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第22稿 Deja vu ― 終わりなき囁き|青い空が折れる日

    作家“Rene”

    これは、実話を基にした物語です。
    壊れかけた魂が、それでも「生き直そう」とする一瞬の光を書きました。
    鳴り止まない囁きが、いつか子守唄に変わることを願って。

    Based on a True StoryScreenplay / Story by Rene
    Location: Hakodate, Hokkaido
    **SOUNDTRACK** 再生推奨:Capercaillie - Tighinn air a' mhuir tha fear a phòsas mi  ※この曲のタイトルは「海を渡って、私の愛する人がやってくる」という意味を持ちます。 冷たい風の音と共に、物語の世界へお入りください。
     



    Deja vu ― 終わりなき囁き

    青い空が、きれいだと思った。
    ただそれだけの理由で、生きられる日がある。
    そして、ただそれだけの理由が、折れてしまう日もある。


    #A


    ──約束は、守られるためにあるのではなく、信じるためにある。

    飲食店をやりたい女と、飲食店を廻るのだけが、好きな男がいた。

    二人は大学で、同じ専攻を学んだ。
    けれど男は三浪して入学していて、女とは三歳ちがった。

    女は都会で生まれ育ち、男は田舎で生まれ、大学へ行くために都会へ出た。
    共通点はほとんどなかった。
    それでも二人は、「食」という、たった一つの共通語で近づいた。

    女は言った。
    いつか自分の店をやりたい、と。

    男は言った。
    将来、いっしょにやろう、と。

    女は当然、それを信じた。
    信じられることが、女の才能のひとつだった。

    卒業後、二人は別々の都市へ就職した。
    女は頑張った。
    頑張ることだけは、いつも上手だった。

    でも、会社に適応するのは、大変だった。

    女は心の病を抱えていた。
    それは女にとって秘密で、そして何より、自分にも秘密にしておきたかった。
    知らないふりをして、生きていた。

    けれど、ごくたまに。
    その病は、女の内側から、音もなく手を伸ばす。
    「ここにいるよ。」と、囁くように。

    女はそれを徹底的に無視した。
    見えないものを見ないふりをすることも、女は上手だった。

    女はときどき絵を描いた。
    才能があって、頭もよかった。
    入試も資格試験も、一発で通した。
    複数の資格を持っていた。

    でも女は、幸せではなかった。

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    愛されている、と思える瞬間だけが残酷だった。

    ある日、突然、旅がしたくなった。
    それは“旅”というより、遠くへ消えたくなるような衝動だった。

    女は男に連絡もせず、飛行機に乗り、男のいる街へ向かった。
    冬の雪は強風に吹き飛ばされ、目を開けるのがつらいほどだった。

    空港で女が電話すると、男は嬉しそうに迎えに来た。
    女はこの男に好かれたかった。
    けれど、ときどき一緒にいると疲れた。
    “好き”と“疲れる”が同じ場所にあることが、女には不思議だった。

    男はグルメで、有名な店に女を連れていった。
    人が多く、待たなければならなかった。

    女は疲れていた。
    理由はうまく言えない。
    ただ、休みたかった。

    でも、心の病が見つかる気がして、気をつけた。
    「自分は、絶対に問題がない。」
    それが女のプライドだった。
    薄い膜のようなプライドが、女を辛うじて形にしていた。

