
愛はまっすぐとは限らない
私はハオルチアを愛しています。
大事に育てていますが、それだけでは愛が溢れてしまうのです。
ハオルチアたちに受け流されている私の愛の様子を、少しだけ紹介してみます。
よくぬいぐるみとお出かけしている方がいますよね。
あれを私もハオルチアとやりたい気持ちがあります。
ですが直射日光の降り注ぐ外は、ハオルチアにとって過酷です。
ハオルチアとのお出かけは、残念ながら現実的ではありません。
また、カフェでハオルチアとお茶をしたいのですが、飲食店で鉢を机の上に置くわけにはいきません。
なので、ハオルチアをお迎えしてお持ち帰りする時に、少しだけお出かけ気分を味わいます。
「ハオルチア、風だよ」なんて、普段は一言も話しかけないのに言ってみたりします。
ハオルチアに話しかけないのは、言語を理解しないからです。
けれど、二酸化炭素濃度や空気の震えとしてハオルチアが言葉を感じるのも、素敵なことかもしれません。
ハオルチアにインスタントわかめスープの匂いを嗅がせてみたこともあります。
けれど今思うと、ハオルチアたちは塩分の気配と熱を含んだ湿度に身構えていたかもしれません。
可哀想なことをしました。
ハオルチアに筍ご飯を食べているところを見せて威嚇してみたこともあります。
植物を食べるところを見せて上下関係を分からせようと思ったのです。
ただ、ハオルチアに視覚がないのは織り込み済み。
単なる戯れとして、筍ご飯を食べて見せていただけでした。
ハオルチアが可愛くて仕方ありません。
けれど、ハオルチアたちはつれないです。
そんなところがまた魅力的でもあるのですが。
今日も変わらずじっとして美しいハオルチアたちを眺めながら、愛を溢れさせています。