大学生日記|区別と覚悟。
長月二十六日。
小倉百人一首編者、藤原定家の忌日。
二十四節季、新暦にて、秋分。
参加しているプロジェクトの講座があった。
自分の事業案を見つめ直すいい機会になった。
それと同時に再びスタートからかな、と。
こうなったのには理由があると思うので、ここで分析しよう。
自分の好きなこと、やっていて楽しいこと、他者に魅力を教えたいこと。
そのようなことを私は自分の生業にしたい、と考えている。
これは講座を受ける前も後も変わらない。
私の軸である。
好きなことで生きていく。
こればっかりは見失なってはいけないという、私にとってのポラリス。
それはそれで好いのは確かだ。
講座の中で、私の心に響いた言葉がある。
「稼げなければ、生業と言ってはいけない」
まあ、当たり前でしょ。
そのように思う人がほとんどであると思う。
しかし、「自分の好きな事」をやっている、もしくはやっていきたいと考えている人には極めて重大に聞こえて仕方がない。
自分の好きなことを組み込んだビジネスを考える、アイデアとして出すのは良いものの、それが実際に稼げるモデルであるかどうか、そうできるかどうかということを考えるのは相当難しい。
私がやりたいこともなかなか難しいものである気がする。
見方次第ではあるというのが、現状の結論ではあるが。
私はいつも「アイデア」の段階で止まっている。
そう思った。
好きなことを絡めるのはいいものの、アイデア止まり。
そこから先を殆ど考えられていない。
なぜか。
否定される気がしたから。
いや、否定してしまう気がしたから。
自分の好きなことを、自分で否定してしまうという恐怖。
自分を否定すること、それどころか殆ど自殺と同義の恐怖。
その恐怖によって、無意識にアイデアの先を考えることを避けてしまっていたのだと今振り返ってみて思う。
そりゃあ、ふわふわしたままで時間がばかりがすぎる。
雲をつかむような空想をしているだけ。
そのようでは、形にしようと思うはずもない。
掴めてしまっては、簡単に壊せてしまうから。
そして、「いいアイデアだ」と言ってくれる人も多くいる。
それに勝手に甘んじていたのもあるだろう。
しかし、しかしだな、ビジネスモデルを考えていない。
実際にどう稼いでいくかを考えていない。
だから、「それは稼げないよ」と言ってもらえない。
事実、アイデアを否定する人はいない。
それはほとんどその人の人格でもあり、現実とは少し離れた場所にある特別なものであるから。
しかし、ビジネスモデルを否定するする人はいる。
無論、いてくれないと困る。
その否定を経験しないと、いいものなんて考えられるわけが無いのに。
だが、これまでの私は考えていない。
稼ぎたいと思っているのに、稼ぐ方法を考えていなかった。
心地よく寝たいと言って、地べたに寝る馬鹿がいるかよ。
だから、しっかりと向き合わなければならない。
金のことを第一に考えてしまう、自分の好きな事なのに。
それは確かにどこか心の中で「汚い」と引っかかるかもしれない。
だが、その汚さで世界は回っている。
そうだなぁ。
アイデアは「私」で良い。
ただし、ビジネスモデルは「社会」でなければ駄目だ。
ビジネスモデルの否定は決して、「私」を否定するものではない。
私の「稼ぎ方」を否定するだけである。
銃身を替えさせようとしているのではなく、それに合うような銃弾を選ばせようとしてくれているだけである。
この区別を付けられたことが、また一つ私の糧となった。
アイデアは現実を見なくてよい。
そうギャルにも教わったろう?
だが、ギャル式ブレストでも最後は現実に落とし込んだんだ。
そこの工程をやらなきゃだめだろう?
やらねば。
為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり。
覚悟を持ってせよ。
現実逃避してよいのは創作活動中だけにしよう。
現実見ずして、現実逃避すべからず。
ビジネスモデルを考えよう。
無限に。
少なくとも一つは化けるはずだ。
っさ、こっからこっから。
くんぜぬかやぶられたるもいくえ張り
いとなみ待つは笹蟹の網
長月二十六日、日記、十八。
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