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【失格貴族の王国再建記】第一幕: 失格貴族の魔導技術(全13話・完結版)

    落ちこぼれ貴族の僕だけが、魔法の正体を知っている。

    あらすじ

    病弱な姉を救えなかった天才科学者は、人工心臓の完成と引き換えに命を落とした。

    次に目を覚ましたのは、魔法の才能だけが価値を持つ異世界。

    爆炎貴族の家に生まれながら魔力が十分の一しかない落ちこぼれ貴族エクスとして転生していた。

    だが彼には前世の知識がある。

    魔法の正体が物質の分解と再構築だと見抜いたエクスは、科学と魔法を融合させた技術開発を開始。

    魔導銃、保存食、医療技術、人工臓器――。

    失格貴族と呼ばれた少年は、やがて王国そのものを変えていく。

    これは、救えなかった命を今度こそ救うために始まる、科学と魔法の王国再建記。


    【失格貴族の王国再建記】
    第一幕: 失格貴族の魔導技術
    第一話:転生・そして目覚めて…
    [プロローグ】
    その人の手からは、いつも少し甘い薬品の匂いがした。
    「この薄い膜がね、未来の子供たちの心臓を守るんだよ」
    病室の子供たちに笑いかける白金(しろがね)教授は、太陽みたいに優しかった。 彼の胸の奥には、大好きな姉の姿がずっと残っている。 「大人になれない」と言われ、自分より先に逝ってしまった優しい姉だ。
    姉を救えなかった悔しさと、もらった優しさ。 それだけが、彼を人工心臓の研究へと突き動かす全てだった。
    「もう誰からも、大切な人を奪わせない」
    毎日毎日、彼は自分の命を削るようにして実験をくり返した。 血の通う、新しい筋肉の完成をただ急いだ。
    ――彼が眠るように息を引き取った朝。
    冷たくなった体のすぐそばで、命と引き換えに完成した『心臓』が動いていた。 まるで大好きな姉に届けるように、静かに、力強く、どくんと最初の手応えを刻んでいた。
    【第一話:転生】

    あつい。体じゅうが、沸騰(ふっとう)したフラスコみたいに熱かった。
    (まだだ……子供たちの心臓を……姉さんの……)
    頭の中で、研究していた数式が火花みたいに消えていく。 みんなを救う新しい筋肉を完成させて、燃え尽きたはずの僕の魂が、暗闇に溶けていった。
    ――そのとき、ものすごい頭痛と一緒に、知らない少年の記憶が流れ込んできた。
    ここは、魔法が使えないと人間あつかいされない、冷たい貴族の世界。 この体の持ち主である少年『エクス』は、魔力がない落ちこぼれとして、高い熱を出したまま一人きりで息を引き取ったのだ。
    「吸え、肺。動け、心臓」
    科学者としての本能が、死にかけた体に命令をくだす。 激しくせき込みながら、僕はなんとかまぶたを押し上げた。
    目の前にあったのは、豪華なベッドと、涙で顔をぬらした知らないメイドの姿。
    「……っ、エクス様、気がついたのですね……!」
    震える声が僕を呼ぶ。 天才科学者の知識を持ったまま、僕は異世界の『落ちこぼれ貴族』として、二度目の人生をスタートさせた。
    【第一話:そして目覚めて…】
    「熱が下がって、本当によかったです……!」
    金髪のポニーテールの幼い少女はぐすぐすと鼻を鳴らし、大粒の涙をぼろぼろとこぼした。 僕の額に手を当てて、心から安心したように何度も胸をなでおろしている。 歳の頃は九歳くらいだろうか。小さな手で一生懸命に涙をぬぐっていた。
    しかし、その安心もつかの間、少女はハッと表情をくもらせた。
    「でも……起きられるようになったら、すぐにお父様がお呼びです。どうするんですか? エクス様、このまま魔法の才能を示せなかったら、本当に追放されてしまいますよ……っ」
    少女はまた泣きそうな顔になって、僕の服の袖をぎゅっと握りしめてきた。
    「魔法……」
    その言葉が、僕の喉からかすれた声となって漏れる。 流れ込んできた記憶のおかげで、なんとなく事情はわかった。けれど、まだ頭の中の情報を整理しきれていない。 まずは目の前の、僕のために泣いてくれる優しい少女のことを知る必要があった。
    「ごめんね、頭がまだ少しぼんやりしていて……。君の名前を、もう一度教えてもらえるかな?」 「えっ……? アンナです。エクス様の専属の侍女の、アンナですよ? お熱のせいで、私のことも忘れてしまったのですか……!?」
    アンナはさらに目をうるませて、今にも泣き出しそうになってしまった。
    「大丈夫、ちょっと度忘れしただけだよ、アンナ。……ねえ、僕の家と、その『魔法』について、もう一度だけ教えてくれないかい?」
    僕がなだめるように微笑むと、アンナは不安そうに首を傾げながらも、一生懸命に説明してくれた。
    アンナの話によると、この家は代々、強力な『爆炎魔法』や『火炎魔法』を操ることで有名な、第一級貴族の家系らしい。そして僕は、その家の次男として生まれたのだという。 この世界では、強い魔法が使える家系ほど偉く、逆に魔法が全く使えない者は、貴族の家から容赦なく追い出されてしまう。
    「エクス様はもうすぐ九歳になるのに、まだ火種すら出せません。このまだと、お父様に出来損ないとして捨てられてしまいます……」
    アンナは本当に僕の身を心配してくれている。 科学者だった前の人生では、こんな風に自分のために泣いてくれる人はいなかった。今度は、この優しい手を離したくない。
    「わかった。一度、その魔法というのを試してみるよ」 「えっ、ベッドから起きて大丈夫ですか?」 「うん、体はもう動くから」
    僕は布団をめくり、ベッドの上に背筋を伸ばして座った。
    アンナに教わった通りに、まずは意識を体の中に集中させてみる。 すると、お腹の奥のあたりに、不思議な温かいエネルギーの塊があるのを感じた。これが『魔力』というやつだろう。
    (よし、これを手の中に集めて、練り上げる……)
    前世の科学者としての集中力を使い、体内のエネルギーをじわじわと右手のひらへと誘導していく。 アンナは息をのんで、僕の手元をじっと見つめていた。
    「出ろ……っ」
    手のひらに力を込める。 ものすごい熱が手に集まり、そこから激しい炎が噴き出す――はずだった。
    ぱち、ぱちぱち。
    「……え?」
    アンナが拍子抜けしたような声を出す。 僕の右手のひらの上で起きたのは、火炎魔法とはほど遠い現象だった。 それはまるで、日本の夏に見た線香花火のようだった。小さな光の粒が、頼りなくぱちぱちと弾けているだけで、部屋を照らすほどの明るさもない。
    「やっぱり、だめ、ですか……」
    アンナの顔が絶望に染まっていく。 貴族の家系なら、九歳にもなれば部屋を包むほどの火柱を立てられて当然らしい。それに比べれば、僕のこれはただの不発弾だ。
    しかし、僕の心は全く折れていなかった。 それどころか、科学者としての脳細胞が、今の一瞬で猛烈に興奮し始めていた。
    (待てよ……今、僕の魔力はどう動いた?)
    普通の人間なら「火が出なかった」と落ち込むだけだろう。 だが、僕の目はごまかせない。 魔力を練り、外へ放出しようとしたあの瞬間、手のひらの上の『空気の成分』が、目まぐるしく変化したのを感じ取った。
    この世界の人間は、魔力で炎を「生み出している」と思っている。 けれど、実際は違う。 魔力というエネルギーを使って、そこにある酸素や物質を『分解』し、激しい化学反応を起こす形へと『再構築』しているのだ。
    つまり、魔法の本質は、超自然的なオカルトなんかじゃない。 僕が前世で命を捧げて研究してきた、物質の結合と変化――『化学(サイエンス)』そのものだった。
    魔法が化学反応であるなら、僕にできないはずがない。 むしろ、仕組みさえ分かれば、教科書通りの火炎魔法よりも、はるかに効率よく、正確に物質を操ることができる。分子の構造をイメージするだけで、どんな現象だって引き起こせるはずだ。
    絶望するアンナの前で、僕はにやりと口元を緩めた。 手のひらの線香花火を握りつぶし、力強く顔を上げる。
    「何とかなりそうだよ、えっと、アンナ!」 「ええっ……!? あ、あの、エクス様……?」
    自信に満ちあふれた僕の言葉に、アンナは涙をためたまま、きょとんとして固まっていた。

