
腰が死んだ日、私は背骨の5億年を掘りはじめた
壊れた腰が教えてくれた
──「身体運動考古学」
二十年前、私の腰は壊れた。
作業中の事故だった。
腰から下に、強い衝撃が走った。
次の瞬間、身体の中心から何かが根こそぎ抜け落ちた。
診断は、腰椎椎間板ヘルニア。
それだけではなかった。
腰椎の椎間板は全体的に潰れ、前のようにはもう動けないと言われた。
腰が死んだ。
そうとしか言いようがなかった。
それから私を苦しめたのは、強い坐骨神経痛だった。
お尻から脚にかけて、焼けるように痛い。
歩こうとしても、足が小刻みにしか出ない。
夜になっても痛みは消えない。
眠ることもできない。
痛みというのは、身体だけを壊すのではない。
性格を荒らす。
心を削る。
人の言葉に腹が立つ。
何もしていない時間にさえ腹が立つ。
痛み止めをラムネのように食べた。
胃もボロボロ。そんな日々が過ぎ、七ヶ月後に私は手術を決断した。
この手術が終われば、この痛みとの生活も終わる。
どこかで、そう思っていた。
けれど現実は違った。
痛みは半分になり、半分は残った。
半分でも十分痛い。
その事実が、私を本当に絶望させた。
この生活が、まだ続くのか。
まだこの腰と一緒に生きなければならないのか。
悲しみよりも、もう怒りが強かった。
なんなんだ、この背骨。
ふざけんな、と思った。
私は長く人の身体に関わってきた。
背骨の構造も、筋肉の働きも、関節の動きも、知識としては学んでいた。
けれど、自分の身体が壊れて初めて、私は本当の意味で背骨と向き合った。
そもそも背骨とは何なのか。
なぜこんなものが身体の中心にあるのか。
何のために、こんな危うい構造を人間は抱えているのか。
怒りをぶつけるように、私は背骨を一から調べ直した。
解剖学だけではない。
生物学、進化、脊椎動物の始まり、背骨の起源。
痛みをどうにかしたいというより、もはや背骨を問い詰めた。
お前はいったい、何?
そんな気持ちだった。
調べているうちに、ある可能性に気づいた。
人間の背骨には、椎骨が二十四個ある。
そのうち、壊れた腰椎は五個。
残りの十九個は生きている。
腰が動かないなら、残りの十九個を最大限に動かしてみようじゃないか。
いま思えば、かなりヤケクソだった。
でも、あの頃の私には、それくらいの乱暴さと小さな希望が必要だった。
私は、腰の上の背骨──胸椎を動かす練習を始めた。
かんたんに言えば胸をしならせる。
背骨をゆらす。
腰ではなく、腰より上を動かす。
毎日、毎日、痛みと怒りを鎮めるように繰り返した。
同僚からは「何をやっているんですか」と聞かれた。
しまいには「ちょっと気持ち悪いですね」と言われるくらい、胸が動くようになっていった。
それでも、そんなことは無視して続けた。
もう他に道がなかった。
痛みを抱えたまま、きれいごとだけでは生きていけなかった。
ゆっくりだが少しずつ、痛みの質が変わっていくのを感じていた。
そして、手術から二年ほど経ったある日。
仕事中、棚からファイルを取ろうとしていた。
その動作は、毎回痛かった。
腕を伸ばし、少し体をひねる。
ただそれだけで、腰から脚へ痛みが走る。
だから私はいつも、ファイルを取るたびに歯を食いしばった。
その日も、いつものように手を伸ばした。
けれど。
歯を食いしばっていなかった。
痛みが、なかった。
私はファイルを手に持ったまま、しばらく立ち尽くした。
久しぶりに笑った。
腰が治った、という単純な話ではない。
壊れたものが新品に戻ったわけでもない。
けれど、私の生活に寄生していた痛みは、確かにそこにいなかった。
痛みが消えるというのは、ただ不快感がなくなることではなかった。
視界に色が戻った。
空気の軽さを感じた。
自分の体温を感じた。
背骨は、ただ身体を支える柱ではない。
背骨が動くと、世界の見え方そのものが変わる。
そのとき、私の中にひとつの問いが残った。
人間の背骨とは、いったい何なのか。
◇
私はその感覚を、自然と少しずつ仕事にも生かすようになった。
三十年以上、気づけば延べ三万人以上の身体を見てきた。
その中で、何度も同じことを感じた。
不調の原因は、単なる筋力不足だけではない。
柔軟性の不足だけでもない。
年齢のせいだけでもない。
その人の身体のどこかで、古い動きが眠っている。
背骨の波が眠っている。
股関節が眠っている。
肩甲骨が眠っている。
足裏が地面を忘れている。
そう。現代の身体は、静かに埋もれている。
椅子に座り続ける時間。
画面を見続ける姿勢。
スマートフォンを覗き込む首。
指先だけで世界を感じる日々。
私はそれを「現代の砂」と呼ぶようになった。

