、危篤の患者に寄り添う人が、ベッドサイドでうとうとしちゃって、あなたもちゃんと休んで。みたいなことを言われるみたいなシーンをよく見る気がする。よく見る気がするだけで、何のドラマで見たのか?と言われるとひとつも思い出せないけれど、絶対見たことあるはずなんだ。で、その度に、ごもっとも!あなたがそばにいたところで何にも合理的なことなんてない!帰って寝ろ!と思っていた。
でもそうか、あれは自分のためにいるんだな。無理をしてでも、急変したタイミングを見逃してはならない。もしひとときでも離れたタイミングで、大事な者を失ってしまったら後悔が残る。もしくは、失ってしまうその瞬間まで、一秒でも多く同じ空間にいたい。そんな気持ちなんだな。
木曜から毎日、夜になると猫の具合が悪くなるので、夜じゅうずっと付き添って、というか見張って。明け方、薬を飲ませて落ち着いてから1時間くらい仮眠を取る生活が続いていた。
今朝も7時15分くらいに寝て、ちょっと寝坊して8時55分に目覚めて、9時から会議をした。
会議をしながら、具合の悪い猫が部屋に撒き散らしたおしっことうんちを片付けた。おしっこが出るのはいい兆候。うんちが出るのはもっといい兆候。と医者に言われていたし、寝床を作っていたキッチンから自分で歩いて玄関まで移動していたので、昨晩は本当にもう無理なんじゃないかと思ったけど、少し復調してくれたのかと安堵しながら、1時間ほど会議をした。
会議の間もしばしば猫に目をやっていたが、玄関でどうにも苦しそうな体制で寝ているのが気になって、抱き上げてキッチンに連れてきた。
その時にはもう、歩けなくなっていた。
どうやら左前足が麻痺しているみたい。病院に電話する。あれこれ説明して、動画を送って、対処法の解説を聞いているうちに、あれよあれよという間に四つ足全てが言うことを聞かなくなったようだ。
血栓が出来ている可能性が高いから連れてきて入院させて、6時間ごとに注射を打つ必要があるが、その間に亡くなる可能性もある、と言われ、病院に行かず見守ることを決意した。と、電話口で伝える頃にはほぼもう事切れていた。
最期の最後、もう動かなくなったはずの手足を、全力で駆ける時のようにパタパタパタパタと突然動かした。息はどんどん弱まり、昨夜までは、まるで心臓そのものみたいにドクンドクンと脈打っていた体全体が静かになっていく。
と思うと、ボエーと大きな嗚咽を苦しそうに捻り出し、足をばたつかせる。それを10回くらい繰り返すのを、なす術もなく泣き叫びながら、ただ見つめているうちに、猫は死んだ。
あっという間だったし、永遠みたいに長かった。
おおそうか。こんなに泣くのか。っていうくらい泣いた。嗚咽の例として、辞書に載せられる有様だ。
という現象が寄せては返し、毎度最初と同じテンションで泣けるのは一体全体どういう仕組みなんだと思いながら2時間くらい泣いた。
泣きながら、上司に猫が死んだから休みたいと連絡したら
OK!
と返ってきた。絶対に気のせいだけど、今まで見たこともない優しいフォントのOK!だった。それでまた泣いた。
最後に猫の意思を感じて目があったのは、足をばたつかせて苦しみ出す直前、病院と電話している最中に、横たわったままおしっこをしてしまった時だ。
自分の尿が、体に染み渡るのを感じて、体を交わそうとするが、思うように動けず、え?なにこれどういう意味?みたいな目でこちらを見た。最期の数日間、それまでに幾度も交わした、私あなたのこと好きよ。みたいな視線は交わせなかった。
その後、思い通りにならない四肢を全力で動かし、這いつくばってどこかに行こうとしていた。その途中で発作みたいになって息絶えた。
おしっこまみれではかわいそうだ、とオエオエと泣きながら浴室に連れて行った。もう死んでるんだからゴシゴシ洗ったっていいはずなのに、ふだん触ると嫌がるところは触れず、シャワーで流した。
ドライヤーをかけるも、意外とまだヌメヌメしている箇所がいくつもあり、しかもちっとも乾かないので、ドライヤーの熱風で自分も汗だくになってきて、よし、もうこうなったらもっとゴシゴシ洗おうと、自分も裸になって浴室に連れて行った。初めての、猫と一緒の入浴ができてうれしい。
ここぞという時にしか使わない、と言っても、ここぞと言う時なんてないから、ついぞ使うことのない、人間用の高いシャンプーで、猫をゴシゴシ洗った。
同じシャンプーで自分の頭も洗った。いい匂いだ。
そうか、今日がここぞという時だったのだなと思う。
風呂から上がると、全身びしょ濡れの猫は、いつもの1/3くらいになってしまってしょんぼりして見えた。
