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ゼロにならなくてもいい。複雑性PTSDを抱え、おぼつかない足元で歩む「仲間」のあなたへ

    苦しみながら生きている人はどのくらいいるのかな
    そんなことを思うことがあります。

    きっと大勢いるのだと思います。
    それぞれに抱える問題は違えど、苦しさの中、それぞれが一生懸命に生きているのだと思います。
    逆に苦しすぎて淡々としている、という人もいるのではないかとも思います。

    今回実は急に言葉にしてみたくなったことがあって、それを収めようと今書き始めました。


    そしてこの続きは、虐待の話やメンタル疾患についての内容が多く出てきます。
    興味がない方や、万が一何か嫌な感じがするという方は続きをご覧にならないことをお勧めします。
    しかし、同じ経験者やそれらに関わる人に読んでもらえることはとても心強く思います。
    特別フラッシュバックを誘発するような表現は控えていますが、時折私の過去の体験を一部含む内容が書かれています。

    私は生まれてから一度も父親に会ったことがありません。
    会ったことがないだけではなく、一度も顔を見たこともないですし、どこにいるのか、今生きているのかもわかりません。
    もちろん探したこともありませんし、今後探す気もありません。
    なぜ会ったことがないかというと、私が生まれて間もなく私の母は私を連れて家を出て、そして離婚したそうです。
    きっと感情に任せて家を飛び出し、自分の実家に逃げ込んだんだろうなと、だいたい想像がつきます。
    他責思考の母はきっと、離婚の理由は相手にあって悪いのは全て相手だと、そう周りの人に言っていたんだろうなと、聞かなくてもこちらも想像できます。
    だから私の父親は最低最悪な男で、その最低最悪な男の血が半分流れている私のことが、母は大嫌いだったはずです。
    汚らわしいから。
    子供の頃、そのようなことを何度も何度も言われたのを鮮明に覚えていて今後も忘れることはないと思います。

    他責思考
    被害者意識が強い
    突然キレまくる

    このような母には、子供で弱く、そして『自分の子供だから』好き勝手に言葉を投げつけることができるし、もちろん身体的暴力だってできるなと、客観的に見ても思います。
    母と私は二人暮らしだったので、人目を気にする事なく何だってできたのです。
    嫌いな私が目の前にいれば、それは気に食わないことがあろうとなかろうと、ターゲットになるのはいつだって私です。

    顔には傷が残りました。
    背中にはミミズ腫れができ、お腹にはアザ、私の大切にしているとわかった物は破壊し、部屋は一瞬にしてひっくり返されました。
    食事の時間さえも、いつ飛んでくるかわからない暴力に怯える時間でした。
    泣けばご飯を捨てられるから、ただ無感情になりきり耐え忍んでいました。私の体調が悪い時は、母の機嫌が悪くいつもひどく怒られました。
    「お前はいつもそうやって疲れてるのに余計な仕事を増やして一体何様だ」と。

    そうやって子供の頃は暮らしていました。
    それが普通だとも思っていました。

    そんなことがあったからか、今もなお精神疾患を抱えています。
    そしておそらくそれは、一生消えることのないものなのだと、今改めて強く感じます。
    どうしても、過去の苦しみから、そして現在の苦しみから解放されることがないのです。

    私の精神疾患ですが、診断されているものは以下のものです。
    複雑性PTSD
    社会不安障害
    パニック障害
    強迫性障害

    どの順番で発症したかは、わかりません。
    ですがそもそもの根底にあるものはトラウマと言われるもののように感じます。
    私の場合、複雑性PTSDというものがそれに当てはまると思うのですが、やはりここが起点になっている気がしているのです。
    医師の見立てでもその可能性は高そうということです。
    パニック発作、対人恐怖、会食の苦痛、悪夢、そして強迫観念。
    これら全てがトラウマという根っこから伸びた枝葉のように私には感じられるのです。
    素人の私でも心当たりがあるなという感覚です。
    ですが唯一の強迫性障害に限っては、トラウマの有無はあまり関係ないような感覚もあるのです。
    というのも、それがどうトラウマに関わっているのかがいまいちわからないというか、繋がらないという感覚です。
    なんとなくここだけは私の元々持っていたものの一部に感じるんですよね。
    なんとなくですが。

    ただ、一番最初に気づいていたのが『人と食事をするのが怖い』ということ。
    私が保育園に通っていたころから、ここには自分で気づいていました。
    給食の時間が恐怖だったからです。
    お昼が大っ嫌いでした。