    男は女を楽しませようと、美味しい店や有名なスポットへ案内した。
    男はそんな自分に満足していた。

    女は男の気配りと優しさに感謝した。
    そしてその瞬間だけ、愛されていると思えた。

    長い時間をこの男と過ごしたのだ、と女は思い知った。
    帰りの飛行機で、女は自分の住む街へ戻った。

    激しい寂しさと孤独が、胸の底に溜まっていく。
    明日から、会社の重要なプロジェクトが始まる。

    女は使命が、重要だと分かっていた。
    けれど同時に、遠くへ行きたいと思った。
    この場所に、もう一秒も居たくない気がした。

    同僚とうまくやれている、と女は思っていた。
    でも、同期が自分より上に昇進するのを見たとき、女は傷ついていた。

    今回のプロジェクトで、何かを見せなければならない。
    女はそういう圧を、自分で自分の首にかけていた。


    #B


    ──慰めは、いつも遅れて届く。

    プロジェクトが始まると、女の日常は変わり始めた。
    私生活が消え、チームを支えることがすべてになった。

    疲れ果てた体と心に、女は苦しんだ。

    慰めがほしくて、女は男に電話をした。
    男は言った。
    「会社生活なんてそんなもんだ。頑張って能力を見せてみろ。」

    女は電話を切った。
    寂しかった。
    でも、心の病が表に出ないように気をつけようと、改めて決意した。
    “気をつける”という言葉が、女の人生をずっと支配していた。

    晴れた青空を見て、女はきれいだと思った。
    青は、いつも女の味方だった。

    女はもう友達に会わないことにした。
    会うといつも、自分が負けている気持ちになるからだ。
    競争なんてしていないのに。
    その気持ちが嫌だった。

    青い空を見ながら、女は男に別れを告げた。
    付き合う意味がない、と女は思った。

    男は言った。
    いつか飲食店を一緒にやるために、努力している、と。

    女は信じられなかった。
    けれど寂しくて、信じるふりをした。
    何かがおかしくなっている、と女は思った。

    それでも病が見つかるのが怖くて、顔を背けた。

    やがて女は、仕事に耐えられなくなり、会社を辞めた。
    男に電話して伝えると、男は失望した。
    苦労して入った会社を、簡単に辞めるなんて、と。

    それでも男は言った。
    愛している、と。

    その夜、女は布団の中で、長い時間泣いた。
    泣くことだけが、女の正直だった。

    女はカフェで、アルバイトを始めた。
    様々な料理を出す店だった。

    女は少しずつ、活気を取り戻していった。
    初めて、仕事が楽しいと思った。

    ある日、母と姉が訪ねてきた。
    女は歓迎していなかったが、顔には出さなかった。
    問題がない自分を見せなければならない。
    女はいつも、そうやって生きてきた。

    家族と話すと、女は辛かった。
    いつも足りないところを指摘されている気がした。
    それが悲しかった。

    だから女は、家族と連絡を取らないことにした。

    男は、「そんな事は、やめろ。」と言ったが、理由には興味がなかった。
    女は空を見て、白い雲が美しいと思った。
    そして、また寂しくなった。

    女は公園へ行った。
    そこへ老人が近づいてきた。
    女は思わず泣いた。
    涙は途切れずに溢れた。

    老人は何も言わず、長い間、女を見ていた。
    女が涙を止めると、老人は微笑みながら言った。
    「大丈夫だ。」

    そして言った。
    「他のことを考えずに、自分がやりたいことをやれ。」
    「簡単なことなのに、私たちはそれを知らずに生きている。」

    老人はそう言い残し、遠くへ行ってしまった。


    #C
    ──手のひらの温度だけは、嘘をつかない。

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    手のひらの温度だけは、嘘をつかない。

    女は決意した。やりたいことを、やる。

    女は陶芸教室へ通い始めた。
    自分の作った器に食べ物を盛ることを想像すると、幸せだった。
    ほんの少し、胸が温かくなった。

    それでも女は、病を悟られないように気をつけた。
    気をつけて、気をつけて、気をつけ続けた。

    女はピアノが、とても上手だった。
    でも、人の前では、弾かなかった。

    女にとってピアノは、美しい音のための楽器ではなく、競争の道具だった。
    姉と比べられ、姉のほうが上手だと、言われ続けた。
    女は傷ついた。
    けれど誰も、その傷を知らなかった。

