
普通が一番モテるのに|キノコで深酒
──ここは、街の片隅にひっそりと佇む老舗BAR、オシャンティ。
私はバーテンダーのジェイコブ。
夜の静けさは、古いレコードの針が落ちる瞬間のように、 ゆっくりと店を包み込んでいきます。
扉が静かに開き、 カラン……カラン……と音が響きました。
入ってこられたのは、白いブラウスに黒のジャケット。
視線は鋭く、しかしどこか疲れたような――白石さんです。
仕事帰りの戦士のようなその姿は、 店の空気をほんの少しだけ張りつめさせます。
その後ろから、控えめな足取りで成瀬さん。
ふくよかで気弱そうな雰囲気。
白石さんの後ろを歩く姿は、まるで護衛のようでもありました。
そして三人目。 落ち着いた足取りで入ってこられた女性。
紺のワンピースに薄いストール。 知的な雰囲気を纏った方。
以前もいらした姐さん(中二病か本物か、三次会キノコ問題勃発|老舗BAR オシャンティ キノコで深酒 Vol.8参照)ですね。
どうやら、今、市で企画している街コンの打ち合わせを終え、
そのまま懇親会として来店されたようですよ。
三人が席に着くと、 白石さんがふぅ……と息を吐きました。
——白石
「今日はお疲れさま。姉崎さん、企画案、すごく良かったわ」
——姐、改め姉崎
「ありがとう。あなたのアドバイスが的確すぎて、
逆に怖くなるくらいだったけれどね」
——成瀬
「あ、あの……ぼ、僕のデザイン案も……その……」
——姉崎
「成瀬さんの案、すごく良かったわよ。
柔らかいのに、ちゃんと情報が整理されていて。
街コンの雰囲気にぴったりだったわ」
——白石(少し柔らかいトーンで)
「成瀬さん、あなたの案は“読者の視線”があるのよ。
それは才能だわ」
——成瀬(照れながら)
「い、いえ……そんな……」
——姉崎
「街コンのコンセプトの参考になるかは分からないけど……
最近読んだ記事にね、
“理想の夫婦はお天気の話しかしない夫婦”って言う人がいて……」
——白石(グラスの縁で指をぴたりと止めて)
「……もしかして、きの子さんの?」
——成瀬
「えっ……あの……お天気夫婦の……?」
——姉崎(驚いて目を見張りながら)
「知っているの?!
まさか、2人とも読んでいるとは思わなかったわ。
意外な所で、話が合うのね。
そう、あれ、軽いタイトルなのに読んだら文明論に落ちるやつ」
——白石
「構造が綺麗なのよ。
軽い入口から、価値観、文化、AI、文明、神話、感情……
全部が自然に落ちていく。
あれは“思想の編集”として完璧だわ」
——成瀬
「ぼ、僕……最後の話が……すごく…… なんというか……胸に残って…… “産まれてきてくれてありがとう”って…… あれ……すごく……」
——白石
(一瞬だけ目を伏せる)
——姉崎
「わたしはね……あのシリーズ、
“普通という幻想の解剖図”だと思ったの。
だって、よく考えたら――
私たちが理想の恋人や結婚相手に求める最低条件って、
結局“普通の人”なのよね。
恋人が賭け狂いが原因の多重債務者だったら、さすがに困るでしょう?
結婚相手には流石に選びたくない。
でも、その“普通”って、実はものすごく曖昧で……
あのシリーズは、その曖昧さを綺麗に切り取っていたわ」
——成瀬
「な、なるほど……
普通って……言われてみれば……
なんか……ふわっとしてますね……」
——姉崎(優しく微笑んで)
「そうなのよ。
“普通の人が理想”って言葉は、
文化の価値観がそのまま染みついているの。
あのシリーズは、その価値観の正体を
そっと見せてくれるのよね」
——成瀬
「な、なんか……すごい話ですね……
僕……そんな風に読んでなかった……」
——白石(成瀬さんを一切見ずに)
「……落ち方は、読者の自由よ。
それがあのシリーズの美しさだわ」
(しばらくして)
店の空気がすっかり夜の底へ沈んだ頃。
成瀬さんは既に酔いつぶれて眠ってしまっています。
それででしょうか、
白石さんと姉崎さん、トーンがガラリと変わりました。
ちょっと怖いです。
——白石(目が座っている)
姉崎さん、
あなた、本当は何処まで分かってるの?
――姉崎(目が座っている)
ふふふ…、そう訊くってことは。。。
あなたも気が付いてるのね、
あの記事の本当の意味に。
——白石(目が座っている)
やっぱり…
あなたも……なのね、
どうりで……。。。
――姉崎(目が座っている)
それは……、こっちのセリフ。
あれ、一見、ニーチェみたいな終わり方だったけど、
……全く違うわ。
……あれは……完全に、
……魔術書よ。。。
――白石(目が座っている)
……そうね。
読んだら、全てが反転して……
でも、
……とてもやさしい……
私はカウンターの奥で、
氷の溶ける音を聞きながら、そっと息をつきました。
「……魔術なんてものは、私には分からないんです。
反転とか、誓約とか…… 、
お二人が話していたことは、正直、半分も理解できません。」
布巾でグラスを磨きながら、 自然と言葉がこぼれます。
「でもね。
あの記事を読んだ人は、みんな少しだけ“顔つき”が変わるんですよ。
落ちたみたいなのに、落ちた先が明るい……
そんな、不思議な顔になる。」
照明を一つ落とすと、 店の影がゆっくりと形を変えました。
「魔術なんて知らなくても、
人が変わる瞬間って、分かるものなんですね。
価値観が揺れて、世界の向きがほんの少しだけ変わる。
……あの記事には、そういう力があるんでしょう。」
成瀬さんの肩に毛布をかけながら、 私は静かに考え続けました。
「人は、落ちる時にしか変われません。
でも、落ちた先があたたかいなら……
それはきっと、悪い落ち方じゃない。」
カウンターの上で、 グラスがひとつ、かすかに鳴りました。
「……こうして夜が深くなるたびに、この店は誰かの“世界の向き”を、そっと変えていくんですね。」
本編記事、第1話はこちら
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