
星詠荘の日々1
離婚を機に、三歳の娘・秋桜を連れて見知らぬ田舎町へ移り住んだ設楽美鈴。彼女を迎えたのは、どこか懐かしい空気を纏う古びたアパート「星詠荘」だった。世話焼きな老女・環、不器用で優しい近藤、明るい祐希、影を抱えた青年・小鳥遊――個性豊かな住人たちとの交流の中で、美鈴と秋桜の止まっていた時間は少しずつ動き出す。だが彼らもまた、それぞれに過去の傷を抱えていた。新しい暮らしと子育て、そして芽生える想い。血の繋がらない“家族”と出逢い、傷ついた大人たちが再び生きることを選び直す、再生とぬくもりの物語。
序章
桜の咲く頃。
薄紅色の花弁に彩られた、明るい遊歩道。
その途中にある、二階建てアパート、星詠荘。
そのアパートには様々な人が住んでいる。
二階の一室で一心不乱にパソコンに向かい作業するある男。
過去に凍らせた心を静かに溶かす穏やかな春を待ち侘びている。
慌てて階段を駆け降りる娘。
病弱なため先日亡くなった母親の治療費を返すため、朝に夜に働き詰めながら、日々を繰り返す。
一階には過去を捨てこの場所に根を下ろし、若者のあれやこれやの行く末を眺めて微笑む老婆。
その隣の部屋のベランダでは長年の現場仕事によって鍛え上げられた体躯を持て余した老人が、不機嫌そうに煙草を燻らす。
今日も、春風が桜の花弁を揺らし運んでくる。
新しい生命の芽吹きと共に。
そして星詠荘に、新たな入居者が現れる。