    女は思った。
    心の病がバレなければ、それでいい。
    そう思うことで、なんとか自分を守った。

    家族といると辛い。
    だから遠くへ行った。

    でも、懐かしさは心の奥に残っていた。
    それは“故郷”ではなく、“戻れない場所”の匂いだった。

    女は寂しかった。
    青い空だけが、女を慰めていた。

    #D


    ──愛は、言葉ではなく、沈黙の中で終わっていく。

    女はいつから飲食店をやりたかったのか、思い出せなかった。
    時間は、そうやって過ぎていった。

    女は男に電話した。
    「カフェで働くのが楽しい。」

    男は興味があるふりをして、自分の話と、仕事の大変さばかり語った。
    電話の最後に、習慣みたいに言った。
    「愛してる。」

    女は知っていた。
    男はもう、女を愛していない。

    女は思った。
    自分のために、生きなければならない。
    病を隠しながら。

    ある日、男が女を訪ねてきた。
    突然の訪問に、女は少し嬉しかった。

    男は、昇進したと喜んだ。
    女も喜ぶふりをした。
    でも、女は寂しくなった。

    男は会社の話ばかりして、新しく見つけたレストランへ、女を連れていった。
    女は疲れていた。
    気をつけなければ、と女は思った。
    病が見えないように。

