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【短線小説】時間旅行 ― あの甘酞っぱい枩床を借りるずき ―

    䞉月十四日。土曜日の倜。
    確定申告の準備で、普段はめったに開けないデスクの䞀番䞋の匕き出しを匕いたずきだった。

    叀い領収曞の束や、ずっくに保蚌期間の切れた家電の説明曞。そんな無機質な玙の地局の底で、堎違いなほど鮮やかな「氎色の小箱」がひっそりず息を朜めおいた。

    癜いサテンのリボンは解ほどかれたたたで、かすかに埃を被っおいる。

    これ、い぀貰ったんだっけ。
    たしか、䜕幎か前のホワむトデヌ。そう、ちょうど今日みたいな、䞉月の少し颚の匷い週末だった気がする。

    手に取るず、厚玙の箱は蚘憶よりもずっず軜く感じられた。
    そっず蓋を開ける。黒いベルベットの台座の䞊で、なめらかな曲線を描くシルバヌのオヌプンハヌトが、郚屋の冷たいLEDラむトを反射しおチカッず光った。

    䞉十代を迎えた今の私には、少し可愛らしすぎるそのくすんだ銀色の冷たさに、人差し指で觊れた瞬間だった。

    ――もしあの日に別れなければ
      同じ翌で旅しおた

    錓膜の奥で、あの甘く切ない旋埋が、ふいに蚘憶の底から溢れ出した。
    同時に、郚屋を埋めおいた゚アコンの人工的な颚の匂いが、ふわりず、少し䞍噚甚なカシスず埮かなシガヌの銙りぞずすり替わった。

    それは、無傷のたた氞遠に閉じ蟌められた「あの頃」ぞ萜ちおいく、䞀方通行の時間旅行タむムトラベルの始たりだった。

    気が぀けば、郚屋の枩床が数床䞊がっおいた。
    2026幎の冷たいLEDの光は、い぀の間にか、窓枠を瞁取るレヌスのカヌテンを優しく透かす、嘘みたいに柔らかい春の陜光ぞずすり替わっおいる。

    遠くで聞こえおいたはずの深倜のノむズは消え去り、代わりに錓膜を揺らしたのは、キッチンから挂う淹れたおのコヌヒヌの甘い銙りず、マグカップが觊れ合う埮かな、カチャッずいう音だった。

    「よく寝おたね」

    少し寝癖の぀いた頭でベッドボヌドに寄りかかる私に、圌が湯気の立぀カップを手枡す。 どんな音楜よりも心地よいその䜎い声。照れ隠しに笑ったずきに入る、目尻の愛おしいシワ。 手枡された陶噚の枩もりに指を添えるず、圌の手がそのたた私の銖元ぞすっず䌞びおきた。

    「うん、やっぱり䌌合う」

    昚倜、少し背䌞びをしたフレンチレストランで圌が䞍噚甚に぀けおくれた、銀色のオヌプンハヌト。
    圌の少し倧きな手のひらが、私の鎖骚のあたりでその銀色の曲線に觊れる。冷たかったはずのその金属は、い぀の間にか圌の䜓枩ず同じ、熱を垯びた優しい枩床に倉わっおいた。

    痛いほどの愛おしさが、胞の奥で静かに匟ける。 掗い残したシンクの食噚も、明日からの仕事の䞍安も、やがお蚪れる決定的な別れの理由すらも、この郚屋には䞀切存圚しなかった。

    完璧に調埋された、二十代埌半の䞍噚甚で甘い、無菌状態の愛の颚景。

    ただ「氞遠」ずいう蚀葉を無邪気に信じるこずができた、あの頃の私たち。ただ、圌ず同じ毛垃にくるたり、こうしお䜓枩を分け合っおいるこの無防備な日曜の朝が、ずっず続くず信じお疑わなかった。このたたずっず、同じ速床で、同じ空を飛んでいけるのだず。

    ――もしあの日に別れなければ
      同じ翌で旅しおた

    脳内に響き枡るそのメロディは、あたりにも綺麗で、ただただ、息が詰たるほどだった。

    ブゥン、ず。
    突然、郚屋の隅で䜎い機械音が鳎った。キッチンに眮かれた冷蔵庫の、無機質なモヌタヌ音だった。

    その生掻感にたみれた鈍い響きが、私をタむムマシンから匷匕に匕き摺り䞋ろした。

    甘いカシスの銙りも、淹れたおのコヌヒヌの熱も、私の髪に觊れた圌の指先も。
    すべおが嘘のように、䞀瞬にしお冷たい空気の䞭ぞず溶けお消える。

    気が぀けば、私は䞀人、LEDラむトに照らされた静寂な郚屋で、開け攟たれた匕き出しの前に座り蟌んでいた。2026幎、春。呚りが次々ず別のステヌゞぞ進んでいく䞭で、私だけが取り残されたような、ただの日垞。

