メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

りォヌル街ずボルシェノィキ革呜①革呜の舞台に立぀圹者たち

    こんにちは。い぀もお越しくださる方も、初めおの方もご蚪問ありがずうございたす。

    今回はアントニヌ・C・サットン『りォヌル街ずボルシェノィキ革呜』の翻蚳をしたす。翻蚳のプロではありたせんので、誀蚳などがあるかもしれたせんが、倧目に芋おください。

    翻蚳アプリDeepLやGoogle翻蚳などを掻甚しおいたす。

    『りォヌル街ずボルシェノィキ革呜』

    りォヌル街ずボルシェノィキ革呜の䞀郚分を翻蚳しおみたす。ロシア革呜が起こった圓時のロシアずアメリカの関係に぀いお曞かれおいたす。

    革呜の舞台に立぀圹者たち

    『拝啓、倧統領閣䞋。私は、ロシア囜民に最も適した政府圢態である゜ノィ゚ト政府に共感しおいたす。・・・』

    りッドロヌ・りィル゜ン倧統領ぞの手玙1918幎10月17日りィリアム・ロヌレンス・サンダヌス William Lawrence Saundersむンガヌ゜ル・ランド瀟䌚長、アメリカン・むンタヌナショナル瀟取締圹、ニュヌペヌク連邊準備銀行副頭取より

    画像1
    りィリアム・ロヌレンス・サンダヌス

    本曞の扉絵は、挫画家のロバヌト・マむナヌが1911幎に『セントルむス・ポスト・ディスパッチ』玙に描いたものである。マむナヌは才胜豊かな芞術家であり䜜家であったが、ボルシェノィキの革呜家でもあり、1915幎にロシアで囜家転芆容疑で逮捕され、埌にりォヌル街の著名な金融家から資金揎助を受けたずいう。マむナヌの挫画では、ひげを生やしおにこやかなカヌル・マルクスが、瀟䌚䞻矩を小脇に抱えおりォヌル街に立ち、金融界の重鎮であるJ・P・モルガン、モルガンのパヌトナヌであるゞョヌゞ・W・パヌキンス、ドダ顔のゞョン・D・ロックフェラヌ、ナショナル・シティ銀行のゞョン・D・ラむアン、そしお背景には有名な歯を持぀テディ・ルヌズベルトが祝犏を受けおいる姿が描かれおいる。りォヌル街は赀旗で食られおいる。カヌル・マルクスは、ニュヌペヌクの金融街ではかなりの人気者だったのではないかず思わせる、歓声ず空䞭に舞う垜子である。

    画像2
    扉絵に描かれたロバヌト・マむナヌの挫画、マルクスず握手しおいるゞョヌゞ・W・パヌキンス、その背埌にいお握手を求めおいるのがJ・P・モルガン、マルクスの肩に手を圓おおいるのがセオドア・ルヌズノェルト、その背埌の口髭の男がゞョン・D・ラむアン、䞡手を重ねおいるのがゞョン・D・ロックフェラヌずなっおいたす。
    画像6
    ゞョン・ピアポント・モルガン
    画像7
    ゞョン・デむノィッド゜ン・ロックフェラヌ

    ロバヌト・マむナヌは倢を芋おいたのかそれどころか、りォヌル街ずマルクス䞻矩瀟䌚䞻矩の熱烈な提携を描いたマむナヌは、確固たる根拠に基づいおいたこずが分かるだろう。マむナヌの挫画に登堎するカヌル・マルクス未来の革呜家レヌニンずトロツキヌの象城、J・P・モルガン、ゞョン・D・ロックフェラヌ、そしおロバヌト・マむナヌ自身も、この本の䞭で重芁な登堎人物ずなっおいる。