その砂は、いきなり身体を壊すわけではない。
毎日、少しずつ積もる。
首の重さとして。
腰の鈍さとして。
夕方の頭の霧として。
そして気づかないうちに、身体の奥に眠っている古い生命の設計図を覆っていく。
でも、消えたわけではない。
砂の下に、まだある。
鍛えるのではない。
無理に伸ばすのでもない。
発掘するのだ。
その視点を、さらに深めてくれた出来事がある。
それは、私が見てきた中の、一人の高齢の方のことだ。
その方は、腰が痛く、姿勢を丸めて来られた。
歩くことも不安定で、声も細かった。
元気がない。
声に張りがない。
身体全体が、長い時間をかけて砂に埋もれてしまったように見えた。
その頃から私は、姿勢や歩き方だけでなく、声も見るようになっていた。
声が細いとき。
言葉に力がないとき。
私は、まず声だけを見るのではない。
その奥にある背骨を見る。
背骨の波が眠ると、胸が閉じ、呼吸が浅くなる。
呼吸が浅くなると、声は身体の奥を通らず、喉のあたりで止まってしまう。
そう感じる場面を、私は何度も見てきた。
だから私は、その方にまず背骨を発掘することから始めた。
椅子に座ってもらい、ほんの小さく重心を左右に移してもらった。
右の坐骨へ。
左の坐骨へ。
骨盤から背骨へ、小さな波を通す。
大きな運動ではない。
誰が見ても驚くような動きでもない。
その日は、それを家でも静かに続けてもらうことをお願いした。
数日後、その方がまた来られた。
椅子から立ち上がる姿が、少しだけ違って見えた。
背中がまっすぐになった、というほど大げさな変化ではない。
けれど、身体の動かしやすさが見てとれた。
その方が、小さく言った。
けれど、その声には前より少し芯があった。
「あ、ありがとね」
その声が、前よりも少しだけ前に出ていた。
最初は喉の奥でかすれていた声が、少しだけ身体の奥から出てくるようになっていた。
背中が伸びたから、というだけではない。
筋力が急に増えたわけでもない。
身体の奥に眠っていた波が、声の通り道を開いたように見えた。
こういう瞬間に、私は何度も思う。
もうダメだと思った身体でも。
まだ終わっていない。
年齢を重ねても。
痛みがあっても。
曲がっていようとも。
砂の下には、まだ何かが残っている。
私自身がそうだった。
腰が壊れたとき、私は自分の身体に裏切られたと思った。
けれど今は、少し違う。
あの腰は、私にひとつの入口を開いたのかもしれない。
もちろん、それを感謝なんてきれいな言葉では言いたくない。
あんな痛みはもう嫌だ。
あの眠れない夜も、歩けなかった日々も、簡単に美談にはできない。
それでも。
壊れた腰を、少しだけ許せるようになった。
◇
その後も私は、進化の探究を続けた。
最初は背骨だった。
けれど、調べれば調べるほど、身体には背骨だけではない長い歴史が眠っていることに気づいた。
私たちの身体は、昨日今日できあがったものではない。
海で生まれた生命の流れから、陸に上がった生き物、木に登った祖先、大地を歩き、走り、投げた人類まで。
その長い進化の中で、股関節は重力を受け止め、肩甲骨は腕を自由にし、足裏のアーチは大地を踏みしめるために形づくられてきた。
何億年も一度も途切れることなく続いてきた命の歴史が、この身体の奥に重なっている。
私はこの視点を、いつしか「身体運動考古学」と呼ぶようになった。

身体を、いま目の前にある肉体としてだけ見ない。
五億年の進化が重なった地層として見る。

その地層を深く掘り起こし、そっと刷毛で砂をはらうように。
乱暴に掘れば、壊れる。
急いで掘れば、見落とす。
だから小さく、静かに、丁寧にコツコツと掘る。
そして背骨は、最初からまっすぐ立つための柱として生まれたわけではないことを知った。
背骨の起源は、推進だった。
前へ進むため。
水を押すため。
身体の中心をしならせ、波を起こし、その波で進むため。
魚には腕も脚もない。
それでも前へ進む。
背骨の波で進む。
そのことを知ったとき、私は妙に納得した。
私が胸椎を動かし続けていたあの時間は、ただ腰痛の代償動作を探していたのではなかったのかもしれない。
身体の奥に眠っていた、もっと古い原始的な波を掘り起こしていたのかもしれない。
背骨の歴史を追っていくと、やがて生命は陸へ上がる。
四肢で重力を受ける。
体幹と手足を連動させる。
背骨をしならせて走る。
肩甲骨を自由に動かす。
木に登り、ぶら下がる。
二足歩行し、走る。
そして人類は、ある動きにたどり着く。
投げる。

