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父とわたし

    今日は父の日だ。
    海辺でルウと日焼けを楽しんでいて、
    ふと父の事が浮かんだ。
    人に話した事のない、父と私の関係を、
    記録として残そうと思った。

    父は生きていれば、今年で78歳。
    5年前に胃がんで亡くなった。
    高度成長期に構造建築設計士になり、
    幼かった私にはほぼ彼との思い出がない。
    週末も仕事で、平日も私たち姉妹が
    寝落ちてから帰宅するのが日常だった。

    覚えている幾つかの記憶のひとつ——
    私たち姉妹から水疱瘡をもらい、
    会社を休んでいる姿。
    いつも家にいない父がうちで寝ているのを、
    嬉しく感じたのを覚えている。

    私の肩たたきが大好きだった。
    CADなどない時代、
    手書きの図面を毎日10時間近く書いていたら、背中も肩もこるのは当然だ。
    私の指圧だと圧が足りないからと、
    寝ころんだ彼の背中を
    足踏みしてくれと頼まれた。
    気持ちがいいと、いつも喜んでいた。

    浅かった親子関係。
    後悔していないと言ったら嘘になる。
    でも、子供だった私には
    想定もつかない結末だった。
    仕方なかった、と思うしかない。

    彼が逝ってから5年。
    今日、海辺で初めて泣いた。
    死は知っていたのに、
    喪失がここに届くまでに時間がかかった。

    おそらく10歳くらいの頃。
    背景は虚ろだが、
    彼と将来の話をしていたのだろう。
    彼は、本当は構造設計ではなく
    意匠設計をやりたかったと話してくれた。
    好きな事を仕事にしなさい、と。
    そして、どこに行ってもいい、と。

    私はショックだった。
    「私が大人になってそばにいなくていいの?」
    と聞いたのを覚えている。 

    彼はこう言った。どこでも行っていいよ。
    遠くていい。
    お父さんがたまに遊びに行くから。

    悲しかった。
    なんでそんな事を言うんだろうと。
    突き放されたと感じた。

    上京するために家を出てから、
    母の教員免許が茨城県のものだったため、
    彼が東京で意匠建築をしたかった夢を
    断念したと知った。
    そして当時、業界で構造設計者が不足していて、若くして家族を持った彼は、
    構造設計者になる道を選んだのだと。

    分かってはいた。でも今、思う。

    「どこに行ってもいい」は、
    彼自身の後悔を私たちにさせないために言った言葉で、突き放した訳ではなかったんだと。 でも幼かった私には、悲しかった。
    言葉足らずなその言葉は、言霊になった。
    何度も何度も、
    私の頭の中で繰り返されたから。

    良かったのか、悪かったのか、
    今もわからない。

    私はカリフォルニアにいて、
    彼の死に目には会えなかった。
    会話の少なかった私たち。
    亡くなった後に、
    私に会いたがっていたと聞いた。

    そんな運命だったんだな、と思う。

    父は、言葉数の少ない、
    責任感の強い人だった。
    私たちのカルマは、
    次に生まれ変わった時にも続くのかな。

    I miss you deeply today.


    最後まで読んでくださって、
    ありがとうございます🙏🏻
    励みになります。


     
     
    Southern California在住。写真も、言葉も、その日その日に浮かんだことを書いてます。 Film Photography @iamayasaito Quote Page @onedaysquote

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