    第二話:貴族失格
    その日の夜。 体調が回復した僕は、白髪交じりの厳しい顔つきの父親のガンドルフ・ゼフォードに屋敷の中庭へと呼び出された。 月明かりに照らされた中庭は少し肌寒い。僕の後ろでは、アンナが自分の手をぎゅっと握りしめて、心配そうに僕のことを見守っていた。
    僕の前に立つ父親は、冷たい目を向けてくる。
    「我がゼフォード家の者なら、目の前にある標的を破壊することなど造作もないはずだ」
    父親が指さした先には、僕から四メートルほど離れた場所に、鉄の鎧を着せられた木製のかかしが立っていた。
    「先日は何もできずに倒れ、熱を出してしまったから見逃したが……今日が最後だと思いなさい」
    ここで結果を出さなければ、僕は本当にこの家を追放されてしまう。 けれど、普通の火炎魔法なんて僕には使えない。だから僕は、自分の知識を使った方法を試すことにした。そのために、ひとつ確認しておきたいことがあった。
    「父上、道具を使ってもいいですか?」
    科学の力を応用するなら、あらかじめ用意しておきたい装置や道具がある。 しかし、父親は冷たく突き放した。
    「ならん。魔法の力で的を破壊するのだ。皆と同じように杖を使いなさい。杖を」
    父親から手渡されたのは、この世界で一般的な、木製の古びた魔法の杖だった。 これじゃただの木の棒だ。道具を使ったアプローチが禁止されたことに、僕はしょんぼりと肩を落とした。 でも、やるしかない。
    「……よし、やれるだけやってみよう」
    僕は杖を握り、かかしに向き直る。 狙うのは、高熱の弾丸だ。 僕は手のひらの上に魔力を集中させ、周囲の空気を強引に一点へと超圧縮していった。
    ギチギチと空間が軋む音が響き始める。 気体を急激に圧縮すると温度が跳ね上がる。僕は魔力の壁で空気を限界まで押しつぶし、極限の断熱圧縮を引き起こした。
    次の瞬間、僕の掌の上でそれが産声をあげる。
    大気圏に突入する流星と同じ、極限の断熱圧縮がもたらす超高温。 空気の原子から電子が剥がれ、青白く、太陽のように激しく明滅するプラズマの球が完成した。
    「わぁ、きれい!」
    後ろで見守っていたアンナが、思わずといった風に歓声をあげる。
    「できた……! これがプラズマの弾……!」
    僕自身、その完成度に胸を躍らせた。 あとは、この圧倒的なエネルギーの塊を、あのかかしに向けて放つだけだ。 僕は震える手で、その光球を前方の標的に向けて押し出そうとした。
    しかし、手を離したその時だった。
    数万度の超高温と超高圧を閉じ込めていた、見えない壁が消えてしまう。
    ――ポンッ!
    悲しい破裂音とともに、プラズマ球は前方に飛ぶことなく、その場で破裂して四散した。 ゆるやかな熱風が僕の顔を撫でて、周囲の冷たい大気に一瞬で熱を奪われ、ただの激しいぬるい突風へと戻っていく。
    当然、標的には傷一つついていない。鉄の鎧は、月光を浴びて冷たく光ったままだ。
    「あ、あれ……?」
    アンナがおろおろと悲しそうな顔になり、戸惑ったように僕と標的を交互に見つめている。
    弾そのものは作れても、それを形に留めて撃ち出す銃がなければ、ただの手元での不発に終わる。
    (……なるほど。ほぼ、予想通りの結果か)
    そして正面からは、父親の冷酷な足音が近づいてきた。
    次の日の朝。荷物をまとめられた僕とアンナは、すでに馬車に乗せられていた。
    見送りに立った父親、ガンドルフ・ゼフォードは、少し眉間にしわを寄せ、苦しそうな顔で僕を見つめている。
    「昨夜の光球だけなら評価できるが、一度従妹の家で学びなおせ。お前は今日からゼフォードの人間ではない。二度と名乗るな」
    父親は厳しい目を向けて僕にはっきりとそういうと、後ろを向いた。
    「……だが、リエットの元で学びなおせ。それが最後の機会だ。私の期待を裏切るな、息子よ。」
    それが、父親の不器用な決断だった。完全な追放ではなく、まだチャンスは残されたのだ。
    動き出した馬車の窓から、遠ざかる屋敷を眺める。 隣では、アンナがまだ不安そうに僕の顔をのぞき込んでいた。
    「巻き添えにしちゃってごめんね、アンナ。次は大丈夫だから」
    そう言って僕はアンナにほほ笑んだ。
    「その為には……魔法だけじゃ駄目か」
    ぽつりと、僕は声に出した。 手元でプラズマを作れても、撃ち出す銃身がなければ拡散してしまう。純粋な魔法の才能だけでは、あの標的は壊せない。
    なら、道具を作ろう。
    前世の知識があれば、最低限の魔力を効率よく運用する『銃』だって設計できるはずだ。分解と合成ができるなら材料さえあれば作るのだって難しくない。
    まずは小型化だ。
    手のひらに収まる試作品なら、三日で作れる。