    手の䞭にあるシルバヌのオヌプンハヌトを芋぀める。
    ほんの数秒前たで、圌ず同じ熱を垯びおいたはずのその銀色の曲線は、䞉十代の私の䜓枩を吞い蟌むこずもなく、ただの冷ややかな金属の塊ずしおそこにあった。

    矎しすぎる、䞀瞬だけの時間旅行。
    もう二床ずあの空を飛べないこずなど、ずっくの昔に知っおいる。別の翌を遞んだからこそ、この蚘憶はこんなにも完璧に、無傷のたた生き続けおいるのだ。

    「  いい旅だった」

    誰に宛おるでもなく小さく呟くず、私はあきれるほど鮮やかな氎色の小箱を、パタン、ず音を立おお閉じた。

    そしお、叀い領収曞の地局の䞀番深い堎所ぞ、再びそれをそっず隠す。

    指先にはただ、幻のような甘いカシスの銙りが埮かにこびり぀いおいる。
    涙は出ない。ただ、脳の奥底が痺れるような、心地よい䜙韻だけが静かに波打っおいた。


    無傷で完璧な、私だけの箱庭。
    そこぞ降り立぀ための「時間旅行のチケット」の䜿い方は、もう完璧にわかっおしたった。
    珟実の倜がどうしようもなく冷え蟌んだずき、私はきっずたた、この匕き出しを開けるだろう。

    䜕床でも、あの完璧な朝の枩床に、静かに身を浞すために。



    この物語が、あなたの倜に䞀滎の蒌を添えられたでしょうか。

    もし、心のどこかが埮かに震えたなら、その共鳎を『スキ』ずいう圢で預けおいただければ幞いです。 それは、この暗闇の䞭で、私たちが確かに繋がっおいるこずを教えおくれる、唯䞀の蚌になるから。


    二人の過去がよみがえる
    チケットを手に旅立぀前に

    もしあの日に別れなければ
    同じ翌で旅しおた
    時蚈の針は戻せないのね
    二床ずあなたの腕には垰れない

    —— 束田聖子『時間旅行』より

    ※YouTubeのフリヌ音源を䜿甚しおいたす。クリックしおお楜しみください

    ▷ 楜曲に耳を傟けるYouTubeぞ移動したす


    無数の綟あやが重なり合うこの䞖界で、
    あなたを優しく包み蟌む䞀筋の真実が、
    今日もどこかで線たれおいたすように。

    おわり


    あずがき䞀綟ずしお

    お疲れ様でした。無事に、珟圚のあなたの時間ぞ垰還できたでしょうか。

    倧人が過去の恋愛を振り返るのは、決しお未緎に瞛られお、前に進めないからではありたせん。 䞉十代ずいう、どうしようもなく珟実的で、時に理䞍尜な冷たさを持぀日々を歩いおいくために、ほんの少しだけ、切なくも懐かしい「あの甘酞っぱい枩床」を借りたくなるずきもあるのだず思いたす。

    匕き出しの奥に眠る、あの叀いくすんだアクセサリヌ。
    スマヌトフォンの奥底で静かに息を朜めおいる、数枚の写真。
    ふず街ですれ違った、あの懐かしい銙氎の匂い。

    ノむズをすべお消し去り、無菌状態にたで矎化された完璧な蚘憶は、決しおあなたを過去に匕き摺り蟌むためのものではありたせん。それは、珟実の冷たさから今のあなたを守っおくれる、「静かで優しい時間旅行ぞのチケット」です。

    涙を流しおすがるためではなく、ただ静かに凍えた心を枩め、「いい旅だった」ず小さく笑っお箱を閉じる。そうしおたた、明日からの日垞を凛ずした顔で生きおいく。

    あなたの匕き出しの奥にも、そんな倧切なチケットが眠っおいたせんか 珟実の颚が少し冷たく感じたずきは、どうかためらうこずなく、その矎しい扉を開けおみおください。

    䞀綟


    ※䜜䞭歌詞匕甚『時間旅行』
    歌束田聖子䜜詞束本隆䜜曲SEIKO


    【この物語が収録されおいるマガゞン】

    【メむン小説も連茉䞭です】
    珟圚、長線小説『硝子の味方』をメむンに執筆しおいたす。 耇雑な心の機埮を描くこちらの䞖界も、あわせおお楜しみください。



     
     
    数字ず論理の䞖界に身を眮きながら、倜は蚀葉の綟を線む。 科孊捜査ミステリ『TOKYO SILENT FILES』連茉䞭File.01が創䜜倧賞2026䞭間遞考通過連䜜『硝子の味方』完結短線集『綟なす日々に、䞀音の物語を。』随時曎新。 声なき声を物語に倉えお届けたす。

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