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『泥人形』と『黒服の男』が… 最終話

    ケンタッキーフライドチキンをお昼に食べようかと思いまして

    2日間何もしなかった。
    仕事もしなかった。

    その辺にあるものを口に入れ、トイレへ行くだけ。
    事件直後の虚脱感とは違う、無気力。

    怖かったのだ。

    去り際にこっちをしっかりと見て安田美佳は笑顔をみせた。
    綺麗だった。

    だがソレは俺に向けたものではない。
    『黒服の男』へ向けたのだ。
    つまり、あんな笑顔をプロポーズしてきた相手に見せるということは。

    安田美佳は。

    ただ怖かった。
    気味が悪かった。
    もう彼女とは関わりたくない、と思う反面、あの笑顔をもう一度見たいとも思う。
    が、俺から連絡を入れる気にはなれなかった。
     
    3日目、知り合いの調査会社から頼まれた浮気調査の助っ人仕事を終えたのは、夜の12時近くになりそうなところだった。

    事務所の奥の寝室に入り疲労感満載の体をグッタリとベッドに横たえながら、シャワーを浴びないで寝ちゃおうかなと考えていたとき、スマホが振動した。
    着信だ。

    さっきの仕事でなにかあってまた出てきてくれ、なんて言われるんじゃないだろうなと思い無視してそのまま寝ようとしたが、まぁやっぱりそういうわけにはいかないと思いスマホを見た。

    【安田美佳】の表示。

    心臓がギクリとなった。
    正直なところ安田美佳と話したくない。
    あの後のことを聞きたくなかった。
    答えがわかっていたから。
    この1ヶ月、焦がれに焦がれたあの笑顔だがもう二度と見たくない。

    そんなことを思っているうちに振動が止まった。
    よかった。

    もうかけてこないでくれ、と思っていたら再び振動。
    【安田美佳】と文字が見える。
    とりあえず一旦無視を決め込んだが、今度は全然止まらない。
    30秒、1分……。
    長い。早く諦めて切ってくれ。

    「もしもし」

    なんか出てしまった。
    切れないバイブの振動を止めたいという感情と、やはりあの後のことが気になっていたというのもあったと思う。
    だが俺の意思とは関係なく湧き上がってくる彼女の声を聞きたいという衝動。
    抑えられなかった。

    「あ、もしもし、冬宮さんですか? 安田です」

    なんとも朗らかで明るい声が聞こえてきた。
    こんなの出会ってからいままで聞いたことがない。

    なぜか全身がぞわっとした。
    電話に出たことを後悔した。

    「はい、冬宮です。どう、しました、か?」

    なんとかこれだけ言った。

    「いえ、大したお話しではないんですけど、この間のことで。冬宮さんにはご相談にも乗っていただきましたし、いろいろお世話になったので」

    い、嫌な予感。
    ここから先は聞きたくない。

    「わたし、やっぱり自分の気持ちに素直になろうかと思って」

    素直になるなら答えは決まってるはずだ。
    本来ならば。

    「なんていうか、ちょっと恥ずかしいですけど、こんな年になって」

    プロポーズを断り自分の娘の鼻を削いだ傷害事件の犯人を警察に突き出すことに恥じらいや年齢が関係ある、はずがない。

    「でも冬宮さんに、本人の気持ち次第だって言われて気づいたんです。そうなんですよね。わたしの気持ち次第なんですよね。常識とか世間の目とか、そんなこと関係ないって」

    常識とか世間の目を気にしてくれ、頼むっ。

    「だからわたし、プロポーズ、お受けすることにしました」

    本当に言ったっ。

    「今日ご返事をします。こんなこと、わざわざ人に言うことではないんですけど、冬宮さんにはご報告しなければと思いまして」

    今日返事をする? 
    じゃあ会うのか? 
    『黒服の男』にっ。

    「安田さん、け、」

    警察に連絡を入れて凛步への傷害で逮捕してもらわないんですか?
    と言いたかったのだが、け、より先が続かない。
    そんな連絡をするはずがないことがわかっているから。

