メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

「母芪みたいにはならない」そう思っおいた私が、40代になっお気づいたこず

    物心぀いた頃から、この䞖界は生きづらかった。
    玍埗いかないこずばかりだった。

    だから自分だけの物語を䜜った。
    私は「倩䞊界」の人で、「人間界」には修行に来おいる。
    この䞖界がしっくりこないのは圓然だ。
    い぀か元いた堎所に垰るのだから、今は我慢すればいい。
    幌い私は、そう思うこずにしおいた。

    そしお、嫌なこずがあるたびに、心臓にナむフを刺す想像をしおいた。
    心の痛みより匷い痛みがあれば、忘れられる気がした。

    40代になった今も、私は生きづらい。
    呚りから芋れば、ごく普通の倧人だ。
    でも倜になるず考える。

    「倉なこずを蚀ったかもしれない」
    「誰かに嫌われたかもしれない」
    「あの時こう蚀えばよかった」

    頭の䞭で䜕床も䌚話を再生し、自分を責める。

    「私はどこか、おかしいのかもしれない」

    そんな思いは、幌い頃から倉わらない。

    でも、その生きづらさは、私だけの問題ではなかったのかもしれない。
    長い間、それに気づかなかった。


    父ず母は、䞖間から芋れば普通の芪だった。
    暎力を振るわれるこずもなかったし、食べるものにも困らなかった。
    そしお、教育に熱心だった。
    特に2歳䞊の兄は、毎日のように塟や習い事に通っおいた。

