
係留
がんになったとき、何がつらかったかというと、治療をしてまで生き続けたい理由がない、と気づいたことだった。
自分を、固定でつなぎとめる場や存在がない。そんな身軽な生活を選んできた。
それなのにこの先、生き続けることにどんな意味があるのか、自らに問う日々となった。
がんは、昔のドラマでイメージしてたような大ごとではなく、現代では治せる病気だと説明された。
どんどん目先の予定が提示され、治療方針や資金計画の判断が求められた。
痛み、苦しみ、不安と向き合うより、自分の身体が事務処理のタスクとなっていった。治療は淡々と進んだ。
現実的な治療費、命を維持するための値段に、自分の存在にそれだけの価値はあるのかと、いまどきのコスパ的な考えが頭をよぎった。
命をないがしろにしてるのでも、終わらせたいわけでもなく、ただ、高額な投資をして健康になり、その先に何があるのだろうかと考えていた。
生きる意味に本質的な答えがなくても、単純に、生まれたからには生き続けるしか選択肢がないと、繰り返し、自分に言い聞かせた。
命を、いつも合理的に考えているのではない。
あくまで、自分のことだけに冷めているのかもしれない。
自分のがんがわかる数年前、愛する存在を見送ったときは、理屈ではなく、とにかく一日でも長く生きてほしいと願い、行動していた。
自分の命以上にたいせつだと思うほどで、それゆえに命が消えてしまった瞬間の喪失感も大きかった。
自分だけが現世に取り残された感覚に、長いこと苦しんだ。
愛する存在がいない世の中を、何のために生きなきゃいけないのと憂いていた。
それでも、心に思い出を抱きしめて、自分は生き続けるんだと、理性で受け入れるまでにかなり時間がかかった。
今こうして書きながら、この世に自分をつなぎとめているものは、いったい何なのか、ゆっくりと答えを探したいと思っている。
自分の命をつなぎとめてくれていたのは、いつだって、自分以外の存在だった気がする。
誰かの命を愛するよう、自分の命も愛して、いつかは生き続けたい理由を言えるようになれるといいなと思う。