    強迫性障害の症状に自分で気付いたのは、小学校に上がってすぐ位だったと思います。
    やけに手を洗ったり、持ち物を何度も確認したり、寝る前にあらゆることを何度も確認しなければ眠れなかったからです。
    自分の中に『儀式』がしっかりありました。
    確認には決まった回数があります。
    母に怒られると思って隠れてやっていました。
    努力の甲斐なく気づかれて、怒られたこともあります。

    その後小学4年生くらいの時に初めてパニック発作が起きました。

    簡単ですが、そんな流れだったと思います。

    そして、19歳かそのくらいに初めて精神科にかかった時「あなたにはトラウマがある」と言われたのです。
    素直な感想は「何言ってるんだろ、この先生は」です。
    そのころは複雑性PTSDというものがなく「発達性トラウマ障害やPTSDのような感じ」みたいな診断だったと思います。
    複雑性PTSDと発達性トラウマ障害の概念は同じように感じますし、私の場合どちらとも当てはまる気がしています。素人ながらの意見です。

    でも当時は受け入れられませんでした。
    病院に行くのをやめようと思いました。
    トラウマがあるとか、そんなこと言われたくないと、謎の拒絶感が湧いてきて、すごく劣等感を刺激され、より一層苦しむことになりました。

    そして今どうしているかというと、
    年だけは重ねていますが何も変わっていません。
    年月だけが流れて、心はどこかに置き去りな感覚かもしれません。
    何も変わっていないと言うと、すごくネガティブさを含んでいるかのようですが、もちろんネガティブさもあります。
    だって現状は変わっていないのですから。
    そして寛解ということにもなっていません。

    ですが、悪化していないことと、心が柔らかくなってきたことは、年齢と共にポジティブな感覚に変わってきました。
    それから「自分一人ではない」ということを知ることができたことは、苦しみの中にいた私の心を救う一つのきっかけになったと感じています。
    「仲間がいて嬉しい!」と言う感覚とは少し違って、
    「仲間がいるとなんだか心強い」と言う感じでしょうか。

    やはり子供の頃に体験する、ある種不幸とも言える体験をする人がいることはすごく嫌ですし、今後も一人でも少なくなればいいと強く願っています。
    なかなか難しい問題ではあるとはわかりながら、それでも願わずにはいられません。

    それから、似た苦しみを体験している人には親しみを感じずにはいられません。
    私はこのような過去にあった事を話す事は、自分にとって小さなことではないのです。

    誰にも知られたくないと思っていたし「かわいそう」と思われる事が一番嫌だったから。
    辛い時や悲しい時、そしてそんな経験の全てが恥ずかしいことに思えたし、情けなくて、なぜか頓珍漢なことを言って誤魔化したりしてしまっていました。

    でもある時から、私と同じ気持ちを抱えて生きている人がいると知った時から少しずつ考え方が変わっていったのです。
    私と同じ気持ちを抱えている人のことを
    『それは恥ずかしいことだ』
    そんなことを思うわけがないです。
    なのに自分で恥ずかしいなんて言っているのは、私の仲間達にとても失礼な事だって気づいたのでした。
    だから必要がある時や必要ありそうに感じる時は、私の過去のことや気持ちを話すようになっていきました。

    ところで「苦しみの中で生きている」という言葉を何度も出してきたと思いますが、実際にはどんな苦しみだったかについても少し触れてみたいと思います。

    端的に言うと、怖いのです。
    何かに怯えているのです。
    それは過去のことなのか、今のことなのか、それとも未来のことなのか、全てなのか。

    過去の辛い記憶から、今起きることのないことを心配して、そしてその先の未来のことまで心配している状態というとわかりやすいのかもしれません。
    何に対してかというと、人に対しても、自分に対しても怖さはあります。
    だからと言って人が嫌いなわけではないのです。これは私の場合です。

    特別人と関わることに強い恐怖があるというわけではないけれど、時々玄関から出られない、という事があります。
    なぜかはわかりません。
    無理やり勇気を出して一歩踏み出してみれば、案外平気だったりするけれど、その一歩を踏み出すまでの自分の中での葛藤が、とにかく怖いのです。
    パニック発作がいつ出るかわからない恐怖と、確認行動や汚染が恐怖で生活に影響が出ていることも。
    そんな自分がやるせなくて沈みがちになる日々です。
    このままの自分でいいのかと、日々湧き上がる不安や焦りが止まらないのです。
    子供の頃の記憶が時々甦り、怖さと悔しさと苛立ちが湧いてくることもあります。呼吸や脈が乱れ、眠れない夜が続くことも多くあります。
    一度バランスを崩すとしばらくは元には戻れなくて、また苦しい日々を過ごすことになります。