    第三話:銀髪の綺麗なお姉さん、リエット
    【前半:リエットの家に到着】
    「ようこそ。長旅お疲れさま、エクス君」
    馬車を降りた僕を迎えたのは、美しい銀髪をショートボブにした、一回り年上の綺麗なお姉さんだった。知的な眼鏡をかけたその女性は、僕を見て優しく微笑む。
    「初めまして。僕はエクスです」 「知ってるわ。おじさまから手紙も届いてるもの」
    リエットはふわりと笑う。
    「私はリエット。今日からここがあなたのお家よ」 「……お世話になります」
    僕が小さく一礼すると、後ろに控えていたこの家の使用人が、怪訝(けげん)そうな顔で口を開いた。
    「リエット様、本当にその方を置くのですか? ゼフォード家を追放された方ですよね。魔法も使えない失格貴族など――」 「その話はやめなさい」
    リエットはぴしゃりと言った。いつの間にか笑みを消し、眼鏡の奥の瞳で使用人をまっすぐに見つめている。
    「ですが……」 「この家では私の家族です。そんな風に言うのは、もうおしまい」
    リエットはそう言って使用人を下がらせると、再び僕に向き直ってふわりと微笑んだ。
    「そんなに固くならなくていいのよ。ここでは私が面倒を見るんだからね。さあ、まずはゆっくり休みましょう?」
    そう言いながら、リエットは自然な手つきで僕の荷物を持とうとした。
    「えっ、自分で持ちます」 「だめ、エクス君には重いでしょ。家族にそんなことさせないもの 」
    隣でアンナが目を潤ませる。
    「リエット様……」 「アンナちゃんも頑張ったわね。二人ともまずは温かいご飯にしましょう」
    その言葉に、僕は少しだけ昔を思い出した。 ――お腹空いてるでしょう? 病院帰りの僕に、姉はいつも同じことを言っていた。
    【中盤:追放された理由と世界の説明】
    食事の後。 庭のベンチに座りながら、リエットは小さくため息をついた。
    「おじさまも相変わらず厳しいのね」 「僕が結果を出せなかったのが悪いんです」 「でも家名まで取り上げる必要はないと思うの」
    アンナが悔しそうに拳を握る。
    「エクス様は頑張っていたのに……」
    リエットは静かに首を振った。
    「この国の貴族はね、魔法で価値を証明する世界なの」 「そこまで徹底するものなんですか?」 「ええ。魔法は戦争にも使うし、魔物退治にも使うから領地を守る貴族の実力。だから強い魔法を持つ家ほど地位が高いの」 「なるほど……」 「逆に魔法を使えない子は、家の名に傷を付けると思われてしまうのね」
    リエットは少し悲しそうな顔をした。
    「だから、追放される子も珍しくないのよ」
    アンナがうつむく。
    「エクス様は悪くないのに……」 「私はそう思うわ」
    リエットは即座に言った。
    「だって昨日の話を聞いたもの。光る球を作ったんでしょう?」 「失敗しましたけどね」 「失敗したから何?」
    リエットは不思議そうに首を傾げる。
    「挑戦して失敗するのは普通のことじゃない?」
    その言葉に、僕は少しだけ目を見開いた。 本当に姉と同じことを言う。
    【後半:新たな目標】
    その夜。 部屋に案内された僕は、窓際の机に向かっていた。 紙の上には、銃身らしき図面が並んでいる。
    「エクス君、まだ起きてるの?」
    リエットが温かいミルクを持って入ってきた。
    「少し考え事を」 「また難しい顔してる」
    リエットは机の上を覗き込む。
    「これは何?」 「道具です」 「道具?」 「魔法を遠くまで飛ばすための」
    リエットはぱちぱちと瞬きを繰り返した。
    「魔法を飛ばす道具なんて聞いたことないわ」 /「僕も聞いたことありません」 「じゃあ、失敗するかもしれないわよ?」 「そうですね」
    僕は笑った。
    「でも、やってみる価値はあります」
    リエットもつられて笑う。
    「ふふっ。それなら応援するわ」 「ありがとうございます」 「その代わり、夜更かしは禁止」 「はい」 /「返事だけじゃなくて、本当に寝るのよ?」
    その口調に、また姉の姿が重なった。 僕は思わず小さく笑う。 そして、机の上の設計図へ視線を落とした。
    ――三日。 三日あれば試作品は完成する。 今度こそ、失敗しない。