    でも疲れていた。
    家に帰りたかった。
    誰もいない場所へ。

    その日は青い空でも、女を慰めることができなかった。


    #E


    ──“幸せ”は、誰かに否定されると、音を立てて崩れる。

    女は熱心に、器を焼いた。
    その瞬間だけは、誰にも干渉されず、自分の世界に没頭できた。
    焼き上がった器を見て、女は少しだけ自由になれた。

    でも家族は、評価しなかった。
    「プロの、仕上がりじゃない。」

    予想通りの反応だった。
    それでも女は勇気を出して言った。
    「器を焼いているときが、幸せだ。」

    家族は冷笑した。
    女はまた傷ついた。

    女は思った。
    今度こそ、ここから逃げなければ。

    女は男に電話して言った。
    別れたい、と。
    青年海外協力隊に入って、外国へ行きたい、と。

    女が読んだ本に、こう書いてあった。
    広い世界を経験すれば、偏見が消える、と。
    そのシンプルな文章が、女には光みたいに見えた。

    女は、初めて思った。
    病を治したい。

    男は、電話してきた。
    「別れるのは、嫌だ。」

    そして言った。
    結婚したい、と。
    店も一緒に開こう、と。
    簡単に嘘をついた。

    女は、礼を言った。
    でも、それが愛ではないことを女は知っていた。
    女はただ、孤独だった。

    一人で歩く方法を、忘れつつあることを、女はどこかで感じていた。

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    いちばん静かな演技が、人生を決めてしまう。

    二人は、都心の素敵なレストランで結婚した。
    優雅な式だった。
    それは、女の人生の中で、いちばん静かな“演技”だった。

    女は店を開くために、必死に稼ごうとした。
    でも病が邪魔をして、思うように稼げなかった。

    男は言った。
    大丈夫だ。
    でも、お金がないから、いま店をするのは賢明じゃない。

    女は、疲れた。
    自分が何をしたいのかさえ、少しずつ忘れていった。

    男は昇進していった。
    女は小さくなっていく気がした。

    男は言った。
    「世の中に、つらくないことはない。」

    女は傷ついた。
    その言葉は正しいのに、女を殺す刃だった。

    ある瞬間から、女の心の亀裂は、大きくなっていった。
    女は必死に隠した。
    何事もないふりをして。

    誰かが「大丈夫?」と聞くと、女は必要以上に力強く言った。
    「大丈夫。何も問題ない。」

    そしてある日、女は男に他の女がいることを知った。
    ショックというより、“来るべき時が来た”と思った。

    同時に、守ってきたものが全部崩れる気がした。

    女は、男を愛していなかった。
    男も、女を愛していなかった。

    いや──
    愛なんて、最初から求めていなかったのかもしれない。

    女は痛烈に後悔する。
    なぜ結婚したのか、と。


    #F


    ──囁きは、孤独よりも静かに、確実に追いついてくる。

    女は、アルバイトを頑張った。
    何事もなかったかのように、生きようとした。
    周囲に知られたくなかった。
    男の裏切りも、自分の病も。

    女は思った。
    男の心変わりに、しばらくは、耐えられる。
    でも、傷つきながら、合意なんて成立しない。
    それも知っていた。

    ある日、男は離婚を要求した。
    女は拒否した。
    不条理に晒されて、応じる理由がない。

    その頃から、女の耳に囁きが、聞こえ始めた。
    訳の分からない、囁きだった。
    音は、女の内側から生まれていた。

    やがて世間に、男の相手のことが知られた。
    人々は女を「可哀想」だと言った。

    女は、それに傷ついた。
    可哀想な自分を見られることに、耐えられなかった。

    男は批判されても、平気で働き続けた。
    女の傷より、自分への非難が気になった。

    男は「別れた。」と言った。
    女は信じなかった。

    女は、この状況から、抜け出したかった。
    知り合いのいない世界で、暮らしたかった。

    男は女をなだめようとした。
    愛ではなく、問題を大きくしたくないという信念で。

    男は以前と同じように、女をレストランへ連れていこうとした。
    イベントを作って、喜ばせようとした。

    でも女の心は、遠くへ行ってしまっていた。
    女は懇願した。
    もうやめてほしい、と。

    囁きは、ひどくなった。
    女は、追いかけられている気がした。
    でも女は、男に病を見せたくなかった。

    男はいつからか、知っていたのかもしれない。
    配慮で、見ないふりをしたのか。
    無関心だったのか。
    無知だったのか。
    分からない。

    女は思った。
    男女が出会って愛を始め、幸せを築くなんて、おとぎ話だ。
    愛が与える幸せを、女は断念した。
    そうでなくても、意味のある人生があるはずだと信じたかった。

    女は青い空に慰められたかった。
    でも疲れすぎていた。

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    「慰めが遅れて届く」「理解されない」が伝わる。

    女は言った。
    「離婚しよう。もう、同じ夢を見ようとは言わない。」
    「私たちは最初から、違う道を歩いていた。」

    女は泣いた。
    囁きが聞こえた。
    女は首を振って、音を払いのけようとした。

    病を隠したい女は、男から、本気で離れようとした。


    #H


    女はここに至るまでに、二度、死を選びかけた。
    けれど、どちらも未遂に終わった。

    女の強い決意に、男は条件を出した。
    離婚はしない。
    その代わり、女は別の地域で暮らしていい。

    二人の間には、崩せない厚い壁ができた。
    陰鬱で、濡れた壁だった。

    男は女を理解できず、女は男を信用しなかった。

    女は新しい街へ行き、新しい仕事を探した。
    時給が高い仕事をしなければ、と焦って、興味のない仕事を選んだ。
    「大丈夫だ。」
    女は自分に言い聞かせた。