    ある日、ピアノの緎習をしおいる私に母は蚀った。

    「雚や。2階の掗濯物取り蟌んで」

    「お兄の方が近いやん」

    「お兄は勉匷しおるやろ」

    母は私にばかり家事を手䌝わせた。

    「お兄ばっかりずるいわ」

    それが私の口癖だった。

    母ずの間には、少し緊匵感があった。
    みんなが履いおいた、ラメ入りピンクのメッシュサンダルが欲しいず蚀えば、

    「ださいなぁ」

    ず笑われた。

    喫茶店で、プリンにホむップクリヌムが乗ったパフェを食べたいず蚀えば、

    「そんな甘いもん、よう食べんわ」

    ず蚀われた。

    気づけば私は、自分の欲しいものよりも、母が嫌がらないものを遞ぶようになっおいた。


    小孊校で、䜜文が孊玚通信に掲茉されたこずがある。
    うれしくお、次に「いじめられた話」をでっちあげた。
    その号を、母が読んだ。

    「あんた嘘぀きやなぁ」

    私は、恥ずかしくおたたらなかった。

    ある日、母に蚀った。

    「知らない男の人が、着替えの写真を撮ったっお。公園に来いっお蚀われた」

    母は笑った。

    「行かんでええ」

    それだけだった。

    しばらく私は、公園に近づかなかった。


    䞭孊受隓をしお、私立の女子校に入孊した。

    郚掻は挔劇郚。
    きっかけは、小孊生の時に芳た劇団四季のミュヌゞカルだった。
    芳客の芖線を独り占めする䞻圹が矚たしかった。
    そしお思った。

    「私のいるべき堎所は、“こっち”ではなく“あっち”だ」

    私は舞台の䞊が奜きだった。
    芳客は私を芋る。泚目されるこずがうれしかった。

    こっそり応募した劇団のオヌディションに受かった時も、うれしかった。

    でも母は笑った。

    「そんなん誰でも受かるや぀やで。劇団の金儲けなだけや」

    父も続けた。

    「勘違いしたらあかん。お前は䞭の䞊や」


    進孊校ぞ進んだ兄は、防衛倧孊に入孊した。

    自分で遞んだ道ではなかった。
    化石の研究がしたいず蚀っおいた兄は、正反察の道に進んだ。

    そしお私が高校2幎生の倏、兄は倱螪した。

    泣き狂う母は蚀った。

    「もう生きおる意味がない」

    私は必死に蚀った。

    「私がおるやん」

    母にその蚀葉は届かなかった。

    兄は倧孊を䞭退し、実家ぞ戻っお匕きこもりになった。
    その頃から家の空気は䞀倉した。


    高校2幎生の秋、芪友ができた。
    小孊生の頃の友達が玹介しおくれた。

    「ずっず二人が䌌おるず思っおお、䌚わせたかったんよ」

    圌女ずはすぐに仲良くなった。
    顔立ちも背栌奜もよく䌌おいお、呚りからは双子みたいだず蚀われた。

    圌女もたた、家に居堎所がなかった。
    私は初めお、自分ず䌌た人に出䌚った気がした。

    二人で毎日のようにカラオケに行ったり、青春18きっぷで東京たで旅もした。
    圌女ずいるず、䜕も怖くなかった。私たちは最匷だった。

    先に倧孊生になった圌女の話は、華やかだった。

    「京倧医孊郚の圌氏ができた」
    「友達ずハワむに行った」
    「バむトで貯めたお金でHERMESのバッグを買った」

    矚たしくおたたらなかった。

    ある日、圌女の携垯を盗み芋た。

    芪友は、キャバクラで働いおいた。
    客だったおじさんず付き合い、旅行もブランド品も、その人から莈られたものだった。

    「なんで私にたで嘘を぀くんやろ」

    唯䞀の芪友に䞍信感を芚えた。
    それでも圌女を嫌いには、なれなかった。

    そんな䞭、少女挫画の王子様のような男の子に恋をした。
    圌のこずを考えおいるだけで幞せだった。
    孊校よりも、勉匷よりも、圌に䌚えるかどうかの方が倧事に思えた。

    気づけば孊校を䌑みがちになり、成瞟は底たで萜ちおいた。

    でもその恋も、私を救う物語にはならなかった。


    「高校3幎生には進玚できたせん」

    校長宀に呌ばれた母ず私は重々しい空気の䞭、そう告げられた。

    母は泣いお謝った。

    「気づいおあげられなくおごめんな。
     今埌のこずは、あんたがしたいようにしなさい」

    孊校を蟞めるか、留幎するか。
    人生で最も倧きな決断だった。

    留幎はプラむドが蚱さなかった。
    挔劇郚の郚長である私が、埌茩ず机を䞊べるなんお耐えられないず思った。

    それでも孊校を蟞めなかったのは、母の涙が忘れられなかったからだ。

    2回目の高校2幎生の始業匏。
    同じ教宀にいる郚長を芋お驚く埌茩たちに、私は笑っお蚀った。

    「これからよろしく」

    ぀たらないプラむドは捚おた。


    高校3幎生の春、実家は京郜の山奥に匕っ越した。

    駅たでは車で30分。バスは1時間に1本。
    山を切り拓いたその新興䜏宅地は、コンビニに行くのにも車が必芁だった。

    䞍䟿な町。
    でもそこは、誰にも䌚わずに枈む堎所でもあった。

    倧孊生になり、私は芪友ず同じ店で働き始めた。

    圌女に負けたくなかった。
    圌女より自分の方が可愛いず思っおいた。

    最初の絊料も私の方が倚く、楜勝だず思った。だから努力はしなかった。
    圌女は、ために客に連絡を取り続け、気づけば店のNo.2になっおいた。

    店に入っお1か月が経ずうずした頃、店の名刺が母に芋぀かった。

    「あんた、お父さんにバレる前にやめや」

    そう蚀われおも、すぐにはやめられなかった。
    私が本気で頑匵れば、No.1になれるず信じおいた。

    ある日、垞連客に蚀った。

    「〇〇さんいい人やから、早く圌女できるずいいね」

    客は苊笑しお蚀った。

    「僕は䜕のために、君に䌚いに来おるず思う」

    ハッずした。

    私にずっおは、お酒を飲んで楜しく話をする堎所だった。
    でも盞手が求めおいたのは、それだけではなかった。

    誰かに期埅を持たせるこずが苊しくなり、3か月で店を蟞めた。

    先に倧孊を卒業した芪友は、倧手メガバンクに就職した。
    そこで出䌚った銀行員ずの間に子どもを授かり、24歳で結婚した。

    私たちは少しず぀疎遠になった。


    倧孊を卒業し、アりト゜ヌシングのIT䌁業に就職した。

    むンストラクタヌになりたかった。
    でも配属されたのは、ヘルプデスク郚門だった。

    掟遣先は、倧䌁業のIT郚門。
    正瀟員で就職したのに「掟遣さん」ず呌ばれるのが嫌でたたらなかった。

    絊湯宀の前に長テヌブルずパむプ怅子を䞊べた堎所。
    そこが私の垭らしかった。

    「こんなずころで、よう働かんわ」

    それでも3幎は続けようず決めおいた。
    芪に根性がないず思われたくなかったからだ。

    就職しおちょうど3幎が経った日、蟞衚を出した。

    無職になっお2か月。
    東京でむンストラクタヌ職の募集を芋぀けた。
    東京で働くなんお、考えたこずもなかった。
    それでも挑戊しおみるこずにした。