    第四話:リエットの魔法授業と試作一号
    三日後の朝。 リエットに魔法の基本を教えてもらうことになった僕は、屋敷の裏手にある演習場へとやってきた。僕の後ろには、心配そうな顔をしたアンナもついてきている。
    「まずは初級魔法を覚えれば大丈夫よ。爆炎系の初級魔法をやって見せるわね。あの案山子(かかし)を見ててね」
    リエットはそう言って、五メートルほど先にある木製の案山子を指さした。 それから、愛用の杖を構えて目を閉じ、集中し始める。
    「杖に魔力をためるイメージ、熱が集まるイメージをして、案山子が燃え上がるように……爆炎初級魔法・炎の柱(フレイムピラー)!」
    リエットが呪文を唱えた瞬間、激しい炎の竜巻が巻き起こり、案山子をすっぽりと包み込んで燃え上がらせた。 やがて炎の嵐が収まると、そこには黒焦げになった案山子が残されていた。
    「これなら単純だからできると思うわ。範囲も狭いし、エクス君、やってみて」 「わかりました。やってみます」
    僕はうなずき、一歩前に出た。 杖を構え、「むー……」と声を漏らしながら集中する。 狙うのは、案山子の足元にある空気だ。酸素や窒素の結合に魔力で干渉し、化学反応を起こして燃やそうとしてみる。
    パチパチパチ……。
    けれど、上がったのは線香花火のような小さな火花だけだった。 リエットは困ったように苦笑いをして、僕の頭を優しく撫でる。
    「……魔力はあるみたいだけど、エクス君は出力が弱いのかしら」 「父上の前でもこんな感じでした。……ねえ、リエット姉さん。今度は僕の方法で試してもいいですか?」
    僕はそう言って、懐から白金色に鈍く輝く、やや大ぶりのハンドガンを取り出した。この三日間、部屋にこもって作り上げた試作品だ。
    「え? ええ、いいわよ? 何かエクス君のやり方があるのかしら?」
    リエットは見たこともない鉄の塊を不思議そうに見つめている。
    僕はハンドガンを両手でしっかりと構えた。 これは魔法で生み出したプラズマを、固定し、加速させて撃ち出すための魔導銃だ。
    (今度こそ、拡散させない)
    銃口の前に、四日ぶりとなる空気の超圧縮球――プラズマの弾を作り出す。 青白い光がパチパチと弾けたすかさず、僕はハンドガンの引き金を引いた。
    カチャ、と小気味いい音が響く。 次の瞬間、銃身から目に見えない高圧の空気の膜が展開され、暴れ狂う青白い光の球をガチリと強固に包み込んだ。 これで、数万度の熱も圧力も外へ逃げない。完璧な銃弾の完成だ。
    「いけ……!」
    銃身に組み込んだ加速魔法が、空気の器ごとプラズマ弾を前方へと凄まじい速度で弾き出した。
    ズガァン!
    空間を切り裂くような轟音が響き渡る。 青白い光の弾条が朝の空を一直線に駆け抜け、一瞬で標的の案山子へと着弾した。
    その衝撃によって、弾の表面を覆っていた高圧の膜が解除される。 内部に閉じ込められていた数万度のプラズマと、限界まで溜まっていた超高圧が、一気に解放された。
    ドガアアアアン!!
    まばゆい閃光が視界を真っ白に染め、凄まじい大爆発の衝撃波が演習場の周囲の木々をなぎ倒していく。激しい熱風が僕たちの髪を大きく揺らした。
    やがて煙が晴れたあとに残されていたのは――。 黒焦げの案山子どころか、ドロドロに溶けてマグマのようになった、地面の残骸だけだった。
    「えぇぇ……」
    リエットは開いた口が塞がらないといった様子で、完全に絶句して唖然としている。眼鏡が少しズレているのにも気づいていない。
    「……うーん、出力調整がまだみたいだね。構造の耐久性も低いし、三十パーセントじゃ強すぎるか」
    僕は亀裂が入ってしまった白金のハンドガンの側面にあるダイヤルを回し、メモリの調整を始める。
    「やったぁ!」
    後ろで耳をふさいでいたアンナが、美しい破壊の跡を見て嬉しそうに飛び跳ねた。
    リエットの常識を完全に覆した、そんな朝のこと。 お昼過ぎになった頃、屋敷の前に王城の紋章を付けた馬車が止まった。


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    第五話:失格貴族と婚約者の姫
    王城からの馬車に揺られ、僕はリエット姉さんと共に登城した。 案内されたのは、高くて豪華な天井が広がる、きらびやかな謁見の間だ。
    部屋の奥、一段高い玉座には女王陛下が座り、その隣には第三王女の姿があった。 あるいは床には、僕の父親であるガンドルフと、見知らぬ貴族の親子がすでにひざまずいている。周囲の壁際では、大勢の貴族たちが冷たい視線で僕たちを囲んでいた。
    僕とリエット姉さんも、その場に並んでひざまずく。
    「お呼びでしょうか、女王陛下」
    僕が静かに頭を下げると、玉座に座る女王陛下アイリーンが口を開いた。
    「エクス、お前は第三王女クリスタの婚約者だ。だが、エクスの父ゼフォードの連絡により、お前が貴族階級をはく奪されたことを聞いた。魔法が使えないというのは、誠なのか?」
    女王アイリーンは、姿勢を正して堂々と王としてふるまっている。けれど、その奥には、一人の娘の母親として僕を心配するような、優しい瞳が少しだけ見え隠れしていた。
    その問いかけに、周囲の貴族たちがざわざわと冷たい声を上げ始める。
    「魔法が使えない貴族の子息なんてありえないわ……」 「無能だな……一族の恥だろうに……」
    あちこちから、僕に対する嫌悪の混じった視線とつぶやきが飛んでくる。
    女王アイリーンは悲しそうな目を一瞬だけ浮かべると、隣で顔を曇らせている第三王女クリスタをちらりと見た。
    「ならばクリスタとの婚約は破棄、クリスタの婚約はデバット卿の息子、バイツにしようという意見が出ている」
    その言葉が出た瞬間、隣でひざまずいていた貴族の男と、その息子が、いかにも嬉そうにニヤリと下品な笑みを浮かべた。
    「母上! エクスは優しくて、とても私を大切に接してくれました。立派な王や、その臣下にふさわしい相手だわ。デバット卿は第二級貴族です、納得できませんわ!」
    第三王女クリスタが、必死になって僕をかばうように声を上げる。 しかし、女王アイリーンは申し訳なさそうに、静かに首を振った。
    「貴族でないものを、王女の婚約者にはできません。わかっておくれ、クリスタ」
    女王の言葉に、周囲の貴族たちも一斉に同意した。
    「そうだそうだ」 「魔法が使えない平民下がりなど、王女様にはふさわしくない」
    「でも……っ」 クリスタは悔しそうに拳を握りしめ、唇を噛む。
    そんな彼女の様子を見て、デバット卿の息子であるバイツが、これみよがしに立ち上がって提案した。
    「王女様も、形だけで引き下がっては納得がいかないのでしょう。どうでしょう女王陛下。現実を見せるために、僕とエクス君が決闘して正々堂々、どちらがふさわしいかお見せするというのは?」
    バイツは、僕がまともに魔法を使えないことを知っている。 みんなの前で僕を見せしめにして、ついでに王女を手に入れようという魂胆なのだろう。確信に満ちた、にやけた笑顔をこちらに向けている。
    女王アイリーンは、そんなことをすれば僕がどうなるか、悲惨な結末を予想して顔をしかめた。
    「それはそうだが、しかし……」
    女王が言いよどんだ、そのときだった。
    僕はすっと顔を上げて、まっすぐに玉座を見つめた。その口元には、余裕の笑みが浮かんでいる。
    「僕はそれで構いませんよ」
    ふふっ、と僕が楽しそうに微笑むと、横でひざまずいていたリエット姉さんが、ハッと息をのんだ。
    「エクス君、まさか……っ!」
    リエット姉さんは顔を真っ青にして僕を見る。彼女の頭には、今朝の演習場で見た、あの恐ろしい大爆発の光景がよぎっていた。
    けれど、何も知らないバイツは、僕がヤケクソになったとでも思ったのか、さらに深くニヤニヤと笑った。