    女は思った。
    自分は、計画より強い運命と戦っている。
    運命が、勝てない女を、嘲笑っている気がした。

    それでも女は、器を焼いた。
    自分のやり方を探しながら、生きようとした。

    男は月末に女を訪ねた。
    義務のように。
    女は少し慰められる。
    でも信じなかった。

    囁きが邪魔だった。
    女は耳栓をした。
    病を悟られないように。

    もっと注意が必要だと女は思った。
    でも女は、ただ疲れ果ててもいた。

    ベンチに座り、青い空を見た。
    女は思い出した。
    自分にも夢があった。

    「どこへ行ったのだろう。私の夢は……」

    耳の奥底から、囁きが返ってきた。

    女は目を閉じた。
    風が頭上を通り過ぎる。
    束の間、平和だと思う瞬間だった。

    女はふと、思った。
    チェシャ猫が訪ねてきてくれたらいいのに、と。

    「歩き続ければ、必ずどこかに辿り着ける。」
    その言葉が、疲れた女には、小さな希望に見えたから。


    #I


    ──旅は、仲直りではなく、“確認”のためにある。


    囁きがひどくなったと女が言うと、男は海外旅行を提案した。
    女は提案を、受け入れた。
    二人は、旅に出た。

    男は、仲が良くなったと思った。
    でも女は、男を信用していなかった。

    女は一生懸命、器を焼いた。
    才能は、光っていた。
    でも視線は薄れ、疑いの眼差しになっていった。

    感情の起伏に、女は怒りを覚えた。
    どこからか、こんな声がした。
    「もう、楽になりたい。」

    得体の知れない恐怖が走る。

    女は思っていた。
    男は、他の女と別れていない。

    女は偶然、男に届いたメールを読んだ。
    男が働く姿はかっこいい、と書かれていた。
    頻繁に届いていた。

    女は男のだらしない対処に、裏切られた気持ちになった。

    ただの男女の与太話と、言いたくなかった。
    女にとって、それは不躾で、許せないことだった。

    愛していない男女が、夫婦という名目だけを残して、完全に離れて暮らす。
    そんな奇妙な形が、女の人生を覆っていった。

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    もう努力して生きたくない

    #J


    ──自由は、ときどき、涙の形で現れる。

    女は一人でいる方がよかった。
    寂しい。
    でも愛を求めない方が、心が安らぐ気がした。

    囁きは聞こえ続けた。
    女は耐えた。
    ただ時間が過ぎればいいと思いながら。

    家族が、突然訪ねてきた。
    女は嫌だった。
    でも親切に迎え入れた。

    家族は言った。
    慰謝料を、大きく取るべきだ、と。
    女は思った。
    ──この人たちは、誰なんだろう。

    女は言った。
    もう訪ねてこないでほしい。

    その夜、女は布団の中で泣いた。
    孤独感で、体が震えた。

    陶芸の時間だけが、女にとって一番楽しかった。
    その時間だけ、病は静かだった。

    ある普通の日曜日。
    公園へ行った。
    秋の空は高かった。

    飛行機が広い空を飛んでいた。
    女は思った。
    遠くへ飛んでいきたい空だ。

    そして女はふと、もう努力して、生きたくないと思った。
    ただ自由でいたい。

    女は男にメールした。
    離婚したい。慰謝料はいらない。

    青い空があるから幸せだと、その瞬間女は思った。
    とても単純な理由だった。

    女は病院に電話した。
    診察を受けるために。

    男から返事は来なかった。



    3日間、最後まで読んで頂きたく、門をあけました。(#K〜#L)

