
ヒントってそういうもんじゃない?
スマホを持ち始めて
隙間時間よりついついオーバー気味に
ゲームをやってしまう。
そのほとんどは、
脱出ゲームとナンプレ。
どちらのゲームも
問題を解く爽快感に
ハマっているのだろう。
必ず正解のある問題を解くのだから。
悩みたくない人なのに
わざわざ悩むくらいのレベルを
やりたくなる。
それがヒントをもらいながらでも。
意地でも見たくないジレンマもあるが、
テクニックが無いと
たどり着けないのも事実だ。
ナンプレの場合、作者だって、
描いた手順を華麗に踏ませられるかが
腕の振るい甲斐ってものだろう。
まんまと術中にハマり
ヒントを見ながらテクニックを
覚える様になった。
たいてい
上級者レベルを選んでやっている。
空欄が多い。
選択肢を埋めるのが
ナンプレの地味で面倒な作業で
やりながら嫌になる。
ある局面まで来たら、
一括で候補を埋めてくれたり、
候補も色分けが出来るとかの
機能が欲しくなる。
ワガママな要望が増えていく。
テクニックを知ると、
どれに当てはまるのかに躍起になって
意外と単純な小技を見落とす様になった。
初歩的な見落としに手詰まり。
ヒントを見ては、「なんだ、そこか」と
悔しがることもよくある。
遊びながら、ストレス感じる自分に
「なにやってんだか」な話。
選択肢の数字の多さに
目がチカチカして判断が煮詰まるとき、
一旦、諦めて他のことに取り掛かる。
頭をクールダウンさせて盤面を見ると、
さっきは見えていなかったカギを見つけて
スルスル解けることも割とある。
このパターン、
人生にもそんな時間やカギは
あるのかも知れない。
人生の盤面で
行き詰まりを感じていたあの頃、
私はnoteという光を見つけた。
光の射す方へ歩いたつもりでいた。
段々と光に慣れた目には、
以前ほど眩しく映らなくなっている。
だからといって
暗がりへ戻りたいわけでもない。
眩しかったはずのものが
輝きを失ったわけでもなく、
自分がその輝きに同調したとも思えない。
経験の中で、
明暗を両面から見る視点は
幾分育ったかも知れないが、
一段と光る道が見つからない。
その、
どこへも進めないような足踏みの中で、
ふと「早く、帰りたい」と、
家に居るのに呟くこともある。
「どこへ行きたいんだろう」
実際、これまでの私の歩みも、
そんな手詰まりとブレイクスルーの
繰り返しだ。
人は生まれる前に
人生の青写真を描いてから生まれる、
と聞いたことがある。
ならば、スラスラ解ける問題よりも
頭をフル回転させる問題を好む自分が、
簡単な設定で生まれてるわけがない。
自覚は無いけれど、
そんな風に絶対解ける問題を設定して
生まれたと思えば、
少しは気が楽になるというものだ。
それにしても、
どれだけ笑えないアトラクションを
用意したんだ。
スゴイぞ自分、と褒めてやりたくなる。
答えはある。
自力で解きたがるのも、
ヒントが欲しいときがあるのも
不思議ではない。
現象を解き明かしながら、
時に人の力を借りるということも、
きっと最初から必要なこととして
組み込まれているのだろう。
盤面に答えを埋めるのは
自分の領分だけれど。
難問にぶち当たったとき、
基本、甘ちゃんの自分が
華麗なる一手か絶妙なヒントを
用意していないわけがない。
プライドを捨てて、
ヒントを見たくなって当たり前。
クリアしたくてたまらない
自分へのサプライズはきっとある。
解けないまま終わることを、
自分が一番望んでいないのだから。
ただ、こうも難しい設定だと、
途中で手詰まりになって
足踏みしている時間すら、
実は「オールオッケー」のシナリオ通り
なのかも知れない。
進めないんじゃなくて、
次のカギを見つけるために、
今はただ目を休めているだけ、
という風に。
面白がるのが人生のコツなら、
そんな発想もありかもしれない。
お読みいただき、ありがとうございます。