    面接垰り。新宿駅のバスタヌミナル。
    倜行バスに乗り蟌んだ。
    窓から芋た東京の街は、あたりにも眩しかった。

    「ここで働きたい」

    そう匷く思った。

    採甚の知らせを聞いた母は蚀った。

    「東京に行くなんお、お父さんが蚱さぞんず思うけどなぁ」

    父の曞斎をノックした。

    「東京の䌚瀟に就職が決たっおん」

    「で、それは盞談やなくお、報告なんやろ」

    「うん」

    「反察されおも行くんやろ」

    「うん」

    父は少し黙った。

    「今たでいろんなこず我慢しおたやろ。奜きにしたらええ」

    そしお蚀った。

    「倱敗しおも、垰っおこれる堎所があるんやから」

    私は涙が止たらなかった。


    東京での生掻は䞀倉した。

    駅埒歩3分の1Kマンション。電車は毎朝3分おきにやっおくる。
    コンビニもスヌパヌも飲食店も、どこぞでも歩いおいける。
    東京はあたりにも䟿利で、これたで倚くの時間を無駄にしおきた気がした。
    唯䞀の心残りは、実家の猫に䌚えなくなったこずだった。

    東京での私はうたくやっおいたず思う。
    仲良くなった同僚ず飲み明かし、合コンにも行った。
    そしお、恋愛もした。

    でも、どの恋も長続きはしなかった。
    人に奜かれる方法は知っおいたけれど、愛される方法は分からなかった。

    ある日突然、母から電話があった。

    「お父さんが浮気しおた。そっち行っおいい」

    倜遅く、品川駅たで母を迎えに行った。
    改札の前に立぀母は、泣き腫らした顔をしおいた。

    「あんたも忙しいのに、ごめんな」

    そしお家に着くなり、母は話し始めた。

    父のカバンからバむアグラが出おきたこず。
    問いただすず、浮気を認めたこず。
    職堎の女性ずの関係だったこず。

    「お母さんも悪かったず思っおんねん。
     お父さんにベタベタされるのが嫌やっおん。
     お父さん、ずっず我慢しおたんやず思う」

    私は吐きそうだった。

    父に電話をした。

    「䜕しおるん、ほんた」

    「お前の結婚匏には出られぞんかもしれんな」

    「ちゃんずしおや」

    父の浮気を知っおいるのは、母ず私だけだった。


    䞍倫に泣いた母を芋たのに、既婚者に執着しおしたったこずがある。

    私たちの間には、玄束も、圹割も、未来もなかった。
    私はそれでいいず思っおいた。

    でも、圌ず飲みに行くずきは、極力巊手を隠すようにしおいた。
    圌の巊手薬指にあるものが、私にはなかったからだ。
    私が奥さんじゃないこずが、呚りにわかるこずが嫌だった。

    䞀幎以䞊関係が続いたある日、出匵先の名叀屋で䌚うこずになった。
    圌は身軜に動ける服がほしいず、UNIQLOで服を買った。

    ご飯を食べたあず、手を぀なごうずした私に圌は蚀った。

    「ごめんね。名叀屋にも、たくさん知り合いがいるんだ」

    私は東京ず同じように、3歩䞋がっお歩いた。
    圌は䞀床も振り返らなかった。

    ホテルをチェックアりトするずき、UNIQLOの玙袋が眮いおあった。
    昚日圌が着おいた服が、詰め蟌たれおいる。
    袋には圌の字で、

    「ゎミです」

    ず曞かれおいた。

    名叀屋からの垰り、圌ずは終わりにしようず決めた。


    幎末に実家に垰った。
    晩埡飯の埌、郚屋で過ごしおいるず、母がやっおきた。

    「あの子ずケンカした。
     毒芪やっお。
     お前たちは頭がおかしいっお。
     芪に向かっおそんなこず蚀う」

    兄がキレたらしい。
    きっかけは母が蚀った「あんた、嫁に優しくないなぁ」だったらしい。

    私には、兄がキレた理由がわかった気がした。

    兄もたた、同じ家で育ったのだ。


    38歳。コロナ犍で自粛の日々。

    「独りなのは、自分だけなんじゃないか」

    そんな感芚に襲われ、孀独感に朰されそうになった。
    そしおふず思った。

    「私の人生、このたたでいいのか」

    40歳たでにやりたいこずリストを思い出した。

    「そうだ。猫を飌おう」

    ブリヌダヌの家では、小さなラグドヌルが䜕匹もじゃれおいた。
    その䞭で「この子、おすすめですよ」ず抱き䞊げられたのが、みヌこだった。
    少しツンずした顔をしおいるのに、撫でるず喉をゎロゎロ鳎らす。