    「はい? なんでしょう?」

    明るく聞き返す。
    怖い。

    「け、ケンタッキーフライドチキンをお昼に食べようかと思いまして。いや、おめでとうございます」

    「え? ああ、はい、ありがとうございます」

    それだけ聞くと仕事があるので、と言ってそそくさと電話を切った。
    薄気味悪くて話していられなかった。

    なにがどうなっているのか……。
    俺はもう安田美佳について考えることをやめた。

    日本一のヘボ探偵

    「オメェも知らねぇのか。見舞いには足繁く通ってたらしいじゃねぇか。それなら一言くらいなにか言ってきたんじゃないのかよ」

    アポなしで馬崎が事務所に来た。
    チャイムが鳴ったとき、たまたま仕事がなく惰眠を貪っていたためうっかり出てしまった。
    この男はうちに来たときは必ずチャイムを連打する。
    まるで不審者だ。
    今回も同じだったのだが寝ぼけて判断力が鈍ってしまった。
    コイツかも、とチラリとでも思えば居留守を使ったのに。
    クソ。

    安田美佳と連絡が取れないらしい。

    「な、なぜ、私が安田さんのお見舞いに行っていたことを知っているのですが? まさかまだ私を疑って監視していたのですか?」

    「用があったのは安田美佳のほうだ、馬鹿野郎。事件時の状況を確認しに行ってたんだよ、うちの署と調布署の人間が交互にな。そしたら事件関係者のヘッポコ探偵がアホ面晒して現われるっていうじゃねかよ。それもうちと調布署、どっちが行ってもそのポンコツ探偵がいるってんだからな」

    「……」

    「そんだけあの女のご機嫌取りに行ってたってのに引っ越しの挨拶もねぇのかっ。さぞ迷惑だったんだろうな、オメェのマヌケ面を拝まされるのがよ」

    「べ、別にそれほど頻繁に行っていたわけではありませんよ。警察の方々が私を見かけたのはそちらが病院に行く回数が多かっただけです。いや、そんなことより、安田さんは行方不明ということなんですか?」

    「行方不明つってもな、事件か事故にでも巻き込まれた証拠でもなけりゃただの引っ越しだ。警察がどうこうすることじゃなぇからな」

    「それならなぜ安田さんの行方を私に聞きに来たのですか。ただ引っ越した市井の人間を監視する必要はないでしょう」

    「だから確認したいことがあるって言ってるだろう、聞いてないのかオメェは。まぁなんだ、いろいろ出てくるんだよ、訳のわからない与太話がな」

    与太話? まさか……。

    「警察が『黒服の男』の都市伝説を調べているのですか?」

    「調べるわけねぇだろそんなもん、ナメてんのかっ、警察をっ」

    「ではなにを安田さんに聞きに行っていたんですか? 取り調べに不備でもあったのですか?」

    「そうじゃねぇよ、アホンダラ。俺たちが聞きたかったのは都市伝説とかじゃねぇ。遠藤保則宅へ押し入った黒い服を着ていた男のことだ」

    確かにそういう意味での『黒服の男』は実在するはずだ。
    しかし、

    「私が聞いた限り、その男が都市伝説の元になった『黒服の男』かどうかわかりませんが、当時の遠藤さん家族と接触して危害を加えた男がいたのは確かだと思います。その男を暴行とか傷害などの罪状で逮捕することができるのですか?」

    「だからそのために安田の話をもう一度聞きたかったんだよ。本当にオメェ、あの女の居所に心当たりはないのかよ?」

    「ないです。こちらから連絡もしていませんし」

    これはまぁ、本当だ。

    「けっ、使えねぇ男だなっ」

    「……しかしなぜ今さら『黒服の男』を逮捕だとかいう話になったんですか? 私の話を聞いたときには鼻で笑っただけでしたが」

    「だからよっ、オメェの話した『黒服の男』ってのは都市伝説ってやつだろ。噂話、ウソ、デタラメだ。まーオメェにピッタリだけどな。おれがいま話してるのはそんなんじゃねぇよ。実際に被害届が出てる傷害事件だ」

    「被害届が? 誰が誰に対してどんな事件で被害届が出ているんですか?」

    「うるせぇなっ、一気に聞いてくるんじゃねぇっ。都内のな、いくつかの署に被害届が出てるらしい。つまらんきっかけで知らない男と揉めた後、数日経ってからボコボコにやられたってヤツらからな。そんな傷害事件は珍しくないからな、それぞれの署で受理して捜査はしていたらしいんだわ。それが今回の事件が起きてその詳細が警視庁内に伝わったってわけだ、詳しい経緯が。なにせ警察が銃撃戦をやるっていう前代未聞の大事件だからな、それは詳しく伝わったみてぇだ。なんだその黒い服を着た男に遠藤一家が襲われた話もだ。そしたらな、うちの署に似たような話を訴えてきている人間がいる、って話になったというわけだ」