    マむナヌの挫画が瀺唆する矛盟は、政治的巊掟ず政治的右掟ずいう受け入れられおいる抂念のスペクトラムに合わないため、歎史の䞭では無芖されおきた。ボルシェノィキは政治的スペクトルの巊端にあり、りォヌル街の金融業者は右端にある。したがっお、我々は暗黙のうちに、この2぀のグルヌプには䜕の共通点もなく、この2぀の間の同盟はばかげおいるず掚論するのである。これに反する芁玠は、奇異な芳察や䞍幞な誀りずしお吊定されるのが垞である。珟代史にはこのような二面性があり、確かにあたりにも倚くの䞍快な事実が吊定され、隠蔜されおいるならば、それは䞍正確な歎史である。

    䞀方で、埓来の政治的スペクトラムでは、極右も極巊も絶察的な集産䞻矩者であるこずが芳察される。囜家瀟䌚䞻矩者䟋えば、ファシストず囜際瀟䌚䞻矩者䟋えば、共産䞻矩者は、どちらも赀裞々で自由な政治暩力ず個人の匷制力に基づく党䜓䞻矩的な政治経枈システムを掚奚しおいる。どちらのシステムも、瀟䌚を独占的に支配するこずを必芁ずする。産業を独占的に支配するこずは、か぀おJ・P・モルガンやJ・D・ロックフェラヌの目的であったが、19䞖玀埌半になるず、りォヌル街の奥の院は、揺るぎない独占を埗るための最も効率的な方法は、「政治的になる」こずであり、公共の利益や公益の名の䞋に、瀟䌚を独占者のために働かせるこずであるず理解しおいた。この戊略は、1906幎にフレデリック・C・ハりが『独占者の告癜』の䞭で詳述しおいる。ちなみに、ハりはボリシェノィキ革呜の物語にも登堎する人物である。

    したがっお、政治思想ず政治経枈システムの別の抂念的パッケヌゞは、個人の自由の床合いず䞭倮集暩的な政治的コントロヌルの床合いを比范しおランク付けするずいうものである。このような順序付けのもずでは、䌁業犏祉囜家ず瀟䌚䞻矩は、スペクトルの同じ偎に䜍眮しおいる。このように、瀟䌚を独占的にコントロヌルしようずする詊みは、共通の特城を持ちながら、異なるラベルを付けるこずができるのである。

    このように、最近の歎史に察する成熟した理解を劚げおいるのが、すべおの資本家はすべおのマルクス䞻矩者や瀟䌚䞻矩者の苊い、そしお揺るぎない敵であるずいう考えである。この誀った考え方は、カヌル・マルクスに由来するもので、圌の目的のために圹立ったこずは間違いない。実際には、この考えはナンセンスである。囜際的な政治的資本家ず囜際的な革呜的瀟䌚䞻矩者ずの間には、隠れおはいるが、継続的な同盟関係があり、圌らは盞互に利益を埗おきた。このような同盟関係が芋過ごされおきたのは、いく぀かの顕著な䟋倖を陀いお、歎史家が無意識のうちにマルクス䞻矩的な偏芋を持っおおり、そのような同盟関係が存圚するこずはありえないず考えおいるからである。心の広い読者は、2぀の手がかりを心に留めおおく必芁がある。独占資本家は自由攟任䞻矩の䌁業家の苊い敵であり、瀟䌚䞻矩の䞭倮蚈画の匱点を考えるず、瀟䌚䞻矩の暩力者ず同盟を結ぶこずができれば、党䜓䞻矩の瀟䌚䞻矩囜家は独占資本家にずっお完璧な捕虜垂堎ずなる。仮に、この時点では仮説に過ぎないが、アメリカの独占資本家が、蚈画された瀟䌚䞻矩ロシアを捕虜ずなった技術的怍民地の地䜍にたで貶めるこずができたずしたらこれは、19䞖玀末のモルガンの鉄道独占䌁業やロックフェラヌの石油信蚗の、20䞖玀の論理的な囜際䞻矩の延長線䞊にあるものではないだろうか。

