
メタモンのように生きていた。
人に合わせるのは、昔から得意だと思っていた。
ギャルでも、優等生でも、どんな人とも問題なく関われた。高校は40カ国以上から学生が集まる全寮制の芸術学校だった。音楽、演劇、バレエ、映画、小説、美術、それぞれ異なるバックグラウンドを持つ学生が世界中から集まっていた。
日本からたった一人で海外に来たこともあり、周りに自分の過去を知る人はいなかった。その自由さは心地よくもあり、一方で、一人になることを恐れていた。せっかくこういう環境にいるのだから、できるだけ多くの人と関わっていたかった。
留学初日から、一ヶ月ほど経った頃には、学校のどこに行っても知り合いがいる状態になっていた。授業の合間に話す相手は常にいて、廊下を歩けば何人にも声をかけられた。話す人ごとにテンションや話す会話の内容など常に変えていた。学生だけでなく食堂のスタッフや清掃員スタッフなどとも自然に会話をしていた。周囲からは「Social Butterfly」と呼ばれていたし、恋も沢山した。
*Social Butterfly=社交的で、さまざまな人と広く関係を持つ人を指す表現🦋
その頃は、それをそのまま信じていた。
自分は社交的で、周りから愛される存在なのだと。
でも今は少し違うと思っている。いや、だいぶ違う。
私はただ、その場に合う形に変わっていただけだった。
メタモンのように。
家では、五人兄弟の一人で、知的障がいのある姉が優先されることが多かった。親の視線も時間もそちらに向いていた。
その中で私は、静かでいることを覚えた。
手がかからないこと。空気を乱さないこと。先に察すること。
姉の手伝いをすれば褒められ、「いい子」と言われることも多かった。それはいつの間にか、そうしていればうまくいくという感覚に変わっていった。
頼まれたことは、断る前に受けていた。嫌だと思う前に「いいよ」が出ていた。
その癖は外でも続いた。
どこでもすぐに馴染めるのに、どこにも“ここだ”と言える場所はなかった。
知り合いのパーティーやイベントにはまめに顔を出していたが、「あれ、来てたの?」と言われることもあった。自分の意見を強く出すことは少なく、気づけば聞き役に回っていることが多かった。
誘いは、断る前に空気を想像してしまい、そのまま頷いてしまうことが多かった。
頼まれごとに対しても同じだった。
普通なら引き受けないようなことでも、「できるかどうか」より先に「関係を壊さない方法」を考えてしまうことがあった。
そのときの自分にとっては、それが一番現実的な選択だった。
あとから振り返って、なぜそうしてしまったのかと考え込むこともあった。
「あなたはどうしたいの?」
この問いに、いつも止まる。
相手の答えはすぐ浮かぶのに、自分の答えだけが出てこない。何も思いつかないことさえあった。
今になって思う。
あれは社交性ではなく、癖だった。
優しさでもない。社交的でもない。人に合わせることによって、関係が壊れない形を保っていただけだった。
気づけば、深く踏み込んで関わる人はあまり多くなかった。
最近は少しずつ変わっている。
断ることが増えた。無理に合わせない選択も増えた。
一人でいる時間も以前よりずっと増えた。寂しさを感じる瞬間もあるし、過去の自分と比べてしまうこともある。それでも、自分の感覚が途中で消えずに残る瞬間が増えてきた。
今でも癖は残っている。
ただそれを、自分の全てとして扱わなくてもいいと、少しずつ思えるようになっている。
もし同じように、「どこでもうまくやれるのに、自分がよく分からない」と感じている人がいるなら、それは珍しいことではないのかもしれない。
適応できることと、自分があることは、必ずしも同じではないのだから。