    「実際に『黒服の男』に襲われたっていう訴えを起こしている人が複数人いると?」

    「そういうことだ。だから安田美佳にももう一度詳しく話を聞こうと思ったってわけだ。そしたらなんだ、連絡がつきやしねぇってのはどういうことなんだよ、えっ?」

    「私に言われても困ります。その『黒服の男』の身元などについて、目星はついているのですか?」

    「だからその男の情報をもう一度安田美佳に確認したかったんだよ」

    「では男についての身元などは判明していないと?」

    「だから情報収集中だって言ってるだろ、聞いてねぇのかこのボンクラ探偵は」

    警察が『黒服の男』について捜査している……。

    「そいつについてはまだなにもわからねぇよ。そこいらで暴力事件を起こしてるってこと以外はな。ただな、遠藤保則の件でどうしてもわからなかった拳銃の入手先に見当がついたかもしれねぇ」

    「なんですか唐突に。『黒服の男』の捜査と遠藤さんの拳銃の入手先になにか関係があるんですか?」

    「察しの悪い男だな、オメェも。さすが日本一のヘボ探偵を名乗ってるだけはあるな」

    「そう言われてもわかりません。その情報からどうして遠藤さんの拳銃の入手先がわかったんです?」

    「だからよ、その被害届を出してる連中のなかにいたんだよ、黒い服を着た男に拳銃を渡されそうになったってヤツが」

    「え?」

    「そいつは、まー話が長くなるから詳しくは省くが、黒い服を着た男が原因で親友ってやつと揉めてだな、親友に襲われそうになって怯えてたところにまた黒い服をきた男が来たと。それで拳銃を出して『これで親友を撃て』と言ったってんだな」

    「それでは……」

    『黒服の男』は遠藤に『これで娘を撃て』と拳銃を渡したのか……。

    「そいつは良識のある人間だったんでな、そんなもんで親友を撃てるわけがないってんで警察に駆け込んだってわけだ」

    つまり……。

    「娘から逃げ回ってる最中の遠藤に手渡したんだろうな、そいつが拳銃を」

    これが遠藤に対する『黒服の男』の最後の報復だったというわけか……。
    なんてヤツだ。

    「言っとくけどな、これは都市伝説なんてなぁ暇つぶしの与太話じゃねぇ。テメェも下手にからんできやがったら今度こそ逮捕だぞっ。わかってるだろうなっ」

    「逮捕もなにも私は『黒服の男』と関係ありませんからご心配は無用です。その、『黒服の男』逮捕の目処はあるのですか?」

    「だから、そのために安田美佳にもう一度話を聞きてぇのに捕まりゃしねぇ。わざわざこんな薄ら汚ぇタンツボ探偵事務所に来たってのによっ、なんにも手がかりがつかめねぇとはなっ」

    吐き捨てて馬崎は出て行った。
     
    遠藤の話がすべて真実だとしたら新宿駅でたまたま『黒服の男』と出会っただけで、娘は取り返しのつかない傷を負わされ、遠藤本人も娘に命を狙われたあげく自らの手で娘を銃殺し、自分は轢死、あまつさえ妻は元凶の男と……。

    こんな人間が実在すると思うと恐ろしい。
    もっと恐ろしいのは直接関わっていないとはいえ自分も『黒服の男』のすぐそばまで近づいていたのではないかということだ。
    こんなヤツとは一切関わりたくない。

    ブゥーブゥブゥ。

    スマホにLINEからメッセージの知らせ。
    画面には【安田美佳】。

    添付画像がある。
    ウェディングドレスの安田美佳の写真だった。
    古い教会のような雰囲気の背景だがよくわからない。
    写真の右側には、安田美佳と腕を組む新郎。
    しかし、新郎の腕と耳が見えるくらいのところですっぱりと切れている。
    満面に笑みを浮かべる安田美佳。

    【私たち結婚しました♡♡♡♡♡】

    俺は嘔吐した。

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