    第六話:中庭の決闘と竜の息吹
    王城の中庭にある広間。 そこは、僕とバイツの決闘の舞台となっていた。
    女王アイリーンが第三王女クリスタと心配そうに見つめ、ほかの貴族たちも見物する中、デバット卿は息子に向かって声を張り上げた。
    「思いっきりやってしまえ!」 「もちろんです、父上」
    バイツはにやけた顔で杖を持つ手を挙げ、自信満々に答えた。
    対する僕の側では、父親のガンドルフが苦しそうな顔で見つめ、リエット姉さんは別の意味で青ざめていた。 そんな二人の視線の先で、僕は落ち着いた様子でハンドガンのお尻にある切り替えメモリをいじっていた。
    ガンドルフは「無理だけはするなよ……」と祈るように呟き、リエット姉さんは「どうなっちゃうの……?」と顔面蒼白でつぶやいている。
    「行きますよ! 火炎魔法・炎の柱!」
    バイツが叫び、杖をこちらに突き出した。 彼の杖が赤く輝くと、ゴウゴウと炎の風をまとった大きな炎の竜巻が発生し、まっすぐに僕に向かって伸びてくる。
    周囲の貴族たちが「当たればただでは済まないぞ」と息をのんだ。
    けれど、僕はハンドガンを右手に持ったまま、静かに左手を前に出した。 やることは単純だ。僕の前方にある空気から、炎が燃え続けるために必要な酸素を遮断し、燃えない膜を張る。
    バイツの放った激しい炎の渦は、僕の目の前にある見えない膜にぶつかった。そして、そこだけ酸素がないために燃焼を続けることができず、四方に飛散して一瞬で消えてしまった。
    炎が収まっても、僕はケロっとしてその場に立っている。
    「今度は僕の番ですね」
    僕は右手のハンドガンを、バイツに向けてそっと上げた。
    「なっ!」 「嘘だ!」
    デバット卿が驚きの声を上げ、バイツも目を見開いて後ずさりする。 怯えるバイツに対して、僕は優しく声をかけた。
    「大丈夫です、当てませんから」
    カチャ、と銃のトリガーを引いた。
    僕が放ったのは、内部に超高圧の空気を閉じ込めた空気の重りだ。撃ち出した弾が着弾した瞬間に維持を止めれば、溜まった圧力が一気に弾けて周囲を吹き飛ばす。 この空気圧縮砲は、文字通りの目に見えない空気爆弾だった。
    見えない爆弾は、バイツの顔のすぐ横をガゥゥゥン……と凄まじい轟音を上げて通り過ぎた。 そして、彼の背後にある分厚い城壁に衝突した瞬間。
    ズズゥゥゥゥン……!
    大量の爆風と土煙を上げて、完全に城壁の上半分が粉々に消し飛ばされ、がれきへと変わった。
    「あ……ぁ……」
    圧倒的なプレッシャーと、すぐ横を通り過ぎた破壊の衝撃を肌で体感したバイツは、恐怖でその場にガタガタと膝をついた。もう杖を握る力すら残っていないようだった。
    クリスタは目を見開いたまま、呆然とエクスを見つめていた。
    見ていた貴族一同は、静まり返ったあとに大騒ぎを始めた。
    「竜の吐息だ!」 「ありえない! あんな魔法があるものか!」
    唖然とした表情の女王アイリーンも、その圧倒的な破壊に驚きを隠せない様子で呟いた。
    「これは……伝承にある、魔法を極めた者しか使えないドラゴンブレスそのものではないか」
    父親のガンドルフは、自分の記憶にある出来事を思い出していた。
    「あのときの光球の違和感……そういうことか。だからまともにリエットの場所で学びなおせと言ったのに……」
    ガンドルフは完全に勘違いをして、とんでもない英才教育を受けさせてしまったと頭を抱えている。 一方で、すべてを分かっているリエット姉さんは「やっちゃったかぁ……」と顔に手を当てて苦笑いしていた。
    「……うーん、空気砲も出力調整がまだみたいだなぁ。構造を優先したから、二十パーセントなのにちょっと強すぎるか」
    こうして、決闘は終わり、誰もが納得する結末を迎えたのだった。


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    第七話:お茶会と冬のクッキー
    午後。 決闘が終わったあと、僕は城内のテラスで第三王女のクリスタと小さなお茶会をしていた。 さわやかな風が通り抜けるテラスのテーブルには、温かい紅茶と焼き立てのクッキーが並んでいる。
    「本当に良かった、エクスが私の婚約者のままになってくれて。今更、知らない地位だけが欲しい底辺貴族なんて絶対に嫌だもの」
    ふふふ、と嬉しそうにクリスタは僕を見てほほ笑んで、クッキーを小さなお口へ運ぶ。 僕も淹れてもらった紅茶を一口飲んで、心を落ち着かせた。
    「うん、大きな問題にならなくてよかったよ。壊れた城壁の修理費も、決闘を申し込んだデバット卿が全額支払うことになったからね」
    僕がそう言うと、クリスタはいたずらっぽく目を細めた。
    「デバット卿の息子さん、泣いて帰っちゃったのはちょっと笑っちゃったわ」 「あはは、確かにね。でも、僕は父上が安心してくれてうれしかったな。まぁ、しばらくはリエット姉さんの家で勉強しろって、改めて言われちゃったけどね」
    苦笑いする僕を見て、クリスタは何かを思い出したように、紅茶のカップを置いた。
    「そういえば、エクス、覚えてる?」 「何のこと?」 「私が昔、城壁にある高い見張り塔に上って、怖くて降りられなくなっちゃったときのことよ。あのとき、エクスが一生懸命に助けてくれたのよね」
    クリスタの言葉に、僕の頭の中に流れ込んでいた記憶が呼び起こされる。高い塔の上で、涙目を浮かべて座り込んでいる小さなクリスタの姿が浮かんだ。
    「あぁ、そんなこともあったね」
    クリスタはまた優しく微笑んで、僕をまっすぐに見つめた。
    「困った時に助けてくれるのは、昔から変わらないのね。昔は少し頼りなくても優しかったし、今みたいにすごく頼りになっても、エクスはやっぱり優しいんだわ」
    そう言って、クリスタはまた嬉しそうに次のクッキーを口に運んだ。その様子を見ていて、僕はふと気になったことを口にする。
    「クリスタはずいぶんとクッキーが好きなんだね」
    すると、クリスタは少し顔を赤くして、照れたようにうつむいた。
    「だって、もうすぐ冬でしょ? 冬になると小麦や薪の質が落ちるし、お城でも余裕がなくなってクッキーが食べられなくなっちゃうもの。だから、今のうちにたくさん食べておこうかなって。えへへ……」
    照れ笑いするクリスタは、どこからどう見ても、九歳の年相応の可愛い女の子だった。 冬になると燃料や小麦の質が落ちて、お菓子を作る余裕がなくなる。それがこの世界の厳しい現実なのだろう。
    「去年も冬の終わり頃には、お城でも硬いパンや干した肉みたいな保存食ばかりだったの……」
    少し悲しそうな婚約者のお姫様の顔を見て、それなら、僕の出番だって思った。
    「うん、そういうことなら、冬でもおいしく食べられるクッキーをどっさり作っちゃおうか」 「えっ? そんなことができるの?」
    クリスタが目を丸くする。 僕は席を立ち、後ろに控えていたお城のメイドさんに向き直った。
    「お茶会の後で、少しだけ厨房で料理をさせてもらってもいいですか? できれば、いつもクッキーを作っている料理人さんにもレシピを覚えてほしいので、同席してもらう形でお願いしたいです」
    メイドさんは驚きながらも、「かしこまりました。手配いたします」と丁寧に頭を下げた。
    婚約者の少女の笑顔の為に。そして、冬場の食糧難の改善に、僕の持っている科学の知識が役に立つなら、それはきっとすごくいいことだと思うんだ。