私はこの動きに、強く惹かれるようになった。
人間は、ホモ・サピエンス
──賢い人、と呼ばれている。
けれど私は、
人間のもうひとつの本質を、ホモ・スロワー
──投げる人、と呼びたい。
人間は、全身を連鎖させて、力を遠くへ投げることができる。
足裏で地面を捉える。
脚から骨盤へ。
骨盤から背骨へ。
背骨から肩へ。
肩から腕へ。
腕から指先へ。
そして最後に、放つ。
人間ほど、全身を使って遠くへ正確に投げる能力を磨いてきた動物は、ほとんどいない。
この「放つ」という動きは、人間にとってただの運動ではなかったのではないか、と私は思うようになった。
自分より大きな獲物に、距離を取り、仲間と連携し、槍や石を放つ。
投げることは、生きるための技術だった。
さらに、私はその先を想像してしまう。

火を囲む夜。
獲物を分け合う時間。
誰が獲物を見つけ、合図をしたのか。
どうやって獲物を追い込んだのか。
誰がとどめの槍を放ったのか。
人間は、身振りで、声で、何かを伝え合っていたのではないか。
木の実や昆虫を捕まえるのに言葉は必要ないかもしれない。
けれど、大型動物を狩るには、何らかの合図や声のやり取りが必要だったのではないか。
言葉がいつ生まれたのかは、誰にもはっきりとは分からない。
けれど、私は思う。
投げることと、話すことは、どこか深いところでつながっている。
まず背骨を通り、胸を通り、呼吸を通り、喉を震わせて、声は外へ出ていく。
槍も、声も、背骨を通って外へ放たれる。
どちらも、遠くへ届けるためのものだった。
◇
そして今、私たちは別の形で投げている。
槍ではない。
言葉を投げている。
SNSで発信する。
企画書を書く。
プレゼンで伝える。
誰かに想いを届ける。
自分の考えを、まだ会ったことのない誰かへ放つ。
現代の私たちは、身体をほとんど使わなくても仕事ができる。
椅子に座り、画面を見つめ、指先だけで文章を打つ。
狩りに出ることもない。
槍を持つこともない。
けれど、遠くへ何かを届けたいという衝動は、まだ消えていない。
だから私は思う。
人間はたぶん、これからも投げ続ける。
何を投げるかは、時代によって変わっていく。
それでも、遠くへ何かを放とうとする衝動だけは、たぶん消えない。
ただ、椅子に沈み、背中を丸め、呼吸を浅くしたままでは、言葉はどうしても細くなる。
自分の言葉なのに、どこか身体から離れて聞こえる。
理屈や理論はしっかりしているのに、なぜか届かない。
そんな言葉を、私は何度も見てきた。
そして、自分も経験した。
反対に、背骨に小さな波が通ると、声が変わる。
胸が少し開き、呼吸が深くなる。
言葉が、頭だけではなく、身体の奥を通って出てくる。
それは上手い文章とは違う。
きれいな言葉とも違う。
もっと泥臭い。
その人が生きてきた時間がにじむ。
痛みを知った背骨。
怒りを知った背骨。
恥を知った背骨。
何度も諦めかけ、それでも立ち上がってきた背骨。
そこを通って出てきた言葉には、重さがある。
AIが文章を書く時代になった。
言葉を並べること。
情報を整理し読みやすくすること。
それらは、これからますます簡単になっていくのだと思う。
では、人間が言葉を放つ意味はどこに残るのか。
私は、それは背骨に残ると思っている。
頭の中だけで整えられた言葉ではなく、背骨を通り、胸を通り、呼吸を通り、全身の歴史をくぐって出てきた言葉。
そこに、人間の言葉の重みが宿る。
それは、言葉の槍だ。
鋭くなくてもいい。
美しくなくてもいい。
震えていてもいい。
泥がついていてもいい。
届くかどうかは、誰にも分からない。
何度も外すかもしれない。
笑われるかもしれない。
誰にも受け取られない日もあるかもしれない。
それでも、人間は投げてきた。
石を投げた。
槍を投げた。
声を投げた。
言葉を投げた。
届くかどうか分からないものを、
それでも遠くへ放とうとしてきた。
◇
私はこの文章を、きれいな理論として書いているのではない。
腰が砕けた。
歩けなくなった。
手術をした。
痛みが残った。
私は背骨に腹を立てた。
あの怒りが、私を背骨の奥へ連れていった。
そして気づけば、私は身体の中に眠る五億年の地層を掘りはじめていた。
最初に掘り当てたのは、背骨の波だった。
その波は、胸を動かし、呼吸を変え、声の通り道を開いた。
そして私に教えた。
身体を掘ることは、言葉になる前の想いを掘ることでもあるのだと。
発掘は、まだ終わっていない。
股関節にも、肩甲骨にも、足裏にも、まだ掘っていない地層がある。
身体の中には、まだ知らない歴史が眠っている。
人間は、これからも投げる。
槍ではなく、言葉を。
腕だけではなく、背骨を通して。
頭だけではなく、身体の歴史を通して。
あなたの中にも、まだ波は残っている。
その波がいつか声になり、言葉になる。
そして、まだ会ったこともない誰かに、届いてしまう日が来るかもしれない。

そのとき身体は、きっと思い出す。
五億年を背負い、
波を通し、
届くかどうかも分からないものを投げるために、
ここまで生き延びてきたのだということを。