    ガブリ゚ル・コルコ、マレヌ・ロスバヌド、修正䞻矩者を陀けば、歎史家はこのような出来事の組み合わせに泚意を払っおこなかった。歎史報道は、たれな䟋倖を陀いお、資本家察瀟䌚䞻矩者ずいう二分法を匷いられおきた。ゞョヌゞ・ケナンの蚘念碑的で読みやすいロシア革呜の研究は、りォヌル街ずボルシェビキの二分法ずいう虚構を䞀貫しお維持しおいる。『Russia Leaves the War』には、JPモルガン瀟に぀いおの付随的な蚀及が䞀぀あるだけで、ギャランティヌ・トラスト瀟に぀いおは党く蚀及されおいない。しかし、この2぀の組織は囜務省のファむルの䞭で重芁な䜍眮を占めおおり、本曞の䞭でも頻繁に蚀及されおいるし、ここで玹介されおいる蚌拠の栞の郚分でもある。「ボルシェノィキの銀行家」を自認するオロフ・アシュベリも、ストックホルムのニャ・バンケンも、ケナンでは蚀及されおいないが、䞡者ずもボルシェノィキの資金調達の䞭心だった。さらに、些现なこずではあるが、少なくずも我々の議論にずっおは重芁な状況においお、ケナンは事実䞊の誀りを犯しおいる。䟋えば、ケナンは連邊準備銀行のディレクタヌ、りィリアム・ボむス・トンプ゜ンが1917幎11月27日にロシアを出発したずしおいる。この出発日では、トンプ゜ンが1917幎12月2日にペトログラヌドにいお、ニュヌペヌクのモルガンに100䞇ドルの電報芁請をするこずは物理的に䞍可胜である。実際、トンプ゜ンはニュヌペヌクに電報を送った2日埌の1918幎12月4日にペトログラヌドを出発しおいる。たた、ケナンによれば、1917幎11月30日、トロツキヌはペトログラヌド・゜ノィ゚トで挔説を行い、その䞭で「今日、私はここスモリヌむ研究所に、アメリカの資本家芁玠ず密接に結び぀いおいる2人のアメリカ人を迎えた」ず述べおいる。ケナンによれば、この2人のアメリカ人が「ロビンズずガンバヌグ以倖に誰がいたのか想像するのは難しい」ずいう。しかし、実際にはアレクサンダヌ・ガンバヌグ Alexander Gumberg はアメリカ人ではなくロシア人蚳泚りクラむナ系ナダダ人だった。さらに、トンプ゜ンは1917幎11月30日にはただロシアにいたので、トロツキヌを蚪ねた2人のアメリカ人は、鉱山振興家から慈善家に転身したレむモンド・ロビンズずニュヌペヌク連邊準備銀行のトンプ゜ンである可胜性が高い。

    画像5
    アメリカの倖亀官、ゞョヌゞ・ケナン
    画像3
    ニュヌペヌク連邊準備銀行のりィリアム・ボむス・トンプ゜ン
    画像4
    慈善家のレむモンド・ロビンズ

    りォヌル街のボルシェノィキ化は、1919幎の時点で事情通の間では知られおいた。金融ゞャヌナリストのバロンは、1919幎に石油王E・H・ドヘニヌずの䌚話を蚘録し、りィリアム・ボむス・トンプ゜ン、トヌマス・ラモント、チャヌルズ・R・クレヌンずいう3人の著名な金融家の名前を具䜓的に挙げおいる。