    第八話: 冬を救う科学のクッキー
    お城の広い厨房。 僕についてきたクリスタと、集まった料理人たちの前で、僕は材料を並べた。
    「みんな、僕の手の動きをよく見ていて。魔法がなくても、理屈さえわかれば誰にでも全く同じ美味しいクッキーが作れるから」
    目の前の作業台には、冬でも手に入る材料が並んでいる。さっきの中庭での決闘の噂を聞きつけたのだろう。料理長をはじめ、見習いたちもノートを手に真剣な目で九歳の僕を見つめていた。
    「まず、カビをはやさないコツは、生地の中の水を全部『動けなくする』ことなんだ。みんなは温めて煮詰めた蜂蜜を使ってね」
    僕は蜂蜜の器を渡して、料理人たちの手元にある材料の粉に、温めた蜂蜜を混ぜ合わせてもらう。 すると、クリスタが不思議そうに手元をのぞき込んできた。
    「お砂糖じゃなくて蜂蜜を使うのね。蜂蜜を温めるお料理ってあんまり聞いたことがないわ」 「蜂蜜はすごく水分を吸い込みやすい性質があるんだ。これで粉の中の水分をぎゅっと抱え込ませれば、カビは水を吸えなくなって、普通に作るよりずっと生えにくくなるんだよ」
    僕が微笑んで教えると、料理人たちが感心して一斉にノートに書き留める。僕は次に油の入った壺を持ってきて、大豆の粉を広げた。そして、それを料理長に手渡す。
    「クッキーなのに大豆を使うの?」
    クリスタが興味津々といった様子で聞いてきたので、僕はこくりとうなずいた。
    「秋から冬にかけては卵が不足するのも原因だからね。でもそれだと油と水が分離しちゃうから、この大豆の粉を少しだけ油に混ぜて、力いっぱいかき混ぜてみてください」
    料理長が言われた通りに腕を回して混ぜると、ただの油が、まるで卵を入れたかのように白くとろりと変化した。
    「大豆の粒にはね、油と水を仲良しにする性質があるんです。これで卵がなくても、口に入れた瞬間にバターのような濃厚なコクが広がるようになるよ」 「おお……本当に白くなった!」
    料理長が驚きの声を上げる。 僕は最後に、生地を細長く伸ばして一度火を通して焼いた。そして、それを取り出す。
    「ここが一番大事だよ。普通に焼くだけだと、部屋の湿気を吸ってすぐフニャフニャになっちゃう。だから、形を作って一回焼いたら、一度取り出して薄く切って。それを、オーブンの残った予熱でもう一回じっくり焼くんだ」
    料理のあとに残ったオーブンのわずかな熾火(おきび)の熱を利用することを教える。
    「二回焼くことで、水分が完全に抜けて、湿気に強い頑丈な骨組みが自然にできあがる。これで一年後でも、口に入れた瞬間にサクッ、ホロッと崩れる最高の食感が作れるよ」
    最後に、用意してもらった素焼きの壺の内部に油を塗り、松明(たいまつ)で軽くあぶった。
    「最後に、お城の食糧庫に保管するときは、油を塗ってしっかり焼き締めた素焼きの壺に入れて、空気を完全にシャットアウトしてね。中に、よく焼いた消し炭を一緒に入れておけば、炭が勝手に中の湿気を吸い取ってくれるから」
    すべての説明が終わり、焼き上がった灰色の石のようなクッキーが完成した。 さっそくクリスタがそれを口に運ぶ。
    「えっ! 見た目はカチカチなのに全然おいしいわ! サクサクしてるしとっても甘い!」
    嬉しそうにクリスタはクッキーをほおばった。料理長や見習いたちも自分の作ったものを口にする。
    「うまい! これが本当に腐らないのか?」
    みんなが驚く様子を見て、僕は内心でほっとしていた。 前世で保存食メーカーと合同研究したときの記憶があって本当に助かった。
    お茶会と料理の時間を終え、僕は城門の前で待っていたリエット姉さんと合流した。 少し涙目になっているクリスタの手を握る。
    「すぐ会えるよ」 「うん……待ってるわ、エクス。あんまり会いに来てくれなかったら、私から会いに行くんだからね?」 「もちろん、いつでも来てよ。いいよね、リエット姉さん?」
    僕が質問すると、リエット姉さんは笑顔でうなずいた。
    「ええ、いつでも大歓迎よ」
    僕とクリスタは握手を交わし、馬車に乗ってお城をあとにした。

