
わたしのミシンさん
私のミシンは中学生の時、祖母が買ってくれたものです。
おかしなことを言っている、と思われるかも知れませんが、私のミシンは時々まるで生きているみたいに思えるのです。
私は子どもの頃から手芸が好きでした。
トートバッグやエプロン、スカート。
ミシンで縫ってみたいものがたくさんありました。
しかし家には家具のようにずっしりと重い、こげ茶色の木と鉄でできた足踏み式ミシンしかありませんでした。
そのミシンだと直線縫いしかできず、布端をほつれないようにかがる「かがり縫い」ができないのです。
どうしてもかがり縫いをしたいときは、電動ミシンを持っている親戚の家を訪ねて、使わせてもらっていました。
そんな様子を見かねた母方の祖母が「ナツキちゃん、いつかミシン買うたるからね。楽しみにしときね」と約束してくれました。
和裁の先生をしていた祖母は、前々から「ナツキちゃんは、ばあちゃんの血筋や」と私が手芸好きなことを喜んでいたのです。
私はついに自分のミシンが手に入るんだ!と大喜びでした。
しかし、それからしばらくして祖母が末期の胃がんであることが判明しました。もう回復は見込めない状態でした。
ミシンを買ってもらうどころではありません。
私は祖母のことが心配で、ミシンのことなんて、もうどうでもいい、と思っていました。
しかし、入院した祖母は病床で「ナツキちゃんにミシン買うたるって約束しとった。今度、一時帰宅させてもらう」と何度も言っていました。
私は「ミシンなんか、いらないよ」と断りました。
ある日、市民施設でミシンの展示即売会が開催されることになりました。それを知った祖母は身体がかなり衰弱しているにもかかわらず、医師に頼んで一時帰宅の許可をとったのです。
体調はすでに相当悪く、やっと歩ける状態でした。
しかし孫との約束を守るためにどうしても行きたかったのでしょう。
一歩ずつ力を振り絞って歩く祖母と、母と私とでミシンの展示即売会に出かけました。
そして私は念願の電動ミシンを買ってもらいました。
本来なら嬉しくて仕方がないはずでした。
しかし私は胸が締めつけられるような苦しい気持ちになっていました。
祖母の姿を見て、その命はもうそんなに長くないことがよく分かりました。
喜びよりも悲しみが大きく心を占めていました。
私は買ってもらった電動ミシンで一番最初に、祖母が病室で使っていたティッシュペーパーの箱のカバーを作ることに決めました。
私は毎日急いで学校から帰り、少しずつ新しいミシンで縫い進めました。
数日後、晩秋の濃紺の夕暮れ。北陸の頬を刺すような風の中、私は自転車を漕いで祖母の病院に向かいました。
そして完成した緑色のティッシュカバーを祖母に渡しました。
祖母は「ありがとうね。上手に縫えたねえ」と喜んでくれました。
それから亡くなるまでの約一ヵ月の間、祖母は私の作ったティッシュカバーをいつも枕元に置いていてくれました。
私は祖母の棺にティッシュカバーを入れてもらいました。
あれから四十年。
買ってもらったミシンはいまだに現役です。
でももし故障したら、部品がなくて修理はもうできないでしょう。
しょっちゅう下糸が絡むし、なかなかすんなり縫えなくて調整に時間がかかるときもあります。
そんなときはいつも「ミシンさん、今日はこれを縫いたいの。よろしくね」「機嫌直して、頑張って!」と声に出して話しかけています。
はたから見たら馬鹿みたいなのでしょうけど、不思議なことに気持ちが通じるのです。
急にスイスイ縫えるようになるのです。
まるで小さい祖母がミシンのどこかに隠れて、一緒にいるみたいです。
私のミシンは壊れそうになっても持ち直し、この先も私と秘密の会話をしながら、ずっとそばにいてくれる気がしています。
