
記憶のしっぽ
人は一瞬で
こんなにも消えて無くなるものなのだろうか。
石の階段に
くっきりと残る黒い影。
それだけが確かにそこに人がいた事の証だった。
黒焦げの弁当箱、
ずたずたに引き裂かれた女学校の制服。
幼い私は
息をするのも忘れて
展示物をみつめた。
薄暗い館内を出ると
夏の日差しが眩しい。
青々とした街路樹の間に
骨組みだけになったドームの屋根が見えた。
「ヒロシマ」のわずか3日後、
今度は「ナガサキ」が燃やし尽くされた。
後年、母は言った。
「長崎じゃなくてね、本当は小倉の予定だったんよ。兵器工場があったけんね。だけど当日、煙や雲で視界が悪くて長崎に変更されたんよ。」
当時母は2歳。
もし当初の予定通りに爆弾が投下されていたら、
母はいなかったかもしれない。
当然私も、私に続く娘達も。
母があの日、私を「ヒロシマ」に連れて行った理由がわかった気がした。

去年、ひとり暮らす母の家を訪ねた。
そこへ近くに住む年の離れた従兄弟が、ひょっこり顔を見せた。
先日、従兄弟の父、私からすれば伯父の五十回忌を終えたと報告があった。
「兄弟だけのささやかな法要やったけん、気にせんでよか。」
好々爺のように従兄弟は笑った。
「もう50年も経ったのね。早いものねー」
バツの悪さを打ち消すように私が言うと、
「オヤジはみいこをよう可愛がっとったなー」
従兄弟は懐かしそうに言った。
伯父は一本気な人で、
私がつい「うん」と返事しただけで
「"うん"ではなくて"はい"やろ!」
ときつく叱られたりした。
けれど男ばかりの従兄弟に混じって遊ぶ私の事を、焼酎をちびちび舐めながら、いつも目を細めて見守ってくれていた。
「まだ50代だったよね。もっと長生きしてほしかったね。」
私が呟くと、
従兄弟は言った。
「オヤジは抑留されたけんね。キツかったんやろね。そん時体を悪うしたとよ…」
初めて聞く話だった。
そういえば、母の古いアルバムの中にある、一枚の白黒写真を思い出した。
まだ若い伯父が
映画などでよく見るような軍衣に身を包み、写った姿。
布性の「略帽」を被り、膝から下は「ゲートル」を巻いていた。
その片足をちょっと斜めに突き出して、リラックスした笑顔の伯父からは、悲壮感のようなものは微塵も感じられなかった。
「シベリア鉄道はな、俺らが作ったようなもんやぞ」
と、伯父はよく話していたらしい。
教科書で見る、白黒写真の中だけの歴史の一場面が、急にリアルに感じた。
「その話、伯父ちゃんに直に聞きたかったなあ」
しみじみと私が言うと、
従兄弟は
「もう昔の話やけんね。」
と笑顔のまま言った。
命を繋げた母
命を削った伯父
私が今掴んでいるのは
記憶のしっぽの一番端かもしれない。
ここから先はもう
誰かの記憶ではなく
教科書の中の記録になるのだろうか。