    第九話: 行き倒れの少女
    王城からの帰り道。 ガタゴトと揺れる馬車の窓から外を眺めていると、異様な一団が目に入った。
    それは、鎖でつながれてトボトボと歩く、奴隷たちの長い行列だった。 薄汚れた布をまとった彼らは、誰もが生きる気力を失ったような目で地面を見つめている。
    その行列の最後尾に、一台の小さな荷車が引かれていた。 中をのぞき込んだ僕は、思わず息をのむ。
    そこには、一人の少女が横たわっていた。 顔は血の気が引いて真っ青に変色し、ひどい栄養失調のせいで骨と皮ばかりに痩せ細っている。さらに恐ろしいことに、手足の先が黒ずみ、生気を失って壊死し始めていた。
    「リエット姉さん、馬車を止めて!」 「えっ? どうしたの、エクス君」
    リエット姉さんが驚いて僕を見る。 僕は馬車が止まるのも待てずに扉を開け、地面へと飛び降りた。
    「待って、エクス君! 危ないわ!」
    後ろからリエット姉さんが止める声が聞こえたけれど、僕はまっすぐに奴隷たちの行列へ走った。臨終の一歩手前のような状態の少女を、見過ごすわけにはいかない。 行列を率いていた太った奴隷商人の前に、僕は立ちはだかった。
    「おじさん、そこの荷車の少女をどうするつもりですか!」
    突然現れた九歳の僕を見て、奴隷商人は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
    「あぁ? なんだい坊主。こいつかい? 生きている奴隷を勝手に捨てると罪になるから、仕方がなく引きずっているだけさ。だが、もう虫の息だ。死んじまえばただの死体だからな、死んだらそこらの道端にでも捨てるさ」
    奴隷商人は、法律の縛りがあるから連れているだけで、命をまるでモノのように吐き捨てた。 少女の手足の壊死は、このまま放置すれば確実に全身へ回って命を奪う。一刻の猶予もない。
    僕は、追いかけてきたリエット姉さんを振り返った。
    「リエット姉さん、お願い。この子をリエット姉さんの屋敷に連れて帰りたいんだ。僕に手当てをさせてほしい」
    居候の身である僕が、勝手に人を連れ帰るわけにはいかない。 リエット姉さんは一瞬、少女の凄惨な姿に息をのんだ。けれど、僕の真剣な目を見て、すぐに優しく微笑んだ。
    「わかったわ、エクス君。連れて帰りましょう。お医者様も手配するからね」
    「ありがとう、リエット姉さん」
    僕は奴隷商人に真っ向から向き直った。
    「なら、その子を僕が買います」 「はあ? 坊主が奴隷を買うだって? いくら死にかけでも、タダじゃ渡さないよ」
    奴隷商人がにやにやと下品な笑みを浮かべる。 僕はポケットに手を入れた。そこには、家を出るときに父親のガンドルフから渡された、十枚しかない聖金貨が入っている。
    その中から、きらりと光る聖金貨を一枚取り出し、奴隷商人の目の前に突きつけた。
    「これでいいですよね? 十分足りるはずです」
    大金である聖金貨を見た瞬間、奴隷商人は目の色を変えた。
    「お、おいおい、本気かい!? これならお釣りがくるくらいだ! よし、交渉成立だ!」
    奴隷商人は奪い取るように金貨を受け取ると、すぐに少女を荷車から降ろした。 僕はリエット姉さんと一緒に、ぐったりとした少女の体をそっと抱き上げる。
    信じられないほど軽くて、冷たくなりかけている体だった。 急いで馬車へと運び込み、僕たちは少女の命を繋ぎ止めるため、急ぎ足でリエット姉さんの家へと帰るのだった。

    第十話: 小さな命を繋ぎ止める夜
    「アンナ、リエット姉さん。お願いです、僕が良いと言うまで、誰もこの部屋には入れないようにしてください」
    リエット姉さんの屋敷の一室。ベッドに寝かされた茶髪の少女は、十二歳くらいに見えた。その呼吸は弱々しく、今にも消えそうなほど浅い。 二人が静かに部屋の扉を閉めたのを確認し、僕はすぐに治療へと取りかかった。
    最優先すべきは、壊死(えし)し始めた手足から出る毒素が全身に回るのを防ぐことだ。 これが心臓や腎臓に達すれば、確実に手遅れになる。僕は少女の手足を一時的に隔離し、血液の通り道を確保した。
    「組み立てる……っ」
    前世で命を捧げた医療技術の記憶を呼び覚ます。 体内の魔力を指先に集中させ、部屋にある余った家具や金属の小物を『分解』し、頭の中に描いた分子構造の通りに『再構築』していく。 電子回路、極薄の特殊ろ過膜、そして血液を循環させるための小さなポンプ。 ベッドの脇に、未来型の人工心肺と人工腎臓の機能を持つ、小さな救命維持装置がまたたく間に組み上がっていった。
    装置のくだを、少女の細い血管へと慎重に接続する。 カチリ、と起動の音が響き、透明なくだを赤いきれいな血液が流れ始めた。
    機械が呼吸と血液の循環、そして毒素の排出を完全に代行していく。 それから数時間。装置が規則正しい音を立てるにつれて、少女の荒かった呼吸がみるみるうちに穏やかになっていった。心臓の負担が消え、まずは生きているだけの状態を完全に維持することに成功したのだ。
    トントン、と静かに扉が叩かれた。 入ってきたのは、お盆を持ったアンナだった。
    「エクス様、お疲れさまです……。温かいスープとパンを持ってきました。少しでも食べてください」 「ありがとう、アンナ」
    僕はアンナの手からコップを受け取り、温かいスープを口に運んだ。 前の人生でも、こうして研究室にこもってフラスコを振り、冷めた食事を摂っていた。けれど今は、僕を気遣ってくれる優しい手がすぐ側にある。
    ベッドの上の少女は、まだ深い眠りの中にいる。 救命の第一段階はクリアした。けれど本当の戦いはこれからだ。人工臓器で時間を稼いでいる間に、彼女自身の代謝を上げて、治療に耐えられるだけの体力を蓄えさせなければならない。
    「エクス様、私のベッドを使って休んでください。私が代わりに見ていますから」 「ううん、大丈夫だよ。この装置の管理は僕にしかできないから。ここで少し、仮眠を取るよ」
    僕はベッドの横の椅子に深く腰掛け、少女の顔を見つめた。 薄暗い部屋の中、規則正しく動く人工臓器の音だけが静かに響いている。 僕は小さな命の灯火が消えないよう、祈るように手元を確認しながら、仮眠と見守りを繰り返して長い徹夜の夜を過ごすのだった。

