母になって初めて、「頑張る」という武器が通用しなくなった。
私はずっと、「頑張れば何とかなる」と思って生きてきた。
テストの点が悪ければ、もっと勉強すればいい。
部活でうまくいかなければ、人より練習すればいい。
仕事で失敗したら、早く出社して、遅くまで残って、できるようになるまでやればいい。
恋愛だってそうだった。
うまくいかなくても前を向いて、また次へ進めばいい。時には、一度うまくいかなかった相手に、もう一度思いを伝えてうまくいったこともあった。
もちろん、すべてが思いどおりになったわけじゃない。
それでも、「頑張る」という武器は、何度も私を前へ進ませ、「もう一度やってみよう」と思わせてくれた。
だから私は、「頑張れば何とかなる」は、自分の人生の当たり前のルールだと思っていた。
母になるまでは。。
子どもが生まれて、そのルールは少しずつ音を立てて崩れていった。
相手は一人の人間だ。
思いどおりにならないのは当たり前。
そんなことは、頭では分かっている。
それでも毎日は、予定どおりには進まない。
朝は、戦争のようだった。
「早く着替えて!」
「早く食べて!」
「もう行くよ!」
朝食を片付け、保育園へ送り、そのまま会社へ向かう。
仕事を終えて帰宅すれば、今度は夕飯、お風呂、寝かしつけが待っている。
「早く食べよう!」
「早くお風呂に入ろう!」
「早く寝よう!」
気が付けば、一日中、「早く」と言っていた。
子どものために頑張っているはずなのに、うまくいかない。
寝る前にそのことを思い出して自己嫌悪になる。
それでも私は、「努力が足りないんだ」と思っていた。
もっとご飯を手作りしよう。
もっとおやつも手作りしよう。
もっと一緒に遊ぼう。
帰宅すると、床のほこりや落ちている髪の毛が目に入る。
子どもにはアレルギーがある。
もっと掃除しなきゃ。
もっと、いいお母さんにならなきゃ。
頑張れば、きっと何とかなる。
私は、それしか知らなかった。
でも、頑張るほど私だけが疲れていった。
子どもを怒ることも増えた。
夫の何気ない一言に腹が立つ。
床に物が置きっぱなしになっているだけで、イライラする。
「もっと」が頭の中を走り回るほど、心には余裕がなくなっていった。
ある日、どうしても夕飯を作れなかった。
体調も悪かった。
スーパーで何を作ればいいのか何を買えばいいのか、考える気力すら残っていなかった。
お惣菜売り場の前で立ち止まる。
手に取っては戻し、また手に取る。
離乳食の頃から、できるだけ手作りをしてきた。
子どものために。
その一心で続けてきた。
だから、お惣菜をかごに入れた瞬間、私は少し負けたような気がした。
(ちゃんとできなかった。。)
そんな気持ちのまま食卓に並べた夕飯を、子どもはいつもどおり「おいしい」と笑って食べた。
私は何と戦っていたんだろう。
ちゃんと、ってなんだろう。
あの日、手放したのは手作りではなかった。
〝頑張り続けなければ、いい母親にはなれない。”
そんな思い込みを、ほんの少しだけ手放した日だった。
母になって初めて知った。
人生には、頑張ることで前に進める季節と、頑張ることを手放して前に進む季節がある。
テストの点数も、仕事の成果も、自分一人の努力で変えられることは少なくなかった。
でも、子育ては違った。
相手にも意思があり、その日の機嫌があり、自分の体力にも限界がある。
頑張ることだけでは届かない毎日がある。
「頑張る」という武器が通用しなくなったのなら、新しい生き方を覚えるしかない。
それは、諦めることではない。
力を抜くことを知ること。
完璧よりも、今日笑って過ごせたことを大切にすること。
自分にも「これでいい」と言ってあげること。
頑張ることは、ずっと私の武器だった。
だからこそ、その武器だけでは生きていけない季節があることを、母になって初めて知った。
私は今日も、新しい生き方を練習している。