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田舎での孤独、東京での自由

    ― 田舎で感じた孤独と、
            東京で見つけたつながり ―

    小学生の頃、私はなぜか
    「一人で生きていけるように
     ならなくちゃいけない」と強く思いこんでいた

    理由ははっきりしないまま、その感覚だけが自分の中心に大きく居座り、「孤独に慣れること」 が生きる術だと信じて大人になっていきました。

    その結果、孤独は避けるものではなく、
    “大切に抱えておくべきもの”になっていきました。友達の必要性も感じず、寂しさすら疑問に思わず、ずっとそのまま生きてきたのです。

    幼いころ“ひとりで抱え込むしかなかった時間”
    家の中に誰もいないことがほとんどでした。
    家事のすべてを自然にひとりでこなし、
    家庭料理は、学校の家庭科の料理でした。

    当時はちょうどバブルの時期で、我が家の暮らしもどこか華やかで、両親は子育てに関わるというより、それぞれ自分の生活に夢中でした。
    その自分とは、ダイヤモンドのように美しく、誰もが手にしたい自由だったのかもしれません。
    そんな両親のなんとなくの気持ちが、ひしひしとわたしに伝わり、何も言えませんでした。

    だって言ったら、いなくなっちゃいそうだから

    だから私は、家族と一緒に暮らしていても、
    ずっとひとりぼっちでした。
    それが私の“孤独”の原点だと思います。

    振り返ると、
    田舎にいた頃の方が、むしろ孤独でした。人が少ないからではなく、「役割」や「空気」が強すぎて、人と関わるほど自分が消えていくような感覚があったからです。

    そして私は、思いこんでいたのです。
    田舎でうまくいかない私が、東京でうまくいくはずがない、と。どこへ行っても、きっと同じ孤独がつきまとうのだと。

    けれど、それは少し違っていました。

    東京でひとり暮らしを始めてから、私は少しずつ、自分にとっての「ちょうどいい距離」というものを覚えていきました。

    人であふれた街の中で、むしろ私は、ようやく自分の輪郭を取り戻していったのです。

    思い返せば、田舎が息苦しかったのは、
    人の少なさではなく、
    近すぎるまなざしや決められた役割の濃さに、
    触れるたび、私の色が薄まっていくように感じていたからでした。

    だから気づいたのです。
    うまくいかなかった理由は、
    田舎でも東京でもなく、“私という形”を、
    まだ誰よりも私が知らなかったからだと。

    場所が悪かったのでも、
    私が弱かったのでもない。
    ただ、私には私のリズムがあって、
    そのリズムがようやく、この街で息をし始めただけのこと。

    その静かな気づきが、
    私をそっとほどいてくれました。

    これからは、言葉に残していきます。
    自分の輪郭が消えないように、
    そっと抱えながら。

    そして、孤独の奥にある自由と、ここでようやく出会えた瞬間でもありました。

     
     
     
    カフェで、お茶を飲み、お気に入りの音楽を聴く時間が何よりの休息。 うっかり忘れ物をしたり。ちょっと抜けたところもありますが、実はいくつもの現場を渡り歩いてきた現役ナースです。日々の出来事や感じたこと、仕事や人生の中で学んだことを、保健室でおしゃべりするように綴っています。

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