    第十一話:壊死の切除と、人工の臓器
    次の日から、少女の本格的な治療が始まった。
    「リエット姉さん、アンナ。これからは、部屋に入る時は必ずこれを身につけてください。今の彼女は、ほんの小さな汚れや空気の病気でも、命を落とす危険がありますから」
    僕は、部屋の小物を分解して作った、肩のあたりまで腕をすっぽりと覆う長い手袋と、口元を覆う白いマスクを二人に手渡した。
    「わかったわ。エクス君も無理をしないでね」
    リエット姉さんは心配そうに僕の顔をのぞき込み、優しく声をかけてくれた。
    「ありがとうございます。アンナ、食事はスープだけでいいよ。できるだけ栄養のあるものだと嬉しいな」 「はい、エクス様。お任せください!」
    アンナは力強くうなずき、それから定期的に、栄養がたっぷり詰まった温かいスープを部屋まで献身的に運んでくれるようになった。二人の支えを受けながら、僕は一人、ベッドの上の少女と向き合い続けた。
    少女の血液が綺麗になり、生きるための基本的な体力が安定した段階で、僕は次の段階へと移る。 感染症の元になっている、黒ずんで壊死した手足を切り離す手術だ。
    まず、自分で調合した麻酔を骨髄へと慎重に注射し、少女の感覚を完全に遮断する。これで彼女が痛みを感じることはない。 次に、高熱の反応を魔法で精密に操作した、手術用の鋭いメスを作り出した。
    (ここからが、一番集中するところだ……)
    僕は手袋をはめた手でメスを握り、ゆっくりと刃を動かしていく。のちに義手や義足がつけられるよう、将来の形を計算しながら、慎重に骨と肉を切り離して綺麗に縫合していった。
    さらに、栄養失調のせいで今にも止まりそうになっている、肝臓や胃腸などの負担を減らす作業に入る。 僕は少女の細胞や体の仕組みを魔力で細かく読み取り、彼女自身の遺伝子構造をもとにした、一時的な補助用の人工臓器をその場で生成した。これを少女の体内にそっと留置し、拒絶反応が絶対に起きないよう、彼女自身の体の一部として同一の同調率で接続していく。
    すべての作業が終わる頃には、夜がすっかり明けていた。
    手術の後、少女の体には劇的な変化が現れた。 最大の原因だった壊死した手足が消えたことで、それまで彼女を苦しめていた高熱がすっと下がり、真っ青だった顔色に少しずつ赤みが戻り始めたのだ。内臓の負荷を僕の作った機械が肩代わりしたことで、彼女の体が持つ、本来の自己治癒力がついに目を覚ました。
    「今度こそ、僕は絶対に助けて見せる……」
    僕はアンナが持ってきてくれた温かいスープの具を自分の口に運び、エネルギーを補給する。 そして、そのスープの栄養がある汁だけをスプーンですくい、眠り続ける少女の唇をそっと湿らせるようにして、少しずつ、少しずつ喉の奥へと流し込んでいった。
    ゆっくりと、けれど確実に、少女の体へ栄養が行き渡っていく。 小さな命の灯火は、もう消えそうに揺れることはなく、確かにその身の中で燃え始めていた。

    第十二話: 強靭なる心臓、そして目覚め
    ベッドの上の少女は、いまだ深い眠りの中にあった。 彼女を完全に目覚めさせ、自分の足で立たせるためには、最後の、そして最も重要な手術が必要だった。
    それは、彼女の生きる力の中心となる、完璧な恒久型の人工心臓を作ること。そして、体力を取り戻した彼女の体に、新しい手足を授けることだ。
    居間のテーブルや不要な鉄の置物を、精密な魔力で分子のレベルまで分解していく。 ベースにするのは、どこまでも少女自身の遺伝子構造だ。劣化することのない強靭な人工筋肉を、合成によって一切の拒絶反応が起きないように組み立てていく。
    「ここが、本当の正念場だ」
    二十時間を超える作業で僕の視界はかすみ始めていたが、指先だけは絶対に狂わせない。 生成した白銀の人工心臓を、少女の胸の奥へと慎重に取り付ける。血管を繋ぎ、魔力を通した瞬間。
    ドクン……、ドクン……。
    力強い、確かな鼓動が部屋の中に響き渡った。
    休む間もなく、僕は次の作業へと移る。 手足の失われた部分へ、同じく強靭な人工筋肉で構成した、神経接続型の義手と義足を接続していく。彼女の脳から出る命令がそのまま伝わるよう、見えない神経の束を一本ずつ、僕の魔力で直接同期させて繋ぎ合わせていった。
    僕の行う生成と手術は、すでに二十四時間を超えていた。 部屋に入れないリエット姉さんとアンナは、長い手袋とマスクをつけた姿で、時折ドアの隙間から心配そうに中の様子を覗き込んでくる。けれど、僕の集中が途切れないよう、静かに見守ってくれていた。
    最後の手術が終わったのは、次の日の朝だった。
    椅子に座ったまま眠ってしまっていた僕は、重い頭を抱えて朝日を浴びて目を覚ました。
    ベッドで眠る彼女の全身の肉体は完全に飢餓状態を脱し、補助用の人工臓器もすべて恒久型へと最適化された。 僕はゆっくりと、少女を眠らせていた麻酔の魔力を解いていく。
    「……ん」
    少女の小さな唇から、かすかな声が漏れた。 ゆっくりと開かれた茶色の瞳が、ぼんやりと天井を見つめる。
    「気がついたかい?」
    僕が声をかけると、少女は不思議そうに僕を見て、それから自分の体を確かめるように視線を落とした。 最初は痩せ細った肉体だが、人工臓器の完璧なサポートによって、内臓の痛みはどこにもないはずだ。
    新しい義肢の神経が、彼女の脳と完全に同期を始める。
    ピクッ……。
    少女の新しい銀色の指先が、僕の目の前で小さく、けれど確かに動いた。

    第十三話: 今度こそ
    ゆっくりと起き上がった少女は、不思議そうに自分の体を見つめていた。 白銀色に鈍く輝く新しい手足を、ベッドの上でやや震わせながら動かしている。痛みがどこにもないことを確かめるように何度か指先を握りしめ、それから、僕の方を向いてゆっくりと上体を起こした。
    少女は僕を見て、表情を変えずに静かな声で尋ねてきた。
    「あなたがご主人さまですか? お名前を教えてもらってもいいでしょうか?」 「僕はエクス。君の名前を教えてもらってもいいかな?」
    僕がそう聞き返すと、少女は感情の読めない瞳のまま、小さく頭を下げた。
    「はい、私はリーネと申しますわ」
    リーネ、と彼女が答えた瞬間。 僕の頬を、一筋の涙が伝い落ちた。 前の人生で、どれだけ手を尽くしても、どんなに科学の力を尽くしても救えなかった、大好きだった姉さんの命。そのときの深い悔しさと無力感が、目の前で確かに息をして、自分の名前を口にしている彼女の姿を見たことで、一気に溢れ出してしまったのだ。
    僕は涙を拭いもせず、満面の笑顔を浮かべた。
    「うん、よろしくね。リーネ」
    リーネはよろよろとした足取りでベッドの上に座り直すと、僕の方をじっと見つめた。やはり無表情のまま、首を小さく傾げる。
    「エクス様が助けてくれたのですね。なぜ、あなたが泣くのですか?」
    不思議そうに問いかけるリーネの目を、僕はまっすぐに見つめ返した。
    「今度こそ、助けられたからだよ。……生きていてくれて、助かってくれてありがとう」
    僕の言葉に、リーネはただ静かに目を瞬かせていた。 白銀の手足に宿った新しい鼓動は、これから始まる僕たちの物語を祝福するように、トントンと力強く部屋の中に響き渡っていた。

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    ――第一幕『失格貴族の魔導技術』・完

     
     
    キャリア・資産運用・音楽・オカルトを軸に、 日々の選択や考え方を無理のない言葉で整理しています。 夜や作業中、ひとりで整えたい時間に 感情を邪魔しない静かな音楽も制作。 同じ景色を歩く方へ。あなたの存在が励みです。 #ライトノベル #ラノベ #ヒーリング音楽 #QOL #金融

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