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「おれの知らないおれがまだいる気がする」

    会社で、毎週土曜日を丸一日使う研修の募集があった。

    正直、めちゃくちゃ行きたかった。

    でも、子どもが2人いる今の生活では現実的じゃない。

    平日はフルタイムで働いて、保育園のお迎えに行って、ご飯を食べさせて、お風呂に入れて、寝かしつける。

    休日は家族で過ごす。

    土曜日を毎週一日潰すなんて、今の自分にはできない。

    「仕方ない」

    そう頭では分かっている。

    でも、どこかで悔しかった。

    もっと上を目指したかった。

    もっと勉強したかった。

    もっと違う人生があったんじゃないか。

    そんなことを考えてしまう。

    成長したいわけじゃない

    最初は、自分には「成長欲求」があるんだと思っていた。

    でも、よく考えると少し違う。

    出世したいわけでもない。

    年収を何百万円も増やしたいわけでもない。

    偉くなりたいわけでもない。

    もっと深いところにある感情だった。

    それは、

    「おれの知らないおれがまだいる気がする」

    という感覚だ。

    もしコンサルを続けていたら。

    もし別の会社に行っていたら。

    もし大学院に進んでいたら。

    もし海外で働いていたら。

    もし子どもがいなかったら。

    別の人生を歩いていた自分は、どんな人間になっていたんだろう。

    そんなことを考える。

    全部の人生は生きられない

    もちろん、全部の人生は生きられない。

    何かを選ぶたびに、何かを選ばない。

    結婚した自分。

    子どもを持った自分。

    今の会社で働く自分。

    その選択の裏には、生きなかった無数の自分がいる。

    コンサルを続けた自分。

    起業した自分。

    研究者になった自分。

    海外で働く自分。

    それら全部を同時に生きることはできない。

    だから、「もしあの時…」と思うことがあるのは自然なことなんだと思う。

    それでも、あがきたい

    でも、

    「全部の人生は生きられない」

    という言葉を、

    「だから諦めよう」

    という意味で受け取りたくない。

    全部は無理でも、どこまで行けるかはまだ分からない。

    35歳の今、

    自分が完成形だとは思えない。

    40代で大学院に行くかもしれない。

    50代で全然違う仕事をしているかもしれない。

    60代で新しい挑戦をしているかもしれない。

    まだ会ったことのない自分が、どこかにいる気がする。

    だから、あがきたい。

    毎週土曜日の研修には行けない。

    でも、深夜に30分、応用情報の勉強をする。

    今すぐ大きく跳べなくてもいい。

    10年かけて遠くへ行けばいい。

    昔みたいに全部を賭けることはできない。

    守るものがあるから。

    でも、だからといって、自分の可能性に蓋をしたくはない。

    「おれはこんなもんだ」

    そう決めつけてしまうことだけは、したくない。

    60代の自分へ

    もしかしたら、結局大したことはできないかもしれない。

    部長にもなれないかもしれない。

    大学院にも行かないかもしれない。

    世間から見れば、平凡な人生かもしれない。

    それでもいい。

    ただ、

    「まだ先があるかもしれない」

    そう思いながら、最後まであがいていたい。

    60代になった自分が、

    「結局、いろいろ遠回りしたな」

    と笑いながら、

    「でも、最後まで自分を諦めなかったな」

    と思えたら。

    それはきっと、悪くない人生なんだと思う。

     
     
    田舎の病院事務員から、どこまで行けるか。 30代・2児の父として、仕事と家庭の間で次のキャリアを模索中。 元事務職。転職を繰り返し、人事給与、コンサル、HRシステム企画などを経験。 「この先のキャリアどうする?」をテーマに、日々の気づきや過去の学びについて発信しています。

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