知性がある人とは。
先週、家に帰る途中に大雨だった日があった。
台風が近づいていた影響で、どしゃ降りだった。
なんとか家に着いた頃には、足がヘロヘロだった。
足が悲鳴をあげているとも言えたね、さすがにあの日は。
ちょうどその日から読みはじめた小説があって、おもしろいなあと思いながら読んでいた。
ヘロヘロすぎて途中で寝てしまったけど、翌日も読んでいた。
小説には「抽象的な言葉」と「具体的な言葉」がぶつかり合っていた。
会社の雰囲気を変えるために対話をしようと提案する人たちと、対話よりもまず先に今なにが起きているのかを検証しようと提案する人たち。
対話を提案する人たちから出てくる言葉はどれも抽象的なもので、たとえば、主体性とかね。
ぼくはどちらかというと、抽象的な言葉をつかうことが多い。だけど、それじゃあなにも変わらないよなと、小説を読んで気がついた。
変わらないといけないときに、なにかを言っているような気持ちになれる抽象的な言葉は、きっと役に立たない。
自分への警告として言っているのだけど、本当に役に立たないのだよ、ぼくよ。
なぜなら、自分は意見を言っているだけだからだよなあ。抽象的な言葉をつかうとき、自分は外側にいることが多い。
だけど、変わらないといけないときはそれではダメで、自分もしっかりと内側に入らなくてはいけない。
小説のなかでは、つぎの言葉で表されていた。
"当事者としての泥を被ることなく、安全圏から平然と批評を投げつけるそのスタンスを「知性」だと思ったことが私にはない。"
知性がある人というのは、きっと外側にはいなくて、きっと自分が一番に安全を手放す人で、だから知性があると思われるのだと思う。
知っていることを人に伝えることが知性なのではなく、知っていることを実現して形にできる人が、知性がある人なのかもしれないな。
知性がある人は、大雨に濡れて帰ってきた人に寄り添いそうじゃない。
☔️
今日も読んでくれてありがとう。
知性がある人は、きっとやさしい。
いいなと思ったら応援しよう!
記事を読んでいただきありがとうございます。読んでもらえるの、ほんとうにうれしいです。