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【美術鑑賞を始めて良かったこと】「好きじゃない画家」がいなくなった

    どうもみなさんこんにちは。

    突然ですけどみなさん「好きじゃない画家」っていますか?「何を表現しているのか分からない」と感じる画家だったり、「正直、あまり惹かれないな」と思う画家だったり。理由は人それぞれだと思います。

    タイトルには強い言葉書いちゃいましたけど、好きじゃないというよりも「関心を持てない画家」と言ったほうがニュアンスが近いですかね。

    わたしは、絵画鑑賞を始めたときはそういう画家がたくさんいたんですけど。ある考え方をし始めたことで「関心を持てない画家」ってのがいなくなりました。

    この考え方をし始めてから、わりと誇張抜きですべての画家(少なくとも今まで見てきた画家)に対して「関心を持てない」ということは無くなっています。

    もちろんその中でもすごく関心を持てる画家、ちょっと関心を持てる画家みたいに関心の強度はあるんですけどね。

    というわけで、その考え方に気づけた日。そして「関心を持てない画家」がいなくなった日のことを話していきたいと思います。

    わたしにとって関心を持てなかった画家

    わたしは絵画鑑賞を始めたころは、とりあえずは自分の好みに合うというか、関心を持てた画家を中心に絵画を観ていました。


    ■とくにルネサンス期の絵画全般は、絵画にハマった時から好みだったので深堀していました


    大体そのころはルネサンス期から印象主義までの絵画を観ていたのですが。その中でどうしても関心を持てない画家がひとりいました。

    その画家とは「ポール・セザンヌ」です。

    ポール・セザンヌ(Paul Cézanne, 1839年1月19日 - 1906年10月23日)
    ポスト印象派の画家として紹介されることが多く、キュビズムをはじめとする20世紀の美術に多大な影響を与えたことから、しばしば「近代絵画の父」として言及される。

    wikipediaより

    ちなみにこんな絵を描いている人です。

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    『サント・ヴィクトワール山』1887年

    今までの絵画とは違う描き方をしたとか。絵画空間の見え方を再構築したとか。そういう「セザンヌが絵画の中で表現したこと」というのは理論としても、そして絵画を観てわかった感じにはなっていたのですが。

    でも、その時の私は「そうなんですか?」という感覚も、どこかで持っていました。功績は理解できる。しかし、その絵をもっと見たいとは思えない。そんな状態だったんです。

    あんまりいい気持ちでは無かったですね。結局こうやって「芸術はよくわからない」という地点に行きつくのかなあと思いました。芸術に対する捉え方が、絵画鑑賞を始める前と後で変わらない感じになっているというか。

    そうやってモヤモヤした感情を抱きつつ、ときたまセザンヌの絵画を眺めつつということを続けていました。


    ■ちなみに、こういうサイトでセザンヌの絵画を観ていました。


    画家に対する考え方が変わったとき

    でまあある日、いつも通りセザンヌの絵画を観ていたわけです。「うーんどうしても惹かれないなあ」とか思いつつ。

    画像
    いつもどおりWikiArtでセザンヌの絵画を観ていた時の画面

    こんな感じで年代順に見ていると、セザンヌは生涯、自身の絵画理論に基づいて絵画を描いているようではあるのですが。

    そのときふと疑問に思ったんです。
    「セザンヌは自身の絵画理論を完璧なものと思っていたのだろうか?」と

    わたしはその時まで。絵画と言うのは「画家の絵画理論に基づいて書かれた作品」という感覚がありました。まあそれも間違ってはいないんでしょうけど。だれしも何らかの理論があって、それを表現するために絵画を描いているだろうし。

    ただ、その理論が完璧であるということを言っている人って誰なんだろうと。セザンヌ自身がそう言っていたか?あるいは美術評論家のような人がそう言っていたのか?それとも「理論が完璧」と自分が勝手にそう思っていただけなのか?

    で、セザンヌの絵画理論とかは調べれば出てきますけど。その理論が完璧で疑いようのないものである、とは誰も言っていないんですよね。

    セザンヌを解説した記事、評論などは多々ありますけど、つまるところ「セザンヌの作品や言葉を総合すると、こういう考え方で制作していたと理解できる」くらいのニュアンスです。

    でも、一つだけ分かることがあります。

    セザンヌは、自分が信じる表現を何十年も作品によって試し続けた、ということです。

    そして、おそらくそれはセザンヌだけではないんでしょう。自分が信じる表現を何十年も作品によって試し続けるというのが「画家」なのではないかと。

    そしてわたしは、自分にとってはですが「関心を持てない画家」がいなくなるような、ある考え方に行きつきます。

    「画家とは、自分が信じる表現が本当に成り立つのかを一生をかけて作品で試し続ける人なのではないか」

    私はそう考えるようになってから、「関心を持てない画家」がいなくなりました。

    自分が信じる表現を、一生をかけて試し続ける。

    今では、それこそが画家という仕事のすごさなんじゃないかと思っています。


    さいごに

    わたしは自分の考え方が変わったからと言って「現代アートの難解な作品が何を表現しているか」とかそういうのは、まだあまりわからないですけど。

    とはいえ、わたしは難解な作品に出会ったときは「なにか自分が信じる表現があって、それが本当に成り立つのか試している作品なのだろう」と考えるようにしています。

    そう考えると、画家と一緒にその表現方法を検証している感覚になれるというか。画家との距離がちょっと近くなる感じがするというか。

    もちろん、その表現に共感できるとは限りません。でも、「関心が持てない」ということは、ほとんど無くなりました。

    私にとっては、それだけでも絵画鑑賞がずいぶん面白くなった気がしています。

    最後まで見て頂き、ありがとうございました!


     
     
    美術作品を題材に、鑑賞者の見方や思考について考えています。「なぜ身構えてしまうのか」「なぜ名画に惹かれるのか」など、鑑賞する側の疑問を中心にゆっくり更新しています。 SubStuck:https://kojartthink.substack.com/

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