
わたしのヒーローは、あの時の自分だ。
ふと、学生時代の自分を思い出すことがある。
あの頃の私は、毎日必死だった。
誰にも言わなかったし、誰にも気づかれなかったけれど、
わたしは未来の自分を救うためにずっと走り続けていた。
小学生のわたしは、授業で当てられると黙りこむ子どもだった。
宿題は分からないからできない。
「分からない」と言葉にすることもできず、ただ黙っていた。
成績のことで親から叱られたことがないと言うと
「寛容な親御さんだね」と言われることがある。
でも実際は、教育に関心がなかっただけだ。
勉強のやり方を教えてくれる人はいなかった。
中学に入ると、さらに置いていかれた。
テストは20点、30点。
授業中は化石みたいに固まって、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
そんな中、転機がおとずれた。
酒かす・ヤニカス・ぱちんかす3連発の父が
ある日突然失踪したのだ。
借金で首がまわらなくなったらしい。
1週間で帰ってきたが、これは家族の崩壊のはじまりだった。
父はうつ病になり、無職になり、わが家は貧困に転げ落ちた。
自殺未遂、暴れる音、突然の高額な買い物、
ぜんぶ病気のせいだけれど、
中学生のわたしには到底受け止めきれるものではなかった。
母は次々に起こるトラブルにいつも翻弄され、疲れ果てていた。
無理。ここから抜け出さなきゃ。
強烈な飢餓感におそわれた私は、がむしゃらに勉強を始めた。
逃げ道がないとき、人は強くなるものだ。
底辺高校で成績学年1位。英検2級。
決してすごいこととは言えない。
でも、あの頃の私は、未来の自分を救うために本気だった。
勉強だけじゃない。
時給700円のバイト代を、 服にも遊びにも使わず、
進学費用や教習所代、日々の雑費に充てた。
勉強、家事、バイト。
休日はないも同然だった。
連日、夜遅くまで働く母をみて
「母が病気になってしまうかもしれない」と心配で仕方なかった。
だから、兄弟のお弁当を作った。
母の物理的な負担を少しでも減らしたかったから。
晩御飯をつくり、掃除も洗濯もした。
誰にも頼まれたわけでもないし、
誰にも褒められるわけでもないけど、
わたしは家族を守りたかった。
もし、タイムマシンがあるなら
いちばん会いたいのはあの頃の私だ。
あの時の自分に会えるなら、 可愛い服をプレゼントして、
3万渡して 「遊んでおいで!」って言ってあげたい。
家の事情をだれにも話さず、
何もないかのように振る舞う私を抱きしめて、
いっしょに泣いてあげたい。
進路だって、自分で切り開いた。
兄弟は勉強に興味がなく、高校卒業後は就職した。
家族からは「りんも就職してほしい」と言われたけれど、 私は嫌だった。
地元で働いても貧困の連鎖からは抜け出せないと分かっていたからだ。
かといって、家族に経済的な負担をかけたいわけじゃなかった。
だから、 「どうすれば家族に負担をかけずに、未来を変えられるか」 それを必死に調べた。
看護師の資格を取ったのは、 あの子が選んだ“脱出ルート”だった。
受験費用、入学金、教科書代、生活費、引っ越し代。
全部調べて、 バイト代と奨学金で賄えると説明すると、家族は納得してくれた。
結局、看護師は体力的にも精神的にもきつくて続けられなかったけれど、
その選択のおかげで今の夫に出会えた。
だから私は、あの頃の自分の選択を否定できない。
あの頃の私へ。
わたしは30歳になりました。
とんでもなく優しくて、愛らしくて、頼りになる旦那さんと毎日楽しく生きています。
紛れもなく、あなたが折れずに走ってくれたおかげです。
あの時夢中にがんばったことは、私の一生の宝物です。
勉強することの楽しさを教えてくれてありがとう。
今のわたしはあなたに胸をはれるような自分ではありません。
でも、また頑張れる気がしてきました。
時間はかかっても、自分が納得できるような自分になっていたいと思います。
わたしのヒーローは、これからもずっと、あの頃のわたしです。
おわり。