    画像8
    銀行家のトマ゜ン・りィリアム・ラモント
    画像9
    アラブ系ビゞネスマン、チャヌルズ・リチャヌド・クレヌン

    1919幎2月1日、金曜日の倕方、SSアキタニア号に乗る。ドヘニヌ倫劻ず䞀緒に圌らのスむヌトルヌムで倜を過ごした。ドヘニヌ氏はこう蚀った。もしあなたが民䞻䞻矩を信じるなら、瀟䌚䞻矩を信じるこずはできない。瀟䌚䞻矩は民䞻䞻矩を砎壊する毒物である。民䞻䞻矩はすべおの人に機䌚を䞎えるこずを意味する。瀟䌚䞻矩は、人が仕事をやめおより良い生掻ができるずいう垌望を抱かせるものだ。ボルシェノィズムは瀟䌚䞻矩の真の果実であり、1月䞭旬に行われた䞊院委員䌚での興味深い蚌蚀を読めば、平和䞻矩者や平和構築者のすべおがドむツのシンパであり、瀟䌚䞻矩者であり、ボルシェビクであるこずがわかる。たた、米囜の倧孊教授の倧半が瀟䌚䞻矩ずボルシェノィズムを教えおおり、1914幎には52人の倧孊教授がいわゆる平和委員䌚に参加しおいたした。ハヌバヌド倧孊の゚リオット孊長はボルシェノィズムを教えおいる。アメリカで最悪のボルシェノィストは、りィル゜ン倧統領もその䞀人である倧孊教授だけではなく、資本家や資本家の劻たちであり、どちらも自分が䜕を蚀っおいるのかわかっおいないようだ。りィリアム・ボむス・トンプ゜ンはボルシェノィズムを教えおおり、JPモルガン商䌚のラモントを改心させるかもしれない。ノァンダヌリップはボリシェノィストで、チャヌルズ・R・クレヌンもそうである。倚くの女性がこの運動に参加しおいるが、圌女たちも倫も、それが䜕であるか、䜕に぀ながるのかを知らない。ヘンリヌ・フォヌドもそうだし、りィル゜ンが海倖に連れお行った100人の歎史家のほずんどもそうだ。りィル゜ンは、歎史が人皮、民族、囜家の適切な区分を地理的に若者に教えるこずができるずいう愚かな考えを持っおいた。

    画像11
    ハヌバヌド倧孊孊長のチャヌルズ・゚リオット
    画像10
    シティバンクのフランク・ノァンダヌリップ

    簡単に蚀えば、これはボリシェノィキ革呜ずその䜙波の物語であるが、資本家察共産䞻矩者ずいう通垞の抂念的な窮屈なアプロヌチから離れた物語である。私たちの物語は、囜際的な独占資本䞻矩ず囜際的な革呜的瀟䌚䞻矩ずの間に、互いの利益のためのパヌトナヌシップを仮定しおいる。この提携による最終的な人的コストは、個々のロシア人ず個々のアメリカ人の肩にかかっおいる。政治ず革呜の䞖界におけるこれらの独占的な操䜜の結果、䌁業家粟神は䞍名誉なものずなり、䞖界は非効率な瀟䌚䞻矩蚈画ぞず突き進んだ。

    これは、ロシア革呜の裏切りを反映した物語でもある。皇垝ずその腐敗した政治システムは、別の腐敗した政治システムの新しい暩力者に取っお代わられるだけで、远い出された。米囜は、その圧倒的な圱響力を行䜿しお自由なロシアを実珟するこずができたはずなのに、りォヌル街の少数の金融家の野心に翻匄された。圌らは、自分たちの目的のために、䞭倮集暩的な皇垝のロシアや䞭倮集暩的なマルクス䞻矩のロシアは受け入れおも、分暩的な自由なロシアは受け入れない。これらの䞻匵の理由は、ロシア革呜ずその䜙波の、これたで語られおこなかった基瀎的な歎史を発展させるこずによっお明らかになるだろう。

    関連蚘事

    最埌に

    最埌たでお付き合いいただきありがずうございたした。もし蚘事を読んで面癜かったなず思った方はスキをクリックしおいただけたすず励みになりたす。

    今床も匕き続き読んでみたいなず感じたしたらフォロヌも是非お願いしたす。䜕かご感想・ご芁望などありたしたら気軜にコメントお願いいたしたす。

    Twitterの方も興味がありたしたら芗いおみおください。こちらよりも少し口が悪いですけれど気にしないでください。

    今回はここたでになりたす。それではたたのご蚪問をお埅ちしおおりたす。

    䞖界が䞀日もはやく呪われた埮睡の日垞から目が芚めたすように。



     
     
    歎史を怜蚌しながら、珟代日本のあるべき方向性に぀いお議論しおいきたいず思いたす。 確かな蚌拠の存圚や優れた掚論はその仮説が真実であるこずを必ずしも玄束しない。 最も自身が軜蔑し、嫌悪し、敵察しおいる盞手を擁護する衚珟力はそれでも必芁である。

    あなたぞのおすすめ