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【チェンマイ】休むために、理由はいらない

    洗濯物が終わるまで、昼寝しよう。

    チェンマイのゲストハウスで、そう思った。
    理由はなかった。
    ただ、洗濯機が回る音を聞きながら、
    体がそうしたがっていた。


    チェンマイには、独特の空気が流れている。

    ノマドワーカーの聖地と呼ばれるだけあって、
    カフェにはノートパソコンを開いている人も
    ちらほらいる。
    でも、街全体を包んでいるのは、
    成長を急ぐ気配ではない。

    バンコクには、東京と似た、
    前へ前へと進むパワーがある。

    あの熱量は嫌いではないけれど、
    長くいると疲れる。

    チェンマイは、そのバランスがいい。
    動いている人も、止まっている人も、
    同じ速度で街に混ざっている。

    その空気の中に、しばらく身を置いていた。


    私はもともと、昼寝が苦手だった。

    みんなが働いている時間、動いている時間に、
    自分だけ止まっていることが怖かった。
    横になっても、うまく眠れない。
    それなら動いていた方がいい、と思う人間だった。

    もちろん、本当に疲れているときは別で、
    そういうときは眠るというより、
    気絶するように意識が落ちる。

    それだけが、私の知っている「休む」だった。

    だから今回、自分の意思で「寝よう」と思えたことは、
    思っている以上に大きな出来事だった。


    日本にいるときも、同じ40分はあったはずだ。
    洗濯機が回っている間、何もしなくていい時間。
    でも、たぶん私はその時間を、いつも何かで埋めていた。
    他の家事を片付けたり、スマホを見たり。

    気づいたら洗濯機が止まっている。
    隙間は、隙間のまま終わったことがなかった。

    なぜ、埋めていたんだろう。

    動いていれば、
    何かをしている自分でいられる。

    止まった瞬間、
    自分が何もしていない人間になってしまう気がしていた。


    看護師をしていたころ、休憩時間は決まっていた。

    でも、決まっているだけで、
    まるまる取れたらラッキーというのが
    実際のところだった。

    休憩に入れても、
    頭の中では次にやることを考え続けている。

    体は座っていても、休まった気がしたことは、
    あまりなかった。

    あるとき、患者さんに聞かれたことがある。

    「看護師さんって、どこでご飯食べてるの?
    この病院の周り、全然ご飯食べるところないじゃん。」

    思わず笑ってしまった。

    その人は、看護師もOLさんのように、
    外へお昼を食べに行っていると思っていたらしい。

    そっか、知らない人は知らないよね。

    病棟の外に出ることも、椅子に座って休むことも、
    当たり前ではなかった。

    体は、疲労が限界を超えたときにだけ、
    休むことを許された。

    私はずっと、
    そうやって「休む」を覚えてきたのかもしれない。

    理由があるから、休んでいい。
    疲れているから、休んでいい。
    何かを終えたから、休んでいい。

    休むことに、いつも理由が必要だった。

    理由のない休息は、どこか後ろめたかった。


    洗濯物が終わるころ、目が覚めた。

    何も変わっていなかった。

    でも、私の中では、
    小さな何かが、静かにほどけていた。


    嬉しかった。理由もなく休むことを、
    自分に許せている自分がいたことが。

    頑張って手放したわけではない。
    気づいたら、解けていた。

    その変化が、愛おしい。


    もし、

    あの日の私のように、
    理由がないと休めない誰かがいるなら。

    今日は、
    洗濯機が止まるまででもいい。

    少しだけ、
    自分の身体の言うことを聞いてみる。

    そんな時間が、あってもいい。

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    チェンマイ(タイ)の昼下がり


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