記録
気づいたらあっという間に7月で気温は毎日30度近くになり今は梅雨真っ只中でこうして書いてる今も窓の外からは水の音がする。
先月の終わり頃おじいちゃんが倒れて、今も意識は戻っていない。脳梗塞だった。
その次の日から4日間実家に帰らせてもらって毎日一日2回、顔を見に行った。声をかけて足を撫でた。
おじいちゃんはパパの父で家が遠いのもあり私はお正月とお盆の年に2回ほどしか会ってこなかった。
でも今年に入ってから私も学生を卒業し働いていたためお正月に会えず2026年に初めておじいちゃんの顔を見たのが集中治療室だった。意識はもう戻らないと言われ延命措置を断ったあとだった。
久しぶりに見たおじいちゃんは私にはただ寝ているようにしか見えず深刻な状態なことは知っていても実感が湧かなかった。ただ一つおじいちゃんの腕や鼻、ベッドの周りを囲むようにしてある機械たちはおじちゃんが今どんな状態かを絶えず私に教えているようだった。
パパの泣いている姿を初めて見たし、おじいちゃんの手を握りながら後悔しているおばあちゃんの姿も忘れられない。
私はまだ誰の死も経験したことがなく喪服すら持っていなかった。
死ぬということは一体どういうことなのだろうか。
今までも悲しい映画や小説にふれるたび幾度となく考えてきたが、考えるということには限界があり今もあんまり分かっていない。ただより身近になって思うことはその人にはもうほんとの本当に2度と会えないということ。
その人の姿をもう見れないということ。パパは父親を亡くしおばあちゃんはこれから一人で台所に立ちご飯を作らないといけないということ。私はたった一人のおじいちゃんをなくすということ。
こんなにあっという間に誰かと離れ離れになるなんて
死なんてなければいい。
みんなはどうやって誰かの死を乗り越えているんだろう。
私は自分の親の死を乗り越えれる気がしない。
死ぬということに早いも遅いもないと私はそう考えてきた。
その考え自体は変わらない。
ただどんな人にとっても誰かの死は早すぎると、まだいかないでと思うことはあると思う。
大切な人との時間はいつも足りないから。