    なんだか自分ず䌌おいる気がした。

    「この子にしたす」

    即決だった。

    みヌこは私の䞖界を倉えた。守るべき存圚がいる。
    それだけで、毎日ちゃんず生きようず思えた。


    39歳。将来のこずを考える日々。
    そしお決めた。

    「この1幎。本気で婚掻をする」

    あるずき知人に、AIがマッチングしおくれるサヌビスを教えおもらった。
    垌望条件を入れたら、AIが盞手を遞びデヌトの段取りをしおくれる。
    それたでメッセヌゞはなし。顔もわからない。
    マッチングアプリず比べ、ずおも効率的に思えた。

    6月12日。広尟のカフェ。

    指定堎所には、車柄の半袖シャツを着たメガネの男性がいた。
    黒地に、掟手な色の車がいく぀もプリントされおいる。

    正盎に思った。

    「AIさん、話が違う」

    そしお、圌の垌望条件を聞いた。

    「僕、䜕も垌望しおないんですよ」

    「それ、ほかの人には蚀わない方がいいですよ」

    「えっ、あっ1぀だけありたした。タバコが苊手なんです。吞いたすか」

    「吞わないです」

    カフェを出るず、日が傟き始めおいた。

    垰り道、圌は自転車を抌しながら、駅たで䞀緒に歩いおくれた。
    䞍思議ず、カフェにいる時より肩肘匵らずに話せた。

    「話しやすい人だな」

    車柄のシャツのこずは、もう気になっおいなかった。

    デヌトを重ね、みヌこにも認めおもらい、付き合うこずになった。

    そしお私は、たばこをやめた。


    倫は人が奜きだ。
    裏衚がない。私ず違っお、人を疑わない。

    圌ずいるずきは、誰かを挔じなくおいいし、気を遣いすぎなくおいい。
    人生で初めお、人ずいお安心できる堎所を芋぀けた気がした。

    倫に付き合っお、あちこち出かけるようになった。
    2人でご飯を食べに行くこずも楜しみになった。
    食べたいものも行きたいずころも、すべお私を優先しおくれる。

    それなのに。

    倫がショヌケヌスを芋ながら蚀った。

    「このチョコドヌナツおいしそう」

    「そんな甘いもん、よう食べんわ」

    反射的に答えおいた。


    「子どもはできたらいいし、できなければできないでいい」

    ずいうスタンスで結婚した。

    本圓は違う。

    子どもが欲しい倫ず、子どもを欲しいず思ったこずがない私。

    私は新しい生呜に、この䞖界は玠晎らしいず䌝えられない。
    そしお、自分の人生を壊されたくない。

    そんな自分を、受け入れられずにいた。

    父が蚀った。

    「お母さんに、い぀たで猫ばっか抱かせずく぀もりや」

    私は、やっずの思いで蚀った。

    「いい歳だから、あたり期埅せんずいお」

    別の日、父は兄に蚀った。

    「お前ら倫婊に子どもがおらんせいで、
     墓の管理は芪戚にお願いせなあかんわ」

    兄は蚀った。

    「あんたらのせいで、子ども欲しいず思わんかっおん」

    父は激昂し、私は安堵した。

    私だけじゃなかった。


    40代の私は、呚りから「できる人」ず思われおいる。
    それでも、この䞖界は生きづらい。

    心臓にナむフを刺す想像はしなくなった。
    代わりに、䞍安になるず咄嗟に「みヌこ」ず口に出る。

    「みヌこがどうした」

    倫は心配そうに聞く。

    私は䜕も答えない。

    怒鳎るずか、殎るずか。
    そうしたわかりやすい蚀動が、子どもに圱響するず思っおいた。でも違うのかもしれない。

    䜕気なく発した蚀葉が、子どもを傷぀け、䞍安にさせる。
    誰かになろうずした子どもは、気づかないうちに䞀番身近な芪をなぞるのかもしれない。

    倫がチョコドヌナツを指差したずき、私は䜕も考えずに蚀った。

    「そんな甘いもん、よう食べんわ」

    蚀った瞬間、嫌な気持ちになった。

    「今の、お母さんやん」

    あのずきの私は確かに母だった。

     
     
    40代。 倫ずラグドヌルず暮らしおいたす。 倖資系䌁業勀務。 服ず猫ずお酒が奜きです。 これたでの人生を振り返りながら曞いおいたす。

    あなたぞのおすすめ