    ここから先は、彼女が「壊れたまま」では終わらなかった証です。
    この続きを、私は丁寧に手渡したい。宜しくお願いします。


    #K

    ──小さな希望は、いつも“行く”ことでしか手に入らない。

    翌朝、女は病院へ行った。
    長い時間、医師と話した。
    医師は言った。
    「一緒に治療していきましょう。」

    女は得体の知れない涙を流した。
    女は時給が高いだけで適性に合わない仕事を辞めた。

    工房へ行った。
    女の顔に小さな光が差した。

    男から返事は来なかった。
    でも女は決めていた。

    工房の先生が台湾で展覧会をする。
    先生が女に言った。
    サポートしてほしい。

    女は躊躇した。
    一ヶ月の海外生活が怖かった。
    病を隠したかった。

    でも女は思い出した。
    若い頃、青年海外協力隊に行きたかった。
    その勇気が、まだどこかに残っていた。

    女は提案を受け入れた。
    胸がきゅんとした。
    生きているという感じがした。

    囁きが聞こえた。
    小さく、しかしはっきりと。
    「大丈夫だ。」

    三日後、男からメールが届いた。
    「離婚しよう。」

    女は淡々としようとした。
    でも寂しさがこみ上げ、涙が溢れた。

    二ヶ月後。
    女は先生とスタッフと一緒に、台湾へ向かった。

    青い空が美しかった。
    飛び立ちたい空だった。


    #L
    ──終わらない囁きは、いつか“子守唄”に変わる。

    五年が経った。

    女は小さなカフェの長い棚に、器を並べていた。
    異国情緒のある、北の港町。
    坂道の中腹。
    カフェにはコーヒーの香りが漂っている。

    ここは、女が三年前から営む陶器カフェだった。
    値段のほどよい器が、可愛らしく並べられて売られている。

    女は中年になりつつあった。
    献身的に店を守り、愛情を注いだ。

    女の作ったコーヒーカップは人気になり、遠方からも注文が来た。

    女は今も病院に通っている。
    でも恐怖はもう少なかった。
    自由を感じていた。

    女には二匹の猫がいた。
    チェシャとアリス。

    不思議の国のアリスが迷ったとき、
    チェシャ猫は言う。
    「止まらずに進み続ければ、どこかに辿り着ける。」

    アリスにはチェシャがいる。
    だから迷子にならない。

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    止まらずに歩けば、どこかに辿り着ける。

    女もまた、歩く。
    青い空が教えてくれる道を、立ち止まらずに。
    黙々と。

    囁きは、ときどき遠くで鳴る。
    けれどもう、それは女を縛る鎖ではない。

    子守唄のように、
    夜を越えるための、
    小さな合図になっていた。


    あとがき

    最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

    本編のラストで、彼女は自分の店を持ち、笑顔でコーヒーを淹れていました。

    けれど、現実の彼女は違いました。 彼女は優秀で、才能に溢れていながら、社会の歪みと「音」に押し潰され、40歳という若さで自ら雪の中で足を止めてしまいました。

    彼女を殺したのは誰か。 家族か、伴侶か、それとも「コスト」や「効率」ばかりを優先し、人の痛みを切り捨てるこの社会のシステムそのものか。

    私はこの物語を書くことで、時間を巻き戻したかったのです。 もし、誰かがほんの少し違う言葉をかけていたら。 もし、彼女が「チェシャ猫」のような導きに出会えていたら。

    物語の中だけでも、彼女を生かしたかった。 そして、今も同じような「囁き」に苦しんでいる誰かに、「別の結末(ルート)はあるんだよ」と伝えたかった。

    これは彼女への鎮魂歌(レクイエム)であり、生きているあなたへの招待状です。

    いつかこの物語が映像となり、スクリーンを通して多くの「孤独な魂」に届くことを信じて。

    Rene

    ※「読了した方は、コメントに『青い空』とだけ残してください。」


    Rene三部作の入口として

    この物語が刺さった方へ。
    「止まり木」と「追い風」の物語も、ここにあります。

    (そして、旅のカーテンコール=第21稿も、プロフィールに置いてあります)


    主題曲(記憶の鍵として)

    ・Deja vu —— 終わりなき囁き:Capercaillie - 「Tighinn air a' mhuir tha fear a phòsas mi」
    ・風のコーダ:the band apart「K.AND HIS BIKE」
    ・流氷の哭き声レストラン:Pierre Bensusan「L'Alchimiste」

    • Logline1行)
      鳴り止まない囁きに追い詰められた女性が、“陶”と“旅”で自分の結末を書き換えようとする再生譚。

    • Tone:静謐/冬の光/ロードムービーの気配

    • Format:映画 110分 / リミテッド 4芹30分)

    • Key Motif:青空/器/耳栓/猫(チェシャとアリス)

    • Comparable:日本の私小説×欧州映画の余韻


     
     
    韓国生まれ。NZ、Sydney、北オホーツク、釜山を経て札幌へ。元・人気店シェフ。食・音楽・土地・異文化の記憶から「生きなおす」物語を書く。『風のコーダ』『流氷の哭き声レストラン』ほか。日韓英。

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