    それは40代になった今でも続いています。
    若い頃は「治さなきゃ」という気持ちと「気づかないふり」、そして「そんな弱い部分を隠し切ろう」そうやってやってきたけれど、今は「どう上手く付き合っていくのか」という感覚に変わってきました。
    きっと少なからずこれからも続いていくでしょう。
    おそらく本当の意味での克服は、私には訪れないのだろうと半ば諦めているのです。

    この諦めは、良い意味なんです。
    ゼロになることはない。
    けれど、ゼロに近くなることはあるかもしれない。
    「今日は7くらい辛いけど、来月には3くらいまで楽になっているかもしれない」
    そんな感じです。
    少しでも気持ちが楽になればいいのです。
    楽になれる方法は、人それぞれなのかなと最近すごく思っていました。
    答えは一つではないんだなぁ、と感じます。

    巷では、克服された方の言葉が目立ちます。
    今正に渦中にいる、と言う方の言葉は少なく感じます。
    克服された方を目にすると「すごいなぁ」と言う気持ちと「羨ましいなぁ」と言う気持ちの後、必ず焦りと不安が押し寄せてきます。
    良くならない自分が、より劣っていると感じ始めるのです。
    でも克服された方には、とても興味があります。
    希望も見える気がします。

    一方で、やはり今辛い中にいる人の言葉はより心に沁み渡り、心強くなれます。

    私も克服はしていません。
    なので私の言葉で、少しでも心が軽くなったり心強く感じてもらえたり、「仲間がいる、一人じゃない」と言う気持ちになってもらえることは、私が経験した事がただ辛い過去だったでは終わらずに、そこに意味を見出せたとしたら、もしかしたら私はそれで少し救われるのかもしれません。
    無意味ではなかったと思えることは、私の心が和らぐのかもしれません。

    私の場合、実は本格的なトラウマに関する治療を積極的にはしていません。
    というのもトラウマを専門に扱っている病院、医師が近くにいないのです。
    私が現在通院している病院の先生は、私にちゃんと「私はトラウマに関することを専門にしていなくてあまり詳しくない」ということを教えてくれていたので、とても信頼している先生です。
    ですから、トラウマに関する治療は本格的に行なっていないのだと理解しています。
    でもそれは、私の先生が別の専門だから仕方がない。
    田舎に住んでいますから、しょうがないと思っています。

    それでも、色々と試してみたりはしていますが、根本的な治療は行なっていないのが現状です。
    ですから、もしもここからトラウマに関する治療に力を入れたとしたら、もっと違う何かか起きるのでは?という希望もあるのです。
    ただ先ほども言っていた通り、そういった病院などは近くになく八方塞がりと言えるのかなと思っています。
    今は相変わらず、頓服などで対応している状況です。

    あとは自分でできるケアは、できる時は欠かさず行うようにしています。
    ケアの内容は、呼吸を意識すること。
    そして最近気づいた事があります。

    こうやって過去のことや恐怖心を常に持っていることって「疲れるんだ」ということに気づきました。
    今までは「私は疲れることは何もしていない」と思い込んでいたから。
    怠惰な自分が疲れるわけない
    疲れたと言うのは、頑張っている人に対してすごく失礼なんじゃないか
    そう思っていたから、疲れていると想像もしなかったし、ちゃんと休むということも意識できていなかったのです。
    だから今は休むことを積極的に意識して取り入れることにしています。

    あとは、そんな自分に対して「生きる意味はあるのか」とか「存在していてもいいのだろうか」ということは問わないことにしています。
    無意識に考え始めるので、気をつけているのです。

    そして、仲間がいると思うことが力になって、そして大丈夫、という気持ちにさせてくれる事が本当に救いとなっています。

    最後に、これだけは伝えさせてください。
    あなたは一人ではありません。
    ここにも、同じように悩み、迷いながら歩いている仲間がいます。
    私たちは、劇的な回復は難しいかもしれません。
    それでも、こうして繋がっているという事実が、明日をほんの少しだけ軽くしてくれると信じています。
    あなたの苦しみが、いつかほんの少しでも柔らかなものに変わることを、心から願っています。
    一緒にゆっくりと、おぼつかない足元ながらも歩んでいきたいです。




     
     
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