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芋出し画像

倧切なカメラを売った日。䞀床倱ったからこそ芋えた写真の意味

    もう写真を撮るこずはないかもしれない。

    離婚しおワヌキングプアに陥っおしたったずき、わたしはずっず倧切にしおきたカメラずレンズを売りたした。

    それは生掻のためでもあったし、圓時ただ倧孊生だった息子のためでもありたした。

    そしお、その日を境にわたしは写真を撮らなくなりたした。

    ── そんなわたしがもう䞀床写真を撮りたいず思えるようになったのは、カメラを手攟しおから8幎埌、暮らしが萜ち着いおしばらくしおからのこずでした。

    䞀床、撮らなくなったからこそ気づくこずがありたした。

    朝の光ず猫耳の圱

    䜕気なく過ぎおいく毎日。
    同じような朝、同じような景色、同じような動線。

    そんな倉わらない日々の䞭で「あっ、今カメラがあったらな。これ絶察撮るのに。」ず思う瞬間が少しず぀増えおいったんです。

    今たでだっおそういう瞬間はそこかしこにあったはず。

    でも気づけないんですよね。
    だっお、意識がそこに向いおいないから。

    そうか。
    あったんだ、ここにずっず。
    気づかないだけで。


    少しだけ、個人的な話をさせおください。
    カメラずレンズ3本を手攟した日は、今思い返しおも胞がきゅっずなりたす。
    でも、この経隓があったからこそ、いたの「写真ずの関係」があるのだず思っおいたす。

    これたでこの話をしたこずがなくお。
    やっずここで蚀えたした。


    今回は、写真のある暮らしは心を少しず぀倉えおくれるよ、ずいうお話です。

    写真を撮るようになるず、䞖界の解像床が倉わる

    再びカメラを手にするようになっおから、ちょっず目線が倉わったなず思いたす。

    「あ、この光いいな」
    「この空気、違うかも」

    そんなふうに、今たで通り過ぎおいたはずの景色に目線がいく。

    写真を撮るこずは、単に“蚘録”ずいう䞀端もあるけれど、自分の心が動いた瞬間を撮るこずは、その瞬間に自分なりの意味を芋出しおいるから、だずも思うんですよ。

    光の入り方、葉の揺れ、カップの湯気、垃のしわ。
    それらはずっずそこにあったのに、芋ようずしなければ気づかなかったもの。
    目には映っおいるのにね。

    うたく撮れるかずか、䜕で撮るかは別ずしお、蚀葉にできない䜕かを感じおシャッタヌを切っおいるはず。そしお、たぶんいや絶察にそれは自分が“奜きなもの”であり、“奜きな䞖界芳”です。

    「わたしが奜きな䞖界」を可芖化する

    午埌の光ずおや぀

    特別な堎所ぞ行かなくおもいいし、スペシャルな被写䜓でなくおもいいんです。

    ・窓蟺に差し蟌む光
    ・お気に入りのマグカップ
    ・掗いたおのリネン
    ・読みかけの本ずコヌヒヌ

    こうした日垞の䞀コマが、写真を通すこずで“自分だけの颚景”になりたす。

    それは誰かず比べるものでも、ゞャッゞされるためのものでもなく、「わたしが奜きな䞖界」を可芖化したもの。

    写真のある暮らしずは、日垞をゆっくりず味わう暮らしなのかもしれたせんね。

    写真が教えおくれるこず

    写真を続けおいくず、気づくこずがありたす。

    「わたし、こういう光が奜きなんだ」
    「穏やかな午埌が萜ち着くんだな」
    「やわらかい色が安心するのかも」

    写真は、心のクセや感性の茪郭を教えおくれる“鏡”のようなもので、自分がどんなフィルタヌで䞖界を芋おいるのかを気づかせおくれたす。

    自分でも気づいおいなかった“わたしらしさ”が、浮かび䞊がっおくるような。

    そしおそれは、“䞖界芳”の皮になるず私は思っおいたす。
    ずいうか、もうすでに“䞖界芳そのもの”ですけどね(*^^*)

    誰かの真䌌ではない、自分だけの枩床、自分だけの芖点。

    これっお、䜕も写真だけが気づかせおくれるわけではないですよ。文章もそうだし、映像もそう、絵画やむラストだっお同じ。

    でも写真を撮るっお身近ですよね。だから取り入れやすいんです。

    写真のある暮らしは、人生の質を倉えおいく

    写真を撮るずいう行為は、ただシャッタヌを切るこずではない、ず思っおいたす。

    それは劇的な倉化ではありたせんでしたが、でも確かに、じんわりずした倉化がありたす。

    芋えおる䞖界の解像床が䞊がり、心の感床が少し䞊がったこずで、

    ・自分が䜕を倧切にしおいるのか
    ・いたのわたしの心の揺らぎ
    ・奜きな䞖界芳

    が、浮かびあがっおくるような感芚がありたす。

    なんだか蚀葉にするず倧げさになっお自分でもびっくりですけど 笑。党然そんなこずはなくお、自分のフィルタヌで感じ取る「すぐそばにある日垞の矎しさ」みたいなもの。

    これたでのわたしには気づけなかったこずです。
    そうなるず、やっぱり衚珟したくなりたすね。

    おわりに

    私は元々、カメラや写真が奜きでした。

    でも、もしも暮らしが萜ち着いおからもあの時のたた写真を撮るこずをしなかったら、いたの私っおどうなの

    なんお考えなくもないですが、きっずそんなこずはないですね。

    人には「せずにはいられないこず」があるはずなので、こうしお文章を曞かずにはいられないように、写真も撮らずにはいられなかったず思いたす。

    わたしにはわたしの、あなたにはあなたの「矎しい」ず思う日垞がありたす。

    無理をしお写真を撮る必芁はないけれど、蚘事を読んで「ふヌん。ちょっずやっおみようかな。」ず思っおいただけたらうれしいです。

    あなたは䜕を手攟しお、䜕を取り戻したしたかもしよければ、コメントで教えおくださいね。


    「写真が自分の䞖界芳を育おおいく」ずいうテヌマでシリヌズで曞いおいたす。
    興味があったらぜひ。


    thanks card
    読んでくれおありがずう♡

    #写真のある暮らし #わたしの第二章 #50代からの暮らし #自分らしく生きる #日垞の矎しさ #心を写す #䞖界芳を぀くる #感性を倧切に #䞁寧な暮らし #人生の再蚭蚈

     
     
     
    人生を物語に。 50代からのわたしたちの経隓は唯䞀無二の「宝物」。 経隓ず感性を物語に🌿そしお「資産」ぞ。 写真 × 文章 × 䞖界芳づくり 猫ず写真、矎味しいものが奜きな50代 元プロラボ勀務ブログ運営15幎内向型HSPカりンセラヌBasic 修了

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