正しく味方をしてくれる誰か/空波さん企画
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私はかつておはなしの中に出てくる『男の子』だった。
正確には「そういう立場になったことがある」という意味だが。
なので終始少年側に肩入れして読んでしまった。
ものすごく異色な感想文になっている自覚はある。
ただ読み進めていくうちに彼と私には決定的な違いがあることに気付く。
そう、この『男の子』には正しく味方してくれる大人が近くにいた。
いい歳して何を…と思われるかもしれないが、大人は時に信じられないくらい理不尽なことを言う。
私は子どもの頃からそれがどうにも納得いかなかった。
しかし所詮は非力な子ども。
刃向かったところで良い事なんてないと早々に学び、自分の考えは胸の内に留めておけば安全なんだと知った。
まるでロボットのように……いや、最近の進化を見ているとそちらの方が余程人間らしいんじゃないかと思うくらい無気力な指示待ち子ども時代を過ごした。
それをうちの親は「反抗期ゼロのいい子」と鼻高々に触れ回るものだからたまったもんじゃない。
まぁ結果だけ見れば、全くその通りになったんだろう。
近所の誰を捕まえて聴いてもうちの家族は「理想だ」と答えると思う。
何度も記事を読み返していて「私にも誰か一人でいいから味方がいてくれたらな…」と思わずにはいられなかった。
そう。『男の子』に感情移入すると同時にまだ心のどこかにいる幼い私が激しく嫉妬している。
「人生においてここまで全く味方ができなかった私はやはり人間的におかしいのでは…」とたまに顔を出す超ネガティブMyが囁いた。
そうなのかもしれない。
それでも私は幼い頃の私に「ごめんね」と、「あなたが頑張ってくれたから今の私がいるんだよ」「ありがとう」と声を掛けてあげたい。
この先も私は、私だけは自分の味方でいる。
そう決めたから。
盛大に横道に逸れてしまったが、おはなしの中に出てくる『男の子』は大人を目の前にしても少しも臆することのない物言いをする。
正直真正面から対峙したらこちらが黙らされてしまいそうだな、と(笑)
なのにどこか憎めない茶目っ気のようなものも感じた。
これがいわゆる「子どもらしさ」というもので、愛され力でもあるのかもしれない、と。
それを持っているとか持っていないとかじゃなく、日々子どもたちと接する仕事に就いている私はまた一つ勉強になった。
このおはなしを読んでもう一つ、遠い昔の記憶が蘇った。
うちの弟が写生会でフラミンゴの羽を黒く塗ったことがあった。
おはなしの中の『男の子』は青い海を緑に塗ってしまい、母親に指摘された、と話していたが、うちの弟は「黒」だ。
フラミンゴを目の前にして誰がその色をチョイスするというのか。
当然担任の先生は書き直しを命じたが、動物全般大好きだった弟は「フラミンゴは羽を広げると黒いんだ!」とガンとして譲らなかったらしい。
後日その担任の先生から親に謝罪の電話が入った。
「私の思い込みで〇〇くんを叱ってしまいました。〇〇くんにも今日直接謝りました。教師として子どもの可能性を潰しかねない対応をしてしまったこと、大変恥ずかしく思っています」
そんな感じの内容だったと聞いた。
電話を切った母が弟を褒めちぎった。
一方私は写生会の絵に色付けしていた時に盛大に画材をぶちまけ、普段温厚で人気者な先生を大激怒させた直後だった。
姉弟でえらい違いである(笑)
夕飯が済んだ後に大好きな動物図鑑を手に私のそばに来た弟がペラペラとページを捲る。
それは何気ない日常で、私は私で別の本を読んでいた。
クイっと軽く服を引っ張られた感覚に顔を上げると「この間、お姉ちゃんと一緒に見たからね」と言いながら弟が指差した先には羽を広げたフラミンゴの写真がデカデカと載っていた。
弟が描いたのはもしかしたら図鑑の中にいるフラミンゴだったのかもしれない、と思ったが、私たちは顔を見合わせてただ静かに笑った。
この時の弟が抱いていた感情は分からない。
聞こうとも思わなかったし、この件についてそれ以上話すこともしなかった。
きっと大人になった彼は覚えてすらいないだろう(笑)
だが、少なくとも小さな私は「よくやった!」という誇らしい気持ちで彼に目配せをした。
大人に一泡吹かせてやった!とかそういうことではない。
ただただ弟の知識が間違ってないと認められて、相手が子どもだろうと「ごめんなさい」のできる大人が彼のそばにいれくれるという事実がとてつもなく嬉しかった。
子どもは大人が考えるより賢い。
自分が有利になるように振る舞いや発言をコロコロ変える狡さも持っている。
なのに最後は盛大に辻褄が合わなくなったりするところは可愛らしいな、と思う。
おはなしの中に出てきた『男の子』が自分が間違っていないと思うところだけじゃなく、自分のよくなかったところもきちんと打ち明けられたのは目の前にいる大人が「正しく味方をしてくれる人」だと認識したからだと私は思った。
子どもは大人が見落としている物事への気付きをもたらしてくれる。
しかしやはり「経験値」では圧倒的に大人には敵わない。
それを武器として振りかざすのではなく、先に生まれた人間としてまだまだ小さな世界を広げるお手伝いをしてあげられれば、とても素敵だ。
幾つになっても大人になりきれない私だが、一応「過度に子どもに寄る」でもなく「大人の感覚ばかりを押し付ける」でもない人間を目指している。
このおはなしに触れて改めてそのことを思い出させてもらったような気がする。
夏の終わりにあたたかい気持ち+少しほろ苦い過去、そしてこれからの私のスタンスなんかも含めて心を寄せる機会をもらえたことに感謝したい。