いつも通りのフワフワに戻るまで、1時間以上乾かしても乾き切らず、諦めて床に寝かせてサーキュレーターの風を当てた。
抱き上げるたびに、生きている時と同じ質量、質感を感じるのに、どこかへ下ろすたびに、コトンと音を立てて頭から落ちていく。本当に死んじゃったんだなあと思う。
彼は最後、瀕死の体で玄関で這いつくばっていた。やはり外に出たかったんだろうか。今なら逃げ出す心配もないし、昼間の海の景色を見せてやりたいな、と思う。
が、平日の昼間に猫の死体を抱えて浜辺に繰り出す中年男性は流石にヤバすぎる。
し、トンビかカラスに狙われたりしたら、自分の過失なのにトンビかカラスを憎んでしまうかもしれない。そもそも死んでるんだから何も見えない。と、思いとどまる。
大好きでいつも寝そべっていた洗面台に、乾かした猫の死体を横たえて、ありったけの保冷剤を乗せた。
投薬のため、何とか栄養を取らせるため、あらゆる試行錯誤をした跡が、流し台に残っている。
ふと踏んだ床に、こんなところにもおしっこしちゃってたのかという跡を見つける。
本当は捨て方が面倒なだけなのに、死んだ猫が最近気に入って、毎日その上で寝てたから、猫のせいにして捨てるのを保留していたすのこに、ゲロの跡を見つける。
そうして部屋を見回すと、引っ越してから徐々に片付けていた部屋がこの数日でしっちゃかめっちゃかに散らかっていることに気づく。家じゅうおしっこの匂いだ。
けれどあれもこれも、片付けてしまったら本当に全て終わってしまう気がして手が伸びない。
ロードとか、会いたいとか、死んだ者を憂う後悔みたいな歌が心底嫌いだ。嫌いだけどそうか、なんか、何でもないようなことが幸せだったと思うってこういうことか、と理解はできた。今ならもしかして沁みちゃったりするのかな、と、会いたいを口ずさんでみたが、やはり嫌いだなと思った。
いつもは、やたらと仲良しで、グルーミングし合っては、同じかっこうで寝ていたはずのもう一匹の猫は、死んだ猫が弱っている間はほとんど近寄って来なかった。
意外と薄情だなと思っていたんだけど、猫が死んでしばらくすると、ナアナアといつもより大きな声で鳴きながら家じゅうをさまよいはじめた。あれ?あいつどこ行った?と探している、ように見えた。
死んだ猫自身からは、ほっといてくれ、寄り添うな。という空気をビンビンに感じてはいたから、もしかしたら猫同士、そういう会話があったのかもしれない。
犬は、泣いている私を、一体こいつは何してるんだ?と、不思議そうに適切な距離感を保ちながら様子を伺っていたが、しばらくすると、どうやらただ事ではないという空気を読み取ったのか、ピタリと横にくっついて来るようになった。
なんとなく二匹に死体を見せたくなくて、死んだ猫がいる洗面所の扉を閉めた。
猫、死んでもかわいい。
一回洗ってる時に頭がのけぞって、グルンと白目を剥いた。ああだから、映画とかで死体の目を閉じるのかなと思った。
けどドライヤーをかけているうちに、また瞳が正位置に戻って、乾かしたら体もフワフワに戻って。タッチのあの台詞が何度も頭をよぎる。
火葬って、ていのいい死体の処分方法を宗教的な意味づけして正当化しただけなんじゃない?と、理不尽な怒りが湧いて来る。誰に対して怒っているんだろう。
猫、死んでもずっとかわいい。手放したくない。もう動かないから、どこにも行かないのに、目の前にいるのに、もうどこにもいない。これがお別れか。と思う。
なんとなく、One More Time,One More Chanceが頭をよぎって口ずさむ。やっぱりしみったれてて大嫌いだ。大っ嫌いなのに、いつでも探してしまうな。どっかに君の姿を。会いたいな。目の前にいるのに、会えないんだなもう。枕元で喉を鳴らして寝てくれないんだな。寂しいなあ。会いたくて会いたくて震えるなあ。
だから流行るんだな、愛しい者との別れの曲って。思えばおそらく、この年にして初めてなのだ。分かち難く手放せないと思えるほど大切な者を失うのが。
新しい家に引っ越して、この家で猫と猫と犬が、毎日楽しく暮らしてくれるように。と願っていたけど、一か月も経たずに突然死んでしまった。
文を書いていないと、泣きすぎてどうにかなってしまうと思って文を書いているのに、書いているそばから泣きそぼっていて、結局何してたって泣いてしまう。
本当はいつから具合が悪かったのかな。朝あと数分異変に早く気づけなかったかな。後悔ばかり浮かんでくる。
こういう時にこそ聴きたいような曲を、たくさん知っているはずなのに、聴いたらもう戻ってこられなくなりそうで、何にも聴く気にならない。
会いたい。ああ、ぶっ生き返んないかなあ。







































