
言葉は、誰かのために在る。」
君の声が聞こえるように ── 耳を澄まして綴る、私と言葉の物語。
私の言葉の原点は、母による「究極のエンターテインメント」だった。
母には、読み聞かせの「師匠」がいた。プロの技術と、誰かに思いを届けるための熱量を師匠から受け継いだ母が、まだ言葉を持たない私に向かって全力でページをめくる。
「いない、いない……」
その絶妙なタメ、声のトーンの変化。
「ばあ!」
弾ける笑顔と共に耳に飛び込んでくる心地よいリズム。
私が「本」を、そして「言葉」を好きになったのは、理屈ではない。あの瞬間に感じた圧倒的な幸福感と、「誰かと繋がっている」という肌に触れるような確信からだったのだと思う。
成長するにつれ、母の声に乗って届けられる世界はより鮮やかな色彩を帯びていった。
『こんとあき』の冒険に胸を痛め、『そらまめくんのベッド』のぬくもりに安らぐ。
そして熊本出身の私にとって、葉祥明さんが描くどこまでも続く穏やかな空や草原は、言葉を介さずとも伝わってくる「安心」そのものだった。
母の師匠直伝の読み聞かせは、ただの文字を「生きた感情」に変えて私の心に刻んでいった。言葉とは、ただそこにある無機質な記号ではない。誰かのために、誰かを想って紡がれるときに初めて、魔法のような体温を持つものなのだ。
私の部屋には、父から誕生日に贈られた一枚の絵画がある。
「これがいい」と選んだ私の感性を、父が形にしてくれた大切なギフト。額縁に飾り、毎日眺めるその絵は、私の中に静かに根付いている感性を再確認させてくれる。
そんな環境で育った私が、図書館という場所に魅了されるのは必然だったのかもしれない。
静寂の中に並ぶ無数の背表紙。そこには、数え切れないほどの誰かの「言葉」と「人生」が詰まっている。
借りる本の数だけ増えていく、図書カードの印字。あのインクの匂いと、新しい世界への扉を開くような独特のときめきは、今でも私の胸を熱くさせる。
いつしか、私の中に小さな、けれど消えることのない漠然とした夢が芽生えていた。
いつか自分の書いた本を出したい。
読み聞かせで言葉をくれた母。私の感性を信じて支えてくれた父。
QAエンジニアとして論理の世界を歩み、被写体モデルとして光の中に立ち、今こうして再び「書くこと」に立ち戻ってきたのは、偶然ではない。私はずっと、周りからの愛と、自分の中に芽生えた表現の芽を大切に育ててきたのだ。
「言葉は、誰かのために在る。」
私がコピーライティングという道に惹かれているのは、かつて両親が私に注いでくれたような「心が動く瞬間」を、今度は私自身の言葉で作ってみたいから。
世界は相変わらず正解がなくて、時々自分の存在が心細くなることもあるけれど。
でも、あの時耳から流れ込んできた豊かな言葉と、自分の感性で選んできた美しい景色が、今の私の確かな土壌になっている。
母から、そしてその師匠から受け取った「言葉のバトン」。
大切に守り続けてきた「自分だけの感性」。
私は今日も、誰かの心に届く最高の「ばあ!」を探して、一文字ずつ丁寧に言葉を紡いでいく。
